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雷鳴轟く空の下でビニールプールに水を溜めているのだから、泣きたくなるのも仕方ない。なんなら泣いている。現在進行形で泣いている。
なんせ雷。さっきから黒い空の間を稲妻が走り抜けると同時に屋根をも引き裂かんとする音が響いているのだから怖いったらない。
涙は雨と共に流れていっているが、鼻をすんすんと啜る音だけは響いている。うう、こわい……。
「ほんとうに私、雷こわいんだから……っ」
つい恨みがましい目でマルコさんを見てしまうのも仕方ないし、許してほしい。
その度に酷く申し訳なさそうな顔で項垂れるマルコさんを見て、同情心にまた唸りながら水を溜めていくのだけれど……。
これで私の上に落雷なんてしたらどうしよう……。
人体に対しての落雷確率をぼんやり浮かべながら、その確率なら早々自分には当たらないと慰めてみるけれど、落雷と同程度であるらしい宝くじ一等が当たる確率と、異世界からやって来たという人物に出会える確率、どちらが高いかと言われれば圧倒的に前者である。
異世界人との邂逅なんて、雷が降ってきても納得すらするほどの低確率である。それほどの確率を踏み抜いたのだ。これから先、飛行機事故でもジェットコースター事故でも降りかかってきそうとすら思えてくる。クソ、なんの慰めにもなりゃしなかった。
「……よし! マルコさん、もう入れると思う」
もっと泣き出してしまいそうになる恐怖心を必死に飲み込みながら無心で作業を続け、大雨によるわずかな助けと出力最大にしたホースのおかげでものの数十分程度でビニールプールは一杯になった。
数多くいる親戚のチビたちのために少し奮発して買ってやった大きいサイズのものだけあって、これならマルコさんを放り投げても全身が余裕で浸る。
びしょ濡れの前髪をかきあげマルコさんを見遣った。準備完了の合図に、マルコさんは一度頷いてからゆっくり体を沈めていく。
一応溺れないようにすぐ側で私は待機しているが、その姿が徐々に人型に戻っていく様はなんというか……ファンタジー……。
そんな感動に震える間もなく戻ったマルコさんは水も滴るなんとやら。水の中では自力じゃ起き上がれないマルコさんをなんとか芝生の上に寝転がせて荒い息を吐いた。
◇
マルコさんはともかくとして、長時間雨に打たれようものなら大抵の一般人は風邪を引く。鳥に変わったあげくプールに沈められてびっちゃびちゃのままのマルコさんを差し置いて先にお風呂に入るというのは心苦しいものはあるけれど、私が風邪を引くよかマシである。
マルコさんはたぶん滅多なことじゃ風邪なんて引かないだろう。船乗りが雨風に曝されたからって風邪を引くなんてヤワな話しはあまり聞かないし、特にマルコさんほど頑丈な体を持っていれば風邪はおろか病気とは無縁だろうという信頼の証である。
……もちろんお風呂後はきちんとドライヤーして乾かしてあげているし、許してほしい。
びっしょびしょのマルコさんに温風を当て続けること数分、ようやく喋れるようになったマルコさんは重たそうに口を開く。
「迷惑かけたよい」
「いいよ。可愛い姿が見れたんだもの。それに、なんだか今日で雷にも少し慣れたしね」
本当に悪かったと思っているらしいことがヒシヒシと伝わってくる。目は閉じたままだが声色の落ち込み具合が凄い。
気にしないでいいの言葉の代わりに柔らかな髪を撫でると、自身の目を塞いでいるマルコさんの手が少し強ばったように見えた。
安全な所から見る肉食動物が可愛いと思えるのと同じことで、害のない動物であればそれだけで愛嬌があるのだ。あの鳥の姿を可愛いと思ったのは本当だし、怖かったのは雷くらいのもんである。動物好きだしなあ……。インコとか、あとは白いフクロウなんてとくにテンションが上がる。だってヘドウィグ……。
脳内であの賢くて可愛い白いフクロウを思い浮かべながらぼんやり撫で続けていると、ずらした腕の隙間から見えるマルコさんの目がじっと私を見ていて、目が合っても逸らさず、なにか言いたげにしていて首を傾げる。
「なあに?」
「……いや。雷には怖がるってェのに、おれを怖がらねェのが不思議でなァ……おれの世界にゃ当たり前でも、お前の世界にねェもんなんざ怖がるには充分だろい。気味悪くねェのかよい」
この期に及んでなにを言うのかと瞠目する。けれど存外真剣さを含んでいるらしい瞳に、込み上げそうになっていた笑いは飲み込んだ。うーん、でも、またその話しかぁ。
「なんだか、私に気味が悪いって言ってほしいみたい」
「そんなつもりはねェが、」
「そりゃあ雷は怖いわ、私に落ちてきたら死んじゃうもの。知ってる? 雷って数億ボルトだって。そんなの直撃したら間違いなく死んじゃう」
マルコさんを遮って喋り出す。
とはいえ、実は落雷被害者が生き残る確率は案外高いとされている。万一にもその被害者に私がなりえたとして、もしかしたら生き残れるかもしれないけれど。だからといって誰しも雷に打たれたくないし、火傷だって負いたくないし、痛いことは嫌。怖がるには十分な理由。
「雷は害があるから怖いの。でもマルコさんは私に痛いことしないでしょう? そんな貴方のどこを怖がればいいの?」
最初こそ──── そう、初対面の最初こそ、射抜くような目で睨んではきたけれど、ただそれだけ。それ以上何かをするわけじゃなかった。暴力を振るうことも、脅すことさえも。怯えた私を見て、自分だって困惑しているだろうに最初にある程度の警戒心を解いてくれたのはマルコさんの方だった。
「鳥になれるところ? 再生する能力? でも私の世界だって幽霊が見れたり、透視能力があったり、いろんな超能力を持つ人がいるんだよ。まあ、実際会ったことはないし……マルコさんとはちょっと毛色というか……系統は違うけれど」
例えば友人から、霊感があるのだと打ち明けられたら。例えば超能力を持っているのだと打ち明けられたら。私は友人を信じるだろうし、怖がらないだろう。マルコさんに抱いている感覚としてはそれにずっと近い気がする。気味悪がるなんて絶対に有り得ない。
「私の世界になくたって、私とは違ったって、私の中のマルコさんは優しい人よ。それが変わらない限り、貴方が私にとって
ずっと合わせていた視線。先に逸らしたのは、すこし耳を赤くしたマルコさんの方だった。