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 報告を終えた途端、「危ねェですよ!」だの「あんな女のために隊長が足を運ぶ必要があるかよ!」だのとピイピイ騒ぎたてる新人を適当にあしらって昼食を食わせに行かせたのが、さきほどからきゅうきゅうと寂しげな音を鳴らしまくる己の腹。

 飯を食いっぱぐれるような面倒事を持ってきた新人を微かに恨みつつ、元凶たるその女を恨みつつ、そして馬鹿なことをほざいたらしいサッチを最大限に恨みながら、さてサッチにはどう落とし前をつけさせようかと様々な考えを巡らせながら食堂を通ると、数百人のクルーはすでに昼食を食べている。いつもよりはすこし喧騒さがないことから、どうやら侵入者の情報は回っているらしい。どことなく静寂が目立つ廊下を抜けたさき、船外へ通じる扉を開いた。

 重たい音を奏でて微かに開いた扉から漏れ出ている光はずいぶんと眩しく暖かいものだった。
 完全に開き切ると一面の青空のもと、仲間たちが広い甲板の中央、一箇所に集まっている光景が目に入る。侵入者を面白気に眺めている者はやや半分程度。見張り台から遠目でこちらを確認しつつも見張りとしての役目を続行しているのがふたりと、女でおそらくこの様子を見るに正体はカタギであることが加味されているのか、殺気立ってはいないものの一応しっかりと捕縛しているものが中堅のひとりと、侵入者の目前に座り込んでいる馬鹿野郎サッチ、今しがた開けた扉のすぐ側にゆらりと立っているイゾウがひとり。

「よォ、おでましかい? 別にお前さんが誰を買おうが気にしちゃないが、こんなヘマをやらかすたァ珍しいこともあるもんだ」
「こんな馬鹿やらかす奴を買った覚えはねェよい」
「最近ふぬけてる奴に言われてもなェ」

 くつくつと喉で嗤って紫煙を燻らせるイゾウの言うことに反論できずに押し黙る。睨みを利かせてもまた面白そうに笑うのだから、こいつは全くやりにくい男である。

「……うるせェ。で、どんな女だ」
「黒髪。……ガキだとは思うが、にしては行動が落ち着いてやがる。見た目が幼いだけかもな。なんにせよ“お仲間”じゃあない。ま、変な能力を持ってるのはたしかだろうが……あの細身だ。戦うのは無理だろうよ。ステファンの方が強いだろうさ」

 黒髪のガキ──── そう聞いて浮かぶのは昨日おかで抱いた女である。おれが入れている刺青がなにを指すのか気付かないほど無知な女であったはずもないし、ましてあの宿屋がある島は白ひげが懇意・・にしている場所だ。そういう教育をオーナーがしていないという事はありえない。けれどおれに会いたいと海賊船に乗り込む黒髪のガキを、その女以外に知らない。

 というより、この世界に戻ってきてから黒い髪をした女を見たくなくて避けてた節すらあるのだ。そんな中で海賊船にまで乗り込んでくるような女なんて消去法で考えてもそいつしか知らない。

「チッ……まさか乗り込んでくるたァ……」
「さっさと行ってやりな。いつまでも刃物を向けられてたんじゃ、いくらなんでも女が可哀想だ」

 「ま、自業自得だろうけどなァ」なんて笑ったイゾウはまた煙を吐き出した。女を無事に放り出した暁にはあの名刺はゴミ箱に殴り捨てようと決意を固め、おれの姿を認めるなり自然に別れる人の波を歩き出す。
 数メートルも歩くとサッチの影に隠れた女の怯えた吐息が聞こえてきた。未だ女を見据えたままだったサッチは一拍遅れてくるりと顔だけをこちらに向ける。

「一番隊隊長さまのお通りだ」
「るせェぞ、サッチ。さっさとそいつを見せろィ」
「へーへー。ただいまっと」

 気だるしげに立って退いた先。ひとりのクルーに刃を突きつけられている女はおれを見ると、安堵したかのような息を漏らし、けれど──── 落胆したかのような表情を見せた。

「……やっぱり、居たんだね……」
──── ……なまえ?」









 マルコさんに会いたいと思って呼んでもらった手前申し訳ないが、実のところ同名の他人を願っている。待っている間必死に頭を働かせた。首に迸る鋭い痛みも、肌を刺す視線の痛みも、居心地の悪さも、まるで起きているかのように鮮明になっていく意識も。それらを感じてどうして夢だと思えるか。嫌な想像ばかりが浮かぶ。

 私も異世界に──── ? いいや、いいや。そんなことない。私はまだ日本のどこかにいて、異世界なんかには行っていないと。きっと誘拐かなにかされていて……なんて、もちろんそっちの方が怖いけれど、もし無事に解放されれば帰り方はわかるから。いっそ殺されたとしても異世界に比べれば遺体が親の元に届く確率はずっとずっと高いから。

 細かに震える手を祈るように重ね合わせた。それでも体が冷たいままなのは、マルコさんを呼んだあと更に厳しくなった視線の数々のせいである。身を竦ませながらちらりと目の前の男性を見た。

 「マルコさんに会わせて」と伝えたとき、傍にいたお仲間のひとりが「ふざけるな」と激昂したのだ。彼はそれを諌めて、なにやら小声で話し合ったあと、「マルコを呼びに行け」とこの場から離れさせた。それからは一言も喋らず、頬杖をついて私を見つめている。その目は穏やかでどうしてか敵意は感じられなかった。

 お礼を言うべきなのか、それともこうやってずっと俯いていた方がいいのか。
 周りから突き刺さる視線よりも目の前の視線の方が気になりだしたころ、途端に辺りがざわめきだす。
 微かにマルコさんの名前が出ていることから、私が望んだマルコさんと言う名前を持った人が出てきたのだろう。

(同名の、他人ですように……)

 拳をぎゅっと握りしめて強く祈る。
 どうか。私は地球にいるのでしょう、神様。
 地球の、願わくば日本に。どこか地図に載っていないような辺境の海外でもいい。不法入国だと捕まってもいい。地球上にいたならば、それで。帰れたらそれでいいから。


 ──── けれど、真実は残酷なのだ。



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