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その日の夜はサッチさんの言うとおり、大規模な宴会が開催されることとなった。
甲板には大皿に盛られた多種多様な料理が並び、酒樽は地下から次々と運ばれ積まれていく。そわそわと落ち着かない私はなにか手伝おうと右往左往するものの、決まって「主役が動いてどうすんだ」という言葉とともに、白ひげさんの隣に座らされている。それを数回繰り返した頃にはみんなが呆れてしまって、絞り出すように任命してもらったお手伝いは白ひげさんのお酌係である。
「なまえ」
「あっ、はい」
つい、と傾けられる杯になみなみと注ぐアルコール。杯の大きさも規格外であれば酒の度数も規格外である。たぶんこの杯、私入れる。水浴びとか、足湯とかにちょうどいい大きさだ。
……いや人間ひとり入れる大きさのグラスってなんだ。ここまで来て頭を抱えそうになった。しなかったけど。この世界に来て半日程度にもかかわらず、私のスルー力は格段に上がったと思う。
注ぐたびに鼻につくこの匂いからして相当の強さだろうに、白ひげさんはそれを氷も入れないストレートで飲んでいるのだから、肝臓の強さに慄くしかない。
「……あの。白ひげさん、酔ったりしないんですか?」
「この水みてェな酒でか? 酔えってほうが無理だろうよ」
「わー……おつよーい……」
そんな人を親に持って過ごしたんじゃたしかに、そりゃマルコさんも酒に強いわけである。ちらりと窺い見た白ひげさんの顔は飲み始める前からまったく変わっておらず、この匂いさえなければ水を飲んでいると錯覚してしまうほど。
なんかもう意味わからない。いろいろと規格外すぎて。そんな横で白ひげさんの杯に比べればミニチュアのような大きさのグラスに口を付ける。もちろん中身はお酒ではなく、正真正銘、ただの水だ。
みんなが忙しなく動く姿を横目にいただく水というのも罪悪感が半端ない。緊張で乾いた喉を潤し、無意識にため息をひとつ零したところで頭上から笑い声が降りてきた。
「おめェの宴だってのに、そう辛気くせえ顔されちゃあ意味ねェな」
「えっ……あっ、いえ、あの」
「おれの酌係なんだろ、不満か?」
「いえもうぜんぜんまったく」
勢いよく首を振ると白ひげさんの特徴的な、低くて掠れた笑い声が響く。
「そう硬くなるんじゃねェ。取って食おうって奴なんざいねェよ」
「……いえ、あの」
──── べつに怖がってるわけじゃ、と口にしようとした瞬間、目の前に陰りができた。月明かりを遮って、ひとつの大きな人影を落とす。反射的に口を噤んで見上げると、ひと房の髪が私の頬を撫で上げた。
綺麗な艶のある髪を結い上げて、朱色の口紅を塗ったそのひとは一見女性に見えたが、開けられた着物の衿から覗く鍛え上げられたことが嫌でもわかる胸板は厚みはあれど特有の柔らかさを含んだ膨らみは無い。
私を見つめて低く笑う声とともに僅かに揺れ動く喉仏は女性と比べ出っ張っている。これまで洋装に身をまとめた人たちとは違って馴染みのある和装を着たその人は、しかし服装に反し「よっ」なんて言いながらフランクに片手を上げた。
「──── イゾウ、さん?」
「へェ、知ってたのかい。そりゃ光栄だねェ、お客人」
ワノ国出身、16番隊を率いる隊長イゾウさんが月を背にして口角を上げている。その表情はまるで、猫のようだった。
◇
「いやー、オヤジの横でちいこいのがせっせと酌してる姿がねェ、愛らしいもんで。つい話しかけちまった。まさか知られてるとは思わなかったが」
「マルコさんから……お話をよく伺ってたので」
「あァ、様式が似てんだってね。おれも、マルコからあんたのことは聞いてるよ」
座ることなく白ひげさんに凭れかかって持参したお酒を飲むイゾウさんは、どうしてか愉快そうに目を細めて私を見つめてくる。帯にしまわれている拳銃に一瞬目線を奪われるが、そのまま黒い瞳に戻した。
「着物も馴染み深いですよ」
「そりゃあいい。使わねェ女物もあるから、あとであんたにやるよ」
「え? いえ、そんな」
「ずいぶん細っけェから補正はしなきゃなんねェだろうがな。……にしても、お前さんホンットに筋肉ひとつ付いてねェんだな」
半ば関心したかのように私の全身を上から下、下から上と無遠慮に眺められる。その目には嫌悪も敵意も、下心も、好意すらもまるでなく、本当に物珍しさ一択の目線である。まるで檻に入れられた珍獣のような気持ちになった。
その視線を受けて、つい自分の二の腕を触ってみる。筋トレなんてものはほとんどやってこなかった身とはいえ、多少の筋肉は付いていると思ったそこは力を入れて触ってみても柔らかいだけだった。イゾウさんの目が心做しか哀れみのようなものに変わった気がした。
「……あー。ニホンだっけか?」
探るように呟かれて勢いよく目線を向ければ、静かに酒を呷りながら私を見下ろしている。無意識に白ひげさんをちらりと見てしまったが、マルコさんのように助け舟を出してくれる気はなさそうである。
異世界の住人に異世界のことを聞かれる──── 改めて考えると、これほど現実味のないことがあるだろうか。私の世界のことを伝えたとて、彼らが嗤ったりしないであろうことはわかっている。というより、そう信じたいだけだが。
「──── 日本、です」
……たぶん。きっと。良いひとたちなんだとは思う。現にサッチさんも、白ひげさんも、ホビーさんも、ゲイルさんも。良いひとたちだった。だれも私を異常だとは言わなかったし、それが表情に乗ることもなかった。仮に表情に乗ったとしてもそれは当たり前のことだし、もちろん私は傷付くだろうけれど上手く対処できる。消化だってできるだろう。
マルコさんが私の世界にやってきたとき、私の頭が相当疲れていてろくすっぽ働いてやしなかったからああいう展開に落ち着いただけで、普段であれば私だってきっと異常者を見る目で彼を見ていただろうし、家から追い出して生きようが死んでようが気にせずに日常を過ごしていたと思う。
だから彼の仲間に異常者扱いされようと、信用されなかろうとべつによかった。当然だとわかっているから。その覚悟はもっている。
──── だけど。
それでも、このひとは。似たような街で育ってきたというこのひとだけには。同じ“和”を知るイゾウさんには、イゾウさんにだけは。猜疑の目を向けられることがあったら──── それは、サッチさんよりも、白ひげさんよりも、ずっとずっと耐え難いのだ。
自分からその話題に対して広げるようなことはできそうになくて、そっと目を伏せた。
胃がキリキリと微かな痛みを訴え出す。マルコさんもこんな気持ちだったのだろうか。いや、彼はこの世界のことをよく話していてくれていた。
「えらく平和なところだって聞いたぜ。海賊がいないとか」
「……そう、ですね」
「そりゃいい。おれたちのところはガキひとり生きていくにゃ、ちィと厳しいからな。海賊なんざ知らずに生きていけるなら、それに越したことはねェ」
その言葉を聞いて、白ひげさんは「海賊なんざろくなもんじゃねェからな」なんて、自分たちも海賊のくせにそう言って笑いあった。
「違ェねえや。そういや、聞いたかい? オヤジ。ニホンには銃や刀なんざを持ってちゃ捕まっちまうらしい」
「喧嘩はご法度ってな。ちょっとした観光にゃあ良いじゃねェか」
「海賊もいねェ。
会話が耳に入るたびに波打つグラスをぎゅっと握りしめて、「あの!」と流れるにこやかな雰囲気を切る。
「イゾウさんは……、おふたりは……っ! 本当に信じてるんですか、私が異世界から来たって」
真正面でその問いを受け止めたイゾウさんは瞬きをひとつ。ゆっくり白ひげさんと目線を合わせてから、懐から煙管を取り出すと咥えだし、白い煙を夜空に燻らせた。
摩訶不思議なものが溢れているこの世界でも、いくらなんでも「別の世界から来た」なんておかしな話があるわけではないのはマルコさんで知っていた。
それなのに温かな目線をもらうことが、「マルコをあんたの世界で助けてくれてありがとう」と次々にお礼を言われることが不思議だった。だれも言わないのだ。冗談めかしてでも、“異世界なんかあるわけないだろ”とは。
じっとイゾウさんを見つめ続けると、彼は観念したようにひと息吐く。
「お前さんを手放しで信じてるわけじゃねェさ。おれたちはマルコを信じてるだけだ」
「マルコさん……?」
「そ。マルコが言うから信じる。それだけだよ。……それに、あいつが。我らが1番隊の隊長サマが、別の世界があるって言ってんだ。おれたち兄弟が信じてやらねェでだれが信じる?」
兄弟。
「まァ、オヤジはあんたのことを全面的に信じてるみてェだが?」
「そりゃあアレが守りてェと、信じてやってくれと頭を下げたんだ。親が我が子を信じねェでどうするよ」
親。
──── 家族。
一切の躊躇なく、当然なのだと示すその態度が、すべて信じると告げるその姿が、過去の記憶を思い出させた。
むかし、本当に昔の頃。テレビを見ながら母に尋ねたことがある。たしかあれはよくある犯罪もののドラマだった。
養子として迎え入れた子どもの本当の親が犯罪者で、そのことを偶然知ってしまった子どもが養父母たちに黙って親に会ったことから犯罪に巻き込まれていく内容だった。その結果、養父母は危うく殺されかけて、なのにそれでも養子の子を命懸けで守っていた。
その場面を見て私は、“ほんとうの子どもじゃないのに、どうして愛せるの?” と聞いたのだ。
今思えば、子どもとはなんと純粋で、なんと残酷な生き物だろう。けれども母は笑って、こう言ってくれた。
“家族って、血の繋がりだけじゃないのよ。血の繋がりだけが、家族の条件じゃない”
そのひとが笑えば嬉しい。そのひとが泣いていれば苦しい。命がけで守りたいと思えるひとは、そのひとがずっと笑っていられる未来を作りたいと思えるひとは、きっともう、家族なんだと。
──── 会いたいなあ。
あの、のんびり屋さんだとか。おっとり屋さんだとか揶揄されるのに、私の危機となれば人が変わるように守ってくれる母に。
なんでも私を優先して、いつも溺愛して、怒る役目はいつも母に頼って、私だけをいつも甘やかしてくれる、けれどいざという時は私と、母を守ってくれる父に。
膝を抱えて自分で自分を抱きしめるとほんの少しそんな気持ちは和らぐけれど、目の前で笑い合う白ひげさんとイゾウさんと、そしてマルコさんとの絆をありありと見せつけられて、なんだか泣きたくなった。