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 散々体をいじくり回された。
 ──── と、いえば聞こえは悪いがそう言うしかないのだから仕方がない。身長を測るついでに胸囲をそれとなく計られたり、視力を測るついでに顎クイされていらぬ扉を開きそうになったり、などなど。まあ、まだ。100歩譲ってまだ。気心知れた(知り合って間もないことは置いておく)仲の身体測定と思えばなんとか。
 ただひとつ。そう、悪魔の実で体を見られたことはまだちょっと、びっくりしすぎて心臓がうるさく高鳴っている。

 臓器が綺麗ね・・・・・・だなんて。

「体を見るが物理的になんて意味……わかるわけないでしょう……」
「あらあら、びっくりさせちゃったかしら。ごめんなさいね」

 マルコさんは私に能力を見せることをあまり良しとはしていなかった……ように思う。それは彼が以前吐露したように、私が能力だとか悪魔の実だとか、そういう摩訶不思議なことが一切ない化学の世界で生きているから、気味悪がらないように。怖がらないように。そんな配慮をしてくれていたのだ。
 アニメや漫画にけっこう触れてきたオタクわたしに対してはいらぬ配慮ではあったものの、そんな行動は良識的かつ当然と言える。

 まあ、それをパティたちは平然とぶち破ってきたわけだが。

「い、いいえ。面白かったのは事実だし……」
「そうでなくっちゃ。能力者は多いんだから、一々驚いてちゃ心臓が持たないわよ」

 仰るとおりで。異世界ここにいるのがオタク文化に触れてきた私でなければ、頭なり狂ってそうだな、とは口に出すまい。苦い笑みと共に流した。

 辺りには羽根ペンが走る心地よい音しか流れてこない。なんでも白ひげさんの診察に向かう時間らしく、お昼ご飯を慌ただしく流し込んでパティ以外のナースたちはみな船長室に向かった。

「……ねえ、パティ。白ひげさんは……お体、そんなに悪いの?」
「……んー。そうねえ。まあ、良くはないわね」

 紙から目線を上げずに彼女は答える。一瞬手が止まった程度だが、それも1秒も経たずにまた動き出す。反応はどうにもあまり触れてほしくはなさそうで。
 まあ、御歳70過ぎともなれば様々な病気を引き起こしもするだろう。本人を見ればあまりに元気そうではあるからつい軽く捉えがちになるが、いつだってあの人の体には常に点滴が繋がっているのだ。

「月並みだけど……はやく良くなるといいね」
「ありがとう。でも大丈夫よ。なんたって船長ですもの。……それより」

 そこで言葉を区切ったパティは1枚の紙を私の眼前に向けた。折り畳まれていて中身は検められない。反射的に受け取り開いてみれば、専門用語が並んだ私の検査内容だった。
 細かい数値がずらりと並んだものは私の世界とそう変わらない。適当に目を滑らせてから懐にしまったのだが、それを見たパティはなぜかため息を吐き出す。

「……はあ」
「……?」
「その紙、必ずマルコさんに渡してちょうだいね」

 なぜマルコさん?
 その疑問が顔に出ていたらしく、パティはおもむろに片眉を上げた。

「マルコさんが貴女の身元預り人だからよ。貴女に何かあればマルコさんの責。ひいては守ると公言した船長の責。“知らなかった”では済まされないの」
「ま、まって。身元預かり人ってなに? それに、」

 胸元を握りしめる手に力が篭る。

「私の検査結果、なにかあったの?」

 “知らなかった”では済まされないと言った。これが単なる検査結果で、私の世界と同じようになにも異常がでていなければ、こんなこと言うだろうか。
 だって。つまり。そんなことを口に出すってことは。マルコさんが知る必要のある検査結果が、出たということではないの?
 私の視線を受けたパティが一度目を閉じた。逡巡したような表情をした彼女だったがすぐにゆっくりと頭を振る。

「……マルコさんに、判断を仰ぐわ。ただべつに、病気が見つかっただとか、そういうわけではない。すぐにどうこうなるようなものでもない。なにもなければ、何事もなく過ごせるから。だからそう気にしないで」

 ──── は?

 そんな一言を口に出さなかったのは褒められてしかるべきだろう。唇は言葉を放とうと開きかけたものの、それが音となることはなかった。知り合ったばかりのナースと衝突なんて起こしたくなかった──── そんな理性が勝ったのだ。込み上げる怒りを飲み込んだものの、無意識に奥歯を噛む。

 穏やかとは言えない表情を浮かべているだろう私に対し、目前の彼女はまるでこちらを安心させるかのような微笑みを浮かべている。
 なぜ、と思った。

 なぜそれで、私が安心できると思うの?

「……私の体のことよ、パトリシア・・・・・。なのにどうして、その本人に話すか話さないか迷う必要があるの。私の、体よ。マルコさんのじゃない。私の」

 私を抜きにした、私の話し合いはもううんざりだと顔を顰めて詰めよれば、どうしてか彼女は眉を下げる。まるで私が駄々っ子であるかのようなその表情に、自分が正しいはずなのに泣きそうになった。

 私はもう子供ではない。成人して久しいし、これでも自立して生きてきた。子供だからと守られる年齢からとうに過ぎてもいれば、それを享受するほどプライドがないわけではない。通すべきはまず、私であるべきではないの? 海賊的な話し合いで蚊帳の外に置かれるのはまだいい。けれど自分の体のことまで「何も知らなくてもいい」なんて言われる筋合いは、ない。

 そんな苛立ちを視線に乗せれば、彼女は一度鼻の上に皺を寄せる。きゅ、と結ばれた口から出たのはひとつのため息。

「……そうね。貴女のことだもの。そう思うのが当然だわ」

 そう言って私に渡した紙とは別の紙を翳す。軽く流し読みすればさきほど彼女から渡された紙の内容と同じものだったので、おそらくそれが原本なのだろう。私の検査結果がずらりと並んだ欄のうち、パトリシアが示したのは「Blood Type」と書かれた項目。つまり血液型である。

「血液型? ……なんで、不明だなんて」

 もはや見慣れた字で、その綺麗な字で、はっきりとUnknownと書かれていた。

「たしかに聞いたわ。貴女に。教えてくれたでしょう? ……でも。うーん、そうね。まず私の血液型を教えましょう。私はF型よ。船長も」
「……F型?」
「マルコさんやジョズさん、イゾウさん、ビスタさんはX型。エースさんはS型なの。ゲイルはXF型」
────
「貴女の血液型、聞いたことがないのよ。だから調べた。でも、調べてもわからなかった」

 居心地の悪い静寂が少しのあいだ場を支配する。唾液を飲み下す音がやけに響いた。椅子の背もたれに体重を預けて天井を仰ぎ見る。年期を思わせる染みだらけの木製の天井と、遠くから聞こえるさざ波の音。そして、気遣わしげなパトリシアの呼吸音。

 ──── ほんと、異世界なんだよなぁ。ここ。

「……そう。でも、さしたる問題はないんでしょう? 血液型が……違うくらい」
「……ええ、まあ」
「なにも。なにもなければ、問題はないものね」

 海賊が跋扈していて。人外すらも珍しくはなく。常に命が狙われる立場に仮とは言えど属していて。ある程度、体が丈夫であるだとか。最低限の身のこなしが要求されるこの世界で、“なにもなければ”がどれだけ難しいことかは、私でさえ理解できる。

「……そうね。でもなまえ。ここが海賊の中でも白ひげ海賊団であることは不幸中の幸いよ。1600人という人間があなたについてる。守れと公言した船長のその言葉を、文字通り死んでも守りきる1600人がね」

 その返答を聞いて、深く吸い込んでいた息をゆっくりと吐き出した。椅子から立ち上がる。ポケットに紙が入っていることを確認しながらドアに向かって歩き出せば、私の背中越しに声が掛けられる。

「なまえ」
「……なに?」
「貴女のことは、好きよ。良い子だわ。優しい子だって、わかる。だから……はやく、──── はやく」

 お願いだから、元の世界に帰って。

 小さな掠れた声で、絞り出すかのように言われたその言葉に。私は背を向けたまま明瞭に答える。「履き違えてる」と。その言葉は、無視できない。だってそうでしょう?

「帰りたいのは私よ。私が帰りたいの。それをいちばん望んでるのは他でもない、私なのよパトリシア。……二度と、間違わないで」

 好きこのんでこの世界にいるわけではない。

「なまえ……ッ!」

 制止のようなパトリシアの呼びかけ。振り返って「棘のある言い方をしてごめん」と謝れる余裕はなかった。キャパオーバーを起こした八つ当たりだとわかっているのに。

 けど、だって。パトリシアがわるい。あんなこと言うから。「お願いだから」なんて。
 ……まるで、私が空気を読まずに居座っているかのような、私が望んでここにいるかのような、そんな言い方をするから。だから彼女がわるくて──── ううん、違う。わかっている。悪いのは、世界だ。神がいるのならば、悪いのは神だ。

 けれども、そう理解しているからと言って謝れるかと言われれば、残念ながら私はそこまで大人ではないらしい。
 彼女の声を無視して後ろ手にドアを閉めると、それが境界線かのようになんの音も聞こえなくなる。たった1枚の扉を隔てれば、パトリシアの声も、波の音も、なにも聞こえてない。だからなのか、自然と声が漏れ出た。

「……自分の血液型が存在しない、ね」

 パトリシアに言われてからずっと手のひらにくい込んでいた爪の跡。力を抜けばくっきりと、4つの小さな三日月が形を残している。

 ──── 血液型が、違うのならば。

 私に通っている血の色は、ちゃんと赤いのだろうか。

「……なんて、ね」

 だって、ほら。手のひらの三日月は、こんなにも赤い。

 それが酷く、安堵できる要素だった。
 私は人間なのだと。



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