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例えるならそう、雨の日に捨てられた愛玩動物を見たかのような。今ここで自分が見捨てたら死んでしまうかもしれない儚い命。手を差し出せば生きられる命。見棄ててしまえば、きっと数日間は気にしてしまうだろう。後悔するかもしれない。
犬猫相手ならすぐに忘れられても彼はれっきとした人間だ。人間である以上そう簡単にくたばりはしないだろうけれど、もし死んでしまっていたら、それが新聞に取り上げられてしまったら。そんな思いをするくらいなら拾った方がいい、ただそれだけのこと。
「仕事があるから買い物に連れて行ってあげられないけど、近々休みはあるから、その時に必要なもの買いに行きましょう。あなたの名前は?」
「マルコだ。……すまねェ、世話になる。信じてくれたこと、礼を言う」
「マルコさんね。私はなまえよ。みょうじ なまえ。どういたしまして。これからよろしくね」
たしかに普通は信じないだろう。別の世界から来ただなんて。それでも嘘とは思えない彼の、マルコさんの表情に信じると決めた。自分のことながらどうかしているとは思うけれど顔には出さずに、お礼の言葉に笑顔を返して冷えきった粗茶を入れ直した。
早くも時刻は夜中に差し掛かっている。一応過去に後輩が泊まったこともあって今日明日の寝床は問題ないものの、今日の分のご飯はどうしようかと頭を悩ませれば自分が何も食べていないことを思い出し、自覚すれば空腹を訴える胃。お腹を無意味に擦りながら、未だソワソワと落ち着かないような素振りを見せているマルコさんに声をかけた。
「マルコさん、なにか食べる? 簡単なものでいいなら作るけど」
「あ、ああ……いや、……お前さえよけりゃ、おれが作るよい」
「そう? それならお言葉に甘えようかな」
正直ありがたい申し出だった。ご飯を作るよりもさっさとお風呂に入りたい気持ちでいっぱいなのだ。
今すぐシャワーを浴びてさっぱりしたいという気持ちをなんとか押さえながら、火の出ないIHはきっと彼の世界にはないものだろうとキッチリ教え、お皿の場所や鍋類の収納場所と基本的なこともついでに教える。IHで四苦八苦していたが元々の頭もいいのかすぐに覚えたようで、大丈夫そうなことを確認してから硬っ苦しいスーツをハンガーにかけてお風呂の用意を腕に抱えた。
疲れきった体に丁寧なケアなんかやってられず、最低限トリートメントとボディクリームだけ塗ってから浴槽を出た。長い髪の毛から滴り落ちる水滴が煩わしい。それでも元彼が好きだったヘアスタイルを維持している私はさぞ滑稽なことだろう。
切るタイミングを逃した髪はずっと一定のままでキープされている。ヘアアレンジだって楽しめるし冬は暖かいし、悪いことはないのだが、乾かすのだけは面倒くさい。
タオルドライで水気を染み込ませながらドアを開けると、なんとも美味しそうな匂いが漂ってきて、たちまち空腹感が押し寄せてくる。
火照った体そのままにリビングに顔を出すとまずテーブル中央のサラダが目を引いた。緑が多く散りばめられ、しかし量はさほど多くない。
私の姿を認め短く声をかけた後、わざわざ鍋にかけ直して出してくれたものはリゾットだ。前の休日に買ったものの料理自体が面倒で放置していたパセリがきちんと使われている。
「あー、なんつったかねィ。料理名は忘れちまった上にコックの見様見真似だからよい……美味ェかは保証しねェ」
いかんせん不安な言葉は聞こえてくるものの、これはまたなんともいいものを、拾ったかもしれない。そう思ってしまうのも仕方ないほどに出来た料理だった。ぽたぽたと相変わらず垂れてくる煩わしいはずの水滴さえも気にならないほど。
さっそく席に座ろうとした所でマルコさんから待ったを掛けられた。水に濡れた手をタオルで拭いて私の背後に回ったマルコさんはそのまま私の肩に羽織っていたバスタオルを取り、濡れている髪に宛てがうとそれはもう優しく拭いてくれるようで、思わず一瞬体に緊張が走る。
「女がそんな格好で出てくるんじゃねェよい。……この匂い、湯に浸かったのか」
「あ、わかる? 入浴剤を入れたの。久しぶりに浸かることができたわ、ありがとう」
ご飯に取られる時間を久々に入浴に使えたことにお礼を言えば、彼は一言「そうかい」とだけ呟いたが、その手は変わらず優しいものだった。数分は水気をタオルで取っていただけだったが、髪の毛を乾かせる機械はないのかと尋ねられてドライヤーを手渡すと何度か不思議そうに見回したあと、丁寧に乾かしてくれた。たどたどしいけれど、それはもう丁寧に。
「…………あ、ありがとう」
「……あァ」
外人顔というのは何をしてもサマになるらしい。イケメンにこんなことされるだなんて乙女ゲームの世界だけだと思ってたのに、まさか私が経験することになるなんて。顔が熱いのはお風呂上がりのせいだと誰に対してかわからない言い訳をこぼし、サラサラの髪の毛を適当に束ねて席につく。少し冷めてしまったリゾットはそれでも美味しくて、あっという間に平らげてしまった。