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ファルマンさんの言葉に頭の中が一瞬真っ白になる。ジャンが、病院?
さっきまでのなんだってできるようだった強い気持ちがさーっと萎え、今度は目の前がぐらりとする。ぐらっと立ちくらみをしたわたしを、いつの間にか立ち上がっていた大佐さんが肩を支えてくれる。大佐さん、とすがるように呟いて顔を上げれば、大佐さんは冷静な表情をして頷いた。
「ファルマン准尉、原因は分かっているのかね?」
「いえ、それがまだなんとも…。ただ担ぎ込まれた際に軍服を着ていた為、階級章などから身元が判明したそうです」
「中尉、すぐにセントラル病院へ向かう。車の手配を」
はい、とリザさんは頷き、ファルマンさんと一緒に足早に、テキパキと動き始める。ジャンが病院に?なんで……
「夢子、君はここで待っていなさい」
「いえっ!わたしも連れていってください!お願いします!」
大佐さんの軍服をぎゅっと掴んで縋りつく。ジャンが、ジャンが心配だ!なんだか嫌な予感がする。盲腸オチでしたぁ、なんて、そんなんじゃない、なんだか嫌な予感がする。足元から急に不安がまた立ちこめて、ざわざわと黒くわたしの心を覆って行く。もう居てもいられなくなって、唇を震えさせるわたしを、大佐さんは一度ぎゅっと抱き締めて、子供にするように頭をなでてから、不安で体を硬直させるわたしを近くのソファーへと座らせる。
「まだどういう状況か分かっていない。それに君が行ったって不安になるだけだぞ」
「いいえ、ここに居た方がもっと不安です!お願いですっ!」
ぎゅっと唇を噛み締めて大佐さんを見る。大佐さんは少し眉を寄せて何かを思案しているようだったが、「車の用意ができました」と入ってきたリザさんに頷き、わたしから目をそらす。
「分かった。ついてきなさい」
私はハボックに、夢子の言うサーカスの男という奴の素性を洗え、と命じてあった。危険な任務ではまるでない。
隣に座り、顔面蒼白で手を震わせている夢子をちらりと見て、嫌な予感を覚える。そのサーカスの男が関係しているのではないだろうか。だがその男が夢子に「一緒に行こう」と誘ったのがただの体目的であったとして、そんな暴漢男相手にハボックがヘマをするとは思えない。そしてもしもその男が関係していた時、夢子は一体どうするのだろうか。
正直、夢子にこの話を聞かれたのは失敗だった。
そして留守を言いつけた時、ファルマンが耳打ちした言葉も気になる。…「普通の様子ではないそうです」か。病院に運ばれた軍人相手に言う言葉としては、いささか気味が悪い。軍人であれば民間人の負わぬような怪我を負ったりするものだ。医者の方でも慣れているだろうに、どうもそうではないらしい。
妙な予感がする。
先に連絡を入れてあったため、病院の女性スタッフがすぐに現れ、我々を病室へと案内する。
夢子は気づかなかったようだが、中尉と顔を見合わせる。病室というのがおかしい。担ぎ込まれたという状態だというのに、手術室や特別治療室のような場所でもなければ、一般入院者の入院しているような病室でもない。病院の、普通ならば入ることないだろう奥へと案内される。まるで隔離病棟ではないか。
「こんな症状は初めてで、我々スタッフもどうして良いのか…正直分からないんです」
足早に先頭を歩いて行く女性スタッフがぽつりと不安げな声を漏らす。夢子の表情がますます蒼白になり、ただ噛み締められた唇ばかりが真っ赤に色づいて行く。やはり夢子を連れてくるべきではなかったな。
「夢子、あまり唇を噛んでいるとそのうち切れてしまう。落ち着きなさい」
夢子の肩にそっと手を置いてやれば、その肩が微かに震えているのが伝わった。だが夢子は気丈にもコクリと頷き、代わりに奥歯を噛み締めたようだった。窓の少ない奥の病棟へと案内され、ある部屋の前で彼女は立ち止まった。
「こちらです。中に先生がおられて、患者を調べているのですが、なんとも」
「ああ。覚悟はしているよ」
彼女は我々を安心させるように微笑もうとしたようだが、笑みはぎこちなく、彼女はそっとドアを開けた。そこは、真っ白な、部屋だった。
病院、というものの典型のような、質素というにはあまりにシンプルな部屋に、ハボックは寝かされていた。そしてその傍らには初老の医者が座っていたが、我々の姿を目にしてゆっくりと立ち上がる。夢子はするりと私の手から抜け出し、ベッドに寝かされたハボックの傍へとひざまずいた。
寝かされていたハボックを見て、息を呑む。
これといった外傷はない。だが、まるでマネキンのようにポーズを決めたまま目を見開き、硬直している。――――――まるでリアルな銅像にでもなったように。
カッと見開かれた目は驚愕に包まれ、真一文字に唇が結ばれている。
そして腰の銃の掘るスターに伸ばされた腕と、銃を撃つための安定した姿勢への中腰となった身体。まるで今すぐにでも腰の銃を引き抜いて、一発発射しようか、というような状態で硬直しているハボックに、流石に息を呑む。中尉が傍らで悲鳴を堪えるように口を覆った。
「最初に彼を見つけた人は、彼を人形かモニュメントだと思ったそうです」
「…どこに倒れていたのかね?」
「メインストリートから少し行った裏番地です。確かに人間なのですが、皮膚がまるで石のようにかたくなっています。心臓が動いているのか、脈があるのかさえ分かりません」
ハボックは、驚きと、何か怒りのようなものを目に宿している。部下のこの変わりようを見て、ふつふつと静かな怒りが込み上げる。一体誰が、どんな技術で持ってしてコイツをこんな石のように変えてしまったのか。
ふいに夢子がぽつりと何かを呟いた。
ハボックの傍らに跪いていた夢子の肩が震えている。しかし、それはさっきまでの不安や脅えで震える、頼りない小さな肩ではなかった。怒りに震えている。夢子のような若い娘のその感情に、私は目を細めて眉を顰める。なんだ?彼女ならば悲鳴のひとつでも上げそうだが…。
「…さー…」
「ん?」
「アーサーッ!!」
夢子はそう震える声で叫ぶように怒鳴ったかと思えば、勢いよく立ち上がり、止める間もなくするりとわたしの手を抜けて今来た道を走りだした。夢子!と中尉が叫んだ静止の声も夢子には届いていない。彼女は何かを知っている。私も中尉も走り出した。
アーサーッ!アーサーッ!!アーサーッ!!!!!
ベッドに寝かされいたジャンを見てすぐに分かった。これは病気でもなんでもない!魔法だ!しかもペトリフィカス・トタルス…金縛りの術や凍結の呪文のような簡単なものじゃなかった。触ったジャンの肌は、石のように固い。それらの呪文ならば、肌はあんな風にならない筈だ。そもそも、あんな事ができるのは、魔法使いしかいない!そして今、このセントラルにいるのは、わたしと、アーサーだけだ!
アーサーッ!!!
一体、何のために………!!
夢子ッ!と名前を呼ばれているのは分かっていたけれど、わたしは止まる事はできなかった。早くしないと、ジャンの肉体は死んでしまう!説明している時間はなかった。きっと誤解だ。何かの手違いだ。早くアーサーに術を解いてもらわないと、早くっ!
「病院の廊下を走るな!」とふいに怒鳴られ、ふっと声のした方を見て、わたしは急停止する。わたしを怒鳴ったのは、掃除のおばさんだった。手には大きな箒が握られている。毛は…おそらく豚毛だ。……やれるかもしれない。
「すみません!後で必ず返します!!」
「はぁ?」
おばさんから箒を奪って、わたしは窓を開けて、窓枠に立つ。
掃除のおばさんから、看護師さんから、患者さんから悲鳴が上がるのが遠くで聞こえた。ここは3階。下をみれば中庭が広がっている。お、落ちたら死ぬかも。
「あ、あんたァ、なにやってんだよ!そんなトコに立つんじゃないよ!」
「夢子、何をする気だ!降りてきなさい!」
「じ、時間が無いんですッ!」
わたしを止めようと腕を伸ばした大佐さんから逃げるように、わたしは箒に跨って、飛び降りた。
わたしはそのまま真っ逆さまに、中庭の木々の枝の中へと落ちて、病院から悲鳴が上がる。
いくつもの枝が、バキバキバキッとわたしの身体を傷つけ、枝の折れる音が盛大に聞こえ、口内を切った。だけどそんな事には構ってられなくて、何度も何度も箒の魂から主導権を奪うために魂をこめて心の中叫ぶ。その度に箒が抵抗するように上下に大きく震えて暴れる。振り落とされそうだ!その時、箒の柄が大きく震え、ぐんっ、と身体が引っ張られるように、伸びるように木から飛び出した。
上がった驚愕の声などはもう耳にも届かず、ただ叫んだ。
「アーサーのテントへ!」
夢子が窓から飛び降りた瞬間、心臓が冷水でも浴びたかのようにぞっと凍った。
中尉や周りの人間の悲鳴と共に慌てて窓の底を覗き込めば、夢子は下まで落下することはなく、庭に植えられていた背の高い木の中で止まっているようだった。すぐにハシゴを持っていかなくては、と思う間もなく、その木が大きく震え、音を立てながら大量の葉を撒き散らしたと思えば、ビュンッと夢子が箒に跨ったまま木から飛び出した。
目を見開く我々を省みもしないで、夢子はそのまま高く高く高度を上げていき、物凄い速さで飛び去って行った。
「…本当に、魔女だったのか」
全く、肝が冷える。
ぞっとした心臓を抱えるようにその場で深く息を吐いた。周りの人間がわっと窓へと駆け寄り、口々に何事かを叫びながら天を指差すが、わたしは窓から離れ、呆気に取られる中尉に向かう。
「中尉、夢子はアーサー、と言っていたな。何か心当たりがあるらしい。夢子が帰って来るのを待とう。それしか我々にできる事はない」
「…大佐、夢子は……」
「魔女さ」
少し笑えば、いつもは冷静で聡明な副官が、呆気に取られた顔をしていた。
それでもマグルに見つからないよう、一応高く高く高度を上げる。
クィディッチの選手でもない自分が、箒一本でこんなに高く飛び上がるなんて事はなかったから、本当ならばきっと怖い筈なのに、怖いなんて気持ちはまるでなかった。箒の魂を支配し、わたしの言葉通りに飛行するために、闘う。血管がカッカカッカと熱くなり、こめかみからドクドクと血脈を覚える。握り締めた箒の柄はかたく、真っ黒な豚毛が風を切って震える。
足元に、まるでミニチュアのフィギュアのように広がったセントラルの町並み。知らなかったけれど、セントラルは円の形になっていて、京都の碁盤の目のように、とは少し違うけれど、軍を中心として放射線状にキチンと規則正しく街が広がっている。軍の近くの公園が、アーサーたちのサーカスのテントだ。………見つけた!あそこだ!
鮮やかな色のテントを見つけ、わたしは身を低くして急降下する。
頭がひどく冴えている。身体はこんなにも熱くて、激しいのに、精神はひどく冷静だった。
こんな勢いのある急降下、本当なら怖い筈なのに、なにも怖くなかった。…アーサー!!!
公園にわたしが降り立つと、悲鳴と共に人々がわっと逃げていくけれど、そんなことは気にもせず、わたしはサーカスへと向かった。
「なっ、なんだ、アンタ…っ!」
「アーサーに会わせて。アーサー・ルイスに!」
見覚えのある調教師に叫ぶように言えば、調教師は困ったような顔をする。
「アーサーなら俺達だって探しているさ!こっちが教えて欲しいくらいだ!一昨日から姿が見えないんだ!!お陰でこっちは大損だよ!」
「いない!?」
「ああ、いねぇよ!アンタ、アーサーと同じ“人種”かい?俺ァ、知ってたんだ!アンタらが悪魔大学校の生徒だってな!俺ァ長いことサーカスにいるが、あんなのは奇術でも手品でも錬金術でもねぇ!悪魔だ!悪魔しかできねぇんだ!」
悪魔大学校…ってのは、ちょっと当たってるかもしれないけど、ちょっと勢いが消えて首をすくめる。それまでの鬱憤や畏怖が爆発したかのように、調教師はヒステリー気味にアーサーの“奇術”がいかに常識のないものだったかを捲くし立てるように叫ぶけれど、それどころじゃない。
「アーサーが行きそうな場所を知らない!?」
「んなもんしるかよ!そもそもこっちはあいつが人間だって事すら分かんねぇんだからな!」
「……探しに行かなきゃ」
わたしは調教師に背を向けて、走り出した。