22
呆気に取られていた中尉に、私の考えを話した。
ファルマンの見つけた彼女の会話パターン。彼女の性格からして、我々に全てを話してくれそうなものを、何も話さず、事件に便乗していた訳を。そして、彼女が自分自身で言った、魔女という言葉。中尉は初めこそ、まさか…、と言って珍しくうろたえていたようだが、しかしアレを見せ付けられた後では信じるほかない。
「夢子は最初に、全てを話していたんだ。いや、話そうとした。だが私が夢子からのそのメッセージを受け取れなかったばかりに、恐らく夢子は悩んだに違いない」
夢子は最初、私に証拠として魔法を見せようとした。
だが、どういう訳か魔法の力は発動しなかった。
そこから私はもう夢子が魔女であるという可能性など微塵も考える事はなく、ただのオカルト趣味の少女、として片付けてしまった。夢子が話してくれた“真実”をこれっぽっちも信用しなかった。中尉は少し目を伏せる。中尉も同じなのだろう。
夢子の部屋に仕掛けた盗聴器から、一晩中何か同じ言葉が延々と呟かれていた事があった。
あがれ
あがれ
あがれ
あがれ…、と。アレは、魔法の練習でもしていたのかもしれない。
「まだ何もかも推測でしかないがな」
「いえ…いいえ」
中尉は首を振った。上げられた顔はさっきまでのうろたえがすっかりと消え、すでに落ち着き払い、現状を把握するための冷静な表情が取り戻されている。流石は中尉だ。
「窓から降りる…いや、飛び立つ前、夢子は“アーサー”と言っていたな。そいつももしかしたら魔法使い、か?」
そう呟いたとき、ふいにするすると全てのことが繋がっていった。
“もっと漠然とした、まるで化け物のような、そんな技術を持った人間”
「中尉、すぐにセントラルに来ているサーカス団から事情聴取をして、“アーサー”という男について調べてくれ。そいつが何かを知っているだろう。いや、夢子も恐らくそこへ向かった筈だ。だがもしも私の推測が正しいのだとすれば…夢子が危ない」
見つからない。町中のどこを探したってアーサーが見つからない!
わたしは焦りで半ば込み上げてくる涙をぐしぐしと拭って、杖を握ってまた人ごみから路地裏を走り回る。考えれば、わたしはアーサーの事を何も知らない。どんな場所へ行くのかの目処だって立たない。そういやアーサーはアニメーガスだった。黒いネコへと変わる事ができた、と思い出してネコをみれば杖を振って動きを止めて、ぎにゃーっ!と警戒するネコには悪いけどネコも確認する。そして魔法を解いて逃がしてやり、また走り出す。いない!どこにもいない…!!!
『どうしよう…なんでいないのよ…っ!』
ぐずぐずと込み上げる涙を堪えて、またぐしぐしと拭う。泣いてられない。ジャンを早く元に戻してあげないと…。ふっと何か惹かれるように足を止めて、顔を上げれば、そこは教会だった。そういえばアーサーのいたフラメル教会は町の中心に移ったんだっけ、と思い出す。
それがどうもこの教会のようだった。
教会はひっそりとしていて、わたしはその冷たい扉をそっと押し開けた。中には誰もいない。少しひんやりとした空気と、礼拝に使われたんだろう何か植物性のお香のような香りがしている。高い天井はアーチ型に広がり、長い椅子と机がセットになってきちんと整列されている。…アーサーは、いない、か。
失望に溜息を漏らした時、ふいに声を掛けられた。
「こりゃ珍しい!魔女の客か!」
驚いて声のした方を探すけれど、誰も居ない。
教会には誰もいない。どこ、と呟きながら杖を構えるわたしに、声の主は、ははは、と豪快に笑って、こっちだ、こっち、と私を声で案内する。あ…、見つけた。
声は、絵だった。―――――やせっぽっちの神様の絵。アーサーの言っていた、教会の、やせっぽっちの神様の絵…。その痩せた神様はホグワーツの絵画たちと同様に、絵の中で自由に動き回り、ふふふ、と物珍しげにわたしを眺めていた。
呆気にとられて、わたしはその絵まで近づいた。
声の主、やせっぽっちの神様は、恐らく元々は白いローブのようなゆったりと服だったんだろうに、今ではクリーム色に色が変わりったような色合いのローブで、その痩せて枯れ木のような体に大きく身に纏われている。背景はどこかの荒野。絵は夜だ。だけど深い青色をした雲がゆったりと動き、星が瞬き、もちろんそのやせっぽっちの神様も時々瞬きをしたり、楽しげににやにやと笑っている。
「な…、なんで…」
「そんなに殺気立つように魔力を放出してりゃあ絵にだってわかる。中国人かね?」
「い、いえ、日本人です」
わたしの「WHY?」は、なんで魔女だとわかったのか、ではなくて、なんで、焼失した筈の絵がここにいるのかってことだったのに、絵の中の神様は一人で納得したように「ほぉ、日本人は今まで187人に会った事がある」なんて話し始める。
マグルの世界には、ちょっと詳しいらしい。そして全ての魔法に関わる生き物がそうであるように、彼もかなりのマイペースだ。
「あの、そうじゃなくて、どうしてあなたがここに?だって、焼失して、死んでしまったって…」
「その前に、私の名前は、ヨハン・フォン・オットー・ワルター・イグニス・ソル・ベーコン・ユング・ミランドラ…あとはなんだったかな。537年も生きておると忘れてしまったな。とりあえずサー・ミランドラと呼んでくれたまえ。で、君はいくつでなんという名だ?」
「山田夢子です。夢子がファーストネームです。19歳の、ホグワーツのグリフィンドール寮です」
ほぉ、ホグワーツ!ワシは昔ホグワーツの廊下に飾られておってな、隣には聖杯を探すオスマントルコの軍隊の絵が住んでおったんだが、まぁ、こいつらの五月蝿いことで…とまた話が長くなりそうなので、わたしは急いで話を区切った。
「アーサー・ルイスの行方を知りませんか!?」
縋るように絵の額縁を両手でぎゅっと握って、唇を噛み締めてじっとミランドラさんを見る。彼が人間だったらつかみ掛かっていたかもしれない。今は、彼が何故ここにいるのかとか、そんな事はおいておいて、とにかくアーサーを捕まえて、ジャンの石化を溶いてもらわなくっちゃいけないんだ!しかし、ミランドラさんはちょっと眉を顰めて、ふんとそっぽを向いてしまう。
「あんな礼儀のなっとらん若造の事なんぞ知らん」
「そんな…」
っていうか、アーサーが礼儀がなってない?
少なくとも、彼はわたしが今まで会ってきた人の中でも1、2位を争うほど礼儀正しくて、紳士的だったような気がする。彼の本心はどうかは知らないけれど、少なくとも社交場の礼儀は完璧だったから、サーミランドラの言葉に困惑する。だけど今はもうそれどころじゃなくて、わたしは唇を噛み締める。早く、早くアーサーを見つけないといけないのに!もう手がかりなんて何もない…!!
ああ、ジャン!!!
ぎゅっと唇をかんで、俯いたとき、窓ガラスが大きく割れる音がした。
驚いてそっちを見るけれど誰も居ない。すると、教会の中を照らしていた蝋燭の火が大きくなったり、消えてしまうほど小さくなったり、不安定に燃え、並べられていた椅子や机がガタガタと震える。今度は何!?
「ちょいと、夢子、お前さんもう少し落ち着きなさい」
「落ち着いてられないんですッ!」
「そうやっていきり立っておるから、さっきから魔力がタダ漏れだ。とにかく、何があったのかワシに話しなさい」
ほれ、深呼吸、深呼吸、といわれるがままに、大きく息を吸って、震える吐息をゆっくりと吐き出すと、それに従うようにポルターガイストのような現象がゆっくりと収まっていく。わたしのせい、だったのか…。そういえば、ホグワーツに通う前、何か感情が爆発するようなことがあれば、今みたいなことが起こったっけ…?ホグワーツですっかり魔力の正しい使い方を教え込まれて、それに従っていたからすっかり忘れてた。ミランドラさんの言うとおり、なんだか変だ。頭の中が冴えわたっているような程クリアで、毛穴が開いて、そこからどんどん力が溢れているようだ。こっちで初めて箒に乗ったとき、あの時もこんな興奮と高揚感が続いた。
そしてわたしはざっくりと、今までの事を話した。
ミランドラさんは、背後に描かれた荒野の岩に腰を下ろして、じっくりとその話を聞いて、「あい、わかった」と立ち上がる。
「その病院へ連れていきたまえ」
「中尉、この事件、軍法会議所へ回す前に、もう一度一から調べなおす必要がある」
ハボックに目を落としてそう宣言すれば、有能な副官はしっかりと頷いた。
アーサー、という男の名を夢子から聞き、そして彼女が「魔女」であることに確信を持ったとき、私の頭の中で、事件はするすると解決していった。決して、ただの人間や錬金術師にはできない能力を持った人間が、この事件を起こしている。それが私のこの事件への印象だった。そして印象は確信に変わる。アーサー。その男も恐らく魔法使いであるのだろう。
そして同じ魔女の夢子へと近づき、夢子もまた同じ力を持った同郷の人間を信じた。
そうとは知らず、ただのナンパ男だと思ってハボックをその危険な男へと接近させたため、ハボックはこんな姿にされてしまったのだ。
「夢子は、帰ってくるでしょうか」
ぽつりと呟いた中尉は、ハボックに目を落として、少し愁いを帯びた表情になる。
すると普段の凛々しく聡明で、天才的な射撃の腕前の女性だとは思えず、頼りなく見える。しかし私は確信をもって頷く。
「帰ってくる。あの子はそういう子だ」
そう言って中尉の手を握ったとき、大きな足音が部屋の前で止まり、少し乱暴にドアが開けられ、私は満足し、自然と頬が緩む。――――――ほら、帰ってきたではないか。
大きく荒く息を吐いて、行きには持っていなかった大きな絵画を腕に抱え、さっきの箒を手に持ち、部屋の前で仁王立ちをする夢子。額には未だ包帯が巻かれたままだし、髪の毛はぐしゃぐしゃで、顔も体もあちこち傷だらけのひどい格好をした夢子。あんまり無茶をするな、と言いたいところだが、それは無理な相談なのだろう。
荒い呼吸を抑えるように深呼吸をして、夢子は箒を放り出し、絵をぐいっとハボックに近づける。
まるで絵にハボックの姿を見せ付けるようだ。しかし、絵は一体なんだ?魔女といえば・・・箒に、杖に、三角帽子に黒いネコ。しかし、絵などは魔女の道具だったか?中尉も不思議そうに首をかしげているが、その疑問はすぐに解決された。絵が、喋ったのだ。
「なるほど、これは確かに厄介だ」
「夢子、彼は一体…?」
“彼”と呼んで良いものなのかはわからないが、一応“He”という言葉を用いれば、夢子は思い出したように頷いて、その絵を私と中尉に見えるように立てかけた。絵の中の老人・・・いや、宗教画の神か聖人だろう老人は、私の顔を見て、その皺だらけのむすっとした顔を途端にニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる。
「ほぅ、お前さんの事は覚えておるぞ。2年前の10月28日火曜日にやってきた軍人の若造ではないか。確かその時は大尉だったな。ワシがフラメル教会に飾られてから、実に2万飛んで892人目のお客人だな。しかしワシを見て“地味で退屈な絵だな”と呟いたのを、しかと聞いておったぞ」
「あっ、大佐さん、そんな失礼な事を言ったんですか?」
「言った…かもしれんな」
かも、ではなく言ったわ、と老人がむすっとし、夢子が僅かに批難がましい目を寄越したが、確かに、なんとなくこの絵には見覚えがある。この老人の言う通り、フラメル教会に飾られていた、地味でなんの特徴もない退屈な宗教画の一枚ではないか。まさかこんな優れた嫌味たらしい記憶力の持ち主だとは夢にも思わなかったが…。
「しかし夢子、彼は一体何故言葉を話し、そしてここにいるのかきちんと我々にも理解できるようにしてくれるかね?」
「えぇっと、長くなるのでもうちょっと待ってください。それよりジャンを元に戻さないと」
「できるの?」
中尉の言葉に夢子は曖昧に頷き、額縁を持って、絵に見えやすいようにハボックの体の上を行ったりきたりし、絵の老人に言われるがままにハボックの瞼を開いたり、口を開けてやったりする。時折ポルターガイストのように部屋の椅子がガタガタと鳴ったり、部屋の明かりが大きくなったり小さくなったりするたびに、老人から「落ち着きなさい」と言われているのだから、恐らく夢子のせいなのだろう。
とにかく、ここ2時間ほどで我々の心臓はちょっとやそっとでは驚かない逞しさを得たらしい。
「ふむ、こりゃ確かに全身金縛りではない、もっとタチの悪い呪文で呪われたらしい」
老人がそう呟くと、途端に窓ガラスが割れ、夢子が慌てて息を止める。
「大丈夫か?」
「は、はい…。すみません。後でちゃんと直します。なんだか、力が制御できてなくて、すごく、変な感じがするんです」
夢子の肩にそっと手を置いてやると、その肩が震えている。だが脅えで震えているわけではなく、体中に力を入れて何かを堪える為に震えているらしい。体中がガチガチに固くなってしまっている。私は夢子の手から絵をそっと取り上げ、見やすいようにハボックの頭付近の壁へと立てかけた。老人は、まるで絵の中に空間でもあるように絵の中を動き回り、よっこらしょ、と絵の中の岩へと腰掛ける。全く、なんでもありだな…。
「しかし、これならマンドラゴラでもあればなんとかできるだろう」
「マンドラゴラ!?そんなの学校と違って簡単に手に入るもんじゃないのに…」
という事は、そんな伝説上でしか聞いたことのない植物が、その学校では簡単に手に入るのか。
中尉と顔を見合わせて、二人の会話の不思議さにちょっと顔を顰める。マンドラゴラ、またはマンドレイク。確か人間の雛形のような形をした球根のような植物か。引っこ抜く際に悲鳴のような声をあげ、聞いた者を死に至らしめる…、と古代の錬金術師の本で読んだことがある。錬金術というよりは、もはやオカルト世界の存在だ。
「私は錬金術師だが、そんなものが実在しているとは聞いた事がありません。伝説上の生物では?」
「だがほら、伝説上の魔法使いも魔女も存在していたではないか」
そう言われると、そうだ。“伝説上の存在”とわかった上で、エルリック兄弟の旅を支援し、夢子の存在を受け入れたのだ。確かに、そんな植物くらいは存在しているのかもしれない。だが、一体どこに?
「魔法界の生物や植物、果ては技術も多少はこちらに運び込まれ、野生化しておる。ああ、そこの、アンタら軍人だろう、ほれ、古い絞首台や処刑場なんかがどこにあるのか分からんかね?」
「昔使われていた絞首台なら…今は使われていない旧演習場の端に慰霊碑として残されている筈です」
中尉の言葉に夢子の表情が輝く。
そしてさっきまで不安げに曇っていた表情から、すぐに強い意志のある表情へと変わった。
「わたし、そこへ行きます。…あ、でもどうしよう、耳当てがないわ」
「耳当てって、防音の?だったら軍に戻れば射撃演習場にいくらでもあるわよ」
「本当ですか!お願いします!必ずお返ししますので、それをひとつ貸してください!」
そして話はトントン拍子にまとまっていき、中尉は軍へと急ぎ戻っていく。
小走りに外へと出て行った中尉の背中を見送ってから、私は絵画へと向き直る。
「夢子、それからえぇっと…名前をお聞きしても?」
「 ヨハン・フォン・オットー・イグニス=ソル・ベーコン・ユング・ミランドラ…ああ思い出した。それから、ダンテ・ポルタ・マウリシオ・ヴィトーリオ・ソロモン3世だ。由来も聞きたいかね?」
「…いえ、遠慮しましょう。それで、私にも何か手伝えることはあるかね」
夢子は少し考えるようにしてから、すぐに申し訳なさそうに言う。
「あの、大佐さんをパシリに使って大変申し訳ないんですけれど、三番街にある錬金術のお店ってご存知ですか?」
「ああ、知っているとも」
「そこでこれを買ってきて欲しいんです。これならマグルのお店にも売っているだろうし、これがあれば回復薬が作れます」
そう言ってさらさらと夢子はメモを書き出した。
大佐さんと入れ違いになるようにして戻ってきたリザさんから、私はイヤープロテクターというらしい射撃用の大きなヘッドホンのような耳栓をお借りし、リザさんから昔の絞首台の場所もメモしてもらった。一緒に来てくれるというリザさんの言葉を丁寧に断って、わたしはまた窓枠に立った。リザさんが戻ってくるまでの間に直しておいた窓は、さっき割れたとは思えないほどキレイに直っている。けれそそっと指でガラスに触れると、触れた部分がからゆっくり凍っていき、慌てて指を離す。
本当に、今、なんだか自分の持っている力の全てが外へ外へと飛び出していきそうで、気を緩めるとまた何かを壊してしまいそうだ。
「夢子、あなた一人で本当に大丈夫なの?」
「はい。こっからは私の専門分野ですから!帰ってきたら、全部、全部話します。だからどうか、もう少しだけ待ってください」
「待っているわ。いつまでも。だから、怪我しないでちゃんと帰ってくるのよ」
心配そうに窓に近寄ってくれたリザさんに、わたしはしっかりと頷いた。そして部屋をみれば、石化したジャンが寝かされている。ミランドラさんも心配そうに、絵の中からこちらを見ている。
ジャンは、いつも笑っていてくれた。いつだってわたしを助けてくれた。────今度は、わたしの番だ。
わたしはそのまま空へと飛び出した。