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「いいな、第一目標は、夢子の保護だ」
振り返れば、面々は各々頼もしい表情をしており、私は内心で笑みを浮かべた。
セントラルは、すっかり夜に包まれた。見上げれば、フラメル教会が、まるで夜に浮かび上がる強固な城であるかのような、黒々とした不気味なシルエットを浮かび上がらせている。小手先の技術や、無駄な作戦などというものは一切通用しないだろう、
エドワード・エルリック
アルフォンス・エルリック
ジャン・ハボック
ハイマンス・ブレダ
そして、リザ・ホークアイ
今、このセントラルでかき集められるだけかき集めた、この頼もしい精鋭部隊、十分に勝機はある。
病院を出てから、一度軍へと戻り、軍備を整えた。
付いてくるな、と言っても鋼のもアルフォンスも当然についてくる。なるべくまき込みたくはなかったが、今回の相手はただのテロリストや強盗などではない。“魔法”という特殊な能力者だ。ミランドラの助言によれば「まぁ、魔法が使えても身体は人間。銃で撃たれれば死ぬよ」との事だが、しかし銃で攻撃できるほどの間合いや、隙を掴めるのか否かは微妙だ。「アーサーは元々デスクワーク向きの公務員だしな。あんたらみたいな戦闘のプロならば勝機はある」とありがたい一言も付け加えてくれた事だが、ハボックのような実践向きの軍人が、何の回避もできずに「石」にされた、という事実は大きい。
だが、相手を“魔法使い”ではなく“錬金術師”と考えれば、恐るべきものは何も無い。あらゆる面に特化した錬金術師。そして“錬金術師”を相手だと考えれば、エルリック兄弟の協力は正直ありがたい。
軍に帰れば上からの抗議の電話のオンパレードだったが、ひとつだけ良い電話があった。ヒューズだ。
『おい、お前なぁ、なんか動くのは良いが、こっちの身にもなれ!だけど俺を思いだせよ!バックアップは任せとけ!今もお前さんのサインした書類全部に“うっかり”コーヒー零して駄目にしちまった所だしな…。来月のエリシアちゃんの“初めて歩いた日記念日”を楽しみにしてるからなッ!!』そこでガチャンと電話は切られたが、私は苦笑する。そんな事ならばお安い御用だ。抱えきれないほど大きなクマのぬいぐるみでも、流行の子供ドレッサーでも、ままごとセットでも、なんだって小さなレディに喜んでプレゼントさせて頂こうではないか。
軍にはフュリーとファルマンを残してきた。
彼らには今夜起こるであろう事柄の収拾をしてもらわなくてはならない。
病み上がりのハボックは、置いていくつもりだったが、あのヘドロのような薬ですっかり汚れた軍服から特殊任務用の黒い戦闘服へと着替え、“一張羅”で現れたのだ。置いていくわけにはいくまい。
そして、我々はフラメル教会へと向かった。
「ブレダ少尉は、ここで待機しろ。何か異常があると判断すれば、すぐに本部へ連絡」
「Yes’sir!」
「先行して私とハボック少尉、そして鋼のが出る。アルフォンス、ホークアイ中尉は我々のバックアップを」
「Yes’sir!」
「りょーかい」
ぐっと発火布をきつく指にはめる。
まるで実際に己の皮膚であるかのように、手袋は手に馴染み、いつでも使用可能だ。見上げる空には、見事な月が浮かび上がり、雲の白さまでもくっきりと見て取れ、緊張するように冷えた夜風が肌を引き締める。今夜はすばらしい夜空だ。もうすぐ冬になる。乾いた夜風に知らず微笑む。────今夜はよく火がつくだろう。
「突入だ」
教会の内部は全て理解している。
夢子と出会った夜の突入の為に、この教会内部の様子は全て調べ上げられ、頭の中に叩き込まれている。慎重に入り込んだ礼拝堂は、うっそりと静まり返り、夜を前に何百年も沈黙を守ってきたような静けさを湛えている。まるで人のいた気配がしない。だが、やはり、“何か”がいる。ただの廃屋である筈の教会は、妙に現実感のない、奇妙な沈黙のように感じられ、内臓が冷える。礼拝堂にはいない。続いて突入した牧師の部屋にもいない。…やはり、地下、か。
「大佐…」
「分かっている。地下となると退路を塞がれれば厄介だ。だが、それは相手も同じだ」
中尉に頷く。中尉はすぐに手にした銃のグリップをぎゅっと握り締め、はっきりと強い意志の見える瞳で力強く頷き返す。これほど頼りになる女性、いや、副官は未来永劫いないだろう。そうしている間にも、ハボックが手際よく地下への通路に身を構え、私の合図を待ってゆっくりと階段を下りていく。それに続くように私、鋼の、と続いていく。
ふいに、甘い匂いが漂った。
「…花?」
呟く鋼のに、そうだ、これは花の香りだ、と納得する。それも薔薇だ。女性が身につけているような、人工的に圧縮された花の香りではない。むっとするほどの薔薇の花束に顔を埋めた時のような、膨大な数を集めたような、濃厚な匂いが薫る。いっそ鼻がもげそうだ。香水ならば気分が悪くなる事もしばしばだが、しかし、この香りは脳をとろりと蕩(とろ)かされていくような、ドラッグのような甘美さを持っている。ぐっと鼻を押さえながら、階段を下りていけば、そこに広がっていた光景に目を疑う。
なんだここは…まるで屋外だ。
埃とカビの巣窟のようだったただの地下倉庫ではない。
天井はどこまでも高く、外と同じ夜空が広がり、足元にはいつの間にかよく手入れされたような芝生が広がり、薔薇の木々が植えられている。その奥には、大きな屋敷があった。最近流行のタイプではない、古く厳(いかめ)しいデザインの、古い屋敷。
「夢子!!」
ふいにハボックが叫び、走り出した。
待て!という私の制止も聞かずに、芝生の上の置かれた一人掛けのソファーに座った夢子へと駆け寄る。
「おい、おい、夢子!しっかりしろ!!おいッ!!夢子ッ!!!」
「夢子さん!」
「夢子ッ!起きろ!しっかりしろ!!」
ハボックやアルフォンス、鋼のが夢子の肩を揺すったり、頬を軽く叩いたりするが、何の反応もない。
夢子の様子がおかしい。目は開けられているのに、瞬きひとつせず、何かうっとりと夢を見るような心地でいる。だが、魂が抜け落ちたような、人形のような様子。あの売られていった女性達と同じ。そして、さきほどまで頭に巻いていた包帯はすっかりとれ、打った時にできた額の傷も、木に落ちたときにできた傷も、すべで綺麗に治され、どこかの学校の制服のような服装をしている。臙脂のチェックのネクタイ、白いシャツ、紺色のセーターにスカート、そしてローブ…。そうだ、この服装には見覚えがある。夢子を保護したときに、彼女が着ていた服だ。
「夢子ッ!!」
ハボックの大きく、フィンガレスグローブをはめた手が夢子の小さく丸い肩を押さえて強く揺すぶるも、夢子は何一つ話すことなく、瞬きすらせず、ぼんやりとしたままだ。…小さな火を見せ「おわり」と叫ぶ。顔色を青くして夢子を揺さぶっていたハボックに夢子を支えさせて、夢子のぼんやりとした目に映るように小さな火を起こす。
「無駄だよ」
ふいに響いた声に勢いよく振り返れば、男が一人、立っていた。────いつ、現れた?まるで気配がなかった。
声の男、アーサーはゆっくりとこちらに向かって歩き始めた。魔法によって作り出されたのだろう夜空の下、アーサーの顔がゆっくりと月明かりに照らし出される。ハボックが隣で強く歯を噛み締め、守るように夢子を左腕で抱きかかえ、見るからに警戒をする。今にも飛び掛りそうになった鋼のを腕で制し、じっと男を睨み付ける。この男が、アーサー。
月明かりに照らし出された顔は、なるほど、サーカス団員というよりは、どこかの温室育ちのお坊ちゃんのように、甘い顔立ちをしている。だがそれだけではなかった。少し落とされた目線は、微笑んでいるようにも見えるが、全てに達観したような、どこか遠くを見つめるような静かな目でもある。何を考えているのか、まるで想像がつかない。銃をつきつけられてなお、銃など怖れるべきものではないというように、ゆっくりと、いっそ優雅ですらあるような余裕で一歩一歩、足を進める。
「彼女は、自分から望んで、そうなったんだよ」
「違うッ!お前が何かしたんだろう!」
「僕が?」
アーサーがゆっくりと顔を上げた。
その口元に浮かべられた微笑を見た時、深く、暗い井戸の底を覗き込んだような闇を見た。
「夢子は、僕になる。そして、僕は夢子になる」
アーサーがそう呟いた。
それは、叫んだわけでもないのに、我々の耳にもしっかりと届いた。まるで頭の中で呟かれているような、クリアな声。
「夢子が、お前になるだと…」
「そう。僕らは、“一人”になる」
「ごちゃごちゃ気色悪い事言ってんじゃねぇッ!」
ハボックが憎々しげに聞き返し、注意を払う時間もなく、我慢できなくなった鋼のが一声叫びながら、錬金術のモーションを発動させる。すると足元の芝が盛り上がり、土からレンガのような硬質な物質を作り上げ、それは大きな拳となってアーサーに向かって真っ直ぐに物凄い速さで繰り出された。アーサーが、ゆっくりと、そちらを向く。
「ハボック!!夢子を連れてブレダのところまで戻れッ!」
「Yes’sir!」
ハボックが走り出した瞬間、アーサーが杖を振った。すると岩の拳は砂に変わり、アーサーに触れるまでもなく弾け飛んだ。一筋縄ではいかない、か。アーサーはまた少し俯き、「錬金術師、か」と何事かを呟いている。だが我々も木偶のように突っ立っている筈もない。すぐに散開し、アルフォンスが足元を蹴り上げ、接近戦へと持ち込む。だがそれも軽くアーサーが指揮棒のように杖を振っただけで、アルフォンスの巨体がぶっ飛んだ。
「アルッ!」
その間にアーサーに向けて炎の爆発を起こしたが、「Impervius」とアーサーが呟けば、炎は赤い火を見せる事すらなく、真っ白な水に変わり、巨大な水の塊が足元へとぶちまけられた。チートすぎるだろッ!!そうする間もハボックの退路を確保するために中尉がアーサーを撃つが、アーサーが杖を一振りするだけで銃弾はぴたりと止まり、足元へと転がっていく。
「出口が…!!」
叫んだハボックに、さっと見れば、確かにさきほどまでぽっかりと開いていた地上への階段が消えている。そこにはただどこまでも続くような薔薇の木々が植えられ、空間があった痕跡すらない。この光景が幻覚だとしても、アーサーは幻覚を見せる奇術師ではない。魔法使いだ。出口を塞ぐ事くらいは簡単にできるのだろう。つまり、コイツをどうにかしなくては、脱出すら不可能、ということか。なんて厄介な。
「なぜ、夢子を連れていくの?僕らはただ、ひっそりと生きていきたいだけなのに」
「連れていくだと?まるで自分に正当性のあるような言い方だな。だがそれは間違いだ。お前がやっている事は殺人的な人格矯正だ!ただの誘拐犯だ、アーサー・ルイス!お前には、憲兵殺しの罪と、婦女誘拐、人身売買の罪に問われている!私はお前を取り押さえ、連衡する!!」
アーサーが、まるで子供のようにびっくりしたように僅かに目を見開いた。…なん、だ、こいつは。
まるで己の行いの全てが正しいことだと思い込んでいるような、ある意味無垢なまでに純粋に己の正しさを信じている。この手の犯罪者が一番厄介だ。自分を正しいと信じ込み、何をやっているのかまるで分かっていない。だがその隙にまた鋼のがモーションをかけ、今度は鉄の槍が何本もアーサーに向かって真っ直ぐに飛び出したが、それもすぐに水に変えられた。
……水!水!水!こいつ、水が私の天敵だと分かってやっているのか!?
「大佐ッ!ここは屋内のままだ!足元は“石”だ!」
「中尉、だそうだから兆弾するようなものは避けてくれたまえ」
中尉がすぐに手持ちの銃を威力の少ないリボルバーのものへと取替える。室内。地下倉庫。周囲は石造り。こんな密室空間で焔を練成しては、アーサーを抑えるまえに酸欠で皆死ぬ。厄介だ。大きな爆発や焔は使えない。それに鋼のも大きな練成はできない。ここは廃屋だ。それに耐震の甘さから教会自体が街中へ移されたほどのボロだ。
鋼のがバカスカと練成をすれば、石の強度が緩んで皆仲良くペシャンコだ。
アーサーが、杖を降ろし、ゆっくりと、黙って足を進める。
我々など存在しないとでもいうように、アーサーはまっすぐにハボックに、いや、ハボックに抱えられた夢子に向かって歩き出す。アーサーが足を一歩進めるたびに、幻術であるはずの芝生がくしゃりと潰される。夜風すら感じる。相変わらず濃厚な薔薇の香りが漂い、月明かりは時折雲に隠れる。現実だ。現実のようだ。だが、やはり現実ではない。なんなんだ、ここは。頭がおかしくなりそうだ。まるで今にも足元がぐにゃりとゼリーのように歪み、飲み込まれていくようだ。それは、まさしく、アーサーに感じる底の見えない感情に似ている。
────────どうする?どう闘う?
夢子、夢子!魔法使い相手にはどう戦えばいいのだ!?………目を覚ましてくれ!!
くそ、なんなんだよ、コイツはッ!!
まっすぐに歩いていくる男に、俺は正直戦慄していた。
腕の中の夢子は相変わらずぼけーっとしてやがるし、何度揺すっても名前を呼んでも全く返事をしない。そんな夢子を左腕で抱きかかえ、俺は腰のホルスターからアーサーに銃を突き付けた。だがアーサーは銃なんて怖くもないんだろう、ただ一歩一歩、着実に足を進める。間合いはもう1メートルって所だ。大佐や大将らが攻撃を繰り返すが、アーサーが杖を一振りするだけで、それらはすべて消し飛んでしまう。あったまおかしいだろコイツ!やばい!やばすぎる!
「動くなッ!動けば撃つ!」
頭のどっかではわかっていた。この男に、こんな人間相手にするような言葉が通じねぇって事くらいは。だが銃を構え、標準を男に合わせることしか俺にはできない。脅しに足元に2発撃ち込んでやっても、アーサーは眉ひとつ動かさない。まずい。まずいまずいまずいまずい。まずいッ!左手で夢子の体をぐっと抱きかかえ、いつでも走れるよう体勢だけは整える。
ゆっくりと、アーサーが手を差し出す。
夢子が引かれるように顔を上げて、糸に釣られるようにぐったりとしていた身を起こす。
そして、夢子がアーサーに向かって手を伸ばした。瞬間、アーサーが焔に包まれた。いや、違う。アーサーはそのまま杖を振り焔を払いのけ、大佐に向かってまた強く杖を振り上げた。たったそれだけだ。たったそれだけの動作で、大佐が背後へぶっとび、足元に叩きつけられる。叩きつけられ、咳き込む大佐の前に中尉が立ちはだかり、アーサーに向けて連射するも、銃弾はまたチリになっていくばかり。
どうしろってんだ、こんな野朗ッ!!
「もうこんな茶番はおしまいにしよう。……さあ、夢子を返して」
アーサーが再度手を伸ばす。銃を構えたまま、標準をアーサーに合わせる。
「余所見してんじゃねぇッ!!」
「大将ッ!」
大将が術を次々に発動させアーサーが煩わしそうに眉を寄せて、大将の攻撃をすべて砂へと変え、その間にアルフォンスが絶妙なタイミングで接近戦へと持ち込んでいく。アーサーが押されている!だが次の瞬間、アーサーは苛立ったように顔を挙げ、大将に向かって強く杖を振った。
「Crucio」
ふいに、大将が苦痛の声を上げてもんどりかえり始めた。……な、なんだ…?
「鋼の!」
「にいさん!!」
どうなってんだ…どうなってんだか俺にはさっぱり分からない。だが大将は喉を掻き毟り、足元を転がり、身体を震えさせている。さっきまでの目に見えた攻撃ではない。なんなんだよ、こいつは。アーサーは苦しむ大将に目を落とした。なんか知らないが、アーサーの意識は大将に向かっている。こいつから大将を開放しなくっちゃならない!
なら、今だ。
俺は、引き金を引いた。銃弾は真っ直ぐにアーサーの体を打ち抜いた。