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そして当たり前のように、ホグワーツの日々はわたしの元へと帰ってきた。
ゴーストたちがいる。階段が動く。教科書が暴走する。見た事もない生き物がいる。意地悪な生徒がいる。そして、大好きな友達がいる。わたしはみんなとお揃いのグリフィンドールのネクタイをきゅっと締めて、教科書を抱えて、馬鹿な話に熱中しながら、沢山の動く絵の掛かった廊下を歩く。もうすぐ上級生最後のクディッチの試合がある。学校は自分達の寮をアピールするために、青や赤や緑や黄色で溢れている。みんなの間をすり抜けるとき、「私は絶対にシーカーのトーマスよ!」「ううん、ダスティーのガードは最高よ!」なんてはしゃいだ声や「今年は我らがレイブンクローが頂くよ!」なんて声が聞こえてきて、わたしもわくわくする。
失踪していた間のわたしの事は、誰も知らない。
そして誰も知らない、という事は、みんなが知っている。
わたしがどこに行っていたのか。何を見てきたのか。何をしてきたのか。みんなが知っている。でも、全部は知らない。
……わたしのこの心の寂しさを、知らない。
「Msロストポイント!錬金術じゃポイントは練成できないぜ!」
げらげらと笑いながら走っていくスリザリンの男子グループに友達が何かスラングで応戦する。わたしは「Ms Lost girl(ミス迷子)」から「Ms Lost Point Girl(失点女)」になってしまったのだ。闇の魔術に対する防衛術の授業。無断欠席のたびにマイナス3ポイントされるのが、うっかり2ヶ月ちょっと続いたのだ。グリフィンドール寮へのダメージは大きく、現在ぶっちぎりの最下位を記録している。一位はレイブンクロー。二位はスリザリン。三位にハッフルパフで、ぶっちぎりの最下位にグリフィンドールだ。クィディッチや、授業でみんながカバーをしてくれていたっていうのに、状況は変わらない。それを思うともう申し訳なさで堪らない。
「ごめん。せっかくの最終学年なのに、もう卒業なのに、最後の晩餐はグリフィンドールカラーにしたかったのに…」
「気にすんなよ!それよりお前、そんな事言ってる暇あったら、また留年するぞ」
「まぁ、ちょっぴり残念だけど。あ、ほんとにちょっぴりだから」
「そうよ、夢子はポイントのことより、自分のことを考えなさい」
「わー!それを言わないでー!!」
うわー!と友達に抱きつくわたしには、まだまだまだまだ沢山の問題が残っている。
留年どころか、下手すりゃ卒業できない!
失踪中に期末試験は終わり、残っているのは卒業試験!期末試験は、ほとんど泣きじゃくりながら頼み込み、今回は不可抗力って事で大量のレポートと追試でなんとか手を打ってもらえたけど、まだレポートを片付ける目処さえ立っていない!
そのうえ、来月は卒業試験!ああ、知らないことだらけだ!!
ケンタウロスの涙の採取方法なんて知らないよ!
「はい、ダッシュ!ダッシュ!その為にこうして集まったんだから、1秒だって無駄にはしないわよ」
はいはい!とわたしをべりっと引き剥がして、背中を押す友達に急かされて、わたしは教科書を抱えて走り出す。みんなも一緒に図書館に向かって走り出す。「おい、廊下を走るな!」と読書をする賢者の絵に叱られ「すんませーん!」と返事をしながらも急いで図書館に滑り込む。
集まってくれたみんなが、わたしのレポートを手伝ってくれる。
休んでいた間のノートを書き写したり、授業の再現をしてくれる。
失点は大きいけれど、夢子はグリフィンドールの誇りだと言ってくれる。
わたしは、この世界に生まれて、よかった。
「ミランドラは無事に保護され、今は彼の希望で魔法省の壁に掛けられる事になったそうじゃ。しかし生憎、今度はギリシャ兵の隣だそうだ。しかし、お前さん、簡単なルーン文字も解読できなかったようじゃないか。バスシバが怒っておったぞ」
後日、呼び出されたわたしに、ダンブルドアがぽつぽつと全てを話し始めた。
わたしはそれを、校長室の椅子に腰掛けて、黙って聞く。初めて入った校長室は、なんだか興味を引かれるものや、不思議なものが沢山あるけれど、またどっかに飛ばされると困るので触らないようにして、大人しく座りなさいと言われた椅子に腰掛けた。校長室の不死鳥に人間の言葉が通じるのかは分からないけれど、不死鳥は興味深そうに首を傾げたりして、じっとこちらを見守る。
「あの…あのルーン文字は結局どういう意味があったんですか?」
「あれは昔あそこを使っておった魔法使いの悪戯じゃよ。……まさかこんな基礎まで忘れたとは言わせんぞ。ルーン文字はアルファベットの元。ならばルーン文字をアルファベットに当てはめれば良いだけの、ちょっとした落書きじゃ。彼らは研究を終え、魔法界に帰るということを知った時、さみしかったんだろうな。何か自分のいた記録を残すことにした。それがあのルーン文字だ。ほれ、立派な城を建てる時に職人がわざと天井の中にトンカチを忘れていったり、名前を柱に彫っていったりするだろう。それと同じじゃよ」
まじですか。
あれだけ頭を悩ませ、ルーン文字から意味を読み取ろうとしたというのに!そりゃある意味深い意味かもしれないけど、まさかそんな事だなんて…えぇっと、待てよ。見つけたルーン文字をアルファベットに置き換えていく。James、Tomas、Lyman、Frank…ああ、どれもこれも人名だわ。なぁんだ、と片付けてしまうにはあまりにもあっけない事にわたしは、肩をすくめる。こんな簡単な事だったなら、ルーン文字オタクのハンスならすぐに見破っていたかもしれない。やっぱり芸は身を助けるってのは馬鹿にできない。才能って大事だ。
いや、でも、大きな才能を持ちながら、恵まれなかった人をわたしは知っている。
アーサー・ルイス。
俯いたわたしに、ダンブルドアが話し始める。
「アーサー・ルイス。彼は特別力の強い生徒だった。彼の魂がお前さんに乗り移ったとき、彼の人生を見ただろう?彼の家は同じ血の力を何世紀もかけて濃く強くしていった。その血を受け継いだアーサーは、濃厚なまでの強い魔力を持ち、故にマグル界での迫害を受けた。そもそも彼がマグル界へ父親によって追放された原因の彼の黒髪。彼の血はかなりの力を持っていた。だが、生物の種としての血の限界が来ておったのだろう」
「アーサーの黒髪は、その影響で黒く変わっただけで、彼は列記としたあの屋敷の子供だった」
それを聞いたとき、頭をガンッと殴られたような衝撃が走った。
アーサーの黒髪。アーサーの人生の全ての根源である、彼の最大のコンプレックス。それが、無意味なことだったなんて…。アーサーの魂の記憶の中で見えた。分かった。アーサーがどれだけ自分の髪色を憎んでいるのか。憎んでいる。憎んでいるけれど、その髪がなければ彼は彼ではなかった。だから染めることもしないで、あえてその色で生きてきた。そして同じ髪色をしているという理由だけで、それで、たったそれだけの理由で、わたしに救いを求めた。それが、全て、無意味だったなんて…そんなのって…!
呼吸すらままならないほど驚くわたしに、ダンブルドアが頷いてみせた。
「あれから調べてみた。彼の母親は自分の貞節を主張したが、彼の父親はそれを信じなかった。そして彼をマグルの世界の荒野へ捨ててしまった。アーサーはそこまでしか知らないが、その後、アーサーの母親はすっかり落ち込み、病んでしまった。それほどまでに、アーサーを、愛していた。そしてかなりの年月が経ってから、父親も自らの行いを悔いた。そしてアーサーを探し。だが…」
「…アーサーは、もうどこにもいなかった」
頷くダンブルドアに、わたしは目の前がくらくらとする。
アーサーは、ずっと、自分の生まれた屋敷で、愛されて育つ自分を夢想していた。彼にとっての楽園は、アメストリスではなかった。彼の生まれた家だった。ただ、望まれて生まれ、愛されて育つ。たったそれだけの事だった。
わたしは俯いて、手を握り締めた。
「先生、これからアーサーはどうなるんですか?」
やっぱり、アズカバンかどこかへ…。
この事件のことは日刊預言者新聞でも大きく取り扱われた。だけど、アーサーについての記事は何もでていなかった。それは、魔法省の人間が他の世界で大きすぎる犯罪を起こしたことを隠しているからだ、と誰もが言っていた。わたしもそうだと思った。わたしはあの地下倉庫からアーサーの行方を知らない。手に残っていたアーサーの血は、魔法省の人たちが“なかった事”にした時に、全ての記憶や時間と一緒に、遠く、時間の彼方へと消えてしまった。もうわたしはアーサーが存在していた事を証明する、目に見えるものは何も持っていない。
持っているのは、ただの記憶。わたしがアーサーだったという記憶だけ。
「アーサーは行方知れずじゃ」
え、と顔を上げて驚くと、ダンブルドアは真剣な目をしている。
「お前さんは気を失っていたから知らないだろうが、我々が魔法界からあの世界へ駆けつけたとき、アニメーガスで猫の姿へ変わり、するりと我々の手を逃れて消えてしまった。じゃが、それも長くは持たんだろう」
「すぐに追っ手に捕まる…?」
いや、そうではない、とダンブルドアは首を振った。
「あの瓦礫の中、お前さんの力だけでは、アーサーの張った強い結界は突破できんかっただろう。そして直に瓦礫に押しつぶされて死んでいたに違いない。だがアーサーが、彼の持つ全ての力をお前さんの手に、杖に、魂に託し、結界を突破させた。だから我々もあの世界を見つけられた。お前さんを救うことができた。アーサーは、己の張った結界を自ら破ることで、お前さんを解放した。夢子、お前を帰してくれたのだ、この世界に。この場所にな。一緒に死んでしまうことは、アーサーにとっての救いではなかった。夢子、お前に生きて欲しかったのだ。」
「そして、恐らくアーサーは魔法の力を永遠に失う事になっただろう」
「アーサーが、ただの人間になった…」
わたしは胸の底が激しく震えた。魔法の力を失う。
彼が育った村にいられなくなったのは、アーサーが持つ制御しきれない魔法の力のせい。“悪魔”だと怖れられ、恐怖されていた理由。アーサーが、アーサーとなったものの一つ。それが、無くなる。アーサーが、ただの人間になる。魔法の使えない、悪魔でもない、ただの、一人の青年。わたしの言わんとしていることを、なんでもお見通しのダンブルドアはちゃんと見通し、頷く。その目には優しさが満ち溢れて、わたしは魂の底に感じるアーサーの記憶に、泣きそうになる。
「だがアーサーは、もう前のアーサーではない。彼がお前さんの中に彼の魂を送り込んだように、彼の中に夢子の魂も送り込まれた。アーサーの中には、お前さんの経験した暖かいものの欠片が、今でも残っている筈だ。お前さんの中のアーサーの魂が消えても、まだアーサーを感じるように。そして、思い出すだろう。自分を育ててくれた両親の愛を。」
ダンブルドアが微笑んだ。
それは、アーサーにとっての救いだ。わたしには分かる。アーサーだった、わたしには分かる。
そして、あの世界でひっそりと、悪魔でも魔法使いでもなく、一人の人間として生きていくんだ。
────彼のあたたかなニルヴァーナを探して。