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冷えた水で洗った顔は冷たくすっきりとしていて、鏡に映る自分の表情はどこか緊張しているようにも見えた。
平凡な顔をしたわたしが、鏡の向こうでじっとこちらを見返している。
わたしは、どこか変わっただろうか?
あの大冒険の日々から3ヶ月経ち、わたしは二十歳になった。
学校だって無事に卒業したし、ちゃっかり仕事だって見つけた。異国どころか異世界の、文明も数百年遅れたこの世界で一人暮らしだって始めた。初めてのお給料で上等なベッドだって買うことができた。
わたしは、どこか変わっただろうか?
…ううん、どこも変わってなんかいない。少なくとも、小学生のころにわたしが想像していたような「二十歳の女の人」の顔なんかじゃない。化粧気もなければ色気もない顔はまだ泥臭い子供のようだし、体型だって、リザさんや学校の女の子たちのように「女性」をはっきり意識させるような素晴らしいものじゃない。ごくごく平均的な身長に体重に体型でなんの面白みもない。想像していた二十歳の女の人は、もっと色んなものを持っている人だと思っていたのに、わたしはまるで学生のままのようで、それが少し嬉しいような、寂しいような、恥ずかしいような気持ちになる。
「ま…わたしは、わたし、か。」
一人暮らしのアパートを見回す。
魔法界との連絡や、フルーパウダーを使うために「内装はどうでもいいから、とにかく大きな暖炉のある部屋を!」と探して探してようやく見つけたこのオンボロの我が王国。最近はアメストリスでも電気ストーブが普及して、暖炉なんてインテリアの一部程度の認識でしかなくなってしまったらしく、暖炉のあるアパートを探すというのは、一苦労だった。マグルは暖炉の中に立つことがないから、背のある暖炉を見つける事がいかに難しかったか。一軒家なんて自分にはもったいないし、そもそも魔法省が費用を出してくれない。結局ようやく見つかったのが、この広い、昔ながらのワンルーム。大きなレンガ作りの暖炉は、ジャンなら立てないけど、わたしならなんとか中腰で入れて、ぎりぎりフルーパウダーが使えるようなサイズの立派な暖炉。最初は白だったんだろうに、すっかりクリーム色に変色した壁。歩けばギシギシ鳴く床。ようやく引越し荷物も片付いた、オンボロのわたしの初めての家。
わたしはそんな部屋に『いってきまーす』と言葉ひとつ残して、飛び出した。
外の空気は気持ちが良いほど澄んでいる。
セントラルは、もうすぐ春になる。
この世界でのわたしの「仕事」は、この世界に残された「魔法」の痕跡を調査すること。
それを親に話した時の、なんとまぁうそ臭いものを見る目!…確かに、日曜の朝からやってる少女向けアニメっぽいけどさ…。それでもこの仕事のなんて危険で、なんて頼りないことか。
マンドレイクがこの世界に流れこんでいるという事は、その他の魔法生物も存在しているかもしれないということ。そしてこの世界と向こうの世界に多く見られる共通点と、お互いの影響についての調査。
そして、アーサーのように、この世界に住み、魔法を悪用した者がいないか調査する。それがわたしに与えられた仕事。魔法族の中でも人一倍魔力の強かったアーサーだから、法則の違う世界でもコツを掴んで魔法を使うことができた。この世界で魔法を使えたのはアーサーだけ。そのアーサーから、アーサーの魔力の半分を与えられたわたしだから、この世界でも魔法が使える。
つまり、この仕事は、わたしにしかできない仕事だということだった。
うっかりこの世界に引っ張り込まれてしまったわたし。
自分から進んでこの世界にやってきて、この世界を生きる拠り所としたアーサー。
わたしの仕事は、今のわたしを作ったアーサーの残した痕跡を追っているのかもしれない。
セントラル軍でいつもの「掃除のおばちゃん」スタイルに着替えて、モップとバケツ片手に自分の持ち場のフロアへ向かおうと階段を登っていると、上からジャンが降りてきた。お互いが「あっ」と「おっ」という顔をして、おはよー、と軽く挨拶して早々にジャンが口を開いた。
「夢子、おまえ飴とか持ってねぇか?」
「飴?」
「夜勤明けで煙草切らしてんだ」
落ち着かなくってな、と後ろめたそうに頭を掻いたジャンの顔には、確かに髭が伸びていているし、隈もあるし、正直どことなく小汚い。しかし残念ながら真面目な掃除のおばちゃんであるわたしのポケットに気に利いた飴なんてひとつも入っていなくて、そのことを伝えるとジャンは心底がっかりしたようにうな垂れた。
「そんなに遅くまで仕事だったの?」
「まぁな…。書類の作成で目が疲れちまった。これも“有能な”上司のお陰ってやつだ」
「なに言ってんだ。お前が書いてたのは始末書だろうが」
頭上から降ってきた声に驚いて顔を上げると、踊り場からこちらを見下ろしている軍人の姿があった。何度かジャンと喋っているのを見たことがある人だ。確か、いつも何か食べてたような…?
「ンだよ、ブレダ。余計なこと言うなよ」
「本当のことだろうが」
ブレダと呼ばれた軍人は、フン、と鼻を鳴らしてジャンを受け流した。
そしてわたしを上から下まで眺めてから、「俺は、ハイマンス・ブレダ。こいつの同僚だ」右手を差し出してくれる。わたしはそれに応じながら「夢子・山田です。見ての通り清掃スタッフです」と挨拶をした。
ブレダさんは「アンタの事は知ってるさ。こう男所帯だと民間人の若い娘は目立つからな」と苦笑しながら、ポケットから煙草の箱を取り出し、それをジャンに手渡した。…め、目立っちゃ駄目だろ、目立っちゃ…、と自分の「仕事」が一応超極秘裏に進められなくてはいけないある意味スパイ的な任務にあるわたしは苦笑するしかなかった。
魔法省から当面の生活費と調査費やら経費やらが出ているわたしは、仕事やアルバイトをしなくてもセントラルで十分に生きていけるのだけれど、それでも以前のように軍の清掃スタッフに拘るのは、やはりここが「軍」だからだ。軍が政治の主導権を握っている国なのだから、どんな形であれ軍内部にいるのが好都合、とわたしと魔法省が判断したから。……そういうわけで、目立っちゃ駄目だ、目立っちゃ。いっそポリジュース薬でも作ってどっかのおばさんになって行動しようかしら。
ジャンはわたしに断ってから、至福この上ないです、といった顔で煙草を吸い込んだ。完全にニコチン中毒である。
「ほら、ンな事より今日は朝一でミーティングだろ」
「…今仕事終わってすぐにそれかよ。労働局に言いつけてやる」
「夢子、こいつ馬鹿だが見た目ほど馬鹿じゃねぇから、これからも懲りずに仲良くしてやってくれ」
「あっ、い、いえ、わたしの方がお世話になってます!」
ブレダさんは苦笑ひとつ残して、渋るジャンを連れて階段を下りていった。
降りて行きながらも「あーっ!寝たい!ふかふかのベッドで寝たい!」「官舎のベッドはふかふかじゃねぇだろ」「確かにお前の腹よりはふかふかじゃねぇな」「お前の脳みそよりはふかふかしてねぇよ」なんて言い合っているのが聞こえてきて、わたしは思わず笑ってしまった。ジャンの仲のいい友達だけあって、ブレダさんもなかなか良いキャラしていると思った。
………この世界で、わたしも友達作れるかなぁ。
「あんな若い娘が、軍で清掃スタッフなんて、親は良い顔しなかったんじゃねぇのか」
そう言い出したブレダに俺はぎょっとしたのを内心で堪えて、「まぁなぁ」と曖昧に相槌を打った。
そういえばコイツはあの医務室にいなかったとかで、すっかり夢子に関する記憶をなくしていたんだった、と今更のように思い出す。一体俺たちがどれほどの苦労をして、連続婦女子拉致犯を追い詰めたのか、そいつがどんな男だったのか、夢子がどういう立場であり、そしてどんな女の子だったのか、俺たちがどんな子供向け冒険小説のような日々を過ごしたのか、そういう事をコイツはすっかり忘れちまっているのは、なんだか哀れな気もした。それと同時に夢子の世界の持つ力の凄さを垣間見る。
「にしても、あの子もお前のお陰だって事に気づいてんのかねぇ」
「ん?」
「こんな男所帯で民間人の、それも若い娘なんかいりゃ飢えた狼がうろつくだろうって事だよ。マシューなんかはすっかりお前のモンだと思っているから手ぇ出してないらしいぞ」
「へぇ、あの女ときたら見境ナシのマシューがねぇ」
マシューの手癖の悪さは、上から下まで有名だ。なにせ上官の娘だろうと、四十代の熟女だろうと関係なく手を出していくアイツは、もはや軍人というより色情魔だ。女であるならばどんな女でもすべて合格のあいつはもはや伝説だ。いつ女に刺されたって俺たちは一切弁解できまい…。マシューほど極端でなくとも、女といえば誰でも良いような出会いのないやつらばかりなんだから、このまま周囲の「勘違い」を否定しないでおくか、ととりあえず思った。
「いくらお前でも夢子泣かしたら承知しねぇからな」
「泣かすか、馬鹿野朗。餓鬼にゃ興味ねぇし、もっとむっちりとした女が好きだ。俺より大佐殿に言ってやれ、大佐殿に」
「……それ、冗談になんねぇから」
確かにもっとやばいのが身近にいたことを思い出して、俺とブレダは顔を見合わせて溜息を漏らした。