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ランドルフ・ウィンチェスター
二十歳の頃、ブローニング式ライフルの製造で巨万の富を得た実業家だった。
その後様々なタイプの銃器を開発製造し、現在のアメストリス軍が使用している銃器のほとんどがこのウィンチェスター社が製造したものである。それゆえ軍部はもちろん政治の舞台にも口を出すことの出来るアメストリスの黒幕。近隣のドラクマやアエルゴにもコネクションがあると噂される要注意人物。そして何より、セントラルの売春宿や酒屋などのアンダーグラウンドな世界、マフィアのボスとも噂される極右的な存在だ。
しかしそのプライベートは華やかなもので、76歳の現在、5回の結婚と離婚を繰り返した現在にあっても、幻灯機(スライド式の写真の映写機。映画の先駆け)のモデルや舞台女優のパトロンとなり、ゴシップ記事を賑わせている。その財政力や大昔の貴族のような華やかな生活を指して、セントラルの人々は彼をこう呼ぶ。────ウィンチェスター卿、と。
「確かにウィンチェスター卿は、舞台にも熱心だ。今アメストリスで最も人気のある女優はエカテリーナなのだから彼女のパトロンになっているというのも納得ができる」
口元に手を当てて考え込んだ大佐さんの表情に「嫉妬」なんてものは微塵もなくて、ただ目の前の現状を他人事のように冷静に分析しているようだった。その真剣な眼差しの大佐さんの思考を止めたくなくて、わたしは黙っていた。…大人って変なの。
わたしだったら、自分の恋人に違う女性が贈り物を送ったり好意を寄せたりしたらなんか気分悪いっていうか、不安になりそうだけどな。あいにくそんな経験はないので、全部推測だけど。ホグワーツの女の子はいつだって人気のシーカーや監督生の気を惹こうと躍起になってたし、実際に何人か惚れ薬を盛った子もいたし、ポリジュース薬作ってボーイフレンドの浮気調査したりだなんだともう毎日大忙しって感じだったけどなぁ…。
ティーンエイジャーと大人の「形」は違うんだろうか。でも「形」の違いに「心」も伴ってしまうものなのかな。
「夢子」
「あ、は、はい」
「何をぼーっとしているんだ?」
大佐さんがいかにも怪訝そうな顔をしてわたしを見ていて、わたしはまた曖昧に笑ってごまかした。
大佐さんはわたしの手元からひょいっとプレゼントの送り主のリストを取り上げると、パラパラとめくりだす。「あっ」と声を上げるわたしに大佐さんは「公私混同はしないつもりだよ」と答えて、本当に個人的な興味は一切ない顔でエカテリーナさんと接触を図ろうとする人たちの名前を頭に入れていくようだった。わたしには聞き覚えのない名前でも、大佐さんの頭の中には誰が誰でどういう地位の人なのか、敵になりそうな人なのか、そうじゃないのかわかるんだろう。
「夢子、このオリバーという青年と、エリックという青年には気をつけておいてくれたまえ。オリバーは上院議員の息子だし、エリックはフォッカー中将の友人である少将の息子だ。まぁどちらも温室育ちのお坊ちゃんだが、関係のありそうな人物には目星をつけておきたい」
「はい、わかりました」
そう答えてわたしはノートを一枚千切って、日本語で『オリバー・ブラウン→上院議員の息子。エリック・ラドフォード→フォッカー中将の友人の少将の息子。要チェック』とメモをした。するとそれを見て大佐さんがちょっと目を丸くする。
「驚いた。それは一体なんだい?」
「わたしの国の言葉で、母国語ですね」
「なるほど。君には語学の才能があったのか」
まさか!と笑い出したわたしだったけれど、でも大佐さんは真剣な顔でわたしの書いた日本語のメモを眺めている。
確かにホグワーツでも珍しがられたし、互いに影響しあっている国だと言ってもこの世界に日本の文化が入ってきているとは限らないから、大佐さんにはとても珍しい文字なんだろう。わたしだって目の前でアラビア語やタイ語書かれたらとても珍しいし。
「夢子、この文字はこのアメストリス中探したって読める人間はいないだろう」
「まぁ…」
「それを利用して、エカテリーナや劇団関係者の行動を観察して記録してほしい。…彼女が誰と出会ったか。どんな人間がこの劇団に出入りしているか、内部の人間同士で何か揉め事はなかったか、思うことや気づいたことはなんでも書き留めてくれるとありがたい」
「…なるほど。わたしの国の文字なら誰にも読めない完璧な暗号になりますもんね」
その通り、と頷いた大佐さんはとても満足そうだった。
まさかこんな所で日本語が役に立つとは思わなかった!!だってホグワーツじゃ、わたしのこの母国語である日本語がわたしにとっての大きな障害で、ちょっと疎ましくすらあったのだから。この自分の言葉を生かすことが大佐さんやジャンやリザざんのお手伝いになるんだ。
はい、としっかりと頷いたわたしの頭を「ありがとう」と大佐さんが撫でた。
うっ、…わ……あー…
ジャンがいつもぐしゃぐしゃと撫でる感じでも、親戚のおじさんとかが「おぉ、夢子、大きくなったな」と撫でる感じでもなくて、っていうか、大佐さんにそんなことをされるとは全然思ってなくて、わたしはとても驚いた。でも驚いているとか動揺しているとは悟られたくなくて、「がんばります」と答えたけれど、声がちょっと上ずっていたような気がして首が熱くなった。
けれど大佐さんはこんなに動揺しているわたしとは裏腹、また真剣な顔でリストを眺めていて、わたしは自分ひとり慌てていたのがたまらなく恥ずかしかった。
「夢子、あとこの男もチェックしてくれ。それからこっちの…」
「は、はい」
仕事だ!仕事!!えぇい、なにくそ!!頭撫でられたぐらいでなぁに驚いているのよ!!
一通りメモが終わると、最後に大佐さんは真剣な顔をしてわたしに向き直った。
「夢子、このウィンチェスター卿がエカテリーナとどういう関係にあるのか君のできる範囲で記録してほしい。もちろん、彼と無理やりコンタクトを取ろうとしたり、危険な事はするな。相手は何かと黒い噂の絶えない人物だ。君にして欲しいのは“調査”でなく“記録”だ。目の前で見た事だけを記録してくれれば良い。もちろん、あくまで向こうがエカテリーナに接触してきた場合だ。―――できるかね?」
大佐さんはずるい人だ。
こんな今更になって目の前に選択肢をぶら下げてくださる。なるほど、こりゃジャンが普段から「食えない人だ」なんてぼやくわけだ、とちょっと思った。こんな状況になってわたしが「NO」と言えないことをよく知っている。そしてなにより、この仕事をちゃんとやりたいとうずうずしている事だって気づいている。
「エカテリーナさんに一日張り付いているのはわたしです。きっとちゃんと“記録”します」
「何度も言うが危険なことは…」
「大金持ちの武器商人で、ヤクザの親玉的な存在であるウィンチェスター卿なんてこわーいおじいさん相手に頼まれたって無茶なことをしたいとは思いませんから大丈夫です」
ぐっと拳を作って保証したわたしに大佐さんはようやく安心したように微笑んだ。
軍部に帰るとデスクの上にはどっさりと書類の山が出来上がっている。
普段ならばそれはサインしなくてはいけない新兵の訓練案だの部隊配置の企画書や新しく導入する兵器への合意書だのなんだのの面倒な書類の山だが、今、目の前にある書類がその類でないことはよく分かっている。むしろ誕生日を心待ちにした子供のような急ぐ気持ちで書類をすぐに捲っていく。
昨夜、私とフォッカー中将に偽の情報を流して鉢合わせさせた理由を考えた。
中将などという地位にある人間のホットラインを盗聴する技術や、既に退役した軍人の名で書類を作成できるつまり退役軍人のリストを入手している可能性を持つ人物や組織。しかし私たち二人を鉢合わせさせるまでの入念かつ精巧な手口とは裏腹、あのたった40分を過ぎてしまえばもはやその技術など全く価値がないかのようにお粗末な方法で捨てた。
それが最初は私たちに対する挑戦状かとも思ったが、しかしそうではないのかもしれない、と思った。
犯人はもしかして、あの40分を必要としていたんじゃないだろうか?
私と中将から、どうしてもあの40分を奪う必要があったのではないだろうか?
その結論に至った時、すぐにホークアイ中尉とブレダ少尉にフォッカー中将があの晩どこで何をしていたのかアリバイを調べさせた。その報告書を私は待ち望んでいたのだった。それがコレだった。
……しかしそこに私の望んだような回答はなかった。
さすがは中尉とブレダが入念に調べてくれただけあって情報はどれも信頼できる情報源からのものであった。定時で直帰した中将があの偽の呼び出しを受け自宅から軍部に来ていることは間違いない。フォッカー中将がなにか怪しい行動を取っているのでは、とも思ったのだがそのような証言は一切なかった。
「あの偽の呼び出しの目的は一体なんなんだ…」
犯人の目的はフォッカー中将の40分ではなく私の40分だったのだろうか?
「大佐、戻られていたのですね」
書類をくまなく読み終えて椅子に座り込んだところで、中尉が執務室に帰ってきた。
手にはいくつかのファイルが抱えられているがそれにも構わず敬礼で出迎えてくれる。
そして中尉から提出されていた書類についての報告を聞いたが、やはり中将の行動に不審な点はなかった。
「今ブレダ少尉がフォッカー中将の使用人と接触を図っていますが、皆、今回の件で主を守ろうとガードが固いようで苦戦しています」
中尉の報告の言葉には現状を的確に報告してはいるが、あれだけ盛大に証拠を残して置きながら一向に現れない犯人の手がかりにもどかしさを感じているような表情をしている。今後の行動計画をいくつかやりとりし、そしてウィンチェスター卿の名前を出すと中尉はすぐに「フォッカー中将とハインケル議員との関係について調べます」と頼もしい返事をくれる。
それから私はポケットから一枚のメモを取り出して中尉に見せた。
そして予想通り中尉は、眉を寄せて困惑したような表情をごく一瞬浮かべる。
「文字のようですが、何かの暗号…ですか?」
「一体誰が書いたと思う?」
中尉の表情には答えが出ていないようで、聡明な彼女に分からないことがある事が非常に珍しく、困ったように眉をわずかに寄せる彼女に…、そしてこの文字を書いた人物を思い出して思わず微笑んだ。
「夢子だよ」
「夢子が?」
もう少し引き伸ばして彼女の珍しい表情を眺めてやろうかとも思ったが素直に教えてやると中尉は、しげしげとそのメモを眺めて「夢子がこれを…」と呟いた。「どうも私の名前が書いてあるらしい」と付け加えるとさらに驚いた顔になる。
「…夢子の国の言葉、ですか?」
「ノートなどは基本的に我々の言葉と同じく左から右へ横書きらしいが、本来ならば縦書きで右から左へと書いていくものらしい。本などは今でもそうやって書いてあると言っていたよ」
重要な暗号ではないと分かったからか中尉の表情から緊張感はするりと溶けて、ただただ夢子の意外な一面に感嘆したような表情を浮かべる。おそらく、中尉も私と同じで夢子が違う国から来た娘である事を忘れていたのだろう。廊下を掃除する彼女の姿を思い出す。街へ出ればどこにでもいるような娘だと思っていた。夢子の気質としてはどうという事のない平凡で健康的な娘のそれだ。しかし実際には、夢子という娘には我々の知らないバックグラウンドがあるという事を、我々の知らない世界の人間であり、未知の力を秘めた女の子だ、という事を日常の中で忘れてしまっている。だから今、こうして目の前に現れた彼女の持つ「異文化」に今更ながら驚いたのだ。
「思わぬ拾い物をした気分だよ」
そう言ってしまうと怪訝な顔をした中尉だったが、すぐにその言葉の意味に気がついた。
にこりと微笑んだ私を信じられないものを見るような目で見下ろす。
「大佐、まさか夢子を…」
「そうだ。彼女は今、劇団のプリマドンナに最も近い場所で彼女の行動に一日付き添っている。そしてハボック少尉やブレダ少尉なら危ういが、夢子の性質からすると周囲から軍の回し者だと感づかれる事もないだろう。…そして、この国の誰も理解することのできない言葉を操ることができる。――――“記録者”としてこれほどうってつけの人物はいない」
大きく溜息をついた中尉に私はにこりと微笑む。
いや、「にこり」を意識したが実際口元に浮かんだのは「にやり」かもしれない。
「大佐、夢子は民間人です。何か危険を孕むような自体になればすぐに撤収させる事を約束してください」
「もちろんそのつもりだ。いくら彼女に特殊な力があろうと、民間人の少女を振り回すような事は私だってしたくないし、リスクが高すぎる。夢子には私とエカテリーナの中継役、メッセンジャーをしてもらおうと思っていたが、その仕事にひとつ記録するという事が加わっただけだ。民間人の少女を危険に晒すつもりは私だってない」
「そうであれば良いのですが…」
溜息と共に呟かれた言葉を裏切らぬよう、私は「もちろんだ」と言い聞かせるように答えた。