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「美しさというものも神に与えられた才能のひとつであるというのなら、彼女の持つ美貌は彼女の持つ歌声を天にまで押し上げていく踏み台のひとつとなる。彼女は我々の心を捉えて放さない。金を払った観客は、実は劇場の中では女王の奴隷の一人にすぎず、我々は彼女の才能の一欠けらに触れるまでは永遠に金を支払い続ける奴隷となるだろう。そしてセントラルの紳士は皆、社交界の場でたった一度彼女の手の甲に口付けを落とす為に全財産を捨てるに違いない。ゆえにこの「落下の女王」見たさに上流階級の連中は軍に投資を続けるのだ。我々がこの、エカテリーナ・ダーエと同じ時代を生きた事を後世の人間は羨むことだろう」




首都圏新聞セントラルタイムズに書かれた記事の横には、この劇場の入り口に立って差し出される花束やカメラに向かって魅惑的な笑みを浮かべている白黒写真が大きく載っている。そもそももう記事の内容がすごい。


『奴隷ってあんた…』
気が散るし邪魔になるから、と舞台に関して全くのど素人のわたしは、エカテリーナさんの舞台稽古の最中は彼女に届くプレゼントをリストにする事や掃除、衣装へのアイロン掛けなどなどの雑務をしていて、まだ彼女の歌声を聞いたことがないけど、観客を奴隷とまで言わしめる歌声ってすごく聞いてみたい。


『セイレーンの歌声も人の魂を捕らえるけど、エカテリーナさんの声もすごいんだろうなぁ』
CDはもちろんだけど、レコードすらも出ていないのが残念。
エカテリーナさんは録音やラジオで流れる音質の悪い声でなく、実際の自分を目の前にした上でその歌声を聞いてほしいというこだわりがあるらしい。だからセントラルの庶民の大半は、彼女の歌声を夢想しながら彼女に憧れを抱き続けているんだとか。
セントラルタイムズの彼女の記事を切り取って、これもファイリングリストに付け加える。エカテリーナさんは自分がどの新聞や雑誌にどんな風に書かれたのか、批判も中傷も賞賛も全てファイリングしている。そうする事で自分が世間にどうみられているのか客観的に判断できるんだと教えてくれた。



「10月2日水曜日 セントラルタイムズの記事…っと」


メモと一緒にファイルすれば、ドアが遠慮がちにノックされて返事をすればジャンが顔を出して、いかにも人目を忍ぶようにさっと部屋に入り込んでドアを閉める。泥棒かってくらい。
けれどそのジャンの姿はいつもの軍服じゃなくて、黒いスーツを着込んでいる。そうするとジャンの長身やしっかりとついた筋肉がよく見えるようで、なんだか別の人のようだ。そういえばジャンはボディーガードとして潜入してるんだっけ?話には聞いてたけど、ボディーガード姿では初めて会うから驚いちゃった。



「なにぽかんとしてんだ?」
「あ、いや別に。びっくりしたから…っていうかなんでそんな泥棒みたいに入ってくるの?」
普通に入ってくれば良いのに、と答えながらファイルを閉じて、新聞を片付け始めたわたしにジャンが溜息を漏らす。
「おっまえなぁ、俺とおまえは全く別の場所から派遣されてきた赤の他人って設定なの忘れたのか?それなのに俺が嬉々としてお前しかいない部屋に入ってみろ。…その、誤解されると困るだろうが」
「誤解って?」
「…デキてるとか思われたら色々と不都合だろ」
「あーなーるほどぉ」



ここの人たちがとっても噂好きなのはよぉく分かっている。
恋愛から政治からポジション争いから派閥から…閉鎖されたコミュニティーでしかもみんな上位にのし上がろうとしている世界なんだから、ライバルのことが色々気になるのは分からない事じゃない。それにわたしにしたって、前の付き人から一変、こんなど素人が入ってきたんだから一体どんなコネクションがあるんだかって噂になっているらしい。支配人の隠し子説や有権者の孫とか、エカテリーナさんちのメイドとか、ほんっと色んな噂にね。



「なにか進展ありそう?」


そう尋ねるとジャンは表情を曇らせて、近くにあった椅子にどかっと腰を下ろす。どうも状況はよくないみたい。
脅迫状が送られてきた。そしてこれが悪ふざけじゃないことを証明するように、中将と議員の個人情報がぎっちりと調べられた書類まで一緒になって送られてきた。わたしは内容は知らないけれど、そのどれもが真実で、興信所で調べさせたくらいじゃ決してつかめないようなプライベートなものだったらしい。


それなのに、犯人から何の要求も追加注文もないなんて。
新聞で大々的に「落下の女王」が書きたてられているんだから、犯人だって「落下の女王」が中止されない事は分かっているだろう。それなのに中止を催促するような警告も送られてこないし、何のアクションもない。………そして手がかりもない。



「昨夜、大佐がはめられた」
「は、はめられたぁ?」
驚いて聞き返す。あの大佐さんが罠に掛かったっていうの!?
そしてジャンは、昨夜、大佐さんと中将が謎の呼び出しで鉢合わせしてしまった事を教えてくれた。
一体何の目的で?と尋ねるわたしにジャンは首を振るばかり。そりゃそうか。それが分かれば大きなヒントだわ。





「それで、お前の方はなんか分かったか?」
「全っ然。大佐さんに言われていたお金持ちのぼんぼん達はみんなほんとに温室育ちのお坊ちゃんって感じで、脅迫する理由なんてなさそう。それからWの件も音沙汰ナシ。プレゼントも全てしっかりチェックしたけど、Wからの贈り物も手紙も今の所なかったわ」



Wはもちろん武器商人のウィンチェスターとかいう怪しすぎるじいさんだ。
大佐さんに要チェックするように言われてから、エカテリーナさんに届くものや彼女の話題に「ウィンチェスター」の名前が出ないか細心の注意を払っていたけれど、そんな名前は出てこない。しかもあんなにウィンチェスターを気にしていたエカテリーナさんだったのに、もうその名前を出しもしない。単に忙しいだけなのか、もうウィンチェスターからの接触があったのか。接触があったとすれば、わたしの立ち入ることができない舞台の練習時間や役者さんたちの打ち合わせってことになる。
それを告げるとジャンも頭をがしがしと掻いて悔しそうな表情になる。
ボディーガードもわたしと同じで、舞台の中や打ち合わせには入れないらしい。




「くそ。劇団のやつらに聞き込みができりゃ良いが、噂好きの連中の中に俺達みたいな新顔が入っていっちゃ聞くもんも聞けねぇしな…。気取られたり目立ったりするのはまずいからな」
「…それって、つまり“舞台関係者になれたら”良いって事だよね?」
「そりゃなれれば良いさ。連中の顔でも借りられればな。そしたらそいつの顔で雑談のフリして聴きだすさ。んじゃ、ま、俺は持ち場に戻る。」



「うん。じゃあ気をつけてな」
ドジは踏まないさ、と答えながら出て行ったジャンを見送ってから、すぐに頭の中で自分のアパートの部屋に置いてある材料をざっと考える。クサカゲロウや満月草、ニワヤナギ、二角獣の角の粉末……それからいくつか必要な材料が残っていることを思い出して、思わずにやりと笑う。ポリジュース薬!!舞台の誰かになれば良い。誰かの顔を借りて、聞き込みができたら…!!




『ああ、駄目。家に帰る暇がないか…。いや、深夜なら…』
あいにく箒も置いてきてしまったから(そもそも箒なんて持ってきたら怪しまれるに違いない)、使えそうなものは杖一本しかない。けれど夜中になって、みんなが寝静まった頃なら…

時刻はもう夜の7時。あと数時間もしたら行動に移そうと決心してファイルを胸に立ち上がると、するとひらひらと何かがファイルから落ちていった。あーもー、めんどくさ!せっかく格好良く決意したところだったのに…と内心でぶつぶつ言いながらひょいっとその紙切れを拾う。古い新聞のようだった。





『若き英雄ロイ・マスタング少佐!
焔の錬金術師として先のイシュヴァールの内乱に参戦した少佐は、前線においてイシュヴァラ教の武僧達のゲリラ攻撃などを物ともせぬ圧倒的な破壊力を持って次々に拠点を制圧。決して筋骨隆々の兵士などではない彼が一体どのようにして時に単独で拠点を制圧したのか。それは彼の二つ名が記す“焔”によってだった。彼最大の武器は錬金術によって生み出される火力。ひとたび少佐が指を擦ればゲリラ達の頭上に灼熱の焔が襲い掛かる。仲間内の死傷者を最小限にし、そして多くの功績を納めたこの青年こそアメストリスが誇る英雄と呼んで過言ではない』




古い新聞記事は大佐さんの事が書かれていた。
荒い画質の白黒写真の中で、大佐さんの表情は晴れない。ゲリラに親を殺された孤児達とマスタング少佐と書かれた写真の中、大佐さんは子供を抱き上げてこちらに微笑もうとしているけれど、上手く微笑むことができないのかどこか歪な表情をしている。



口元は微笑んでいるのに、どうしてだか瞳だけがとても鋭かった。