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「それじゃあ、おやすみ」
劇場の秘密の通路の前まで送ってくれた大佐さんは、ぽんぽんっとわたしの頭を撫でた。
「君に何かを言える立場ではないが、あまり夜に出歩くのは控えなさい」
まるっきり子供扱いで、夢のようなダンスや魔法のような夜風と異国の石畳に浮かれていたわたしの心がじくじくと痛んだ。だからもう顔は赤くならなかったから、わたしは「はい」と大佐さんが望む夢子のように返事を返した。大佐さんはわたしの返事に満足したのか、「良い子だ」とまた頭を撫でて、コートを翻して夜に溶けていった。
――――本当に、好きなのに。
「なのに」、に続く言葉はなんだったんだろうか。
思い当たる言葉がありすぎて、わたしは唇を結んで暗い使用人通路を戻っていった。
朝になってから、タイミングよくわたしは一日お払い箱になった。
エカテリーナさんが舞台で着る衣装の仮縫いで、彼女の部屋は沢山の布や糸やボタンやレースや装飾品で溢れ返り、衣装係の女の子や舞台監督やなんやの大勢の人が押しかけて、わたしが突っ立っているスペースはどこにもなかった。「夕方までどこかで遊んでて頂戴」とエカテリーナさんやほかのスタッフの人に追い払われ、エカテリーナさんの周りから追い出された。本当なら拗ねるところだけど、今日は違う。持ち出したカバンにはポリジュース薬と、男物の衣装がある。(そもそもこんな大切な舞台にど素人が入り込んでいるんだから、邪魔にならないくらいのつもりでいなくっちゃいけないし…)
カバンを持って大道具係を覗くと、グレッグの姿はない。
通りかかった男の人を捕まえてグレッグの行方を聞くと、なんでも突然舞台で使う石の確認に行くと言い出して、外部の業者へと出かけて、今日は帰らないと言う。スケジュールをきっちりと守ろうとするあいつにしては珍しいことだよ、と彼は肩をすくめたけれど、わたしは思わず内心でガッツポーズをとった。
今日はなんてついているんだろう!!
ありがとう、とお礼をいって彼と別れたわたしは、急いで人目のつかないような小部屋へと駆け込んだ。
中には使われているのか分からないほどホコリをかぶった仮面やライオンの被り物や、金箔の貼られたマスクや、ドワーフの履いているようなきらめくシューズなどが沢山放り込まれている部屋だった。倉庫みたい。その小さな部屋に誰もいないのを確認したわたしは、鍵を掛けて、服を脱いで、大きな男物の服を苦労して着込み、ポリジュースの入った瓶の蓋を開ける。
ポリジュースは変身する人の魂を表す。
とろとろとした蜂蜜のような色になったポリジュースは、グレッグの魂の美しさをあらわしているみたい。よかった、グレッグが悪人じゃなくて。悪人だったらとんでもなくまずそうな色になるんだもの。ともかくポリジュースのまずさを思い出して覚悟をきめて、鼻をつまんで一気に飲み下す。全てを飲み込み、おえっ、と思わず喉を押さえたわたしの手が、指がぐんぐんと伸び始める。目線がゆっくりと高くなっていき、体を支える骨が熱くなって、手足が伸び、男の人のしっかりとした身体になっていくのを覚える。…けれど、その身体の成長はふっと止まってしまう。
……あれ?グレッグの身長ならもっと高いのに。腕もどうしてこんな華奢なんだろう?服があまってるじゃない。それに、髪に手を入れるとグレッグの短髪じゃない。ふわふわとカールした髪に触れる。…ま、さか?
「ぐ、グレッグじゃない!」
耳に届く声は少年の声!うっそ!!これ誰ッ!!??
慌てて部屋を探し回ると、部屋の奥に置かれた姿見を見つけて駆け寄り、服で乱暴にホコリを払い、そこに映った自分にあんぐりと口を開ける。鏡に映っていたのは黒髪の美少年!
やわらかく巻いたような黒髪、整った眉や、大きく深い青色をした瞳、小さく美しい唇の赤みはさくらんぼのようだし、顔の配置は完璧な左右対称。誰がなんといおうと100パーセント完璧な美少年になっている。年は15、6歳だろうか。グレッグとは似ても似つかない美少年になってしまった自分にわなわなと震える。鏡に映る自分、いや美少年、いや自分の顔は間抜けに口を開けているというのに美少年の顔だとそれはそれで美しい…って、いやいや美少年を鑑賞してる場合じゃない!!
これ誰だーーーーっっ!!!!???
あまった袖を腕まくりをして、鏡を前に苦悩する。
ああ、もうなんでわたしったらこんな間抜けなんだろう。グレッグの髪の毛だと思ったら、グレッグの服についた別の人の髪の毛だったんだわ。大道具係のグレッグに美少年の髪がついてたんだから、この美少年はもしかしたら舞台の役者なのかも。ああ、きっとそうだわ…っていうかほんとどうしよう。
ポリジュースの効き目は一時間。リスクを犯すよりは、一時間この場に隠れていた方が得策かな。
はぁ、と溜息を漏らした時、ドアノブがガチャガチャとまわされる音にびくりと飛び上がる。
外からは「おかしいな。鍵なんか掛けちゃいないんだけどな」「おい勘弁してくれよ。衣裳部屋の鍵はカーティスが持ってんだぞ?これから捕まえに行くのか?」なんて2,3人の男の人が面倒臭そうに言い合う声が聞こえる。
うわー…、か、勘弁してくれえええ!!
「あれ?これ内側から鍵が掛かってんじゃねぇのか?」…き、気づかれた!!
慌てて自分の着ていた女物の服をかき集めて、しわになるのも構ってられず、乱暴にカバンに突っ込む。
「おい、中でヨロシクやってんだろ?どうでも良いから三幕で使う奴隷の靴取ってくれよ!」
どうも逢引中だと思われたらしい。どんどん!と叩くドアの音はうるさく鳴ってきて、「どうしたんだ?」とだんだん外に誰かが集まってくるのが分かった。このまま隠れていることなんてできないし、舞台の邪魔になるかも!!そう思ったわたしは、カバンを引っつかんで、ドアを開けた。堂々として部屋から出たわたしの姿をみて、外に立っていた男の人たちが息を呑んだ。この人たちはこの美少年が誰か知っているらしい。
「あ、アランさん。こんな所で一体なにをしてたんです?」
そうか、この美少年はアランって名前らしい。そしてこの少年よりもずっと年上の男の人たちの態度が随分かしこまったのを見て、この子が彼らよりも偉いことを知る。
「別に。それより、今日の僕のスケジュールを知ってる人は誰かいない?」
「いえ…俺たちはただの舞台係りですから、役者のことは…」
「そっか。ありがとう。…あー、僕って誰をやるんだっけ?」
美少年で役者といえばちょっと偉そうな感じかな、と喋ってみたけどキャラはこれで合っていたらしい。
とりあえず情報収集を、と聞いてみた質問に、彼らはいかにもぎょっとしたように顔を見合わせる。
「何言ってるんですか!あなたは主役の一人、女王を誘惑するベンジャミン王の少年の姿でしょう?」
「…う、うん、そうだね。ちょっと聞いてみたかっただけだから。じゃ、僕は行くよ」
不審そうな顔をした男の人たちを残して、わたしはカバンを担いで足早にその場を離れた。
役者だろうとは思ったけど、まさか主役だったなんて…!!!
えぇっと、エカテリーナさんこと女王を誘惑する少年って、確か王様が魔法で姿を変えた少年のことか。王様が女王の愛を確かめるために姿を変えたんだっけ?演目で読んだけど、奴隷や王子や神官や色んな姿で女王の前に現れて、女王の心を翻弄し、彼女を恋に落とす重要な役のはず。…うわー、そんな有名人の顔を借りるつもりなんてなかったのに!!
どこか隠れる場所はないか、とうろうろと歩き回るわたしだけど、同じ年頃のコーラスガールやダンサーがこちらを見て顔を赤らめたり、袖を引き合って「アランよ」と囁きあうのは妙な気分だ。女の子たちだけじゃなく、男の人たちも「アランがこんな場所にいるぞ」という声や中にはこの少年を性の対象でみているような下品な声が囁きあうのが耳に届く。…美少年も大変だ!しかしわたしが「夢子」の姿で歩き回るときには、邪魔そうな顔だったり、視界にも入っていないようにしらんぷりだったり、どこからか現れた噂のど素人の付き人を見るような目で見られていたのが一変するのは不思議なものだった。人間は結構現金だ。
さて、薬の効き目はあと50分はあるだろう。それまでどこに隠れていよう…か、お?おっ?おぉぅ!?
ふいにぐいっと腕を引っ張られ、あらら?と思っている間に背後の扉が閉められる。心臓が飛び跳ねるほどびっくりして顔を上げると、腕で覆いかぶさるようにわたしを見下ろしていた顔にまた驚く。
―――――フォッカー中将だ!!
大佐さんに見せてもらった調査資料に載っていた写真そのまんまのフォッカー中将にわたしは「あっ」と声を出したまま硬直する。なに!?どうゆうこと!?フォッカー中将とこのアランって俳優は知り合いなわけ???だとしたら面倒なことになった、と頭の中で色んなことが駆け巡る。私はまだこのアランって男の子のキャラクターを掴めていないから、アランの知り合いに違和感を覚えさせることになる。それにその知り合いっていうのが渦中のフォッカー中将だなんて、どうしたら良いのかわからない!誰か劇団関係者になって、部外者の「夢子」には話してくれないようなちょっとした噂話でも聞けたら良いな〜、程度のことだったのに…!!ど、どうしようッ!!
フォッカー中将はその神経質そうな目を細めて微笑んだ。
「さぁ、アラン、答えを聞かせてもらおうか」
「中将の目撃があった辺りを探ってみたが、手がかりは得られなかったよ」
ホークアイ中尉の入れてくれたコーヒーの湯気を顎に当てながら、右手で調査に掛かる経費や許可証などにサインをし、その合間合間に昨夜のことを中尉に話す。認識のすりあわせは基本だが、少数精鋭で各自が別々の任務につくとそれもままならない。こうして業務の合間にコーヒー片手に書類にサインをしつつ報告するなどという慌しい事態になるのも致し方のないことだった。
私とフォッカー中将が何者かに呼び出され、鉢合わせをした夜、劇場に程近い下町で中将を見たという情報を掴んできたのはブレダだった。劇団の中に入り込んだブレダはうまく立ち回っているらしく、すっかり劇団に溶け込むことに成功している。そこから劇団の連中の与太話や噂話を辛抱強く聞く中で、フォッカー中将がお供も連れずにこそこそと下町を歩いているのを酒場で騒いだ帰りの劇団員が見たというのだ。
彼らの話題の中では「偉い軍人さんともなると、ドブネズミのようにこそこそとしねぇと夜の街で遊べねぇんだから俺は無名のままで良いさ!」なんて他愛もないものだったらしい。ただ酒を飲んだ帰りだった上にすれ違っただけの記憶だから曖昧かもしれないが…。
「そうですか…。本来ならば大佐に出向いて頂く程の事ではなかったのですが…」
「良いさ。君たちはみんな出払っている。少数精鋭ならば上官であっても手の空いている者が動くべきだ。」
あれから犯人の動きがなく、部下らがあちこちに奔走しているのを尻目に、実を言うと手が空いていたのだ。
エカテリーナとデートをする中で何か情報を聞きだそうとしても、聡い彼女はお得意さんやパトロンの不利になるようなことを洩らしはしない。いくら“恋人”とはいえ、ピロトークでぺらぺらと機密を話さない公私の分別ができる理性は軍人向きだな、なんて思ったと言えば彼女は鼻で笑うだろうな。
「ウィンチェスター氏の件ですが、彼は女優という肩書きの女性には手当たり次第に目をつけているようですね」
中尉が差し出した報告書の中には、ウィンチェスターが支援、援助をしているという女性のリストが載っている。無名の舞台女優から、活動写真の有名な女優、ファッション誌のモデル、ショーパブやストリップクラブの“女優”、ピンナップガールまで…。女性のタイプもブロンド、ブルネット、赤毛、清楚なタイプ、少女っぽいタイプ、男の理想を詰め込んだようなタイプまで実に様々だ。いっそ飽きれるほど節操のない爺さんだな…。
「うらやましい…」
「大佐」
思わず洩らした声に絶対零度の声が降ってきたのを慌てて咳払いでごまかす。
「ざっと五十人はいるんじゃないか?これだけの女性のパトロンをしているとなると、エカテリーナについてもただの好色家の金持ち老人の趣味、か?」
パトロンというのはその女優の衣類から化粧品、時には衣食住の援助をする金銭面だけでなく、活躍の場を与えられるように取り計らうコネクションも必要となる。五十人近い女性にそれを行ってきたというのならば、歌手として成功しているエカテリーナを特別気に入っていてもおかしくはないのかもしれない。
「ウィンチェスター氏ですが、無名の女優を育てていく趣味があるようです。無名の女優の卵をどこかで見つけてきては、彼女たちが成功していくのを見物し、それらの女優を自分の作品でありコレクションだと豪語している、とのこと。報告書にある女性は皆、ウィンチェスター氏の援助で名声を掴んだ女性ばかりで、エカテリーナさんはウィンチェスター氏のコレクションの中でも一番のお気に入りだと…。」
確かにリストの中の女性は皆どれも美しいし、中にはとても有名な女性も幾人もいるが、それでもエカテリーナの握っている名声や美貌には届かないだろう。若い娘を育てる、コレクションにする、なんていかにも金持ち的で趣味の悪い老人には、彼女は生涯最高の作品なのかもしれない。
ウィンチェスター氏が武器商人であり、マフィアの黒幕だから少し神経質になりすぎただろうか?
ただのエロじじいの趣味だったのか?……いや、妙に引っかかる。
軍部にとって重要な舞台のプリマドンナが大物武器商人と繋がっている…、何かでない筈がない。
「ウィンチェスター氏とエカテリーナ、そしてフォッカー中将やハインケル議員についてもう少し掘り下げて調査してくれ」
「Yes'sir!」
返ってきた声はさきほどのような絶対零度の声ではなく、頼もしく有能な副官の声だった。