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それから散々エカテリーナさんがいかに素晴らしい女性かを熱弁していったアランは、満足したのかさっさと自分の稽古に帰っていった。
アランがエカテリーナさんに持っている感情は、純粋な『憧れ』や『尊敬』そして同じ役者としての『尊敬』のようだったけれど、大道具係のグレッグに抱いている感情が紛れもない『恋愛』であるのを目の当たりにして、ちょっと不思議な気持ちになる。同姓だから、というのはこの際置いとくにしても、彼のように容姿にも才能にも恵まれた人も恋に臆病になったりするのかな…。
「疲れたかしら?」
ぼーっとしていたところに急に掛けられた声に驚いて振り返ると、立っていたのはエカテリーナさんだった。慌てておかえりなさい、と一緒にちょっとぼーっとしていただけだ、と答えればエカテリーナさんが苦笑する。偉い人とお食事に行くと言っていただけあって、余所行きの格好をしたエカテリーナさんは同性のわたしから見てもやっぱりとても美しい。
「そういえばアランが来てたんですって?」
「はい。さっきまで居たんですけれど…」
「ふふ、あの子ったら、きっとあなたを見にきたのよ。あの子、自分のライバルになりそうな子のところにはいつでも偵察に行くのよ」
「ら、ライバル…」
あの美少年の一体なんのライバルだ!?と思わずおののくわたしにエカテリーナさんが、真珠のイヤリングを外しながら微笑む。その微笑の中には、あらゆる事がお見通しだった。ま、まさかグレッグの?いやいや、それはないな。とすれば、エカテリーナさんファンクラブとしてのライバルなんだろう。
「あの子は私に夢を見過ぎている」
そうぽつりと呟いたエカテリーナさんの横顔が、なぜだかとても寂しそうでわたしはどきりとする。
あの子、と呼ぶエカテリーナさんの声には優しさと親愛が含まれているのに、どうしてだかとても悲しそう・・・。その理由はわたしには到底分からなかった。
「あ、そ、そうだ、落下の女王ってエカテリーナさんが作者だったんですね」
話を逸らすのが下手なわたしの意図を見抜いているエカテリーナさんがまたやわらかい笑みを浮かべて、「作者というか、私が書いたのはあらすじと少しの詩だけ。私の作った骨格に肉付けをして血を巡らせたのはプロの演出家と作曲家よ」と情報を捕捉してくれる。
「女王のアリアの詩は、私の書いたものがほとんどね。この舞台は特別なお客様のための特別な舞台。でもたった一夜限りの舞台だから、私達にとっては文化祭みたいなものなの。普段はできないようなことをやってしまう一夜限りのお祭り」
「でも、落下の女王ってとても悲しいお話だと思いました。だって・・・」
「最後に女王は死んでしまい、そして国も滅びてしまうんですもの、救いがないわ」
ほんとお祭りの日にそんな悲劇をやるなんて、とんだ酔狂な人たちでしょう、とくすくすと笑うエカテリーナさんにわたしも少し頷く。だって、女王の愛は信じていた王様にも届かないで死んでしまうし、女王がいなくなってから王様は女王の愛に気づくし、それでも国は滅びてしまうし・・・エカテリーナさんの言う通り救いがない気がした。
「でも、これはハッピーエンドなのよ。ただ台本を読むのと、実際に演じるのでは話も解釈も大きく変わっていく。あなたには特等席を用意してあげるから、最後まで見て頂戴。絶対よ」
ウィンクしてみせたエカテリーナさんに、わたしはやったぁ!と声を上げる。
そんな凄い舞台を特等席で見られるなんて!ああ、よかった!実はわたし、このお芝居見られないで終わっちゃうのかと思った。本当はすごくすごく見たかったんだもん!
「そういえば他にも作品を書いたりするんですか?」
「まぁね。私、プロットを書くのは得意なのよ」
ふふっと微笑んだエカテリーナさんの熟した果実のようなつやつやとした唇が笑みを浮かべていた。
「ふむ、見れば見るほどわからん」
わたしが自分が読む用に書いた報告書を眺めながら大佐さんが難しい顔をする。
「あいうえお」なんて英語圏と全く接することなく生まれた言葉なんだから、英語圏に住み、ましてや日本なんて存在しない世界に生きる大佐さんが難しい顔をするのも当然だろう。報告書の内容は、ほとんどエカテリーナさんと接触をしようとするファンの人たちのリストや、彼らについての噂、劇団の動きとかそんな程度のことばかり。それをジャンやブレダさんが使っている部屋で読み上げたばかり。
ジャンやブレダさんが生活しているというだけあって、部屋の片隅には空瓶や新聞紙や雑誌、書類、二人分のベッドなどが置かれた生活感のある部屋、そんな部屋に二人っきりだと思うと息がつまるように緊張する。自分の心臓の音や、息遣い、息を呑む喉の音とか、そんなもの全部聞こえてしまうんじゃないかと思うと手を握ったり開いたりしてしまう。ああ、どうしてリザさんが一緒じゃないんだろう!ここにいてくれたらよかったのに!!
「そ、そんなに気になります?」
「そりゃ気になるさ。これでも一応科学者だから、自分の知らないは知りたいと思うさ」
「じゃあ…」
わたしは自分のノートに、さらさらと表を書き始め、それを千切って大佐さんに手渡した。
それはローマ字とひらがなの表だった。「あ」→「A」ということをつらつらと書き始め、それからひらがなで「ぐっどもーにんぐ」と書いた。この表に書かれたローマ字だと「guddo mo-ningu」となってしまうけれど音読すればちゃんと「Good morning 」となるという寸法だ。
「ほら、これならわたしが“へるぷ”って書いたら“herupu”からHELPに繋がる立派な暗号表です。何かあったらこれで書いて送るから、音読してください。ちょっと面倒臭いですけどね」
あと複雑な発音だと伝わりにくいかも、ということを付け足したわたしだったけれど、大佐さんは「確かに立派な暗号だな」と笑った。あ、笑うとちょっと子供っぽくて可愛いかも…って、駄目だ駄目だ!仕事に集中!!…・・・じゃないと二人っきりだってことを思い出してうまくしゃべれなくなる。
「しかしHELPなんてこっそり送ってくるような状況になるのは困るからな・・・」
途端に可愛い顔から真面目な大人の顔をした大佐さんに、わたしはしっかり頷く。
「もう勝手なことはしません」
「よし、学習したな。良い子だ」
じゃあ私は行くから、君は後から出てきなさい、と指示をして、まるでお手を覚えた犬にでもするようにわたしの頭を撫でた大佐さんは、立ち上がり、日本語の表を胸ポケットに仕舞い、大佐さんは部屋から出て行った。大佐さん一人いなくなっただけで、なんだか広くて殺風景になった部屋にぽつりと残されたわたしは、ようやく深く深く息を吐き出して、そのまま椅子の上で膝を抱えて体を小さくした。分かっていたけれど、やっぱり大佐さんにとってわたしは「子供」で、「女性」ですらないということを見せつけられたようで胸がじくじくする。
普通だったら、好きな人に頭を撫でられたら嬉しいだろうに、あんな撫で方じゃ、つらい。
「もうちょっと、キレイな女の人だったらよかったのに・・・」
大佐さんが思わずエスコートしたくなるような、犬にするように頭を撫でないような、そんな女の人。
すらっとした長い手足と、感じの良い香水が香るつやつやとした髪、やわらかな胸。そして大人同士の持つ秘密のやりとりをいくつもできるような人。
十年経ったって、エカテリーナさんのようになれない自分を想像してわたしはますます膝を抱えた。