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「はぁ〜、馬子にも衣装とはよく言ったもんだ」
果たしてそんな言葉がこのアメストリスにあったもんかは甚だ疑問だけれど、恐らくそんな意味の英語を小さく呟いたジャンを睨んだのはなにもイラッとしたからじゃない。あくまで照れ隠し。だって、今のわたしは『お姫様』のコスプレの最中だから…。衣裳部屋の全身鏡に映ってマネキンよろしく大人しくしているわたしの周りでは、衣装係りさん達がメジャーだの針だの糸だのテープだので採寸を繰り返したり仮縫いをしたり、わたしにはちっともわからない専門用語で指示を飛ばしあう。
そろそろトイレにだって行きたいし、そろそろ背中も痒くなってきたけれど、そんな事は言えやしない。
迷惑掛けないように、とびしっとマネキンになって借りてきた猫のように大人しいわたしにジャンが肩を震わせて笑う。
ジャンとわたしは『他人』の設定だというのに、『エカテリーナのボディガード』のジャンは『エカテリーナのパシリ』のわたしをしげしげ眺めたり苦笑したり百面相この上ない。
つうか、一応レディの着替えなんだから出てけ!!
――――――3時間前
「はぁ!?ドーラが風邪ひいたぁ!?」
そんな悲鳴とも怒声とも取れる声が裏方に響いたのをわたしとエカテリーナさんはしっかりと耳に挟んだ。今日は各自衣装のチェックの日で、エカテリーナさんが舞台で着る衣装の最終チェックをぼーっと眺めていた時のこと。突如響いた声はあっという間にざわめきのようにみんなに伝わっていき、ドーラという子の心配をするより衣装の仕上げを心配する声が苛立ったように響いた。
「ドーラったら、体調管理は最重要事項だって伝えてあったのに…まだ衣装なんて全然出来てないんだから!今日中にやってしまいたかったのに…」
そう溜息を漏らしたのはエカテリーナさんのドレスを仮縫いしていた衣装さんことマーサさんだ。
「そうね。でも引いてしまったものは仕方がないわ。本番までには這ってでも出てもらうから今日は寝かせておきなさい。夢子、後でドーラに果物でも届けさせて…」
エカテリーナさんにそう言われて頷いて、やる事リストメモに付け加えている時、ふと視線を感じて顔を上げればエカテリーナさんがしげしげとわたしを眺めていた。
「ねぇ、マーサ、ドーラの役って幼い寵姫(ちょうひ)よね?」
「珍しいですね、エカテリーナさんが配役を尋ねるなんて。ドーラは一番年下の寵姫ですよ」
「…ねぇ、ドーラって“アレ”くらいの大きさじゃないかしら?」
えっ、となったわたしを、エカテリーナさんとマーサさんの目がしっかりと捕らえていた。
「16歳の女の子とスリーサイズが一緒って!」
とうとう堪えられなくなったらしいジャンが小さく笑っている。
アンタねぇ、16歳っていっても西欧サイズと日本サイズじゃ全然違うんだからね!!モデルと比べられても困るっつぅの!言っとくけど、わたしはごくごく平均的な日本人女性の体型身長であって別に特別身長が小さいだとかそういうわけじゃぜーんぜんないんだぞまじで!!………くそおおおおおおお!!この感覚が通じんのがイライラするううう!!!おまえらが万国共通だと思うなよおお!!っていうかさぁ、こっちの世界のモデルみたいに手足の長い、16歳とはいえ舞台女優と一般人の身長だのあれこれ比較しても無駄ったつうぅの…とゲラゲラ笑うジャンを横目で睨んで冷静に考えずにはいられない。まあいい。笑いたければ好きに笑え。好きにしたまえ。むしろ同じサイズだなんて誇らしいわ。
そんな大きな大きな心でわたしはマネキンよろしく微動だにしないことを心がける。
微動だにしないわたしの二の腕のサイズを測り、スカートの裾を縫い上げて、わたしにゃさっぱりわからん専門用語を呼び交わせながら衣装さんたちが着々と衣装を縫い上げていく。
この『落下の女王』がどこか中東を思わせるような舞台設定だからか、着ている衣装も中東の衣装みたい。
千夜一夜物語のお姫様はシェヘラザートだったかな。ベルバラ!!ってドレスではあく、アラビアンナイトの世界のような異国情緒あふれるドレスを着ているというのは女の子としては胸がどきどきするもの。たとえ代役だとしてもね。
つんとお澄まししてマネキンになっているところへ、何故か悪戯を思いついた少女のような顔をしてエカテリーナさんが現れた。エカテリーナさんって大佐さんとそう年が変わらないらしいし、妖艶な色気をたたえているのに、時々、ほんとに一瞬だけど、まるで「少女」みたいな顔をするな、と思っているとエカテリーナさんがその両手いっぱいにブラシや口紅やアイライナーやシャドウの詰まったポーチをみせた。
「せっかくおめかししているんだから、もっときれいになりましょう!」
「今の所中将や議員の家族の周りで不信なことが起きていない事ばかりが幸いだな」
劇場内の通路を歩きながら、書類に目を通し、思わず呟いた言葉に中尉が深く頷く。
最初の脅し文句の中には、彼らの家族の秘密までしっかりと調べ上げた書かれていた。例えば議員のティーンの娘が父親に内緒でハイスクールの級長と付き合っていたとか、家族まで知らない秘密が書かれていた。まぁティーンの娘の恋人なんてちょっとつければすぐに分かることだが、そういった秘密を調べ上げ、対象はお前だけじゃなくお前の家族だって人質なんだからな、と暗に脅したにしては随分家族への影響は手薄だ。それを軍が護衛をしているからだ、と鼻を高くするよりは、もともと家族への脅しはこの脅迫が本気であることを示すためだの手段だったような気がしてならない。
『落下の女王』の舞台を直前に控え、劇団の方でも随分緊張感で張り詰めているようだが、犯人からの直接的な嫌がらせの類も受けていない。
あの脅迫の手紙を書いたのはウィンチェスター卿でほぼ決まりのようだが、そうするとやはり中将と議員の身辺の安全だけを最優先するべきように思える。
「さっさと舞台を終わらせて、探偵ごっこを終わらせたいところだな」
「大佐…」
たしなめるような中尉の声に「悪かった」と苦笑で返す。
―――劇場の中はまるで迷路だ。
上流階級の人間に使用人が姿を見せないように、とまるでこの劇場内を血管のように張り巡らされた使用人たち専用の通路は、本来の目的を失い、どちらかといえば恋人たちの秘密の逢瀬に遣われている現状だ。軍人の私には関係のないことだろうが、劇場も政治の世界。上流階級の社交の場となっている以上、こういった人目につかず行動できる通路にはいくつもの秘密が生きているのだろうと考えずにはいられなかった。
エカテリーナは秘密の塊のような女だった。
彼女がそこら辺の少女のように、父親がいて、母親がいて、祖母がいて、祖父がいて、妹や弟がいて、学校を卒業して、ちょっとは苦労もして、そうやって社会に足をつけてすくすくと育ってきたような健全な娘だろうとはちっとも思っていなかったが、ブレダやファルマンという精鋭が調べても出てこない過去を持ち、またウィンチェスターなどという裏社会のドンから与えられた履歴を持って生きているとなれば多少は後ろ暗いことがあるだろう。ウィンチェスターと出会う以前の彼女の経歴が知りたい。だがそれは恋人のひとりとして知りたいのだろうか。いや違う。謎だから知りたい。ゴシップ精神とも、軍人として調べなくてはいけないという気持ちからでもある。確かにエカテリーナを恋人としては気に入ってはいるが、ヒューズのように家庭を持ちたい相手ではない。そういったところのニュアンスの違いを女性たちは非難するだろうが、事実としてはそうだ。また彼女としても、この私と家庭を持ちたいなどとは考えていないだろう。イシュヴァールの英雄を恋人として連れているという事が彼女のステータスであり、今日はこの靴、このバック…と選ぶように気分で選ばれたつれて歩く男の一人に過ぎない。
……どうも根暗でいけないな、私は。
秘密の通路を抜けて、舞台関係者たちが押し合いへし合い歩き回る裏方を通り抜けていったとき、背後で中尉が立ち止まった気配がして同じように立ち止まれば、中尉が珍しく目を見開いて、それから笑みを浮かべてどこかをみていた。その視線につられてそちらを見て、思わずあんぐりと口を開ける。
それは夢子だった。
イシュヴァール風の、砂漠の国特有のさらさらと流れるようなシルクの民族衣装に身体を包み、髪に真珠のアクセサリーを光らせて、私に気づいて慌てて唇を結んだり、エカテリーナの後ろへ隠れて「遊んでませんからね!」と言い訳めいたしなくても良い弁明をしているのは、まぎれもなく夢子だった。
「綺麗の一言も言えないの?ロイ」
どこか悪戯っぽい顔で笑い、自分の背後に隠れた少女をぐいっと押して私の前に立たせたエカテリーナに、私は口元を片手で覆ってあんぐりと開いた口を隠す。夢子は耳まで真っ赤にして、慣れない格好に照れているらしい。
「い、や、あの、これはその、遊んでるんじゃなくてこの衣装を仮縫いする予定だったドーラって子が、あ、この子は16歳なんですけど、いやそれはどうでもいいか、いやとにかくその子の代わりで、体型が似てたから、その、あの、」
「驚いた…」
「で、ですよね」
えへへ、と笑った夢子の顔には普段はしていない薄化粧までされて、彼女のアメストリスの国の人間ではなくシンを思わせるような黒い瞳と髪が、その衣装によく似合っていた。中尉が隣で「すごく似会うわ」といつもの冷静な声ではなく、一人のわかい女性としてあげた声に上の空で頷く。
「凄く綺麗だよ、夢子」
心の底からそう言った。
すると夢子の顔がみるみるうちに赤くなっていき、そして真っ黒な瞳が涙で濡れたようにキラキラと光った。言われなれていないらしいその反応が何故だかとても可愛らしくて、私は思わず夢子の手を取って、他国の姫君にするようにその手の甲にキスをしてやった。
「まるで異国のお姫さまだ」
我ながらキザだと思うが、絶えられなくなったんだろう、夢子が「もうやめてー!」と黄色い声を出してエカテリーナの背後に隠れてしまったのを、周りで見物していた劇団員たちが笑い声を上げて、エカテリーナもくすくす笑い、その愛らしい少女を中心に暖かい笑い声が広がった。夢子はチークのせいばかりではなく、耳まで真っ赤にして「もうやだー」と可愛らしい反応をみせて、それがますますおだやかな笑いを誘った。中尉が「大佐、調子に乗りすぎです」と苦笑の溜息を漏らして、どこに立っていたのかハボックが「セクハラっすよ、セクハラ」と笑いたてる。
本当に綺麗だった。
普段の素朴な少女の皮を脱いで、大人へと変わろうとしている夢子。
いつか夢子の手を取ってキスをする男が現れたら、ぶん殴ってしまうかもしれないな。
エカテリーナとは正反対の夢子。父親がいて、母親がいて、友達がいて、学校を卒業して、健全に、真っ直ぐに、そして愛されて育っていく夢子。どうしてだか一瞬、夢子を守ってやりたいという気がした。
その細い手を、世の中の汚いことを知らない心を、大人の男が庇護してやらなくてはいけない気になった。
その役目は私の役目ではない筈なのに。
みんなは笑ったけれど、わたしは本当に涙が止まらなかった。
みんなはわたしが照れたからべそをかいたと思っていたみたいだけれど、本当はそうじゃなかった。全然そうじゃなかった。だって男の人に「綺麗」だなんて言われたことがなかったから。エカテリーナさんだったらきっと千回も万回も言われた言葉だろうけれど、でも、わたしは初めてだったから。別の子の代役だったけれど、本当はわたしのための衣装じゃなかったけれど、でもそれを着て、ちょっと浮かれて、そしたらまるで魔法みたいに大佐さんが現れて、綺麗だって、言ってくれたから。
だから、だから……どうしても泣けてしまった。
胸がぎゅうっと締め付けられて、嬉しくて、恥ずかしくて、胸がいっぱいだった。
本当に?本当に、わたしも綺麗な女の子になれるかな?
大佐さんの目に映るようになれるのかな?
そうなりたい。そんな女の子になりたい。
胸がいっぱいで、眠りの魔法を掛けなくっちゃ寝られそうになかった。