21


舞台の準備は全て整った。
夜には前夜祭が控えているとはいえ、今日が稽古のできる最終日。
舞台の上にはところ狭しと中東風のお城や庭や女王の部屋のセットが並べられ、グレッグが大きな声で「シーン3はそこのD1だって言っただろ!誰だG5のセット持って来たやつ!」と叫んだり、別の誰かが「おい本番は生花だからな!リハ終わったら造花は片付けろ!」と声を上げたり、ベリーダンスでも踊るような衣装に身を包んだ踊り子たちが自分の立ち位置の最終チェックをしている。オーケストラが楽曲のチェックをし、音響係が微調整を行う。みんながみんなバラバラのことを、それでもきっちり自分の仕事を理解して動いている。


ピリピリとした緊張感と、高揚に、なんの手伝いもせず邪魔にならないよう客席に座って大人しくしているわたしまで胸がどきどきと高鳴った。明日が本番だというのに、ウィンチェスター卿からの嫌がらせを阻止する手立ては見つからず、大佐さんたちはとにかくハインケル議員とフォッカー中将の護衛に徹底しているという。


脅迫状を書いただろうウィンチェスター卿からの沈黙が異様なほど静かで、いっそ気味が悪い。





ウィンチェスター卿の尻尾は掴めないまま。
ハインケル議員がゲリン市長だったときに行った平和計画によって、ウィンチェスター卿の武器工場は莫大な損害を受けて撤退。今もゲリンの地はウィンチェスター卿に戻ってこない。
フォッカー中将は前線となったゲリンに派遣され、失ったゲリンを取り戻そうと擦り寄ってきたウィンチェスター卿と手を組み、イシュヴァールの内乱では共に武器開発を行おうと取り入っていたはずなのに、土壇場になって裏切り、ウィンチェスター社のライバル会社の武器を採用した。


蛇のように執念深いウィンチェスター卿が二人を憎く思うには十分すぎる理由。
そしてアラン少年目当てで「落下の女王」に関係してきたフォッカー中将は、まさしく飛んで火にいるなんとやら。舞台というウィンチェスター卿の巣窟に飛び込んできたわけだ。そして「ゲリン」という繋がりを持って、目障りだった二人を消してしまおうと楽しんでいるに違いない。怖い人だ。



「はぁ!?ドーラがおたふく風邪!!??」



誰かの悲鳴のような怒声は、つい最近聞いたばかりの台詞。
その声がそれまできっちりきっちり進んでいたリハーサルを引き裂いた。
ドーラって確か、わたしが代理人をやった子だ。背格好が似ているから、と衣装の仮縫いのモデルをしたんだっけ。風邪だとばかり思ってたけど、事態は深刻だったのか。役者さんたちの大きな話声が全て筒抜けになって、ここ、客席にまで届いてくる。今朝になって扁桃腺がぱんぱん腫れて来て、しかも相部屋の子達まで感染しているらしい。えらいこっちゃ。寄宿舎のように一部屋に少女達がまとめられている劇団だから、被害は甚大だ…。



「寵姫は必要だろ?誰がやるんだ?アマンダなら背格好も丁度いい!」
「アマンダもおたふくよ!ドーラの年齢の子はほとんど全滅よ!」
「コーラスガールで代役立てるか!?」
「今からじゃ衣装が間に合わない!それにコーラスガールだって今の役で手一杯だ!」
「夢子がいるわ」



―――――え、いまなんて?
パニックの声に、突如として響いた声にその場がしんとなる。エカテリーナさんの声だった。
まるでモーゼの十戒のように、エカテリーナさんへとみんなが道を譲る。そして、中東のお姫様のような豪奢な衣装に身を包んだエカテリーナさんが、舞台の上からわたしをじっと見つめる。わたしは何が起こっているのか理解できないまま、ぽかんとエカテリーナさんを見つめなおす。



「ドーラの衣装はあの子の体で作った物。それにドーラに台詞はないし、動きもない。ドーラに必要だったのは王がいろんな民族の娘を寵愛していたという演出要素。あの子の黒髪に黒い瞳、そしてシン系の容姿をしているから、その点ではここの誰よりもエキゾチックな雰囲気は出せるはず。―――ただし舞台に上がり、引くまでの5分、私がみっちり仕込むわ」



話はそれでまとまってしまった。
わたしが「でも」とか「だって」を言い出す前に、舞台のみんながちゃっちゃと動きだし、エカテリーナさんが手招きをする。膝が笑う。口が渇いていく。え、なに?どういうこと?わたしが舞台に立つの?え?このわたしが?ぽかんとしているわたしをグレッグが大声で「夢子!早くしろ!」と叫び、その声で我に代わって慌てて舞台へと走った。オーケストラの人たちが目をまん丸にして舞台の下からわたしを見上げ、舞台の上からも沢山の人が突然現れた小娘を様々な表情で冷静に見つめている。駄目だ。駄目。わたしには舞台になんて上がれない。やっぱり、無理だ。
舞台の前まで行き、けれど一歩舞台に上ることができない。



「言ったでしょ?あなたには特別な席を用意してあげるって」



エカテリーナさんが微笑んで、わたしに手をさし伸ばした。









何度も何度も頭の中で動きを反芻する。
わたしが出るのは、第二幕で王様の寵姫たちが並ぶシーン。舞台に立っているのは時間にして3分。台詞なんかもちろんないけれど、でも舞台での3分が一体どれだけ長い3分なのかは嫌ってほど分かった。同じ寵姫役のアリシアが出たときにくっついていき、一番末っ子の姫であるわたしはお姉さん分のアリシアの裾を握って、彼女の背中からおずおずとして、そして彼女が引っ込むときに一緒に引っ込めば良いだけ。そんだけ。でもアリシアのスカートの裾を踏まないかとか、彼女の邪魔にならないかとか、考えることはいっぱいで頭がぐるぐるする。いきなり渡された分厚い台本を捲って、舞台の隅っこで三角座りをして舞台の流れを頭に叩き込んでいると、目の前に急に影が現れた。顔を上げるとそれは大佐さんだった。
大佐さんは全てを知っている顔で、ちょっと同情したような顔を浮かべている。


「顔が真っ青だが、大丈夫かね?」
「……本番になったら緊張飛ばす薬調合して飲みます。飲んでも良いですか?」
「魔法の薬かね…。まぁ…状況が状況だからね。許可しよう」


やったねと、にっとするけれど、やっぱり自分でも顔が青いと思う。だってわたし、小心者なんだもの。
主人公なんかなったことのないわたしの人生、学芸会だってやったことないのに、いきなりこんな大事なプロの舞台に立つことになったわたしのやわなハートはボロボロだ。



「嫌なら断ればよかったのに」
「断れませんよ…あの状況で!…それに、わたしに出来る事があれば何か役に立ちたいんです。もしわたしがNOと言ったらドーラの役は削って、また一からアドリブで組み立てるって言うから。エカテリーナさんが書いた舞台だから、何か役立てるならすごく嬉しいんです」
ま、3分おずおずしていれば良いんだから、きっと大丈夫。今だって十分おずおずしているんだから、本番でだってもっとおずおずびくびくできる筈。そう言ってやると大佐さんは「確かに」と苦笑で同意する。



「それにしても、この演目はエカテリーナが書いたのかね?」
「あれ?知らなかったんですか?エカテリーナさん、プロットを書くのは得意だって」
「不吉なことを言うなぁ…」
ぎょっとした大佐さんに「不吉?」と聞き返して、ふと気がつく。


そういえば、『Plot』って、舞台や小説の筋や構想って意味以外の意味があった。―――“陰謀”、だ。


英語が第一言語じゃないからすっかり忘れていた。というか、思いつきもしなかった。もしかしてあの台詞はエカテリーナさんからのブラックジョークだったんだろうか。そういえばハリウッド映画とか見てても、大人の女性はこういうウィットに富んだやりとりをしているもんな。



「からかわれていたみたいだね」
「気づいてないと意味ないですけどね」
まったくだ、と大佐さんが笑ったとき、遠くからアリシアがわたしを呼ぶ声がして、わたしは「はーい!!」と力いっぱい返事をして立ち上がった。大佐さんが「頑張りなさい」と笑って背中を押してくれて、わたしも「はい!」と心から返事をして、振り返らずに走り出した。










「はぁ?あいつが舞台に?」


見たまんまのことを報告するブレダに俺は思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
大道具係りとして劇団に潜入していたブレダこそ、目の前でその光景を見て思わず担いでいた脚立を落としそうになったらしい。思わず咥えていたタバコを落としてしまい、カーペットに焦げ目がつく前に慌てて回収して携帯灰皿にねじ込んだ。今頃真っ青になっている夢子が目に浮かぶ…。


「まぁ、そりゃ夢子の顔立ちならエキゾチック感は出るだろうけどよ…女王様も無茶するな」


呆れてため息しか出てこない。その運のない少女達がおたふくで、パニックになった舞台で響いた女王様の鶴の一声で、夢子を代役とする方向で話しは決まったらしいが、本当にあいつで良いんだろうか。なんなら大佐に聞いて、どっかからエキゾチック美女でも紹介してもらった方が早いんじゃねぇだろうか。…いや、それはないな。夢子だってあれで案外度胸があるし、この間舞台メイクをしてもらっていた様子はなかなか可愛かった。あと5年待てばきっと良い女になる…って、あいつ成人してたんだっけか?そんな夢子が聞けば怒り出すようなことを考えていた俺とは違い、ブレダは真剣な顔をして腕を組み、右手で顎を触っている。真剣に物事を考えているときのこいつの癖だ。



「まぁ、ンな心配すんなって。きっと上手くやるって」
「夢子のことじゃねぇよ。……エカテリーナのことだ」
「あ?」
「あの女、本当にアメストリス人か?」




一体なにを言い出したんだ。まさか夢子じゃあるまいし、異世界からの女ってわけでもないだろう。
いや、まて、確かにそうだな。それまで俺はエカテリーナのことを「美人な女」としか見ていなかったが、しかしその顔立ちをよく考えると純粋なアメストリス系の白人というよりは、ムラータというんだったろうか。混血児の特徴を引き継いでいるような顔立ちをしている。エキゾチックなのは、夢子よりもエカテリーナの顔じゃないだろうか?



「舞台女優ってのは、スポットライトの反射を考えて白い肌が良いんだろ?その為にわざわざ肌を塗る女優も多いと聞く。エカテリーナほどのプロ意識の女優なら、肌を焼かないようにするだろうに、あの女の肌はオリーブ色だ。そしてぽってりとした唇とエキゾチックなアーモンド形の瞳……あれで赤い目だったら?」
「……イシュヴァール人、か?」



――――ゲリンにはイシュヴァール人とアメストリス人の混血が多い町。



まさか、そんな…と言い掛けて息を呑む。
それまでエカテリーナの経歴を、これだけの人間が探っても出てこなかったのは、彼女の戸籍も人生も、国家が奪ったじゃねぇのか?イシュヴァール人殲滅を目的とした内乱にあって、イシュヴァール人の戸籍や住民票などは全て廃棄されている。その生命だけでなく存在だって消そうとしたからだ。だから俺達がいくら探しても、ないものはなかったんじゃないだろうか。



「あの女が本当に28歳だというなら、ヘレン・マクブライトとしてストリッパーを始めた頃と内乱終結時期が一致する」
「そうか、あの内乱じゃ役所もテロにあったから、戸籍が消えたのはイシュヴァール人だけでなくアメストリス人も。戸籍再発行の混乱に乗じて得ることは容易かったはず」
「ウィンチェスター卿が狙っているのは、中将や議員だけじゃない。…そうだ、最初からあの脅迫状には“女王は死に”と…。あのエロジジィ、自分の商売敵の“焔の錬金術師”を選んだ女王に腹を立てていたっておかしくねぇぞ!」



ブレダがそう言い終らないうちに、俺達は控え室を飛び出した。
中将の護衛は、中将の部下が率いる軍の要人護衛たちがついている。ハインケル議員にはホークアイ中尉率いる護衛たちがついている。その家族にもそれぞれ護衛がついている。だが女王についてる俺はこんなところにいる。今、女王についているのは夢子しかいない。いや、大佐がいる!
エカテリーナの出生については、あの容姿からする俺達の勝手な推測だし、隠してきた経歴だって、大佐になら答えるかもしれない。




今夜は前夜祭!
軍部からも議会からも富裕層からも客がこの劇場に集まりパーティーだ。
そして、その中にはもちろん、あのウィンチェスター卿だってやってくる。




エカテリーナを守らねぇと!!