それからのこと


「そう。こちらへ帰ってくるのは二週間後か。土産話を楽しみにしているよ」



国際空港へと向かう電車の窓から見える地方都市の町並み。

金融会社。女の子だけの楽ちんアルバイト。ハンバーガー。新機種のスマホ。中華料理。
カラーコンタクトをつけた大きな目のモデルがにっこりと笑いながら、新しい口紅を宣伝する巨大なポスターが一瞬で背後へ消える。

広告塔も雨風や酸性雨の影響かすっかり色あせ、エアコンの室外機が取り付けられた雑居ビルの屋上では、白い調理服を着たおじさんがタバコを吸っているのが広告のモデルのように一瞬のうちに背後へと消えた。イヤホンから聞こえる音楽は、日本を出発するまえに流行っていた曲なのに、こっちに帰ってきたらもうどこの服屋さんでも掛かっていなかった。夏の歌から冬の歌へと変わる。



音楽が景色と一緒に背後へと遠のき、大佐さんの声が蘇る。





「一言、言って良いのかな…」

アメストリスを発つ夜、しばらく音信不通になることを連絡するべきなのか、それともそんなことは自意識過剰だし、向こうにとっては「ふーん」ってことじゃないのか、っていうか家の電話番号も知らないし、メールなんてあるわけないし、連絡するなら軍の通信ってことになるし、いやいやそんな場所に連絡するより魔法で連絡した方が楽ちんか、っていうか二週間程度いなくなるなんて別に伝える必要あるのか?


って、いうか、あの、そもそもわたしはどういう関係なんでしょうか?


……なんて考えながら荷造りをしていた夜、掛けてくる女友達もいないのに「とりあえず」と引いていた電話が鳴った。
その滅多に鳴らない電話の音にびくりと震え、発信者がデジタル表示されるわけもない、映画でしか見たことないような黒電話の受話器におっかなびっくり耳を当てて驚いた。────大佐さんだった。



まるで魔法使いみたいなタイミングだったから、あんまり驚いてしまって声もでなかった。
大佐さんは慣れたように、夜の挨拶をして、他愛もない近況を話して、そして呼吸をするように自然にわたしに明日一緒に夕食へ行こうと言った。その全てが慣れた大人のもので、受話器の向こうから聞こえる、現代のものよりもよっぽど不明瞭なのに、それでも確かに大佐さんの声にどきどきとしながら、受話器に吐き出す息が掛かるのだって恥ずかしくて半ば呼吸を止めるようにびくびくと相槌を打つわたしとは大違いで、それがさらに緊張を呼んだ。



「あ、あの、行きたいんですけど、実は明日から向こうへ帰るんです」
『え?向こうって、魔法界に?』
「はい。魔法界と、その更に向こう側にあるわたしの生まれた国に帰省します」
『随分急な話だな。ご実家でなにかあったのかい?』
「いえ…。ただ報告するものも随分溜まっていたし、一年くらい会ってなかったから魔法省へ行くついでに帰国しようかなって。……大佐さんにも、報告しようかな、とは、思った、けど…」
『音信不通は慣れているさ。ただ君の場合は、エルリック兄弟のように銀行口座を止めたりできないからこちらから連絡の取りようがない。一言教えておいてくれると助かる。』



うわぁー…!
お、教えていいんですか!?そんなこと大佐さんに必要なんですか!?うわぁ!!!

とは思っても絶対に声には出さない。
ごくんと飲み込んで、代わりに銀行口座って?と、全然さきの一言気にしていませんだってわたくし大人ですからなんて取り繕って尋ねるわたしの意図なんてきっと見え見えなんだろうけど、大佐さんはその時の様子を思い出すように苦笑しながら、エドの口座は軍からの給金で運用されているから根なし草で放浪するエドやアルを捕まえるためにエドの口座を凍結させればエドの性格からいってこちらに怒鳴り声の電話を掛けてくるだろうと予想すればまさしくその通り。しかもエドは食い逃げの容疑まで掛けられていたと聞いて笑っちゃ可哀想なのについ笑ってしまった。強引すぎる!


『君もそんな目に合いたくなければ、きちんと連絡するように』
「はい!気を付けます!…あ、でもわたし、大佐さんちの電話番号だって知りませんよ?」
『……。どうやらお互いに話すべきことがまだまだたくさんありそうだ』


────帰ってくるのを楽しみにしているよ。



大佐さんはそう言って、二、三言言葉を交わして電話を切った。
耳にその時の大佐さんの声がいつまでも残っているような気がして、わたしはすこし唇を噛む。アパートの向こうにうっすらと山が見えている。アメストリスには決してないおだやかな小さな山の形。アメストリスとは全くちがう空気。街。技術。科学。人々。


こんな電車に乗っていると、アメストリスでの日々がまるで映画のように遠く、美しく、他人のものみたいだった。
話すべきことがまだまだたくさんある。わたしもそう思う。わたしは、大佐さんのことを知らない。あの強引なキスのひとつで、大佐さんがわたしを受け入れてくれたのか、わたしにはよく分からない。まだ、たぶん、恋人、ではないと思う。まだ、保護する存在。大佐さんがその手に抱えている多くの守べき当たり前の部下や市民に対してするように、一人の年長者として子供を守るような、そんな存在なのかもしれない。



わたしは、エカテリーナさんにはなれない。
わたしは、自分じゃない誰かにはなれない。



そんなわたしを、大佐さんがどう思っていて、どうしようとしているのか、何も分からない。
大佐さんみたいに経験豊富じゃないし、ホグワーツにいた頃の周りの女の子たちみたいに早熟でもなかったし、毎日毎日、英語と目の前の魔法界の常識や勉強についていくのに必死だったから、恋なんてよく分からないまま。早くアメストリスに帰りたいような、帰るのが少し怖いような。大佐さんは、わたしを食事に誘って何を話すつもりだったんだろう。



電車は一分の狂いもなく確かに空港へと向かっていく。



この二週間、実家で過ごした日々もなんだか夢みたいだったし、自分の過去の記憶の中に飛び込んだように手足の感覚がなくて、なんだかぼんやりして、お母さんが少し心配していた。日本での平凡な生活がすでに自分にとって平凡でなくなり、魔法よりもずっと魔法みたいな化学に戸惑う。アメストリスに長く住みすぎたのかもしれない。自分の身体に流れる時間の光は、すでに日本のものではなく、アメストリスのものになっている。汽車は時間通りにやってこないし、田舎に行けば羊の行進で止まってしまうし、暗くなったら、なんて感覚で店は閉まってしまうし、隣街の情報だって三日くらい遅れて届くようなインターネットのない世界だけど、わたしには合っていたみたい。日本での時間の流れが速すぎて、息もできない。強烈な光と科学の波に眩暈だってする。



ゆっくりと目を閉じれば、耳にまた音楽が蘇った。でも、なんだかわたしの耳には届かないまま流れていく。
わたしはもう、マグルの科学なんて届かない遠い場所にいるらしい。ああ、家に暖炉があったらよかったのに。もしくはポートキーがあったらよかった。そうしたら、日本からイギリスなんて一瞬のことだったのに。ロンドンについたら、あの駅を出て、あのビルの裏にある公衆トイレに入るの。女子トイレの二番目の扉。入る前に秘密のノックをするの。そうしたら、わたしの身体は緑の炎と共に魔法省の廊下へと押し出され、ボスに報告書を提出して、新しい魔法生物の情報をもらって、魔法省のオフィスの暖炉からまた扉の向こうの世界へ行く。



そこは我が家。
アメストリス、セントラルシティ、ボートンアベニュー2番街4番地にあるわたしのアパート。


アメストリスはもう冬に違いない。向こうに帰ったらコートを買おう。そして新しいコートを着て、大佐さんに会いに行く。
アメストリスへ、帰ろう。


大佐さんのところへ。