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えっちらほっちら、トムの運転する農作業用の荷馬車に揺られるわたしの手に握られた観光ブックには、かわいらしいドラゴンのイラストと、立派な髭を蓄えて、先端に「☆」のついたいかにも魔法の杖って感じの杖を持った魔法使いが描かれている。(どことなくダンブルドアに似てるかも) そして現代世界の観光ガイドのような鮮明な写真じゃない、荒い画素の写真で名産品の蜂蜜だの燻製肉だのの紹介もされる、本当に、取り立てて書くべきこともない田舎のガイドブックは、コンビニに置いてあるバイト情報誌のように薄っぺらい。
そう、このフィディリス村はこれといった所のない平凡な村。ただひとつ、ドラゴン伝説を除けば……。
あの事件のため、新設された魔法界魔法省イギリス本部魔法歴史調査部に所属するわたしの仕事は、魔法界からこの世界に流れ込んだ魔法生物や植物、魔法に関係するアイテムの調査だ。(先月は、東部の天然ガスが地下で燃えているという炭鉱町まで行って、野生化した火蜥蜴を捕獲したっけ…。) この仕事も随分慣れてきたけれど、わたしはこの村の伝説を耳にしてしまう。ドラゴン伝説。しかもこのフィディリス村では今でも百年に一度の頻度で家畜が大量に消えたり、山に入った人間が消えて、ぼろぼろになった遺留品が残されているって聞くんだからこれはもう行くしかない。
とりあえず、セントラル大学で民俗学を研究している女子大生だという事にして、都合よくこの村で募集していた農村留学生としてトマスことトムの家に潜り込んだのが先週のこと。
そしてドラゴンの目撃情報がある山へ入って、わたしは確信した。───ここ、いるわ、と。
木々の形はドラゴンが飛行するのに都合が良いように捻じ曲げられたり、折られたりしているし、なによりわたしはドラゴンの糞らしきものを発見した。それをトムの家の暖炉から魔法省の魔法生物、特にドラゴンの調査員に送り、返ってきた報告書には間違いなくドラゴンの物だと書かれていた。ドラゴンいるって分かったんだから、てっきりドラゴンの専門家が来てくれるものだと思ったけれど、上司から返ってきた答えは「じゃ、捕獲任せたから!」というあっさりとしたもの…。
無理です無理ですよ!!!わたしど素人ですよ!?と泣き付いたけれど、こっちの世界だと訓練をしないと魔法を使えるようにはならないから、君一人で捕獲したまえ、という実に他人事の答えだ…。なにこれ、パワハラ?
そしてわたしの孤高のドラゴン捕獲作戦が始まった、という訳です。
「そういう訳で、まぁ、ここに滞在してるんですよ、ええ」
げっそりとした顔で「あはは」と笑う夢子だったが、目が笑っていない。
そして夢子の「げっそり」が空気感染したように私とハボックもげっそりとする。
つまり、この村には事実としてドラゴンが生息していて、百年に一度、腹を空かしたドラゴンが山から下りてきて家畜を食らったり、山にのこのこ入った人間を食べていた、と。
「しかも調査してて分かったんですけど、今年が百年目なんですよね…。しかもほら、この陽気でしょう?そろそろ百年の冬眠から覚めて、人里に下りてきてもおかしくないんですよ…ほんと、捕獲、急がなきゃな、みたいな…」
えへへ、と笑った夢子にますます部屋の空気が重くなる。
ボリス少年ことトマスことトムが用意してくれた部屋は、彼の母親が趣味で作ったというパッチワークで作られた絨毯やベッドカバーやクッション、ドライフラワーや暖かな暖炉のあるドールハウスのような可愛らしい田舎の家で、私やハボックのような軍人が寝泊りするにはいささか可愛いすぎる部屋だったが、トムがこれまたピカピカに掃除をして、布団を干しておいてくれたんだろう、私たちが快適に過ごせるように細心の注意が払われている。
そんな居心地が良いはずの暖かな田舎の部屋には不似合いなどんよりとした空気が広がる。
「で、でもよ、もう死んでたりしねぇの?だって百年だろ?」
「ドラゴンって、千年は軽く生きるんですよ…」
ハボックの必死の言葉に夢子は「うへへ」と不気味に笑う。
回復不可能なほどに部屋の空気は重くなる。
これが全くの人事ならば、私の錬金術師の一人として好奇心を掻き立てられる話だっただろうが、実際問題としてドラゴンが民間人を襲うようなことがあればどうにかしなくてはならないのは、この少女ではなく軍人であり、不本意ながら今現在フィディリス村で最も地位の高い私の仕事という事になり、その私の部下であるハボックも少尉であるならば、ど素人に毛が生えた程度の小隊を指揮せねばならんという事になる。軍でドラゴンの倒し方など教えてないぞ?
ああ、大混乱になるだろうな…指揮系統も確立できていないし、実質戦うのは私とハボックだけ、という事になるかもしれん。民間人を安全な場所へ移動させる事に手間取っている間に被害が拡大し……と、つい職業柄、最悪のシュミレーションをする。
いや、最悪のシュミレーションじゃない。予想しておくべき、シュミレーションだ。
「夢子、現在の状況を報告してくれ」
「でも…これはわたしの仕事です」
「ああ、私は部外者だ。しかし、今、このフィディリス村の責任者は私だ。万が一、という事もある。その時になって事態を突き付けられるよりは今、情報を掴んでおきたい」
君としても“マグル”のトップに話をつけておくのは得策だと思わないかね、と以前夢子が説明していた非魔法族である我々を指す言葉で言えば、夢子はちょっと考えてからすぐに頷いた。ここは相互協力という事で協定を結んでおこうと思ったらしい。
夢子はすぐに自分の部屋から焼け焦げたシャツを持って来た。
「一昨日、ドラゴンと対峙した時に背中を焼かれたんです。ほら、シャツはぼろぼろでしょう?でもドラゴン対峙用の防火ジャケットを中に着ていたから、怪我はしなかったんですけれど…でも後ろ髪はちょっと焦げちゃった…」
夢子が「ほら」と毛先を見せれば確かに焦げてちりちりになっている。夢子の髪と、焼けたシャツから検分するにそのドラゴンはそう高い温度の炎を出したわけではないらしいと告げると、夢子からは感心したような声があがる。
「これでも炎は専門家だからね。それで、ドラゴンが攻撃してきた、という事はそいつはもう目覚めているのか?」
「まだ本調子じゃないようだけれど、私の持つ魔族の気配に興奮したらしく、巣穴から出てきたみたいです。巣穴はこの村の裏にある昔炭鉱だったっていう岩肌の山の中にあります。炭鉱跡は掘り返した穴だらけで危険だから立ち入り禁止になっていますが、近くはハイキングコースになっているようで…」
「分かった。その辺一体は民間人が立ち入らないよう、すぐにでも命令を出そう」
「お願いします」
そこまで話が進んだとき、遠慮がちに部屋の扉がノックされ、入ってきたのはトムだった。
トムは自宅だというのに、私とハボックがいるからか、律儀に軍服を着たまま遠慮がちに自分の家の部屋に足を踏み入れる。夢子も流石なもので、ノックの音が聞こえてすぐに焼け焦げたシャツをベッドの下に隠した。
「あの、夕食の準備ができました。その、マスタング大佐とハボック少尉はどちらで召し上がられますか?部屋にお運びしましょうか?」
「君たちはどうするのかね?」
「夢子さんやもう一人の女の子はいつも僕たち、あ、いや自分達と一緒に食堂で食べるんですが…でも士官と一兵卒が同じ食卓というのも…」
トムはそばかすの散ったまだまだ少年らしい顔を俯かせて、どうしようか、といった具合に視線をきょろきょろとさせる。もしかしたら、士官を家に滞在させることになったというのは彼にとって災難だったかもしれないな。これでは自分の家でくつろぐ事もできやしない。
「トム、君たち家族さえ迷惑でなければ夢子や、もう一人の女の子のように、この家の友人のようにしてくれないかな?」
「えっ、で、でも…」
「ぜひ君の家族の話も聞かせて欲しい。もちろん、友人としてね」
大佐さんのそういう所って好きだなぁ、とわたしは大佐さんとトムのやり取りを見ながら思った。
「大佐」ならまだ軍に入ったばかりの男の子にそうほいほい気軽に「友人」なんて言葉は使わないだろうけれど、トムはそれ位のことを言ってやらないとずーーっと緊張したまま、自分の家でずーっと軍服を着たまま畏まっているだろう事を見抜いていたに違いない。ジャンもそれに気づいているのか、まったく、といったように頭を掻いて苦笑していた。
「じゃ、じゃあ、母に知らせてきます!!」
ようやく顔に笑みを浮かべたジャンは、まるで小さな男の子のように大きな音を立てて階段を下りていき、わたし達は顔を見合わせて苦笑した。
「君は明日からどうするつもりかね?」
「とりあえず、種族だけでも見分けておけばそれぞれに合った対処方法があるんで、明日も山に入って調査ですね」
「………で、種族が分かったとして、戦えんのか、お前?」
ジャンの疑わしそうな心配が入り混じった表情に苦笑しながら「一応学校で対ドラゴンについての授業は受けてます」と答えるとますます困惑した表情になる。そりゃそうだ。学校で大真面目にドラゴンとの戦いかたや賢い逃げ方を習っているんだもの、マグルにとっちゃ考えられない様子だわ…。ま、いつぞやの三大魔法学校対抗試合で大暴れして、当時の校長先生を皆殺しにしたっていうコカトリスだけは避けたいところ。あ、コカトリスはドラゴンじゃなかったな。
まぁできれオパールアイ種が良いな。
性格は比較的穏やかだし、空腹時以外は殺生しないし、好物は人間じゃなくて羊だし。冬眠する事とか、百年に一度しか家畜を食べないって点からわたしはこの種族じゃないかな、と希望を持ちながら予想しているところだ。
「さ、今はまず夕食にしよう。トムが待ってる」
これまたドールハウスの中のような、可愛らしいタイルやパッチワークや白い食器や瓶に詰められたジャムなんていう一昔前の少女が喜びそうな可愛らしい食堂の中を、夢子とトムが食器を運んだり料理を運んで、ボリス夫人の手伝いをしている。
トムも流石に軍服から私服のシャツと膝あてのされたズボンに履き替えている。ボリス夫人は、そのふっくらとした身体がいかにも子供好きの世話好きの母親といったような暖かさを持っている好ましい人物だった。
「まだ父ともう一人の女の子が戻って来ていないんです。今日は裏の畑までジャガイモ掘りに行っているんですけれど…」
トムが食事を待たせている事をいかにも申し訳ないといった顔で謝罪するが、こちらとしても食事をせかすより一言家主に挨拶をしておきたいのだから、そんな事は構わなかった。
少し見てきましょうか、と中庭に出たトムにくっついて外に出れば、夏になろうとする田舎の空は、夕食時だというのにまだ夕暮れに差し掛かるばかりの深い青の中に朱色がうっすらと混じり、西の雲は薄いピンク色に染まっていた。生暖かい風の中に薄く夜風の冷たさが入り混じり、心地よかった。これが仕事でなければ、のんびりとするには持って来いの土地だと思い、荷物の中にいくつか読み掛けの小説を混ぜてきても良かったな、と少し後悔する。
……いやいや、小説を読破する時間などないだろうな……ドラゴンがいるのだから。
「あ、戻ってきました!父さん!ベッキー!遅いよ!」
トムが突然中庭にしかれた石畳に飛び出して、夕暮れを背負って現れた二人に言葉を投げる。
そしてもう待てない、というように二人の背中をぐいぐいと押して私の前に連れてきたので、私も居住まいを直せばひょっこりとタイミングよく背後からハボックも顔を出し、状況を理解したのか、トムの父親と挨拶を交わす。
「しばらくお世話になるアメストリス軍セントラル司令部勤務のロイ・マスタング大佐です」
「マスタング大佐付従卒のジャン・ハボック少尉です」
「マスタング大佐のお噂はかねがね息子から聞いとります。なんにもない田舎の家ですが、ゆっくりしていってください」
トムによく似た父親と軍人ではなく、民間人のように握手を交わせば、残るはもう一人。
トムが「ベッキー」と呼んだ女の子が残った。
女の子は腕組みをして、何故か品定めをするような敵意むき出しの顔をして私とハボックを上から下まで眺めた後、つーんと可愛らしい鼻をそっぽ向ける。おや?と思いながらも対女性用の笑みを浮かべる私だが、彼女には通用しないらしい。ベッキーの後ろでトムがはらはらとした様子で彼女に「ほら、大佐に挨拶してくれよ」と急かすがそれが更に腹立たしいらしい。
「ベッキー、私の友達の大佐さんとジャンよ。偶然ここで出会ってびっくりしているの」
「夢子の友達、なの?」
険悪な空気に助け舟を出してくれたのは夢子だった。
この少女も夢子にはいくらか懐いているのか、彼女が我々を友人と呼んだからには挨拶せねばならないと思ったらしく、一応、といった顔でこちらを見る。三つ編みにしたポニーテールは金髪で、少し釣り目気味の大きな青い瞳は誰にも懐かない血統書付の猫のような少女だ。恐らくエルリック兄弟と同じ年頃だろう。
ああ、一番厄介な年頃だな。特に女の子は…。
「そう。夢子の友達のロイ・マスタングです、お嬢さん。お名前をお伺いしても?」
「セントルイスシティから来てるレベッカ・ウォーレンスよ。友達はあたしをベッキーって呼ぶわ」
「だからベッキー、大佐にはもっと丁寧にしてくれって頼んだだろう?」
「大佐だから何?あなたは軍属かもしれないけど、あたしは一般人よ?この人が大佐でもなんでも、軍人の地位なんてあたしには通用しないんだから。それに大佐ってあたしのパパより偉いの?ねぇ、どっちが偉いのよ?」
「ベッキー…勘弁してくれってば」
トムはどうやらこの年下の少女に丸め込まれているらしい。
すぐにこの二人の力関係を把握してしまい苦笑していれば、夢子がこそっと「ベッキーの家はセントルイスシティの名門で、お父さんは市長さんもしていて、おっきな繊維工場をいくつも持っているのよ」と情報を捕捉してくれる。なるほど、これは手ごわいな。
「確かにあなたのおっしゃる通りだ。だからこの家にいる間は、私を軍人だと思わずロイ・マスタングという一人の友人として考えてもらえないかな、“ベッキー”?」
対女性用のフェミニストの極みといった笑みを浮かべて手を差し出したが、ベッキーはその形の良い鼻をふんと鳴らしてさっさと部屋に入っていってしまい、残されたトムは真っ青な顔をしてベッキーについて謝罪し、トムの父親もやれやれといったように肩をすくめ、ハボックはハボックでこの私が女性に無視された事ににやにやと笑みを浮かべ、夢子は夢子で「あの年頃の女の子は難しいのよ」と自分が既に大人の女性になったように「うんうん」と頷いていた。