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「お噂はかねがねお伺いしております」
そう言って皺に埋もれたハシバミ色の瞳を細めて微笑んだのは、フィディリス地方基地所長であるダグラス中佐だった。
失礼を承知で例えるならば、今きっちりと着込んでいる軍服を脱がせてくたびれたシャツとスラックスを着せれば、そのふっくらとした身体に皺くちゃの顔、ささやかに残る白髪は善良な初老の農夫のようないかにも孫から好かれそうなおだやかな人物だった。確か報告書には地位は「少佐」だったはずだが、先日軍属50年を迎えた情けのようなもので昇進をしたらしい。
確かに地方部隊とはいえ最高指令の老人の地位が少佐なのもまずかろうという上の判断かもしれない。
なんにせよ、この人畜無害な老人を面倒事に巻き込むのは気が引けるものだった。
互いに名乗って敬礼を交わし、さて、これからどうやって訓練内容を打診しようか、と考えてからこの祖父と孫ほども年齢の違う相手よりも自分の階級が上であり、そうである以上この老人はこの若造相手に決定権がないという奇妙な状態になにやらくたびれた。
「早速ですが、私はこの村全体を巻き込んで避難訓練をしたいと思います」
そう切り出した私に老人は「避難訓練?」と当然のごとく目を丸くした。
「ハボック少尉ぃ!ぎ、ギブアップ…ッ!!」
グラウンドに座り込んだ一等兵たちに、俺は走っていた足を止めて振り返った。
遊べる身分でもないのでさっさと村の軍に臨時配属された俺は、一等兵たちの訓練監督をする事になり、基本的な実践訓練の面倒を見ることになったが…そこはやはり地方部隊。中央軍のような機敏さもスキルも持ち合わせていないことをよぉく理解してしまい、いよいよ夢子にはドラゴンを捕まえてもらはなくてはならないと実感する。そもそもこのゆるさは防衛上非常に脆い。こりゃ帰るまでにスパルタ訓練だな…。あー、中尉もだがブレダも一緒だったらいくらか楽ができただろうに…。
挨拶もそこそこにまだ顔ににきびが残るような少年とも青年とも言いがたい一等兵らに、基礎訓練を付け始め、しばらくの急速時間を与えたころには一人残らずへとへとにくたびれていた。訓練用の黒いシャツは汗でより色を濃くし、汗だくの肌にグラウンドの砂がべったりと張り付いているのも気にせず一等兵らはぐったりと寝転んだりしゃがみ込んでいる。
「は、ハボック少尉…正直きついっす!!」
「中央ではいつもこんな訓練やってるんですか!?」
「あ…足が死んだ…!!」
「んじゃ水分休憩してよし」
そう許可を出してやれば、早速水道に頭を突っ込み、水をかぶりながら、ぎゃんぎゃんと喚く声に苦笑が漏れる。
おっかしーな……まだまだ序盤。カービン銃を背負ったままの行軍やアスレチックの訓練をやっただけなんだがな…。今頃大佐がここの所長に村民を巻き込んだ避難訓練を打診している頃だから、どうせすぐにこんな訓練は終わっちまう。その前に基礎だけでも叩き込んでおこうと思ったんだが…。
「おい、お前らこんな基礎でつまずいちまったら、昇進試験突破できねぇぞ」
軍学校を出ていない連中は、たたき上げで地位を上げていくしかない。とりあえずは内戦も落ち着いた今となっては、一等兵が昇進するには筆記試験と実技試験を突破するしかない。しかしこの体力とスキルじゃ、筆記はわからんが実技は厳しいだろう。すると一人が顔を上げて、唇を尖らせて反論すれば、次々とそれに呼応するように言葉が飛び交う。
「良いんですよ、別に。軍で細々働ければそれで」
「そうですよ!自分たちは別に出世とかじゃなく、とにかく農業以外の仕事が欲しいんですよ」
「それ。ほんとそれ。うちもこの間のハリケーンで果樹園やられちまってなぁ…」
「うちもさ。とにかく別に士官になろうなんて高望みはほんとないんで」
「なんだそりゃ?じゃあお前らなんで入隊したんだ?」
連中は顔を見合わせて、とくに悪びれた様子もなくあっけらかんと「現金収入万歳」と話し出した。
聞けばここのやつらはみんな、このフィデリス村や近隣の農村の次男や三男坊らしい。実家は兄貴が継ぐし、地元には働き口がないもんだからこうして地方部隊に入隊し、一等兵の任期が終わる5年を勤め上げた後は軍が斡旋する民間への働き口を見つける腹らしい。そんなことを上官になった俺に気後れすることもなく、当然のことのように話す連中に軽く眩暈がする。
なんつうか、近頃の若い奴は…って、俺もまだ若いんだけどさ。
「うちも似たような田舎だから気持ちは分かるけどさ、それ、上官には隠しとこうぜ?一応本音と建前って事でさ」
溜息交じりにそう言えば、ようやく「あっ」という顔をして、そして白い歯を見せて耳を赤くして互いに顔を見合って苦笑する。そんな仕草はまだまだ幼く、確かにこんな連中を前線に引っ張り出そうなんて気にはなれなかった。若いから可哀想、というのではなく、こんなど素人に毛が生えた程度の連中を連れ出せばはっきり言って足手まといだ。
「でもハボック少尉が滞在しているボリスは違いますよ!」
「そうですよ!あいつは本気で軍人を志してるんですから!」
「そうそう!トムだったら家も継げたのに、入隊するんだもんな」
そう口々に話し出した連中は、やはり小さな軍だけあってトムのこともよく知っているらしい。
確かに大佐をあんだけ崇拝するのは、女以外じゃ“イシュヴァールの英雄”に憧れる新兵ばかりだ。中央じゃ大佐に恨み持ってる連中も多いからな…主に女絡みで。トムに話してやりたいような、隠しておいてやりたいような、中央司令部の恥部だ。
「人それぞれ事情がある事は、よぉく分かった。が、しかし訓練は訓練。休憩終わり!」
げぇっ、という顔をする一等兵らを前に、なんだかすっかり鬼軍曹にでもなったような気分だ。これも明日のお前らのため。とにかく実力と処世術を叩き込んでやる必要があるな…。
「よぉし、塹壕堀に取り掛かるぞ!」
森を見上げると、随分高い場所の木々の枝がごっそり折れているのを見つけていよいよドラゴンの生活圏に入ってきたことを知る。恐らく空へ飛び立つとき、あの枝を折ったんだろう。炭鉱跡の山はすっかり活火山の発する硫黄の影響か、ゆでたまごのような臭いが漂い始めている。生えている木々もどこか色が薄く生気がない。今は魔法界から持って来た材料で調合した酸素マスクみたいな役割を果たしてくれる薬を飲んでいるお陰で呼吸は苦しくない。薬のおかげで鼻と口の周りには清潔な酸素の層ができたようだけれど、村の人たちだったらこんな空気の汚く薄い場所にはやってこないんだろう。
ドラゴンがひっそりと生活するには持って来いの場所だ。
山を見上げると険しい岩肌が露出した斜面となっていて、この斜面を登りきれば火口付近だろうと目星をつける。ここから先は徒歩じゃ無理だ。今朝はボリス夫人の目もあって箒を持って来られなかったけれど、明日は箒で散策しよう。
「それにしても…、いつ茂みから恐竜が出てくるかわかんないってのは心臓に悪すぎる」
ドラゴンなんて目の当たりにすれば恐竜みたいなもんだ。
あのまま普通に日本で学生やってりゃ、こんなB級映画のような恐竜退治だってしなかったのは間違いない。
ジュラシックパークじゃないけれど、あんな生き物をこのか弱い女の子が相手にできると思っているのか、魔法省は…。いや相手にするんだけどね。一応は心配してくれているのか、魔法省の抱えるドラゴン研究チームからのアドバイスを送ってくれた。曰く、『礼儀をつくせ。無理なら逃げろ』……すごぉく為になるアドバイスをありがとう!!!
思わず手紙を破り捨てたのは魔法省には内緒だ。
「ドラゴンを刺激する前に、一度大佐さんと作戦会議だ」
見上げた山は、火口を隠し持っている。
あの火の中でドラゴンが寝息を立てているのかと思うともう楽しくて楽しくて…ええほんと。
けれど仕事を持ってアメストリスにやってきて以来、一番大きな任務。なんとしても成功させて、魔法省の連中に「なんだ夢子は結構有能じゃないか」なんて言わせてやるんだと思うとやる気に満ち溢れ、わたしは今来た道を思わず走り出したのだった。