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「すっかりへばってんな」


休息時間、ジムの隅に座り込んでいるトムを見かけて声を掛ければトムはすっかり疲れきった顔で「ああ、ハボック少尉」と返事をした。たっぷり二時間の実技訓練は随分響いたか、と思ったのも一瞬で、トムの表情が暗い理由が疲労じゃない事になんとなく気づいて、俺はトムの隣に腰を下ろした。


「ハボック少尉、僕、やっぱり軍人には向いてないんでしょうか…」


すると案の定、トムの口から漏れたのは「疲れた」ではなく不安だった。
俺はトムの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやるが、トムは嫌がりもせずにまるで大人しい犬のように、そして犬ならば尻尾も耳もすっかり垂れ下がったように見るからに「しょんぼり」とした様子で深く深く溜息を漏らした。


「誰にでも向き不向きはあるから気にすんな。俺も体力自慢だが、頭脳戦は得意じゃねぇしな……なーんて、月並みな事しか言えねぇけどな。でもやっぱりってなんだ、やっぱりって。誰もお前に軍人が向いてないとは言ってねぇぞ」



しかし、確かに、トムは軍人向きではないだろうと俺も内心で思っていた。
こいつの穏やかな気性は、軍人向きじゃない。それよりも小学校の先生にでもなれば、きっと友人関係で悩む生徒はいなくなるだろうって程、こいつは周りの人間の気持ちがよくわかる奴だし、気立てだって良い。いや、学校の先生じゃなくっても、今の農家をついだってきっと良い跡継ぎになる。俺と大佐を迎えに来た時の馬の扱いだって大したもんだったし、こいつが早朝から牛や馬に餌をやって小屋を掃除していく様子を俺も部屋から見てた。テキパキとした動きはすっかり身についた仕事となっていた。
それより「やっぱり」という事は誰かにも言われたことがあるんだろうか。



「僕、兄さんにも言われたことがあるんです。お前は軍人向きじゃないって」
「兄さん?お前兄貴がいたのか?」
こくん、と頷くトムに、あの家にトム以外の息子がいたなんて初耳だ。そんな気配はなかったけどな…。




「僕の兄さんは軍人で、イシュヴァール戦のときは、マスタング大佐の部隊にいたんです」
















大佐さんとわたしは、しっかり『人間の匂い消し』を飲んで、山の中を歩いていく。
大佐さんはくんくんと自分の匂いをかいでこれで大丈夫なのか、と不安な顔をしていたけれど、そこはちゃんと信じて欲しいところ。そして大佐さんは両手にしっかり、錬金術を生み出すための発火布で作った手袋をはめて、いつでも戦闘可能ですといった様子。わたしも杖と箒を握り締めているんだから、ビビってる事に関してはお互い様だ。


「しかし妙な気分だ。これが子供の頃であればドラゴン探しなんてわくわくする冒険だったろうに、正直楽しくないの一言だよ」
「大人にはぁ、やらねばならぬぅ、時がある!」


なんだねそれは、とちょっと笑う大佐さんとちょっと笑って、せっせと山を登っていく。
フィディリス村へ来てから毎日登っている山だ。もうすっかり慣れたもの。大佐さんはマグルを立ち入り禁止にすると言ってからすぐに約束を守ってくれたらしく、山の入り口には真新しい看板で「鉱山跡の落石多し。調査が終わるまで立ち入り禁止」という看板ができていたし、住民には回覧板が回ってきた。きっと昨日、軍に行ってすぐに仕事に掛かってくれたんだろう。このバックアップはありがたい。



「この山道を一本向こうに行くとハイキングコースがあって、そことドラゴンの巣穴は随分遠いんですけど、ハイキングコースを更に登って一本きつい道へ入ると随分炭鉱に近くなるので危険ですね。多分ドラゴンだと思うのですが、大型の獣が通った後がありましたし」
「そのドラゴンというのは大体どれくらいの大きさのものなのかね?」
「2トンくらい?」
「に…っ」


後ろをついてくる大佐さんの気配がさらにげっそりとしたのを背中で感じる。
溜息をつきたいのはこっちだと更に溜息が漏れる。チャーリー・ウィーズリーとかいうドラゴンの専門家から送られてきたアドバイスは「礼儀をつくせ!駄目なら逃げろ!」なんていうすごぉく為になるものと、あとはドラゴンがいかに素晴らしい生き物かということを語った自身の研究レポートのみ。もう!研究者ってだいっきらい!!いやいや、実際は良い人かもしれないけど、この藁にも縋りたい状況においてはありがたすぎるアドバイスに涙が零れる。頭痛がする。


ほら、なんか幻聴まで聞こえるもの。



「夢子、何か聞こえないかね…」
「え?」


しっと黙って神経を研ぎ澄ませる大佐さんは、流石は大佐だという機敏さと緊張感で、わたしも息を殺して耳を済ませる。
……聞こえる。音の外れたバイオリンがギィギィとなっているような音がゆっくりとこちらへと近づいてくる。そしてその音に脅えたように鳥たちが大騒ぎしながら空へと飛び立ち、硬直して立ちすくむわたしと、音のする方を正確に捉えて前を睨む大佐さんの近くを狸や鼠や鹿が走り去っていく。人間に脅えるよりも、もっと怖いものが来るみたい。

わたしと大佐さんは顔を見合わせる。ど、ドラゴンだ!!!




「夢子、どうすれば良いかね」
「この薬は生き物の匂いを消しているから、嗅覚に頼っているドラゴンにはまず見つからない筈です。あの木の上に隠れましょう」
わたしは箒に跨り、大佐さんを後ろに乗せて地面を蹴って、大きなクスノキの太い太い枝にしがみつく。枝は太く頑丈で、まるでタイヤほどもありそうな太さなのでわたしたち人間ふたりがしがみ付こうと、隠れていようとまるで問題はない大きさだった。こんな時、ここが山奥でよかった、と感謝する。



わたし達が去ったあとも山道を動物たちがもの凄い速さで走り去っていき、ドラゴンの音はどんどん近くなっていく。
そして音が近づくにつれて、こんな大きなクスノキまでが震えるほどの振動が伝わる。2トンが地上を歩く衝撃は大木だって揺らす。流石の大佐さんも息を呑んで、緊張した面持ちで道を睨み、わたしも喉が異様に渇いていくのを覚える。匂い消しも飲んだし、ドラゴンに見つかることは絶対にないと分かっていても、自分のすぐ近くまでドラゴンが近づいている事がハッピーなわけがない。


緊張で握り締めた箒が手汗でぬるぬるとする。
心臓が喉のすぐ下に来たように、まるで頭の中にあるように、どくんどくんと五月蝿い。そして、ヤツはきた。
のっそりと大きな体を現したドラゴンに、大佐さんが思わず息を呑むのが伝わる。
まるで折りたたまれた蝙蝠のような羽。あの羽を広げたら全長8メートル、いや10メートルにはなるんじゃないだろうか。そしてでっぷりと太ったトカゲのような腹の間抜けな見た目とは裏腹に、その目は白く白濁しており、まるで冷徹なワニを思わせるように冷たい。大きな口にはびっしりと鋭い牙が生えており、どんな人間も重火器も物ともしないような厚い皮膚で覆われた体はこの世界の食物連鎖の頂点に立っているとしか思えない。
けれどおかしい。魔法省の報告書じゃスナウト種だって言っていたのに、このドラゴンは赤土のように褐色のウロコを持っている。スナウト種はシルバーブルーの皮をしているのに。



もう少しよく観察しようと身体を乗り出したとき、手前の小枝が折れた。
あっ、と思う間もなく枝はまるでスローモーションのように落下していき、ドラゴンの頭をかつんと掠めて、地面へと落ちた。



そして、顔を上げたドラゴンと目が合った。