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あ、しんだわ

ドラゴンに向かって落ちていく枝を魔法で止める時間もなく、無常にも枝は重力に引っ張られるまま、ドラゴンの頭を掠めて地面へと落ちていった。さぁーっと血の気が引いていく。ドラゴンがぬっと顔を上げ、確実にドラゴンと目があった。そのまま硬直して動けないわたしを、大佐さんがぐいっと勢いよくひっぱり、そのまま抱え込んで、木の陰に隠す。震えるわたしの口元を大佐さんがしっかりと押さえ、後ろから抱きかかえるように息を殺している。そして大佐さんだけは自身の肩越しからわずかにドラゴンの様子を伺っているらしい。耳元で大佐さんの心臓の音がよく聞こえ、永遠のように緊張した時間がゆっくりと流れていく。


やがて、ドラゴンはまたどこかへ向かってゆっくりと歩き出していった。
ドラゴンの足音がすっかり遠く聞こえなくなったのも気づかないくらいに硬直していたわたし達だったけれど、ようやく呼吸ができるくらいには落ち着きを取り戻した。



「あ、あぶなかった…」



どちらからともなくそう呟き、大きく息を吐き出した。
死ぬかと思った。死んだと思った。あの冷たい目と目が合ったのは初めてだった。動けなかった。まさにヘビに睨まれた蛙のように硬直していたわたしの命を救ってくれたのは大佐さんだった。
お礼を言って、それからふと自分がまだ大佐さんの腕の中にいる事に気がついて慌てて身体を離すと大佐さんも状況を理解したのかわたしが枝から落ちないようにゆっくりと身体を引いてくれた。日本人にこのスキンシップは刺激が強すぎる!それにしても……



「こ、こんなに接近したのは初めてでした」
「まさか実在するとは……私も流石に肝が冷えた」


わたしはまだ内臓に氷水が掛けられたかのように冷たい。大佐さんのように、咄嗟に動くことができなかった。
身体を隠すことなんてできなかった。これが一人のときだったらどうなっていたんだろうか。どうしよう。怖い。怖すぎる。あんなのと戦えないよ…ハムスターになんて変えられない。怖い!!大佐さんはわたしのそんな気持ちを見透かしたのか、夢子、と名前を呼んで頭を撫でてくれた。どうしよう…あんなのと戦えないよ…!!



「ドラゴンはどうやら君の言っていたきつい方のハイキングコースへ向かったようだ。山道を立ち入り禁止にしておいてよかった。……しかし、あの様子ではいつ村に下りてくるかわからんぞ」
「…む、村へ入る道にはドラゴンの嫌う匂いを撒いてあるので、少しは時間稼ぎができると思うのですが、それもいつまで続くか…」


大佐さんのように落ち着いて話そうとするのに、まだ指が震えている。
駄目だ。こんなんじゃ駄目だ。だって大佐さんはマグルなのにわたしよりもよっぽど冷静だ。こんなんじゃ駄目だ。わたしは魔女よ!魔法省を代表してこの世界に生きる魔法生物の調査に来てるのよ!ドラゴンの一匹や二匹自分でなんとかできなくてどうするの!


「夢子、すぐ村へ戻ろう。私は軍へ行って避難訓練の計画を練ってくるよ」
「じゃあ入り口までは箒で行きましょう。今から徒歩じゃ日が暮れてしまいます」
大佐さんに箒を見せれば、大佐さんは少し嬉しそうに笑った。



「さっきは一瞬だったけど、実は一度乗ってみたかったんだ」と。













「僕の兄さんの名前は、ディーノ・ボリス。イシュヴァールではあのマスタング大佐の部隊にいたっていうのが兄さんの自慢でした。兄さんはいつも言っていました。当時は少佐だったのですが、マスタング少佐ほど優れた上官はいないって。少佐がいたから自分は生きて帰って来られたんだって。兄さんは少佐が新聞に載るといつも嬉しそうにこの人が俺の命の恩人だって言っていました」



そう話し始めたトムに、俺も黙って話しを聞く。
イシュヴァール。あの時確かに大佐はまだ少佐だった。大佐が英雄だとマスコミや軍に担ぎ上げられたのは、あの若さで国家錬金術師、そして国家錬金術師の中でも大衆受けの良いルックスをしていたから軍からのプロパガンダとして売り出されたという事もあったが、事実として、大佐のいた部隊は生還率が高かった。大佐は他の上官のように部下に突撃させといて自分は安全地帯から文句と命令が一緒になったような指示を飛ばすことなく、自分が真っ先に先陣切って兵士らの進む道を作っていった。そして退路も確保していたと聞く。


大佐は自分からはイシュヴァールの事なんて話しゃしないが、大佐の部下をやってりゃ嫌でも耳に入ってくる。
イシュヴァールで大佐がどんな人間であったのか。どんな兵器だったのか。どんなヒーローだったのか。




「僕もまだ学校に通っている頃から兄さんからマスタング大佐の話を聞いていたので、僕にとってマスタング大佐は絵本や物語の中のヒーローみたいな存在でした。僕、寝る前に何度もマスタング大佐の話を聞きました。大佐が怪我した仲間を衛生兵に渡すために一人で退路を作った話。マスタング大佐は部下に言われて退路を作っただけかもしれないけれど、僕はとても胸がどきどきした。そしていつしか兄さんみたいに、マスタング大佐のファンの一人になっていたんです。それで軍人の道へ」




大佐に憧れて軍に入る若者は少なくなかった。
マスコミや軍が宣伝する「イシュヴァールの英雄」に夢を見る理由は様々だが、トムのような純粋な憧れで軍に入るのは危険だという気がした。大佐も、軍人も、絵本や物語のヒーローじゃない。それこそ塔に閉じ込められたお姫様を救うためにドラゴンを倒すヒーローじゃない。倒すのはドラゴンじゃない。人間だった。そして戦場でヒーローになるというのは、一体どれだけの人間を効率よく殺したか、という事だった。



「それで、お前の兄さんは?」
「内乱から帰って、軍を辞めました。銃器を扱っている時の事故でひとさし指を失くしてしまって、銃が握れなくなったので…。そして家業を手伝っていたんですが、一昨年、交通事故で」


一昨年か。家族を失った人間にとっちゃ一昨年なんてまだ昨日の事のようだろう。
だからなのか、ボリス家ではことさら兄貴のことを思い出さないようにしていたんだろう。あの家には兄貴の気配はなかった。いや、もしかしたら家中に思い出が散っていたのかもしれない。ボリス家の夫婦も、本当は大佐を見て息子を思い出していたのかもしれない。もしかしたら俺達があの家に滞在することによって、ボリス家には居心地の悪い思いをさせているんじゃないだろうか、という思いが脳裏を横切った。



「でも、この事、マスタング大佐には言わないで。夢子さんにも」
「そりゃ良いけど…、なんでまた?」
「きっと大佐は僕の兄さんのことなんて覚えてないし、それに兄さんの事を知って、大佐が家で居心地悪くなったら僕は嫌です。今ハボック少尉に話したのは僕の甘えです。知られたくないけど、でも本当は知って欲しかった甘えです。でも少尉に話したんですっきりしました。だからこの話は忘れてください」


約束ですよ、とトムはにっと子供のように笑って、仲間のところへ走っていった。