9

「かの内乱のとき、地方部隊は指揮系統や住民への避難経路が確立していなかった事により起きた二次、三次被害の大きさから、このフィディリス村でもテロが起きた際の住民の退路を学習させておきたいと思います」



ミーティングルームでそう意見しても、反対する者は誰もいなかった。
集められたのは私とダグラス中佐を除けば皆将校であり中隊隊長程度の地位であり、大佐に意見する権限もなければ私としてもそう無茶な事を言っているという事もなかったので、反対意見が出るはずもなかった。連中の顔には「まぁ、面倒な軍事演習じゃなくてよかった」とか「軍総出の行軍や模擬戦闘じゃなくてよかった」と書いてあるのははっきりと読めた。
確かに、いきなりセントラルからやってきた熱血佐官が面倒かつ地方部隊には付け焼刃な軍事演習などをしてくるよりは、市民の為にもなるし、村でも防火訓練をする時期だったから丁度いいや〜程度の事だろうが、今回に関しては私はひどく真面目だった。


アレを見せられたら誰だって真面目にならざるを得ない!ドラゴンだぞ、ドラゴン!


錬金術師の最高権威である国家錬金術師である私からしても、ドラゴンといえば興味をそそられるモノなのは確かだが、できるならば戦いたくはない。夢子が硬直するのも無理はない。アレは戦車でも引っ張ってこない限り無理なんじゃないだろうか。それをあんな若い娘が、あんな頼りない杖と箒片手にあの恐竜のようなものを相手に戦うのかと考えると憐れすぎて掛ける言葉も見つからない。軍もなかなか横暴な命令を下すが、夢子の勤める魔法省とやらも無慈悲な組織だ。
この村の入り口に掲げられた看板のドラゴンのような、けっしてポップでファンタジーではありえない、生々しいほどのドラゴンに、普段は散々サボり魔だと言われる私も流石に本気になるしかなかった。



夢子は村の入り口を守るように、結界や堤防のようにドラゴンの嫌う匂いを撒いてあると言っていたが、百年の眠りから覚めて腹をすかせたドラゴンに一体どれだけ有効なのかは分からないと言う。しかも予想をつけていたドラゴンの種類ではなかったというのだから、本人の動揺も大きいだろう。今頃ボリス家のあの部屋に篭って上司と作戦会議をしているに違いない。


まずは村人の命だけでも守らなくては…!




「今回は、山側から敵が攻めてきたと仮定し、村人には山とは反対側の森へと隠れてもらいます。軍人であれば10分と掛からないはずですが、相手は民間人。子供もいれば老人もいる中、一体どれだけ手早く避難できるかが勝負です。そして村人があらかた退避した所を軍が小隊、中隊を二段編成で率いて敵に立ち向かうという事ですが、今回の訓練に当たっては村人の行動力を高めることが目的なのでここで実弾を用いての訓練は避けたいと思います」


村は周囲を大自然に囲まれている。
夢子にも相談したが、ドラゴンが攻めて来た場合、人間はまずドラゴンが飛行できない森へと入り大人しくしていれば家畜は駄目になってしまうかもしれないが、人間だけでも助かることはできるという事だから最悪この手で村人には避難してもらうことにする。実際、ドラゴンが攻めて来たとして、果たして地方連隊がどれだけの使命感をもってあの恐ろしいドラゴン相手に冷静に銃を扱うことができるかは不明だが、一応軍の動きも学習させて置くことにした。


そして連隊ごとの細かい指示や、村人への回覧板の作成、村民放送の指導などをし、避難訓練は明後日行うこととなった。
本来ならば明日やりたいところだが流石に村人にも事情があるだろう。この全ての時間がゆっくりと流れる村にあって、明後日に実行できるというのは物凄くスピーディーな事だとダグラス中佐は目を丸くしていた。




「それにしても、この訓練はまるでドラゴンが攻めて来たときのようだのぅ」
「ま、まさか」


中佐は冗談がお上手だ、と笑ったけれども、中佐の鋭さにぎくりとする。
この老人、良い勘をしている。いや、冗談かもしれないがこの報告書を読んだだけでそこまで連想することができるなんて、軍人として鋭い勘をしているのか、それとも脳髄までどっぷりフィディリス村の慣習が染み込んでいるのか…。



「この訓練が終わったら村で収穫祈願の祭りがあるから、ぜひマスタング大佐も一言スピーチしてくださらんか。都会から来た色男が華を添えてくれるなら、軍から急な予定を押し付けられた村人も気を許してくれるでしょうから」
「…喜んでやらせて頂きましょう」


やはりこの老人、なかなか油断できないお人だ、と内心で思った。











「そう!そうなんです!!だから言ってるじゃないですか!皮膚は褐色で、目は白濁色だったって!!報告書の種族と違ったんですよ……ええ、ええ、そうです。写真?無理ですよ!あの状況で写真なんて無理!!っていうかこっちにはまだスマホやデジカメなんてないんですからね!!はぁ?現地調達?カメラなんて私のちっぽけなお給料じゃ買えない高級品なんですよ!!」


暖炉に頭突っ込んで一人で喋っている様子は、ボリス家のみなさんには決して見られたくないと思いつつもそうせざるを得ない状況に泣けてくる。今までは暖炉から魔法省に向かって手紙を飛ばしていたけれど、いよいよ手紙なんてのんびりしたやりとりでは満足いかなくなって、直談判!と上司に掛け合うも、上司の返事はのらりくらりとしたいかにもお役所仕事って感じ。ああもう嫌んなる!!
多分、上司の執務室の暖炉の火にはわたしの顔がくっきり浮かんでいるのに、上司は何食わぬ表情で書類に判子を押したり、ゴブリンに何かを指示したり、メガネを吹いている。こんの野朗……可愛い新人部下が死んだって平気なのかしら。



「 君、君がかねがね申請しているように魔法生物の専門チームを送ってやりたいのは山々なんだが、連中も今はケンタウロスの人権会議で出払っているし、他の連中はヒトカゲがマグルの家を焼いたことの処理に忙しいんだ」
「じゃあドラゴンの専門家は!?」
「それはうちのお抱え組織ではないから、異世界へと飛ばすとなると長い長い手続きと法律の改正が必要となる。ざっと30年といったところか…」
「……に、人間の寿命はたった80年なんですからね!!ドラゴンやダンブルドアと一緒にしないでください!!」
「そうか、80年もあるのかね。君は日本人だから、もっと生きられるんじゃないのかね。確か百歳を超えるマグルも珍しくないらしい。日本人の寿命はヨーロッパのマグルに比べて随分長いらしいが、何か秘訣はあるのかね?」
「もう知りません!!」



電話ならガチャっ!と乱暴に受話器を切るところだけど、ここは暖炉。
わたしは暖炉から勢いよく顔を引き剥がしたけれど、勢いあまって思わず頭を暖炉にぶつける。いったーっ!と小さく叫んで涙目になりながら、もうこれもあれもぜーんぶ魔法省ののらりくらりとしたお役所仕事のせいだという事に決め付けて、散々スラング交じりに魔法省に文句を言ってやった。



そこへふいにドアがノックされる。
時計を見れば今は夕方の4時。こんな時間に誰だろう?ちょっと騒ぎすぎたかな…と反省しながら「どちらさま〜?」とのんきを装ってドアに向かって声を掛ければ、かえってきたのは「ベッキーよ」という声だった。わたしはすぐに魔法で部屋の内装をこの部屋の客間そのものに変える。これは魔法界のテントを応用した技術。見た目は小さなテントだけど中は広いっていうアレね。見た目は普通の部屋だけど、この部屋の空間一枚捲ればまた別の空間があるという事だ。マグル界に住む魔法族はほとんどがこうして見えているものとはまた別の空間の中で生活している。



「おかえり、ベッキー。今日はバター作りじゃなかったの?」
「バターはもう作ったわ。それよりなぁに、その顔。顔が煤だらけよ」



ベッキーがわたしの頬を人差し指でひと撫でして、それの指をほらと見せれば確かに煤がしっかりと付いている。
しまった。部屋は元通りにしたけれどわたしは暖炉に顔を突っ込んで汚れたままだったんだ。「暖炉に落し物しちゃって」という苦しい良いわけをベッキーは「ふぅん」と疑わしそうに見ていたけれど、すぐに顔を洗ってきなさいよとこの話題を流すことにしてくれたらしい。



顔を洗って戻ってみれば、ベッキーはわたしのベッドに腰掛けて、どこか浮かない顔をしている。
この村に滞在して二週間、同じ町から来た者同士ってことや、年が近いこと、そしてベッキーが大佐さんやトムにはあんなにつんけんとするけれど、本当はとても好ましい性格をした女の子だって分かっているので、わたし達の間にはまるで昔から友達だったような友情が芽生えていたので、わたしも心配になってベッキーの隣に腰掛ける。


「ねぇ、ちょっと散歩に行きましょう?もしかしたらそろそろ蛍が見られるかもしれないし」
「うん。そうしよう」


ベッキーの提案に、流石に蛍はちょっと早いんじゃないだろうかと思ったけれど、彼女がさっき流してくれたようにわたしもこの不器用でやさしい女の子の嘘を流してあげることにした。