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夕方が近づく田舎の空は、西の空から東の空まではっきりと見渡すことができるほど広く、西の空がぼんやりとオレンジのような、ピンクのような淡い色を帯びて光っている一方で、東の空はゆっくりと藍色が迫り、夜の訪れを告げていた。そして気の早い金星が一等星となりキラキラと光り、どこからともなくカエルや鈴虫たちの合唱が響き始めていた。
わたしとベッキーはぶらぶらとボリス家の裏庭から農場へと続く道を歩いた。
ベッキーはいつもよりずっと饒舌に、バター作りがどれだけ楽しかったかを話す。
マーサの家には分離機があるけれど、トムの家にはないから自分で一からバターを作らなくっちゃいけないからとんでもない大仕事だけれど、でもおいしいバターは職人が手で作るものだからあんなものはいらないわとか、自分の作ったバターは石鹸ほどの大きさでもかまわないから、町にいる家族に送ってやりたいわ、とか。わたしはうっかりクール便で送れば良いじゃないと言い掛けてそんなものはなかった事を思い出して慌てて黙った。この世界には、向こうの世界で当たり前に存在したもののほとんどがない。カラーテレビも、カーナビも、携帯電話も、パソコンも、飛行機も、新幹線も、音楽プレイヤーも、それから時間に追われ、機械に管理される人間の暮らしも。
この世界はあの世界が失ってしまった色んな素晴らしいもので満ち溢れ、みんなの手にゆったりとした幸福が行き渡るようにできた素朴な世界だと思った。
「ちがう。ちがうのよ。あたしが本当に言いたいのはこんな事じゃないのよ」
ベッキーはもどかしそうにそう言って、地面に落ちていた棒切れを拾って、その棒で八つ当たりするように軽く雑草を撫でたり弄んだりして歩いていく。
「もう!はっきり言うわ!ねぇ夢子、あなたトムの事をどう思う?あいつが軍人をやってるだなんてサイテーのジョークだと思わない?だってあのトマス・ボリスよ?あんなのんびりとしてグズなロバみたいな人、戦場ですぐに死んでしまうに決まってるわ」
勢いよくベッキーは顔を真っ赤にして唇を結んで震わせている。
その大きな綺麗な目は今にもぼろっと涙をこぼしそうで、わたしはベッキーの気持ちをはっきり理解する。
「そうね、確かに、自分にあった仕事があるんじゃないかなぁとは思うかな」
確かに、トムに軍人は向いていないと思う。トムなら今の家を継いだってきっと良い農家になれると思うのに。
それにしても……ベッキーはトムが好きなんだな。
そう思うと今までのベッキーの言動にいくつか納得のいくことを思い出す。いくらわたしでもこれは気づかない筈がない…いやちょっと遅かったかな。それでもあえてそこを指摘せずにぷらぷらとベッキーに任せるがまま散歩を続ける。
「夢子からも言ってやって。軍人なんかやめろって。…あたしがあんなに説得していたのに、セントラルからマスタング大佐なんてきたらトムの熱は冷めやしないわ。ますます軍にお熱よ」
「えっ、まさかそれで大佐さんにそっけなかったの!?」
ベッキーは少し気まずそうな顔をして、形の良い鼻をつんとそっぽ向けて、それから少し躊躇ったように頷いた。そうか。大佐さんが嫌われていたんじゃなくて、軍を辞めさせたいトムが傾倒する人が来たら逆効果になるから大佐さんが目障りだったのか。確かに、そりゃ最悪のタイミングで現れたようなもんだもんなぁ…。
「でも、ベッキーの言い分も分かるけどそれは大佐さんに罪はないんだから、あんまり冷たくするとちょっと可哀想だよ」
「仕方ないでしょ!あたしはこんな性格だし、一度つんとしたらずーっとつんとしてなきゃいけないのよ!」
怒り出したいのか、泣き出したいのかわからない表情をしたベッキーに、わたしはそれ以上何も言ってやることはできなかった。そして大佐さんは図々しいくらい懐が広い人だから大丈夫よ、と大佐さんには悪いくらいの慰めをして、ベッキーと手をつないで家へと歩き出した。
そして二日が経ち、いよいよ全村民強制参加の避難訓練となった。彼女はこの機会にドラゴンを捕獲するという。
酪農は比較的朝が多忙だということで行われるのは、日中となり、商家は店を締め切り、火事場泥棒対策に軍が警備をうろつかせ、子供達は普段とは違った村の様子に大はしゃぎをし、張り切った村長が空砲まで鳴らしてまるでご町内の運動会のような、すっかりお祭り騒ぎに変わってしまっている。…中佐はちゃんと村長に趣旨を伝えてくれたのだろうか、と心配になる。
しかもその村長も、できれば訓練に参加してくれと言ってあったのにわくわくとした顔でこの放送室に来ている。村長は見るからによぼよぼのご老体だというのに、この非日常を心から楽しんでいるらしい。いや、楽しまれても困るんだ、楽しまれても…。いっそこの村長をあの森へ連れて行きドラゴンに対面させてやったらどうだろうか、などと突拍子もない事を考えてしまう。しかし来てしまったものは仕方がない…。
あとはテキパキと始めてもらうしかあるまい。
ハボックが手渡して寄越したのは、この村の村民放送に繋がっているマイクだ。普段は夕方になれば童謡を流し、子供はそれを合図に家に帰り、外で仕事をする男達は仕事やめ、女たちは作っておいたキャベツのスープを温め始めるだの、そんな事のためにしか使われないマイクだが今日は違う。あらかじめ作っておいた原稿に目を通し、マイクに向かって話し始める。
『みなさん、緊急速報です。東部の森からテロリストが攻めてきました。すぐに家財をすてて、西の森へと避難してください。これは訓練です。慌てず、助け合って、落ち着いて避難してください。これは訓練です。繰り返します…』
そう私が冷静にアナウンスをしたというのに、横からマイクを奪って村長が叫んだ。『それでは、よーい!始めッ!!』
……おい、じいさん…私の話を聞いていたかね?
思わず睨みそうになるのを理性で堪えてマイクのスイッチをすかさず切ってやる。でなければいよいよ運動会のようなふざけた応援まで始めそうだ。スイッチを切られた村長は子供のようにふてくされ、ますます脱力しそうになる。頼むから真剣にやってくれたまえ…。
そして心なしか村の方でもきゃーきゃーわーわーと賑やかな、まるで運動会のような歓声が聞こえている。
さっき配られたプログラムには、この訓練の後、明日には村の収穫祈願の祭りが予定されていると書かれていた。今日はこうして料理を振舞う女たちも、家畜を絞める男たちも訓練に参加しているので準備ができないから明日にしてくれという事で明日になったというが、別にこの訓練に絡めずとも…と思わないでもない。ハボックなどは理由はともかく飲んで騒げりゃ万々歳という様子ですっかり親しくなった村の軍人らと約束をしていると話していた。
そういえば今日は夕方から日食だという。なんだか慌しい一日になりそうだ。
村人たちが一斉に避難してくれている今日、このチャンスを逃す筈がなかった。
魔法省が送ってくれていた対ドラゴン用の防火ジャケットを服の下に着込み、魔法薬を調合して作った熱さに強くなる薬や、人間の匂いを消す薬を飲んだわたしはすっかり戦闘体勢だ。これでドラゴンの吐く炎をいくらか防ぐことができるに違いない。魔法省に今日いよいよ捕獲に向かうことを知らせた手紙を出したけれど、返ってきたのはやっぱり「頑張りたまえ」という素っ気無い手紙一枚。そりゃそうか。魔法省の連中は平気でドラゴンだのXXXXXレベルの魔法生物を捕獲して後始末までするんだから、ドラゴンの一匹や二匹、当たり前なんだろう。杖や箒を握りやすくするために嵌めたグローブをぐっと握りしめて、わたしは森を進んでいく。
この仕事がひと段落したら、ホグズミートで極上のかぼちゃジュースでも飲んでやろうじゃないの!!