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まるで冬のバイカル湖のようにカッチコチに凍らせておいたというのに、ドラゴンは分厚い氷の層を突き破って、荒れ狂う湖から顔を出していた。怒り狂ったように撒き散らす業火は上空にいても顔を焼くように熱風が届き、思わず杖を握る腕で顔を覆う。うっかりすると眼球がカラカラに乾いていくようで、疲労に潤いを失った唇が凄まじい熱気でピリピリと痛んだ。
「なんて炎だ。あの距離からこの熱風ならば千度はあるぞ」
「帰りたくなってきましたか?」
「まさか!得意分野さ!」
そんな頼もしいことを言ってくれる大佐さんに急降下すると一言告げた時、ドラゴンがいよいよその巨体を湖から引きずり出し、コウモリのように骨ばった、まるで大きな船の帆のような翼を広げて空へ飛びたとうと大声を上げるのを呪文を叫んで杖を振り下ろし、また一撃雷を食らわせるけれどさっきほどのダメージは与えられず、そのままドラゴンは怒りのエネルギーを爆発させるように湖ごと引っ張りあげるような力で空へと舞い上がり、湖はまるで引きずられるように大きな波の柱を上げた。
「大佐さん、ドラゴンの弱点は目です!皮膚は分厚く強力な魔力を秘めた鱗で覆われています!」
「なるほど。…火山灰のお陰で導火線となる有機物がそこら中に散りばめられている。そしてこの乾いた空気、練成には持って来いだ」
そう大佐さんが言い終わるか終わらないかのうちにドラゴンが大きく口を開け、炎を吐き出すのをわたしが箒を操り避けた瞬間、大佐さんが大きく指を鳴らせば一瞬のうちに灼熱の業火がドラゴンを包んだ。やばい、ドラゴン死んでしまうんじゃ、と心配したのなんてほんの数秒、息もできないような真っ黒な炎の中から太古から生きるドラゴンが顔を出した。そして後方の守備を大佐さんに任せてわたしは箒を操りドラゴンの吐き出す業火を避け、いよいよドラゴンの標的はわたし達となった。
そして次にドラゴンが口をあけて炎が飛び出す進路を予測して箒をそらせた瞬間、大佐さんが「危ない!!」と叫び、わたしの視界に褐色の尻尾が飛び込んだと思えば次の瞬間にはわけもわからないうちに冷たい湖へと叩きつけられていた。
水中だからというだけでなく強すぎる力でドラゴンの尻尾に叩かれた衝撃で呼吸ができず、そして水面が足元なのか頭上なのかも分からなかったけれど、箒は失っても緊張に固まった右手が杖を握り締めていた事を確認して安堵し、落ち着きを取り戻したわたしは光が差込み真っ青な湖から光る水面へと泳いだ。
水面から顔を出して喘ぐように酸素を取り込み、大佐さんの姿を探せば大佐さんは凍った湖の上に立っていた。
夢子!とわたしの無事に声をあげてくれた大佐さんだったけれど、ドラゴンはわたしよりも業火を生み出す大佐さんへと目標を定めているようだった。そしてドラゴンが口を開き、逃げて!と思ったときには大佐さんも指を鳴らして焔を練成する。そして二つの焔がぶつかり合い、どちらも一歩も譲らないまま炎と炎が灼熱の地獄のように、生き物のように酸素を燃やしてぶつかりあいながら大きくなっていく。みるみるうちに湖の上には蒸発した水蒸気の薄い霧が発生し始め、凍った冷たい湖がすぐにぬるくなっていき、わたしのすぐ近くで凍っていた氷が溶け始めた。
まずい!大佐さんの発火布は濡れると練成ができない!!
大佐さんが立っている氷は目視でわかるほどにあっという間に溶けていき、わたしは慌てて湖から重たい腕を振り上げて呪文を叫ぼうとするけれど口を開ければ湖をどっぷりと飲み込むこととなり、魔法の繊細な呪文を唱えることができない。下手に何かを唱えれば、呪文は失敗するに決まっている!そうなったらどうなるか分からない!
迂闊に手出しすることもできずに、ただ呼吸さえ苦しくなり、肌がピリピリと熱く燃える戦いに目をそらすことも出来ずにどんどん足場を失っていく大佐さんにたまらなくなって、大佐さんっ、と叫んだわたしに答えるように大佐さんが声を上げた。
「焔は私の得意分野だと言っただろう!」
その瞬間、大佐さんの焔が爆発するように大きな力となってドラゴンの炎を打ち負かした。そしてとうとう足場を失った大佐さんが湖へと落ちて、ドラゴンがおののいた時、マグネシウムを燃やしたような真っ白な光が世界を多い尽くす。
目が潰れるほどの光に閉じていた目を恐る恐る開けば、まだチカチカとする視界の中で、ドラゴンがさっきまでの殺気の色を微塵とも見せぬ厳粛さで、わたしと同じように水面で浮き沈みを繰り返す大佐さんに向かって頭をたれていた。
「大佐さん!!!撫でて!!ドラゴンの鼻を撫でて!!!はやく!!」
な、撫でるだと!?こいつの顔を触れというのか!?と信じられないといった様子の声を上げた大佐さんだったけれど、ドラゴンが厳粛な態度でそっと顔を差し出したことに腹をくくったのか、手を差し出し、ドラゴンのその顔をそっと撫でた。
そして、ドラゴンが天に向かってひと声あげたかと思えば、湖の上空を覆っていた分厚い火山灰を含んだ雲が晴れ、ぽっかりと突き抜けるような晴天が現れた。天使の階段、というんだったろうか。分厚い雲の切れ間からまるで天使が降りてくるように白く輝く道の様な光が降り注ぐ。
────ドラゴンが、大佐さんの焔を前に服従した。
「トム、水よ!!次はどうしたら良い!?」
ベッキーはその華奢な腕に四つもの水をたっぷり汲んだバケツをぶら下げて戻ってきた。
その目はさっきまでの脅えた少女の顔ではなかった。瞳は爛々と燃え、頬は輝いている。いつもの、いや、いつも以上に気が強く、そして気高い少女の顔をしている事にトムはすぐに気づいた。そんなトムのそばにバケツを置いて、意志の強い目でトムを見返すベッキーに、トムは「馬鹿だなぁ」と呟くしかなかった。でもそれは果たしてベッキーへの言葉だったのか、胸を熱くする自分への言葉だったのかは分からなかった。多分、両方だった。
「そこの給水器からライラに水を飲ませてやってくれ!もう一時間も水分を取っていない」
「わかったわ!」
ベッキーはすぐに、牛舎の天井からぶら下った大きな赤ん坊ほどもある給水器を手際よく外して水を入れ、暴れるライラの口元へと運んだ。「良い子だから水を飲んで!!」とベッキーが祈るように叫んで暴れるライラの顔に飛びつき、給水器の先を大きな口をこじ開けて突っ込めば、ライラはまるで哺乳瓶から乳を必死でむさぼる赤ん坊のように水を飲みはじめた。
すると水分を得たことでリラックスしたのか、トムの腕を飲み込む肉の力が弱まった。そして、その時暴れる子牛の足の力をぐいっとタイミングよく引っ張った瞬間、つっかえていた足が子宮から正しい産道へと戻ったのをトムの腕はしっかりと感じ取った。
そしてトムが腕を引き抜き、体を放した瞬間、それまでもがいていた足の間から子牛の鼻先が現れ、トムがすばやく揃った四本の足に紐を絡ませ、声を上げる。
「父さん!母さん!体をしっかり押さえてくれ!いくよ…1、2、3!!!」
トムの掛け声に合わせて両親がより強くもがくライラの体をぐっと冴えつけ、ベッキーがライラの口から給水器を放り出して首根っこを押さえつけ、トムが絡ませた紐をぐっと引っ張った瞬間、まるで大きな卵が転がり落ちるように子牛が飛び出した。
「う、生まれた…!」
誰からともなくちいさく声を上げたとき、牛舎を、いや、村中を揺らす地響きが辺りを支配した。
いよいよ火山が第一回目の噴出を行ったのだ。トムやベッキー、そしてボリス夫妻が事態にはっと顔を見合わせて思わずライラを押さえる力を抜いたとき、ライラがゆっくりと立ち上がった。
そして血と脂に塗れまだへその緒が繋がったばかりの、この世に生まれ落ちたばかりの子牛の頭をそっと舐めた。
ライラが母牛になった瞬間だった。