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ドラゴンはじっと大佐さんから命令が下るのを待っている。
このまま大佐さんが何も言わなければ、ドラゴンは百年でも千年でも永遠に大佐さんの命令を待ち続けるだろう。
……すごい!!すごい!すごい!すごい!!大佐さんが勝った!!!ドラゴンに勝ったんだ!!!!


「大佐さん!大佐さんはドラゴンに勝ったんです!このドラゴンは大佐さんに服従したんです!今なら大佐さんはこのドラゴンになんだって命令ができるんです!」


わたしはすぐに、まだ何が起こったか分からないまま立ち泳ぎをする大佐さんの元まで泳いでいき、大佐さんに少しの間わたしを水からあげてくれるように頼んだ。大佐さんは「お安い御用だ」と片腕でわたしの腰を掴んで、水面から顔を上げさせてくれる。細くてもやっぱり男の人なんだな、とこんな時なのに大佐さんの強い力を感じてちらっと考えるほどにはわたしは冷静になっていた。


「Accio!!」


そう叫べばドラゴンに叩きつけられていた時にどこかへ飛んでしまっていた箒がわたしの手の中に飛び込んできて、わたしはそのまま箒によじ登り、大佐さんに手を差し出した。けれど次の瞬間にはまた湖に逆戻り!突然の事態に溺れるように喘ぐわたしを大佐さんがぐいっと引っ張りあげてくれる。慌てて箒を見れば、それはぼっきり折れてしまっていた。
魔法界一頑丈な樫の木で作ってあったのに!!!



「夢子、今君は私ならばドラゴンになんでも命令できると言ったね?」
「はい!……ドラゴンはその命をかけて、大佐さんに永遠の服従を誓いました」
「それは素晴らしいな。ならばまずは水から引き上げてもらおう」


大佐さんがそうドラゴンに命令すれば、ドラゴンはわけもないと言わんばかりにとても大人しく、神聖なものにでもするようにわたしたちが立ち泳ぎをする湖に顔を埋めて、ゆっくりと顔を上げていけば足元にドラゴンの頭がぬっと地面となって現れる。そしてドラゴンがそっと首を持ち上げれば、まるで滑り台を滑るようにわたし達はドラゴンの背中へとしがみついていた。








「始まっちまったか……」


避難した村人がいる山を揺らす衝撃と共に、火山が大きく煙を上げるのを俺達は見た。
山を覆っていた鈍く重たい煙はいよいよ空を埋め尽くすように広がり、青空を掻き消されるのと比例して村人たちは顔から色を失っていく。そして口々に村や残してきた家畜や田畑への言葉と共に膝から崩れ落ちる者や、家族と手を取るもの、涙を滲ませる者たちで溢れた。あがる噴煙の中には時折赤い光がちらつき、それがなんであるかはもはや口にするのも嫌だった。おいおい…、勘弁してくれよ、と祈る神様なんて持ち合わせていなくとも、つい口から漏れた。泣き出す兄妹達をそっと腐葉土の上に降ろして、抱き締めた。



「大丈夫だ。ここにいりゃぜってぇに大丈夫だ」
「これからどうなるの?」


けれど女の子のその質問には答えられなかった。
ただ上空から雪のように降り出してきた火山灰に、人々が動揺するのを聞きつけ、すぐに立ち上がって声を上げる。


「さっき持って来たシートを切り刻んで、ワインでもジュースでもなんでも良いから湿らせて配れ!!呼吸器官をやられるぞ!!」
それから、と次々に村人をこの火山灰から守るための指示に声を上げれば、この一日ですっかり頼もしくなった新兵たちがテキパキと走るように作業を行い、背負っていた装備の中から出した水分を含ませて村人達に配りだした。
その時、山の麓から二人の兵士が山を駆け寄ってきた。あの顔は本部の面子だ、と思うやいなや兵士たちは俺に向かって叫んだ。



「ボリス家がまだ村に!!」
「なんだって!?なんで置いてきた!?」
「牝牛が出産を始めたから、訓練には参加できないと…、しかしその時は晴天で、こんな事態でなく…それでこちらへ合流し始めたときに…」


息を切らしながら必死に持っている情報の全てを吐き出そうとする兵士たちの事情はよく察した。
そして俺はすぐにここにいる軍人の中でも頼りになる面子を選び、次の指示を細かく言いつければ「まさか、少尉…!!」「駄目ですよ!!」と止める腕を「大丈夫だって!すぐ戻る」と振り切って腐葉土の谷へと飛び込んだ。あぁっ、という声が上がるのを背中で聞いて、体を丸めてそのまま転がり落ちた。そして立ち上がり、心配そうに見下ろす部下達に「お前らは持ち場を死守しろ!!」と叫んで山を駆け出した。














「すごい。まるで童話のようだ」


夢を見ているようだよ、と大佐さんにしては随分ぼんやりとしたことを笑みと一緒に早口に吐き出した言葉にお互いに顔を見合わせ、その熱いドラゴンの肉体をしっかりと掴んで笑いあったのもつかの間、また山が大きく震えた。そうだ、まだ大きな問題が残っていた。



「火山をなんとかしなきゃ!!このまま溶岩が溶け出したら、村がなくなっちゃう!」


そうわたしが叫んだ瞬間、ゆっくりと辺りが暗くなっていく。
今はドラゴンがその身の純潔を天に証明するために雲を青空に切り取ったのに、なぜ?けれど顔を上げればすぐに答えは分かった。―――――日食だった。
光り輝くドラゴンの姿をゆっくりと曇らせていくのは、大きな太陽をゆっくりと覆っていく月の影だった。そうだ、今日は日食だったんだ。流石のドラゴンも天気は操れても天体は操ることができないらしい、と妙に納得した。



「夢子、火山をなんとかするってなんとかできるのかね?相手は自然災害だぞ?」
「火山を止める事は自然の歯車を狂わせる事だから、この活火山をただの山にする事はできません。でも、溶岩を噴出す原因となるガスを抜くことはできます。山にゲップをさせれば良いんだもの」


にっと笑ったわたしに、大佐さんはすぐにはっとする。頭の良い人って素晴らしい!話が早いわ!
熱く煮えたぎる溶岩を魔法で水に変えてしまうことは、この山の生態系を変えてしまうことだからいくら魔女だからってやって良いはずのない魔法だけれど、でも火山が噴出すのは中にたまったガスが爆発するからで、ならばそのガス抜きをしてやれば火山は噴火しない。だから溜まっているガスを抜いてやらなくっちゃ!



「大佐さん、ドラゴンに命令して、わたしを火口まで連れて行って!」
「しかしそれでは村人にドラゴンを見られやせんかね?」
「そこはほら、日食の暗さが隠してくれるはず」


なるほど、と口角を持ち上げた大佐さんは正義のヒーローというよりも、悪戯を思いついた少年のようだと思った。
そして百年に一度の味方をつけたわたし達は、空高く舞い上がった。
















太陽を影が飲み込んでいった。

ただでさえ鈍く光る火山灰の雲が青空をゆっくりと、しかし確実なスピードで侵食していくことに脅えた住人たちは、もはやつい数時間前までのような気楽な気持ちで世紀の天体ショーを楽しむことはできなかった。日食はただの宇宙の現象であり、今現在このフィディリス村に悪影響を及ぼすことのない一時的なものだということは十分に分かっていても、それでも暗くなっていく空に、心に不安が生まれる。



村を守る軍人であり、そしてこのフィディリスに半世紀以上住んだ一人の村人として、ダグラス中佐は軍本部に残っていた。士官たちは全て避難させていた。しかし、自分はここに残りたいと言い、口々に声を上げて避難することを主張する若者達に、静かな声で「これは命令だよ」と告げた。軍隊という組織は日常にあって非日常の組織だ。


戦場という非日常が日常になる中、命令、というものは絶対に守るべき唯一のものだった。
この命令を守ることができなければ、戦場という非日常に飲まれた個々は脆く崩れ去っていく。だから決して動かず道を指し示す規律という灯台をしっかりと植えつけられるのだ。ましてや士官学校を卒業し、その細胞全てにそのルールを植えつけられている若者たちにとって、絶対的な存在である上官からの「命令だよ」の言葉に逆らうことはできなかった。


「命令だ。お前達は避難しなさい。私はここに残る。さあ、駆け足!」


そう言われれば従うしかなかった。
皆が悔しさに唸り声を上げながら走っていくのを満足して見送った。ここに残ると最後の最後で我を通したのは、まだ期待しているからだろうか。18の時、自分は確かに見た。真っ青な空へ向かって飛んでいくドラゴンを。あの一瞬の光景が自分の人生を決めた。以来、なんどセントラルからお呼びがかかろうと、ダグラス中佐はあの手この手でフィディリスに留まり続けた。この村の娘を嫁に貰い、もう自分は死ぬまでこの村であろうと考えていた。最後にここに留まったのは、船長が船と共に死ぬというプライドか、それともこんな状況でまだフィディリスにしがみ続ける己の夢か。



随分静かになった頃合を見計らってダグラス中佐は本部から外へとゆっくりと出た。
もう足元には火山灰がうっすらと積もり、外に出ただけで喉が締め付けられるようなイガラっぽさを覚えて咳き込む。
けれど咳き込めば咳き込むほど、降り注ぐ火山灰を肺に含んでしまい、喘ぐように呼吸をしながら頭を上げたとき、その光景がダグラス中佐の目に飛び込んだ。


────銀色に光る雲を引き裂く、ドラゴンだった。





にっこりと微笑んだ中佐の瞳が、涙できらきらと輝いた。