最終話


もうこの際だ。どうとでもなるしかない。

ライラの後産を終え、血で汚れた軍服を脱いで、上半身裸になり、すっかり水を浴びて体を清潔にしたトムは牛舎から自分の生まれ育った村に降り注ぐ不吉な火山灰を見上げた。不思議と憎いとは思わなかった。銀色に光る空から降り注ぐ火山灰は、まるで昔見たモノクロ映画の雪のシーンのようだとふと考えていた。

その時、雲の切れ間で何かがキラリと光った。
なんだろう、と目を凝らすまでもなくまたそれはキラキラと光った。ドラゴンだった。ドラゴンがまるで川で光る魚のようにその体を光らせて、また雲の中へと消えていった。そしてトムの胸の内で、じわりじわりと熱い血潮のようなものが込み上げていた。それは泣き出したくなるほど幸福な気持ちだった。────僕のこの腕が、ひとつの命を救ったんだ。


その時隣に誰かが立つ気配に顔を向ければ、それはベッキーだった。ベッキーも空を見上げている。ベッキーにも、ドラゴンは見えている筈だったけれど、二人とも声を上げることなくどちらからともなくそっと手を握った。


「僕、軍をやめるよ」
「それが良いわ。あんたに似会うのは、立派な農夫で、そしてあたしの夫よ」


トムとベッキーは、ただ静かに握った手を更に強く、もう二度と離れてしまわないように強く、握り締めた。
そして息を切らしながら走ってきたハボック少尉に、ベッキーはそれはそれはやわらかい、幸福に満ちた笑顔を向けた。












火口まで近づくと夢子が術を掛けてくれていたというのに随分と目が痛んだ。
けれど夢子はそんなこともものともしない様子で、ドラゴンの背中に立ち上がり、両手でぎゅううっと杖を握り締めた。その足元を支えながら夢子を見上げれば、夢子はいままでにないほどに集中しきっているらしく、震える体から、魔力なんてものを一切持たないこの私にまでピリピリと肌を痺れさせるような力が放出されているのだと分かった。


そして、夢子が息を吸い込み、呪文を唱えて杖を振り下ろした瞬間、火山が一瞬膨張するように揺れたかと思うと、すぐにしゅうううううううううううう……!!!と地球のように巨大な風船から空気が漏れていくような音が響き、その音と共に上空へと舞い上がった風が分厚い火山灰の雲を蹴散らし始め、雲が晴れていき、日食により暗くなった空が現れるほどだった。
夢子はそれを見届け、安堵したのか足元から崩れ落ちた。


「よくやった。君は任務を果たしたぞ、夢子」


気を失った夢子の煤で汚れきった頬を拭ってやれば、自分の発火布も焼ききれていることに今更気がついた。
あの瞬間、自分が未だかつで出したことのない程の巨大な焔を上げたことを知る。そしてそれ以上に、夢子はすっかり力を使い果たしてしまったんだろう。まったく、子供というのは大人の目がない所で無茶をする。私はすっかり馴れたドラゴンの首根っこを叩いた。



「さぁ、地上へ。事後処理でいっぱいだ」












目を開けると、大佐さんが沢山の人に取り囲まれているところだった。
尖った帽子や足首まで届くような長いローブを着た人達がいるかと思えば、キャリアウーマンのようなピンクのスーツを着た派手なおばさんに何やら質問攻めになっていたり、マグルのスーツのような格好をした人たちが杖を片手に次々と空中で書類を書いていく。その足元を屋敷しもべが巻物を抱えて歩いていく。…ああ、いやだいやだ。とうとう大佐さんが魔法界に来る夢まで見てるみたい。


うーん、と寝返りを打って、ふいにクッションが妙にリアルだと感じてゆっくりと目を開ける。「マグルがドラゴンを服従させただなんて紀元前以来始めての事ですのよ!実に一億年ぶり!」「私が一億年ぶり…」「あら、でも彼のケースではマグルで良いのかしら?」「マグルはマグルだろう。魔法族でないのだから」「しかし彼は錬金術を使うぞ。それもわしらの知らぬ錬金術を」「あらあらけれどどうして英雄って皆男前なんでしょう!ん〜っ、素敵!」困惑する大佐さんを物ともしない自己主張の塊って感じのおばさんの声には聞き覚えがあった。日刊預言者新聞の記者だ。前にグリフィンドールのシーカーを取材してた時の強烈なインパクトで覚えている。


ああ…一体どういう事よ、と寝かされていたベッドから身体を起こせば、部屋中魔法族だらけ。ほんとどういう状況?……そうだ!!



「火山は!?」


そう声を上げたわたしに一斉に目が向けられる。そして焚かれる沢山のフラッシュに目をちかちかさせるわたしの前に、人を掻き分けるようにして大佐さんが顔を出した。その表情が優しくて、わたしは万事うまくいったんだ、とわかった。













「ジャンは?」


わたし達がいたのは魔法使いのテントだった。
見た目は小さな一人用のテントだけれど、中には無限のような空間が広がっていて、そこに沢山の魔法使いがゆったりとしたスペースを持って詰めかけ、この魔法史始まって以来の事態に興奮気味に次々と議論を交わしていた。取材や立て続けに起こる魔法の現象にすっかり疲れきった大佐さんとテントを抜け出してみれば、そこではドラゴンが大人しく、まるでお座りをする犬のようにしていた。マグルに見つからないか心配になったのも一瞬で、これだけ魔法族がいれば厳重にマグル避けの呪いが掛けられているだろう。


そしてこのドラゴンはこのまま魔法界に送られる。
千年もこの土地で生きたドラゴンは、魔法界の既存の種族とはまた違った独自の進化を遂げたドラゴンとなっていたようで、向こうで研究者が今か今かとこのドラゴンの到着を待ち望んでいる。きっとあのチャーリー・ウィーズリーとかいう研究者が。でもあの研究レポートから察するに、チャーリーはドラゴンを愛してやまないようだから、絶対に、この子を悪いようにはしないだろう。


そして大型犬でも撫でるようにドラゴンの頭を撫でる大佐さんに質問すれば、「大掃除さ」と笑った。








村への被害は降り注いだ火山灰だけ。
村人たちはすぐに村に帰って、大掃除。それも世紀の大掃除!
今頃ボリス夫人が雑巾を持って自慢のテラスを掃除して、トムのお父さんが相変わらず無口で夫人に言われるがまま箒で火山灰を集めている様子がはっきりと想像できた。


「この村の者達は逞しい。今度はこの火山灰を使って何か観光アピールになるような商品はできないかと考えているらしい」
「あ、それなら……ううん。なんでもないです」


それなら大根育てたら?とか洗顔料にしたら?なんて言い掛けてやめた。
そんな事はこの村の人たちが自分達の手で見つけていくべきものだった。そしてこの村の人たちだったら、自分たちで、また村を復興していくことができるだろうとわたしは分かっていた。


そしてジャンがこちらへ歩いてくる。
その腕には抱えるようにしてたくさんの書類が乗っている。きっとこれから大佐さんに降りかかってくる事後処理の山なんだろう。それに気づいた大佐さんは心底苦々しい顔をしてからぱっと表情を明るくする
「そうだ。こいつに頼んですべて片付けてもらおうか」
「だめです。大佐さんのお仕事ですからね」
大佐さんは「ちっ」とまるで子供のように舌打ちをしたかと思うと、ゆっくりと歩き出した。
そして振り返って微笑む。




「さぁ、夢子、セントラルへ帰ろう」



村から涼しい風が吹き、わたしの髪を巻き上げた。
夏は終わり。もうすぐ秋がやってくる。この村のすばらしい土と水をしっかりと吸った栄養たっぷりの野菜がたくさん収穫される。そしてボリス婦人は赤い鍋に野菜をたっぷり入れて熱いシチューを作り、おじさんは金色に輝く麦の収穫を始める。村の草木がゆっくりとその青々とした葉を金色に輝かせ、村はまた、美しい季節を迎える。そして永遠のように、この村でのすばらしい日々が続く。




「じゃあ駅まで競争!」



おっさき〜!と大佐さんの肩を叩いたわたしや、ずるいぞ!と声を上げて走りだした大佐さんや、「アンタ仕事まだ残ってるだろうが!」と叫んだジャンをドラゴンがいつまでも見守っていた。