あの頃は、毎日が嘘みたいにバカバカしいほど派手な時代だった。
子供時代、というものが全ての人間に等しく与えられていたとしても、その時代がどんなものであったのかは等しく与えられているわけではなかった。士官学校時代に、食事やベッドを共にしていた赤毛の女性と見たトーキー映画は、リーダーシップに溢れた厳格な父親がいて、厳しくも愛情深い母親がいて、少しおませでキスを夢見る少女と、生意気で可愛らしいちいさな坊やと大きな白い犬がいる家族の物語だった。恐ろしく退屈な映画のストーリーはちっとも覚えてはしないが、スクリーンに映る彼らの生活のその一つひとつが、自分が過ごした子供時代とはまるで違ったものであり、物珍しく映ったことだけは覚えている。
立派な口髭を生やした父親も、クッキーを焼く母親も、庭の花を摘んで髪飾りをつくる姉も、機関車のおもちゃを持ったちいさな弟も、私は知らない。
あの頃、私は確かに12歳だった。
1897年の12月31日の夜だった。
アメストリスでも一、二位を争う東部の工業都市であるブルックルスも大晦日ばかりは町中がどこか浮かれ切っていて、何もない片田舎から出てきて私は、前から後ろから家路やパーティー会場へと向かう大人たちにぶつかり、戸惑い、避けようとしておたおたとして、さっさと目的地へと歩く役人に置いていかれないようにするので必死だったような気がする。私を連れて歩いた役人の男、もう彼の顔も覚えてはいないが、枯れ木のようにやせ細り、割れたガラスや針金を集めて作ったように神経質な男の雰囲気だけはなんとなく覚えている。ブルックルスへと向かう列車の中で、私がすっかり擦り切れた探偵小説のペーパーバックを大事にまた読み返している間、男は貧しい三等車の社内の混雑や臭いに苛立ったように、とんとんとんとんとんとん、と窓枠で指を鳴らしていた。その神経症の男が、私と、栄光の頂点のようなマダムを引き合わせた。
雪が降っていた。
今よりもずっと産業廃棄物に甘い時代だったのだろう。ブルックルスの町並みは、一般家庭から工場に至るまで、空を覆い尽くすような煙突から噴き出る黒煙によって薄汚れ、ノコギリ屋根の工場群に掛けられた安くて薄いガラス窓が寒風にバリバリと音を立て、橋に掛かった街灯に照らし出された川は廃油のせいか七色の虹に泡立ち、時々胸を悪くするような匂いがした。そんな町を神さまが白く消し去ろうとするかのように、ぼちゃぼちゃとした重たい雪が次から次へと黒い空から降りて、街を白く染めていった。
寒くて、寒くて、堪らなかったことも、よく覚えている。
家を出るとき、父親が着せてくれた一張羅が秋物だったのだ。
上等の服は、もうそれしかあの家には残っていなかった。子供につぎはぎだらけでサイズも小さなコートを着せるよりも、上等の薄いベストを着せておく方を選ぶのだから、体裁ばかりを気にするあの人らしい、と今でも思う。落ちぶれた、という事を受け止められない人なのだ。
そうやって連れていかれたのは、歓楽街だった。La Femme そこが店の名前だった。
工業地帯に吹いていた、刺すように冷たい風も、薄暗さも、辛気臭さも、全てが吹き飛ぶような騒ぎだった。店では着飾った男女や、女装した男、男装した女、同性愛者、シルクハットの紳士、若い兵士、学生、娼婦、靴屋の娘…そういった色んな人種の人間が広い店内に溢れかえり、キスをして、スラングだらけの曲を歌いながら踊り狂い、しかし物陰では葉巻をくゆらせながら男たちが何か政治的な話をしているのが漏れ聞こえていた。役人の男がまるでこの世の地獄を見たかのような顔をして「神様!」と小さく叫び、意を決したように私の手を掴んで、人ごみを押しのけかき分け、酩酊しきって当てにもならない連中の中から必死に誰かを探した。私は彼が人波を泳ぐようにもがき進む中、これはとんでもない事になったぞ、という気持ちで興奮していた。全くの喜びの気持ちからだった!
「あーあ、まだ離婚調停中だってのに、子持ちになっちまうなんてね」
それが、男が背徳者たちの宴の中から、ようやく探し出したマダムの第一声だった。
言葉とは裏腹に、マダムは微笑んでいた。とても美しい人だった。
切れ長の釣り目には、とても上品な線が黒々と目尻まで長く引かれ、若い娘が付けるような淡いピンク色ではない、「毒」を思わせるような派手な赤い口紅を、躊躇なくその薄い唇に引き、その頃の女性の髪型としては珍しく、耳元で切りそろえたコケティッシュな黒髪をさらさらと揺らしていた。
「この目!あの神経症の弟にそっくりだこと」
彼女は、笑っていた。
けれどこの切れ長の目は、彼女にも似ていた。マダムの目の形が自分に似ている事が、何故か、とても嬉しかった。
そうして私は、父の姉である彼女の息子となった。彼女は、私に「ママ」とは呼ばせなかった。いつも「マダム」と呼ばせる事を好んだ。そしてその方が私にとっても負担ではなかった。もしも突然暖かい一般家庭に引き取られ、過去の何もかもを忘れさせるように「ママ」を求められていたら、私という人間と「ママ」の間にはどこかで溝が生まれていたのではないだろうか、と思う。マダムはその辺の厄介な性格を理解していたというより、一人の恋多き女性として生きるために「マダム」を求めたのだとしても、私にとっては「一番良い方法」だった。
それまで、父の体裁のために厳しい躾けをされ、傍目には坊ちゃんのように見えていただろう私と、ショーパブの女主人との間に流れる生きてきた時間の色は全く違うものだったが、私と彼女は妙に気が合った。彼女の感傷的でない物言いや態度は、私を「親を失った可哀想な子供」にはしなかった。
ロイ・マスタングという一人の人間として扱った。
本当に、派手な時代だった。
彼女は12歳になったばかりの私を連れて、町中の酒場へと連れて回り、色んな人間に紹介した。なぜこんなに沢山の人に挨拶をしなくてはならないのか尋ねた私に、彼女は咥えていた香タバコを指で挟んで、やけに真面目な顔をして私の目を覗き込んだ。
「あたしは子育てなんかした事はないからね。この街の大人に育ててもらいな。もちろんクズばかりだから、あんたは誰を手本にして、誰を反面教師にするか、自分で考え、自分で選びな。あんたは賢い子だから、その辺のさじ加減をよく分かっているだろう。ここには医者も政治家もお坊ちゃんも学生も飲んだくれも借金持ちもルンペンも犯罪者も梅毒持ちも、なんだっているんだ。あんたは、自分の心がけ次第でここの奴らの中の誰にだってなるんだからね」
なんという親だろう、と今なら笑ってしまうが、温室に閉じ込めてお蚕ぐるみで育てるよりも、よっぽど図太く無神経でいて、抜け目ない大人になれたのは彼女のおかげには違いない。あのスパイシーな香りタバコ。裸体を惜しげもなく晒すようなドレスを光らせる女たち。タキシードを着こんで踊り狂う男たち。物陰でのセックスのようなキス。多感な少年時代を過ごすにはあまりに刺激的だったが、マダムは店の女の子達が少年の私に手を出すことや、酒や悪い遊びを教えることを固く禁じていたのは察していた。そしてそれを実行する為に、私とマダムの住む家には男を連れ込まないことを守ってくれた。その辺のところは、彼女としてもルールを作っていたようだった。
彼女はあの工業地帯の町にあって先進的な女性だった。
町のマドンナといっても過言ではない派手な生活をしていた彼女を信仰する知識人は多く、彼女はそれらの老人から吸い取ったビジネスや政治の知識、上手に世渡りする術を得た賢い女性だった。だから彼女は私を、あの地区では珍しく高等教育へと進めるために惜しみなく金を使ってくれた。おかげで私は今でも全く頭が上がらない。
彼女は「良い母親」にはなろうとしなかった。
だが「良い大人」であろうとしてくれた。
毎日が、一発上がっては破裂する花火のように派手なことが続き、引き取られてから一年が過ぎた。
担任だったミスギャレットが難関私学への合格通知を狂喜乱舞で家まで持ってきた朝、父親が死んだという電話を受けた。
夜の仕事をしているマダムはまだ深い眠りの中で、右手に合格通知を持ち、左手で受話器を握ったまま、奇妙な感覚の中で立ち尽くした。
暑い日だった。
嘘みたいに真っ青な空が広がる夏の日、父の葬儀を終えた教会の会衆席で、マダムはじっと私の手を握っていた。あまりに急な事だった為に、店の女の子の弟から慌てて借りた少しキツイ冬の喪服には、背中や首や胸に次から次へと流れる汗が染み込んだ。マダムが握りしめる手も汗でびっしょりと濡れたが、マダムは構わず握っていた。私が泣き止むまで、マダムはそうしていた。
彼女が正式に私の戸籍を移したのは、1899年8月19日のことだった。
私が夜の女王の息子となった日だった。