ケイン・フュリーの場合


あっ!ハボック少尉もブレダ少尉も、もう飲み始めてるんですか?あ、ファルマン准尉まで!
人に夜食作らせて置いて自分たちだけ始めちゃうなんて…ねぇブラックハヤテ号……って、君もオヤツ貰ったのか。
先に飲み食い始めて、大佐が帰ってきたらスネちゃいますよ。あの人あれで結構仲間はずれされるとスネるんですから。

えぇ?暇つぶしに僕の子どもの頃の話ですか?
えぇ…そんな、なにもないですよ…っていうか人の青春暇つぶしですか…。もー、ハボック少尉、食器をカチャカチャ鳴らさんでください。そんなにせっついても、どうせ僕に色っぽい話なんて出てこないですからね。
後でつまらないなんて言わないでくださいよ…。


えっと、じゃあ、このシチューができるまで。



父は銀行屋でした。
といっても西部の田舎の小さな町の銀行だったから、「父親が銀行で働いている」という言葉を聞いたときのあらゆる特権的なものは何もなかったし、ほとんど農家みたいなものでした。兼業銀行員でしたしね。
うちはセントラルの中流階級以上の家庭のように、子供を寄宿舎に入れたり、母親がサロンや倶楽部、婦人同好会や教会活動に精を出すようなお金持ちでは全くなかったし、銀行屋というより、あのあたりの田舎一体はみんな農家だったんです。郵便屋さんも、学校の先生も、列車の機関士さんも、電話通信士さんも、みんな大なり小なり畑を持っていて、土が生活の中心でした。収穫の時期になると銀行だって昼には閉まってしまうほどなんだから、セントラル銀行の総裁が聞いたら卒倒してしまいます。

唯一、銀行屋っぽかったのは、紫の親指です。
ほら、昔って新札や新聞のインクの配合が旧式だったから、アイロン当てて乾かさないとインクが指や袖に付いたじゃないですか?それが毎日の事だから、父の親指だけ、いつも紫色をしていました。あの親指だけが、父さんが銀行屋だって教えてくれました。

夕方になる頃、父さんが古い自転車をキコキコ鳴らして帰って来る。
そして日が暮れる前に家の裏の畑からバジルやアスパラガスやトマトをいくらか収穫して母さんに渡し、僕たち兄弟にも手伝わせて、いくらかの雑草を抜いて、鶏に餌をやって、苗木の成長を確認する頃、あたたかい夕食の準備ができた。

12歳の僕は父さんの見よう見真似で、父さんの自転車に油を差したり、何度締めても緩んでしまうサドルのネジを締めたり、父さんと一緒にジャガイモを掘ったり、バジルに這うアブラ虫をピンセットで摘んで駆除したり、僕の仕事として与えられた家中の時計のネジを回したりするのが好きでした


あの頃の気持ちはなんて言ったらいいのか…とても、特別でした。
田舎の、遮るものがなにもない、ただっぴろい空がとろけるようなピンク色になって、雲が金色に光り、東の方から藍色になって、やがてうっすらと白い月が浮かび、北西にはベガが明るく白く光って、やがてデネブやアルタイルが姿を現し、うす蒼い空をアブラコウモリたちの小さな影が飛び交い、ブナやハシバミ、オークの葉が夜風に揺れて波のような音を立てる。僕は夕方の透き通った風を感じながら、父さんに一日の出来事を話すんです。

世界がとても身近で、やさしくて、僕はとても小さな存在で、だけれど決して卑下するわけじゃなくて、小さくても役割を持って生まれて、この世界に生かされているという気がしました。

少年のころにだけ、目に見えていた世界の秘密、だったんだと思います。


ある時、みんなが一度はそうしたように、「なりたい職業」の作文を書くという宿題が出ました。
僕の担任だったミスリペットは、30歳を少し超えた位の年齢だったけれど、まるまるとした身体にぴっちりとしたタイトなツィードのスカートを履いて、僕たち27人の少年少女に向かって大きな声で言ったんです。
「今度の戦勝記念日に町から軍人さんが来られます。その時に優秀な作文を披露しますから軍人さんに見せても恥ずかしくないような素晴らしい作文をはりきって書くように」って。


ハボック少尉なんかは共感してくれると思うんですけど、田舎の人間にとってそうであるように、軍人という公務員は少し特別な存在で、一兵卒から大佐まで皆等しく平等に「偉い」と思い込んでいたし、先生は暗に「立派な軍人さんになりたいと書きなさい」と言ったつもりだという事くらい12歳の僕にだって分かったんですが、その時は「軍人になんてなるわけがない」と思ったものだけど、今こうして軍人をして、「曹長」にまでなっているんだから、不思議なものですね。あーはいはい、まだまだ未熟ですとも。

その時どんな作文を書いたかはよく覚えていないんですが、軍人でなかったことは間違いないです。
車掌さんだったか、機関士さんだったかになりたいと書いた気がします。
自分の作文はよく覚えていないのに、僕の前の席だったボニーの作文のことはよく覚えているんです。
ボニーはおっとりとしていて、他の女の子よりも体がふっくらと大きくて、よくガキ大将分だったドーソンにインク壺を盗られていたけれど、困ったなぁという顔をして笑っているような女の子でした。
ほかの女の子みたいに突然怒ったり泣いたり黙り込んだりせずに、いつもニコニコとしている彼女を、僕は内心でとても好きでした。

あっ、そこ、ニヤニヤするのは止めてください。
恋愛の好き、というのとはもしかしたら違うのかもしれないけれど、牛のように穏やかで、やさしい目をしていて、それからちょっと、お母さんみたいだ、と思っていたんです。……やっぱり好きだったのかな。
えっと、とにかく、ボニーは、粉屋の女の子でした。

彼女の作文はこうでした。

「おいしいシチューを作るには、いきなり小麦粉を牛乳に溶かしてはだめ。まずはフライパンで黄色いバターをとろとろに溶かして、小麦粉を雪のようにふるいにかけて、ぽんぽん炒めてから、温かいミルクを溶かして作ること。甘味がでるから人参はたっぷり、と。お肉はなんでも、ジャガイモも沢山、最後にインゲンをぽくぽく、できあがり。私は立派な料理人」
それからシチューを作るときは、いつもボニーの作文を思い出して作ります。


あっ、大佐と中尉が帰ってきましたよ!
わぁ、中尉、ハムありがとうございます!あッ、大佐、ワインまで持ち込んで…!
え?こ、これヒューズ中佐の隠しワインなんですか?
もうみんな…ただの残業なのに、すっかりご機嫌じゃないですか…困った人たちだ…


ほら、みなさん、シチュー、あったまりましたよ!