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―――――あの、全部冗談なんですよね?


もう十分に付き合ったと思いませんか?一体なんの悪ふざけなんですか?もうさすがに終わりですよね?
分かっています。ようやく気がついたんです。中世ドイツあたりが舞台設定だったのかもしれないけれど、この時代にない物が多すぎです。農大に通っていたから気づくことができましたけど、やっぱり最初は怖かったし、今も怖くてたまらないし、どきどきして、周りをきちんと観察することができなかったけれど、でも、もうちゃんと分かったから。だからもう種明かししてください。あとで「はい!どっきりでしたぁ」ってお笑いタレントが出てきたら流石に怒るかもしれないけれど、でも、ずっと良いから。お願い。もういいですよね?もうリタイアしたいんです。ねぇ、だって、もうどっきり企画は終わりですよね?


そうですよね?これは、そういうこと、なんですよね?





地下室を少し歩いた先の、広い部屋に出た。
壁には鉄製のバスケット駕籠のような松明台がいくつか取り付けられているせいで、廊下よりもずっと赤々と明るい部屋は、炎の加減で陰影が濃く映る。壁にはずらりと、安っぽいSM道具とは比べ物にもならないようなまがまがしい、何に使うのかは分からないけれど、恐らく人体をとことん痛めつけるようなおぞましい形をした拷問器具が悪趣味なインテリアのように壁に飾られ、松明の炎で闇から揺れながら燃えるようにおぞましい表情を見せては闇へと帰った。逆さになった十字架のような貼り付け台。ペンチのようなものや、釘や、鎖や、棘のついた椅子や、拘束具たち。


冗談だよね?こんなたちの悪いどっきり、もう終わりだよね?
誰かが「はい!カットぉ!!」って飛び込んできてくれるんだよね?


後ろ手に縛られていたわたしは、背後に立ち、わたしの手を抑えている男に無理矢理跪かせられ、石畳に容赦なくうちつけた膝の皿が鈍い痛みを上げたけれど、そんなことはもうどこか遠い他人の身体のことのようだった。目の前にあったのは、ちょうど頭の大きさ分くぼんだアーチになっている切り株だった。年輪には何か赤茶けた錆のような汚れがこびりついている。その錆は不思議とわたしのいる切り株の手前にはなく、わたしの正面に立つどこかキリスト教の司祭のような恰好をした男のいる側だけを塗りつぶしたようにこびりついている。


…この錆は、なんだろう?


司祭のような男が聖書のような分厚い本を開き、わたしに手をかざしてそれを読み始める。
部屋の隅で大男がまるでゲームやハリウッド映画のキャラクターが持って居るような大袈裟なほど大きな斧に水をふりかけ、スポンジで拭い始め、その隣で、わたしを馬車から引きずり落とした、あの、無精髭の男がどこか青ざめた顔でわたしをじっと見ている。


―――まるで、これから処刑が始まるようだ。


そう思った瞬間、わけのわからない声を上げて渾身の力で暴れた。
もういやだ。もうほうっておいてほしい。もうかえりたい。もううんざりだ。こんな事に参加するつもりはなかった。
そんな事を叫びながら暴れまわり、無様に足を延ばして後ろの男を蹴りあげようともがき、頭を殴られ、切り株のアーチにうつ伏せに頭をおしつけられた時に理解した。この錆は、血だ。額がカッと熱くなったと思ったらお湯のようなものが一筋、二筋頭上を流れていく感覚がして、そのお湯が沸く肌が燃えるように熱くなった。声を上げて体中を揺さぶり、暴れるわたしを男たちが抑えつけ、司祭が青ざめた顔をこわばらせて首を振り、大男が斧を用意した。鼻の奥が燃えるように熱くなって、わけもわからず叫んで暴れるわたしの口に丸めた布のようなものを放り込もうとする男の指をしっかりと噛んだ。柔らかい肉の先に芯のような固い骨があったがそれすら噛み砕いてやるつもりで力を込め、殴られたが構わなかった。目にお湯が入り込んで視界が赤くなっても指から頭を離さなかった。ゼミの農村体験で、田んぼの用水路で見たスッポンを思い出した。男子が棒切れを噛ませて大喜びしていた。バカだ。こんなときに、わたしは、ばかだ。口の中が鉄臭くなって、ぬるぬるとした涎ともとれぬ生臭いもので溢れだした。男たちの怒声が聞こえるけれどなんにも分からない。分からないことばかりだ。あの人たちは分からないばかりのわたしを分からせようとしてくれた。水を与えてくれた。口の中に色んな指が入ってきて、強引な力で開けさせられた瞬間に噛みしめていた指が抜けていった。目を開けようとするとにちゃにちゃとした液体で開きにくくて、乱れた髪が顔にかかって何も見えない。切り株に押し付けられた頬が痛み、ぬるぬるとする。あの人たちの顔が見えない。わたしを生かそうとしてくれた人たち。




ああ、あの人に「ありがとう」って言えたら良かったのに。














「そこまでだ」


長距離を馬を潰すほどに走らせてきたとは思えぬ落ち着いた静かな声でその場の混沌とした空気を切り裂いたのは、リヴァイだった。その背後にはリヴァイ班の面々が腰の刃に手を掛け、油断ならぬ表情でいつでも臨戦態勢だというように構えていた。リヴァイは部屋をざっと見まわし、まだ夢子に首がつながっていることを見て取ると、その場の責任者であるナイルに丸めた書簡を突き付けた。リヴァイを睨みながら書簡を受け取り、蜜印を乱暴に剥がしてその文面に目を通したナイルの表情はみるみるうちに青ざめた。



「だ……ダリス・ザックレー総統だと!?そんな筈はない!!そんなことはなかった筈だ!!」



吠えるナイルが口にした名前に、処刑場にいた下級の憲兵団の面々も顔を青ざめた。ダリス・ザックレー総統。駐屯兵団、調査兵団、憲兵団の頂点に立つ最高権力者。何度も書簡を確認すると、確かに総統のサインがあり、またさきほど乱暴に解いた蜜印が確かにどこの部隊のものでもない、総統権力化のものであったことに気づき、ナイルは戦慄いた。そんな事は聞いていない、と震える声で吐き出したナイルを無視して、リヴァイは背後で待機していたペトラに目をやり、ペトラは何も言われずとも頷き、すっかり青ざめた憲兵団の男たちを押しのけ、断頭台に頭を乗せたまま震えている夢子の肩に手を置いた。夢子がびくりと身体を震わせ何か拒絶するような言葉を吐いたが、何度も「夢子」と名前を呼び、身体を起こしてやり、血で汚れた顔をハンカチで拭ってやると、ようやくそこにいたのが誰なのかを理解した夢子は目を見開き、何かをぽつりと呟いたかと思うとペトラの腕の中で意識を失った。


「酷い。随分な扱いじゃないの?」

腕の中に倒れた夢子の身体をしっかりと抱きしめたペトラが無意識にその後頭部を撫でたとき、ぬるぬるとする血が髪に絡んでいる事に気がつき、憲兵団の男たちを睨み上げた。男の一人が「こっちだって指を噛み千切られるところだった」と喚いたが、ペトラは無視をし、その抵抗の激しさが残る夢子の身体を抱きしめた。


「これが、団長のやり方」


ちいさく呟いた声は誰にも届かず、ただ夢子を抱きしめた。






「事情が変わった。こいつは総統許可の下、正式にうちが引き取る」


総統の名が出されればナイルからは異論の声が上がるわけもなく、ただ苛立ちに奥歯を噛みしめただけだった。
「あとは任せる」とナイルにただ一言洩らしたリヴァイは、そのままナイルにも処刑執行人にも、司祭にも背を向け、馬の血抜き用の小刀を懐から取り出すとそれで夢子の縄を切り、まるで米俵でも担ぐように夢子を抱えて立ち上がり、慌ててペトラが夢子の負傷した後頭部にハンカチを押し当てた。ハンカチがみるみるうちに血を吸っていくことを感じたペトラは目でリヴァイにそれを伝えると、リヴァイは頷いた。



「こいつは、今、ここで死んだ」