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木曜日が好きだった。



木曜日は、わたしの入っている農業肥料研究チームの教授が他所の私立大学への講義や、企業やJAなどへのアプローチに出かけるため、院生はみな自分の研究をしたり、農大の広大な土地の一角にある畑で自分の配合した肥料を試しては土をいじり、雑草を抜き、抜いた雑草を調べて何科の雑草が農薬に耐性を持って居るか調べたり、午後からふらっと講義へ出たり、わりと好きに過ごす事ができる曜日だった。

木曜日は、のどかな電車に揺られて大学へ行く。

電車の中は、おばさんや、おじいさんや、ちいさな子供を連れたお母さんや、同じ大学に通っているだろう若者たちや、時々はスーツを着たサラリーマンが何の緊張感も息苦しさもない顔をして、これからお昼に差し掛かろうとするぽかぽかとした陽気を受けて生ぬるく、居心地の良い、まるで巨大なゆりかごのように揺れるシートに腰掛けている。朝の通勤ラッシュの殺伐とした険呑な沈黙や息苦しさのない世界。
のんきで無防備な電車は、地方のささやかな街中から大学のある田舎まで田園風景を揺れていく。

電車の窓の向こうに見える小さな山は、昔なんとかっていう武将の城があったんだなぁとか考えたり、中刷り広告の「60歳からの保険」とか「大御所俳優銀座の隠し子」とか「美の祭典、金沢の雅を行く」なんて書かれた広告を見るともなしにぼんやり見上げながら、穏やかな気持ちになっていく、あの電車が好きだった。


時間のしがらみから抜け出た開放感。


駅前から大学までの道を歩く。
通っている大学の生徒をターゲットにしたような安い居酒屋や、美容室、カフェやバーが並ぶにぎにぎとした通りを抜けて、住宅街に入っていく。家と家の間、コンクリートで固められた浅い川に揺れる水草を眺め、小学校の運動場で体育をする子供たちの声を聴きながら大学へと続く緩い坂道を上る。住宅街には、子供の気配と、家族の匂いと、親せきの家に来たような懐かしさがあって、好きだ。



木曜日は、たっぷりと余裕がある。
畑のトマトの様子を見に行こうか。足を延ばして畜産課の友達のところへ顔を出そうか。子牛を見せてもらおうか。生協へ行って菓子パンのひとつでも買って研究室へ行こうか。それとも図書館に寄って新刊チェックをしてこようか。




のんびりとした木曜日が、好きだった。
だけど、ここにもう木曜日はなかった。





一心不乱に振り上げては土をひっくり返し、石や雑草の根などを掘り起こしては畑だと決めたスペースの外へと放り投げる。雑草は足元に置いた木箱に集めていく。農業用手袋どころか軍手すらない中、土に手を突っ込んで石や雑草を抜くせいで爪の間には真っ黒に土やゴミが入り込み、土を掘り起こすために使う鋤(すき)を掴んでばかりいるので、指の間や手のひらには、肉刺ができては潰れていき、どんどん皮膚が硬くなっている。しばらく魚を食べていないし、フルーツも食べていない。


突然栄養が偏りだしたせいか、この国へ来てから生理が止まってしまった。
「自分」がどんどん変わっていく。身体も、思考も。


農大に通っていても研究職にあった自分はパソコンや薬品を使う事が多く、実際に土に触れて農業をしている学部の子たちに比べて貧弱な身体をしていたと思う。夏になると日焼け止めを塗っても真っ黒に日焼けした健康的な彼らと比べると、わたし達研究者はまるで有機LEDで育てたもやしのように白かった。
あの子たちだって、こんな原始的な開墾、開拓はしていなかったし、現代日本で農業をやるにあたってそんな必要はなかったはずだ。今は耕運機どころかAIを使った農具の研究だって始めていて、大学の敷地にある田んぼの管理はドローンがしていた。ドローンが水を撒き、農薬を撒き、収穫時期を管理していた。



ああ、だめだ。
無心になって土を掘り起こし続けているとどんどん思考が自分の中に入り込んでしまう。
写経やヨガの瞑想に近い感覚になっていき、苦笑する。しているのは迷走かもしれない。



小屋の前に作った畑では順調に青物野菜の収穫が行えるようになっていた。
以前、ここが森だったせいか土は豊かに湿り、よく微生物がいるようだったけれど、その代わりに土は掘り返すほどに石や腐った木の根などが絶えずに出てくる。土の上に向かって育っていく葉物なら育つけれど、地下に深く根を張っていくようなトマトや根菜は難しかった。また土に有機成分が多すぎて、土自体の保水力も高いせいで根腐れを起こしやすかった。


ここが、どの国なのかはまだわからなかった。
それでも亜熱帯の土地でないことだけは森の様子を見ればわかった。
生えている木はマロニエや、ポプラ、白樺や楓などの木々が多く、日本の原生林によく見られるブナやオオナラや松やクマササを見ることはなかった。生えているキノコや、時折見かける野生動物も、日本のそれではなかった。
なにより、肌で感じる。―――ここは、自分の国じゃない、と。
乾燥した風。日中はカラリと暑く、それでいて夜は地下水のように冷える寒暖差。暑くても日陰に入りさえすれば息苦しくないような太陽の強さはヨーロッパの気候に似ているような気がする。



だとしたら、厳しい冬が来るはずだ。



わたしはこの生活に対して、もう「テレビのどっきり企画」とか「マッドサイエンティストによる臨床実験」などとは思っていなかった。そんな考えはある意味希望や願望だったけれど、捨てなくちゃいけない考えだった。何がどうしてこうなったのか、理由なんて全く分からないけれど、わたしは全く知らない世界に来てしまったらしい。時間旅行者とか、タイムスリップとか、なにかそういう非科学的なことが起こったらしい。そう受け入れるしかなかった。考え、なんてものじゃなかった。ただ目の前に横たわる巨大な現実だった。



だから、わたしは現実を見なくちゃいけない。―――冬が来る。



ヨーロッパの冬は過酷だと聞く。
こんな廃屋同然の山小屋で自分が冬を越せるとは思えなかった。煮炊きに使っている暖炉があるけれど、日常で使い続けるには想像よりはるかに多くの薪が必要だった。信じられないけれど、石炭すらないんだもの。石炭がこの国にとってどれほどのエネルギー資源として考えられているかすら分からない。でも、エルヴィンの家の様子にも石炭の影はなかったし、ここに比べて「都会」だったあの街の空は澄み切っていた。産業革命時代に聞く悪名高いロンドンのスモッグを感じることはなかった。だからこんな辺境の山奥にあって、わたし達が使えるエネルギー資源は薪だけだし、わたし達の暖房器具はあの暖炉だけ!



部屋の中はいつの間にかどこからかトカゲが入り込み、天井の梁に蛇がいたこともあった。天井裏で何か小動物が走り回っている音もする。隙間風だらけの我が家を暖めて、凍死を避けるためにはありったけの薪が必要だし、今の手持ちの衣類と毛布では難しい。


食料の問題もあった。


今はダリウスが週に一度、村へ生鮮食品や日用品を手に入れてくれるけれど、それだって一日掛かる買い物だった。わたし達は馬やロバを持っていないし、自転車なんてあるわけないので徒歩でダリウスは出かけていく。インテリタイプのダリウスは一度に多くの買い物はできない。実際農作業も苦手そうだった。多分、肉体労働をしてきたタイプじゃないんだと思う。これから冬になって雪が積もったとき、冬の山道を歩いていく体力が彼にあるとも思えなったので、保存食や食料の貯蔵をしなくちゃいけなかった。
エルヴィンから定期的に送られてくる食料も、冬になれば交通の事情からあてにはできない。

冬に備えて、保存のきく玉ねぎやジャガイモを大量生産しておく必要があった。
その為には畑を広げるしかなかった。