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しかし、皇兄の女が外に出ることは難儀だった。



超常の力を持たぬがゆえに兄でありながら墓所で虐げられ、またその過激な政策からも国民に疎まれているナムリスはあちこちで酷い恨みを買っていた。馬鹿正直に皇兄の所有物である単眼を模した衣装を着せて、大仰な護衛をつけたのでは自分の死すら恐れぬ暗殺者の恰好の的だった。

実際、ナムリス派の僧侶(もっとも、ナムリスは僧会を嫌っていたがこの国の仕組みが宗教国家であるのだから部下が僧侶であるのは致し方なかった)として知られる僧会の幹部が地方で経文を上げる為に祭りに参加した際、土鬼帝国民に扮したナムリスを憎むトルメキア植民都市ノミストの一行に撲殺される事件があったが、地方の農民らは僧侶を助けることなくただ傍観していたという。それほどナムリス派は庶民からの信頼が薄く、またこのただ傍観していた農民に対して、ナムリス派の僧侶らが働き手である若者を徴兵して前線に送った為、さらに人心の離れるところにあった。


そういったことから、夢子は普段身に着けている皇兄の所有物を意味する単眼の服を脱ぎ捨て、土鬼帝国の富裕層の娘が日常的に着る赤い毛織で作られた、裾が踝まであるワンピースとなり、後宮内で履いていたスリッパ状のサンダルから革靴となり、土鬼の未婚の娘がそうするように、頭には宝石をあつらえたツバがない帽子を深く被ることとなった。そして裕福な娘が外出先に乳母を連れて歩くように、夢子にも後宮の女官がひとりつけられ、民間の兵士の恰好を模した僧兵が五人もつけられることとなった。これは治安の悪い外界での護衛の意味もあったが、何より夢子の逃亡防止も兼ねていた。


ナムリスからは、夢子が逃亡するようなことがあれば迷わず射殺するよう命令が下っていた。



――――こんなに監視がついて、まるで何かに備えているみたい。
けれど、後宮で泣いて暮らすよりも外の世界を見て何かを得ることは悪いことじゃない。
わたしは、母さまや姉さまたちの見ることのなかった聖都シュワを見るんだ。


望んできた聖都では決してなかったが、平穏に暮らしていれば見ることのない聖都に夢子の胸は熱くなった。
一族の人間で、土鬼諸侯国の聖都を見たものは誰ひとりいなかった。もっと言えば、聖都の名前すら知ることはなかった。夢子たちは、自らの部族の名前と、僅かな交易をする下界の村の名前さえ知っていれば良かったし、帝国の首都の名前などは思いも寄らぬほど、地理的にも生活的にも遠い世界であったのだから、夢子にとって聖都シュワは天に輝く星々よりも遠い宇宙の存在であった。




「お前にはひとつ使いを頼もう」



そもそも外界に出ることになったのは、ナムリスからの一言であった。
土諸侯国の聖都シュワは正式な市民の人口1400万人を越え、奴隷、不法入国者、移民、そして捕虜の数を入れれば1500万人を超える巨大都市であり、各地から腐海の進行や戦災、飢餓のために聖都に職とパンを求めて流れ込む移民によりその人口は増加を続け、旧世界で繁栄と栄華を極めたコンスタンティノープルの人口を凌ぐ勢いであった。


その聖都には数多くの寺院があった。
土鬼の神は複雑で、古代からの土鬼の神や、先帝が定めた神や、現在の皇帝ミラルパが定めた神、神聖皇帝が邪教とした神、腐海を崇める新興宗教、密教などが複雑に混ざり合ってそれぞれの宗派を作っていた。その中のひとつに、長兄を家長として重んじる古い宗派があった。僧会に正式に加入してはいるが、皇弟が支配する帝国では地位を得ることができぬ末端の宗派であったが、皇兄を支持する数少ない一派が所属していた。ナムリスの貴重な戦力である。



「俺の書をそこに収めに行け。僧正(地位の高い僧侶)の生誕の祝いがある。百歳を超えた爺のお誕生日会というわけさ」



僧侶には飽き飽きしていたナムリスであったが、自分を支持する一派を蔑ろにするほど傲慢にはなれなかった。
永遠に等しい時間を生きる皇弟ミラルパを擁護する一派にとっては、皇弟以外の血は不要である。ナムリスもまた幼少の頃からの暗殺や刺客が絶えず迫り続けており、複雑な政治的理由から、好き嫌いはともかく自身を支持する一派の僧侶を厚遇していた。



僧侶らは古い僧侶がそうあるように、「書」というものをありがたがった。
これは旧世界の儒教思想やイスラム思想のDNAが僧会に残っており「書」にはその筆を取った人間の魂や思想、予言が宿る神聖なものと考えられており、「書」を下肢されるということは、玉体の一部を頂くという事を意味していた。これは火の七日間後の新世界、文明水準が退化した世界で、土鬼諸侯国のように泥を固めた文字盤や食器や家々が一般的となっている「泥」の文化の帝国にあって、「墨」と「紙」いうのはそれだけで高貴な身分の象徴のようなものであったし、そもそも識字率が著しく低下した新世界で「字」というのは教養の結晶であった。



余談ではあるが、「泥」の文化の土鬼諸侯国では、後宮内での厠の問題があった。
土鬼諸侯国は「泥」の国だ。そして1400万人を超える人間がひしめき合う聖都では水は貴重であった。
後宮に入ったばかりの地位の低く大部屋の娘や奴隷娘や使用人娘たちの厠は、それぞれの身分に合わせて共同であり、全て「ボットン便所」形式であり月に一度市井の農民が汚水を買いに来て畑へ撒いた。実に原始的である。また、排泄をし、汚れた身体は左手で拭き、その手を洗い清める事が一般的であるため貴賤問わず民は左手を不浄とし、食事や挨拶で使う事はなかった。

しかし、ナムリスの手がついた夢子や貴族の娘、権力あるアバヤ(イスラム圏の女性がつける目だけ露出した装束)の女たちの厠は「砂」だった。二畳ほどの個室となった土間の中央に穴が開いており、そこには熱日で乾燥され殺菌された清潔な砂がしかれ、身分ある女が用を足したのを召使が確認し、すぐさま新しい砂へと取り替えた。こちらは臭いの面でも衛生面でも優れていたが、「水」の文化に育った娘にはまるで家畜のようだと不評であり、貴族の娘たちはそれぞれの郷里でそうしていたように、陶器で作らせた便座に排泄をして使用人に片付けさせるという手法を取っていた。山育ちで「土」の文化に育った夢子にとっては、一族は誰に言われるまでもなく山の中で「ここだ」と決めた場所を厠として使っていたために何の抵抗もなかった。



ともかくも、皇兄の後宮といえども「水」は貴重であり、水を使って作られた紙に、水で溶いた墨で字を書いたもの、というものはいかに上等な贈り物であるかが見えてくるだろうが、その辺の事情など知らぬ夢子には「これを渡してこい」と見せられたナムリスの、アラビア書道的な立派なカリグラフィーの価値などはさっぱり分からず、むしろ立派に宝飾が付けられた大仰な額縁こそが贈り物なのだろう、と思ったとしても無理のないことだった。


そして、ナムリスのカリグラフィーで綴られたルバーイイ(中東で用いる四行の詩)は、こういった具合のものであった。



舌を切り落として 悪を言わず
唇を縫い合わせて 沈黙を守る
かれぞまこと賢者 声もなく
たたえの言葉は 口にぞ溢れん



敬謙な僧侶を湛えるルバーイイに読めるが、ルバーイイの解釈は表のままの意味ではないことが通例だった。
このナムリスのルバーイイでは、一言載せられた「声もなく」という一行入った否定の言葉が、この四行詩の全ての意味を読んだままとは「逆」の意味へとひっくり返した。これは、ナムリスからの祝いの言葉ではなく「牽制」の言葉であり、そういった面からもナムリスの好戦的で凶暴な一面が垣間見える。


ともかくも、夢子はこの書を携えて聖都シュワへの街を歩くこととなった。