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絶滅したはずの東洋人を保護した。

壁の外へ調査に出ていた調査兵団の一行が、街へと帰還したときだった。
今回も、多くの仲間を失ったというのに、さほど歓迎された様子でもなく、英雄の凱旋というよりもどこか遠くから白けた様子で一行を見守る住人達の出迎えを受け、沈黙を続けた一行の前に、突然若い娘が飛び出した。その娘は何かを叫んだ。すがるようなその言葉は、誰にも理解できなかった。娘はすっかり血の気の失せた真っ白な顔で何かを叫びながら、リヴァイの足にしがみ付いた。その女の、顔。

兵団も、そして見守っていた住人たちも、女の顔立ちの異質さに息を呑んだ。
市民達は知らないだろうが、それでも禁書に触れることも多い兵団の人間の一部には多少の人種への知識があった。市民達はその顔立ちの異質さに単に驚いただけだろうが、それでも調査兵団の中では動揺が走る。

ーーーーー東洋人は、絶滅したはずでは?

まさか、外の世界から来たというのか?外の世界は触れてはいけない世界だった。外の世界に関する情報も、資料も、伝承も、その全てを口にする事さえ禁じられている。だというのに、その娘はそのまさに禁忌の塊だった。


一体、どこからこんな娘が?


すぐに男たちが人ごみをかき分けて現れた。
男たちは兵団の存在にわずかにたじろいだようだが、リーダー格らしい男が友好的な笑みを浮かべて、娘を指さし、「お騒がせして申し訳ありません。こいつは怠け者で、主人にちょっと強く叱られて逃げ出しましてね。こうやってこの顔を利用して異邦人ぶるんですよ。喋っている言葉はすべて出鱈目ですから、どうか無視してください。いやまったく、人類の英雄にとんだご迷惑をおかけしました」と言いながら娘に腕を伸ばした。娘が目を見開き、体を硬直させたとき、リヴァイが口を開いた。

「こいつらを捕えろ。奴隷商人だ」

リヴァイのその一言で、調査兵団の一行は瞬く間に男たちを取り押さえた。
巨人相手にしている彼らにとって、それはなんともたやすい事だった。石畳に顔を抑えつけられた男の「そいつは壁の外から来たんだ!異端だ!駆除すべき存在だ!」と叫んだ言葉に住人達が息を呑むが、男の言葉などまるで通じていない様子の娘はただただ震え、崩れ落ちそうな体をリヴァイに掴まれたまま、茫然としている。ただ一人、リヴァイだけが表情を変えず、冷静に次の命令をくだした。

「こいつらの`親`を探せ。娘は連れて行け」

そして、娘と男たちは兵団へと連れていかれる事となった。
リヴァイのすぐ前を騎乗していたエルヴィンは、その次第に緘口令をひこうか、と一瞬思案したがそれが無駄だということは明らかだった。人の口に戸は立てられない。なにより、目撃者があまりに多すぎる。そしてあまりに多くの人間に娘を見られてしまったし、男が苦し紛れに放った言葉はあまりに信憑性があった。壁の外から来た人間。通じない言葉。絶滅した筈の東洋人。

馬を降りたエルヴィンは、いまだリヴァイに体を支えられたまま放心する娘を立たせて、通じないかもしれない、と思いながらもゆっくりと子供に言うように「もう大丈夫だ」と言ってやった。何が大丈夫なものか、と内心では思った。この娘は騒動を呼ぶ。これから面倒なことがいくつも娘に襲い掛かることは明らかだった。でも今は、娘にそう言ってやるべきだと思った。娘は、血の気のない真っ白な顔をしたまま、それでも僅かに頷いた。

そんな娘の腕を引き、荷馬車に乗せた。
そして自ら兵団のジャケットを脱いで娘に被せた。
もはや噂は一瞬で王都をめぐるだろう事は明らかだったが、それでも人の目から娘を隠すべきだと感じた。そして娘も抵抗することなく大人しく、その埃と汗に汚れたジャケットを頭からかぶり、小柄な体を抱きしめるように膝を抱えて荷馬車に座り込んだ。娘の足元には防水性の厚手の布の掛けられた荷物が乗っている。だが娘はそれには気を取られてもいないようだった。それがなにかを知らないままだ。そしてエルヴィンはそれを教えてやる必要もないと感じた。″それ“が陽気で、酒好きの気の良いやつだったなんてことは、知らなくても良いことだった。



兵団の取り調べで男たちはあっさりと口を割ったが、親である存在を捕えることはできなかった。

男たちがいくら情報を吐いたとしても、闇社会で生きるその親は男たちを見捨て、すでに雲隠れした後であり、ただ一人、ハイドニクという青年だけを取り押さえることに成功した。ハイドニクは地下街で過ごす貧しい青年だった。仕事らしい仕事もなく、その日その日を肉体労働をし、裏社会の男たちの小間使いのような事をして生きながらえている青年だった。

そのハイドニクの荷物から、不可思議なものが発見された。
それは夢子の荷物だった。ファッション雑誌。化粧ポーチ。スマートフォン。iPod。大学の教科書やルーズリーフ。筆箱。財布。そんな他愛もない物の数々だったが、エルヴィン達を驚かせるには十分だった。そして何より、エルヴィンが注目したのはファッション誌だった。見たこともない文字らしいものが書かれたそれは、まるで人間の生き写しそのもののような絵が載っている。


あきらかに、自分たちよりも遥かに文明の進んだ世界を象徴していた。


「これは…人類に混乱を呼ぶ。決して知られてはいけない。これより娘の身辺調査は限られた人間で行う事とする。異存はないな、リヴァイ」


自分が動揺している事を隠せなかった。
わけがわからない。肌の露出もかまわず、胸と下半身だけを布で覆った姿で笑顔を浮かべる若い女の顔は、あの娘と同じ、東洋人のもののようだった。そしてなにより、その写真の女がいる場所。海だ。禁じられた文献でしか聞いたことのない、人類の見たことのない海。砂浜で女たちが笑っている。まるで人類の立たされている悲劇を何一つ知らないという顔で笑っている。この女たちは一体なんだ?そしてこの場所はどこだ?いくら自問したとしても、エルヴィンには決して答えが見つからなかった。ただ、あの娘に関するすべての情報を隠す必要があることだけは明白だった。

じっとファッション誌に目を向けていたリヴァイが顔を上げた。



「こんなもん公表できるわけがねぇだろうが。……うちが関わったんだ。この始末はうちがつける。うちの人員はすでにあの娘を見ている。知るべき人間を限らせるならそれしかないだろ」


そう言い切ったリヴァイに、エルヴィンは頷いた。
エルヴィンも、リヴァイも、東洋人を見るのは初めてだった。
リヴァイと同じ黒い髪をしているが、それでも頭蓋骨の骨格からして別の種族の人間なのだと認識した。太古の昔、植物や動物と同じように、人間にも種類があると聞いていた。だがそれらはこの壁の中まで逃げてくる事もできずに死に絶えたらしい。ごく一部が入り込んでいたというが、それもこの主要なる種族との交配を繰り返すうちに、百年を掛けてゆっくりと絶滅した。その種族が、なぜ今になって?

「あの女は?」
「兵団の地下で密かに保護している」
「監禁の間違いだろ?」

リヴァイの言葉にエルヴィンは何も返さなかった。それは事実だった。
あの娘を最初に見つけたというハイドニク曰く、あの娘は自分を「夢子」と名乗ったらしい。それは自分たちの知るどの名前とも一致しない名前だった。夢子と接した時間は短かったが、それでも娘が自分を「ハイドニク」と正しく名前を呼んだことから、彼女がそれを名前だと認識して教えてきたことは間違いなかった。娘と意思の疎通を図ることは難しかった。娘のジェスチャーもさっぱり意味が分からなかった。ただ、言葉などハイドニクには必要なかった。

この女は、東洋人だ。神が自分に遣わせた財産だった。


娘はハイドニクの家のすぐ近くに転がっていた。見慣れぬ身なりから、何か金目のものでもないかとその行き倒れのような女をひっくり返してみて、その顔を見たハイドニクは息を呑んだ。この女を売ろう。一瞬の迷いもなくハイドニクはそう考えた。誰かに見つかる前に自分が見つけたことは自分の人生最大の幸運だと確信した。そして娘の荷物らしい、鞄を掴み、娘を担ぎ、部屋へと連れて帰った。地下街で使い走りをしていたハイドニクは、一体誰に言えば良いのか、誰に売れば良いのかは分かっていた。

迷いなどなかった。
この残酷な世界で、生きるため。


「女に会ってくる」
リヴァイはそれだけを言って、部屋を出ていった。