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若い農婦になかば押し付けられるようにして腕に抱いた赤ん坊。
そのあまりの軽さに、恐ろしさすら覚える。柔らかな身体はくねくねと手足を動かし、油断すると両腕の中から転がり落ちそうになるのではないかと不安になるほど動き回り、言葉にならぬ声を洩らすように上げる。農婦が笑いながら言うように頭を支え、尻を持ち上げるといくらか安定したのか赤子がまっすぐに俺を見つめた。



鈴麗



日の光を受けて透けるように輝く丸い瞳。
まだ頭蓋骨も定まらぬ顔立ちだというのに、その瞳は、鈴麗の瞳そのものだったことに、叫びたくなる感情を必死で抑えた。全くの無防備な存在を腕に抱きながら、それでいて叩き付けたくなるような狂暴な欲求に歯を食いしばって堪えた。この赤ん坊に罪などあるはずもない。鈴麗の魂なのだから。だが、この赤ん坊が肉体をもってしまった今、鈴麗を天界へと連れ戻す術がなくなった事を悟るしかなかった。



嗚呼、お前は、本当に人間になってしまったのだ。



村では祝いの宴の声が続いている。
鈴麗の面影などない農婦が、また大袈裟に涙を浮かべて感謝の言葉を繰り返すのをどこか遠くで聞いている。浮かれ踊る人間たちにちらと視線をやり、また腕の中の鈴麗の魂を持った赤子を見下ろす。人形のように小さな手が俺の髪をひと掴みする。赤子の顔がぐっと近づき、いつも清涼な花薫るようだった鈴麗とは違う、甘い乳の匂いが濃くなった。少しひんやりとした丸くちいさな手が頬に触れる。
奇妙な感覚だった。何かが染み出すようにじわじわと腹の底に溢れ出す。


俺は、鈴麗の運命を変えたのだ。


下界に転生させられた鈴麗
死ぬことを約束された鈴麗



その寿命は短く、赤ん坊のうちに流感に掛かり、この村の他の人間たち同様、死ぬことになっていた。
それは人間の天命を記した閻魔帳に記されていた、天が定めた天命だった。閻魔帳に記されていた日付から一夜が明けたが、鈴麗の頬は健康的な桃色をしている。とてもではないが、今日これから死ぬとは思えない。



鈴麗は、生き延びた。
俺は、鈴麗の天命を変えた。変えることができたんだ。
薬師から奪った他愛もない薬一つで、その天命は書き換えられた。
鈴麗一人生き延びたとしても村が壊滅しては、生きる術がなくなるだろうと戯れに他の村人たちの命も救ってやったせいで、人間たちは大袈裟なほどに俺に感謝をしているらしい。あんな一握りの粉で、あんなもので…。人間とは、あんな粉ひとつで生きられるのか。あんな粉一掴みで天の定めた天命などという大袈裟なものが変えられるのか。こんなに簡単なことなのか。



天とはなんだ?天命とはなんだ?



俺は、神だ。
神は、運命を変えられる。




鈴麗が、ふいに俺の指を握った。
その手は、俺の指を掴むにはあまりに小さく、握るというより指を掛けるようだった。
それでも、鈴麗はしっかりと力を込めて、俺の指を握る。
その懐かしい双眸が、俺を捕らえる。



―――――鈴麗、俺はもう、お前の手を離さない。



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2020/1/31