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サパタ土侯国は、土鬼帝国領にある部族国家であった。
東を内海、西を腐海、北西をカマタラ砂漠に囲まれた平野にあり、都城を中心として城壁部落を作り、その他農民達が壁外で田畑や家畜を育てる土鬼の自治領国家だった。

聖都シュワからは飛行艇で夢子の育ったゴス山脈を越えるか、陸路ならば、ゴス山脈からダマへと抜ける山岳ルートを行くか、聖なる谷ユタを超える必要があり、女子供を連れた民は、まず最も安全なユタ越えをする必要があった。
だが旧世界の人類史から連なるように陸路の重要な拠点、ましてや渓谷となる土地には、襲撃こそを生業とする人々が村を作り、あちこちに集落を持っていた為、事実上の関所とも言える形態をなしていて、ここを越える者たちは地道な交渉を重ねて”納税”するか、腕っぷしで押し通る必要があり、往来は頻繁ではなく、帝国民はこのユタを国境のようにして、国土の西と東でそれぞれの文化や生活圏を成していた。そうして、サパタが土鬼帝国領土であっても辺境地域として独自の文化を育むに至っていた。

サパタは聖都シュワよりも、トルメキアとの国境に近い小国だった。
戦争状態にあっても、意外にも土鬼帝国内にもトルメキアの公的機関である進駐軍の滞在する駐留部隊があった。旧世界では寺院だった廃墟を中心に数十年前に進軍したトルメキア兵が陣地を構え、そこに砦を築いたものが始まりだった。

戦争をするなら、終結もさせなくてはいけない。

数百年に渡る戦乱や、腐海の驚異、風土病などを患う人類に、兵士となるべき健康な成人男性は貴重で、軍職のみを生涯の仕事とするものは少なく、大抵は、近隣の農村からの徴兵を行う必要があり、その為農耕期には兵を帰宅させねば内部暴動に発展した。
それは土鬼もトルメキアでも共通の悩みであり、一度小規模な衝突が起こっても、予定調和的に時期を見てそれぞれの落とし所を模索し、戦を終わらせる必要があった。その為には、互いの国土に大使館的治外法権を持つ政治機関を置く必要があり、トルメキアからの駐留軍が置かれたのがサパタ土侯国だった。

歴史の始まりでは分隊規模として100名程度の駐在だったものが、年月が経つに連れ、妻を呼び寄せるようになり、そうすると子供が生まれ、家庭となれば夫人が洗濯女などの手伝いの小者を生家より呼び、するとその小者もまた伴侶を持ち、人手が必要だと噂を聞きつけた追われ人が職を求めて入り込み、商人が出入りし、売春宿ができ、奴隷市が立ち…と人間社会は膨張していき、いつの間にかサパタ内には、トルメキア的石造の都城を手本に、石と粘土で作られた砦ができ、拡大していき、「トルメキア人の街」と言って良い、城砦となった。

土鬼帝国内にトルメキアの飛び地を作り、実効支配をしていた。
トルメキア人の街に住む、トルメキア国境進駐軍と土鬼のウッタラクルス(インド神話で「地の果て」の意)族との間で暴動が起こったのは、若い娘の悲劇によってだった。
ウッタラクルス族は、その名の通り土鬼帝国内にあっては聖都シュワから遠く離れた国境際、地の果てにある民族でありながら、地の果てだからこそ都の流行からは遠く、古の教理を遵守する素朴で誇り高い人々が暮らしていた。


ある夜、逃げた家畜を探して荒野を歩くウッタラクルスの娘を、トルメキア軍将校が強姦した。
娘は敬虔なミラルパ宗派の娘であり、性行為は子供を作る目的で行う事であり、快楽は求めてはならず、また当然初夜まで処女を守り、清浄な生娘としての誇りを持ち、次の新月の夜に婚約者の従兄の元へ嫁ぐことが決まっていた。
だが突如それは起こった。
同じ家畜を手分けして探していた男たちが事態に気付いて将校を引き剥がし、相手が結婚を控えた娘だと知るや否や男にリンチを加え、処刑の為に穀物庫へと監禁していた。
ウッタラクルス族の法律では、それは正当な権利だった。
未婚の乙女を陵辱する者は報いを受けるべきであった。
処刑執行人は、娘本人が行う。これは強姦者を娘本人が処刑する事で、復讐を実行させ、心の傷を回復させると共に、強姦者を狩った者として娘の名誉は回復される大事な儀礼であった。(ただし、娘があまりに年少である場合や、あらゆる事情で本人に実効不可能な場合は父兄が行う)
立会人として、父親もしくは、その親族内の有力な男の仕事と決まっていた。が、娘にすでに父親はなく、立会人となるべき最も地位ある叔父が遠方に出ていた為、処刑執行まで将校が生かされていた、その3日の間に事態が急変することとなった。

暴行犯のトルメキアの将校階級者は、貴族だった。
同行しながら上官の蛮行を静観し、村の男たちからの烈火の如き返り討ちから命からがら城砦内に戻った下士官達の報告により事態を把握した上層部が命令し、将校の奪還作戦に出たのだ。
この将校は若干18歳ながら、父親はトルメキア第二王子の乳兄弟の育ちだった為、王族に近しく、辺境地での任務とは遊学のようなものだった。その気楽な遊学の中で将校が土民の手により処刑などされれば、どのような制裁が部隊と駐留軍に及ぶかはわからない。サパタのトルメキア人たちは、このバカ息子を安全に王都の母親の元へ返す必要があった。

だが、娘にも事情はある。
娘には処刑の権利があると共に、しかし処刑を実行できない場合は、娘は姦通罪に問われ、一生を未婚とせねばならぬ事情もあった。未婚の娘が出る事は、村に新たな子宝ができぬこと。共同体社会で少子化は村の弱体化と貧困に直結する。何より、村で生まれ育った可愛い娘。その娘の目が開いた日から村中で愛しんできた娘のために、目の前に迫った婚礼に向けて村をあげて準備をしていた時に起こった不条理さに村中が怒り狂った。

そうして、トルメキア軍にとっては、忠誠心からではなく、打算から行われた奪還作戦だったが、辺境地の貧しい農民と、国境最前線を警備する分遣隊とでは装備に100年の技術格差があった。兵士らは村人の陳情を聞くこともなく、交戦に発展するも呆気なく将校を奪還し、その結果村では抵抗した6人もの男達が騒乱の中射殺され、9人の重傷者が出た。死者のうち3人は、ウッタラクルス族の成人である16歳にも満たぬ子供であった。

もはやウッタラクルス族の怒りは鎮火する事はなく、周辺各地の村々や縁戚関係にある氏族にまで復讐の炎は燃え移り、城砦内のトルメキア軍も砦唯一の巨大な門を締め、徹底抗戦の構えを見せたためについには、サパタ地域一帯を巻き込んだ紛争状態となった。

古来より戦士的思想や、権威思想の強いトルメキアでは、支配した地域への貴族的自惚れの強い振る舞いが目立った。トルメキアが主人であり、支配地域はトルメキアの下僕である、と。また貴族の荘園のように、支配した地域を統括、管理、運営する権利が戦士に課せられた義務であるとも考えていた。それは、同じ思想を持つトルメキア領内であれば、盟主としての采配は崇高な義務であり、代わりに支配下の地域はトルメキア兵の庇護を受け守られ、互いに助け合うものとして共通理解があった。

だがここは、サパタの土地であり、人々は土鬼の思想を持った民。
トルメキアの主従関係は理解できぬものであった。


そして、人間を規範する法律が違った。
サパタ地域、ウッタラクルス族での婦女暴行犯は、本人か男親、氏族長による処刑。
だがトルメキア、貴族階級、名誉階級兵での法では、この場合は「罪」ではなかった。
植民地と化した支配地域での女に手を付ける事や、妾として抱える事は、征服者の権利だった。
またこの将校は、まさに”貴族的権利思想”の持ち主であり、初夜権を正当な権利として認識していたし、彼にとって辺境地の農民の娘を犯す事は、領地内での鹿狩りと同じく面白く、その心地よい緊張感やサディスティックな欲望を満たす行為は、ベッドの上で甘え切った恋人達を抱く事とはまた別の楽しみであった。


サパタ一帯地域では、長年のトルメキア側による強引な商売の規制、通行料や商売料、井戸の使用料などなど何かにつけて税収のように土鬼民から搾り取っていたやり口もあり、そして、この娘の悲劇は、どこにでもある話であり、共有の憎しみだった。
地下を流れるマグマがある日突然噴き出すように、辺境地域でのトルメキアへの怒りが爆発し、連日連夜篭城するトルメキア兵との睨み合いが勃発した。

この報告を受けたナムリスは、この機に軍を投入し、帝国国土内にあって、かねてから目障りだったトルメキアのマイクロ自治領となっていた「トルメキア人の街」城砦を奪取し、破壊し、国境支配を確固たるものとするために進軍を決定した。


その戦いに向かう船の中、強姦されたもう一人の娘、夢子が乗艦していたのだった。
船は腐海上空から高度を下げ、やがて荒涼とした土地が見えてきた。
サパタ土侯国領土内に入ったのだ。











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2020/12/13 ➡︎2022/3/16加筆