もう無理!!!!頭が爆発する!!!
う゛ーっ、と小さく呻いてペンを放り出す。日本から持って来た普通のゲルインクのボールペンは埃臭い参考書の上をころころと転がっていく。転がっていくペンを眺めるように、机に突っ伏して、深く、深く溜息を漏らす。古い木目の図書室の机には、羽ペンの鋭い先端を使ったんだろう、で色んな言葉が掘られている。まだ真新しいメッセージには、「I hate her! Ms,Princess! IT'S YOU!!」(アンタなんか大っ嫌い!お姫さま!アンタの事よ!)と書かれている。ミスプリンセス…ああ、あのハッフルパフの美人か。ちょっと高飛車の。クディッチの上級生と付き合っているとか、スリザリンの監督生が狙っているとか、とにかく話題の堪えないあの子か。
はぁ、もう日本に帰りたいな…。
そんな事を思うのはもう何度目だろう。つい弱音が出てしまう。っていうのももうすぐ学期末試験。大量のレポートや覚えなくっちゃいけない事だらけで頭がパンクしそう。いや、ただの試験っていうのなら努力しましょう。留学っていうのなら挑戦だってします。でももう限界!だってここは「普通の」学校じゃないんだから。
ホグワーツ魔法魔術学校。
そんな怪しい学校からの入学案内状が届いた時には全く本当のことだなんて思わなかった。
どうせタチの悪い悪戯か、そうでなくてもしくは詐欺か。そもそも英語で送られてきた入学案内状は、お父さんが訳してくれてやっと意味が分かった程度だったし、お父さんもお母さんも「海外からのダイレクトメールなんて気味が悪いなぁ」なんて顔を見合わせていたほどで、家族の誰一人としてそれが「本物」の入学案内状だなんてちっとも思わなかった。
とにかくそんな風に思ってやり過ごして、何度も届く電話番号だってメールアドレスだって書いていない怪しいダイレクトメールを無視していたら、ごく普通の日本の、ごく普通の地方都市の、ごく普通の住宅街の、ごく普通の自宅に、大量のフクロウが送り込まれた。確か保健所とかバードウォッチングとか愛護団体とか野次馬が集まってきたり、「異常現象か?」って事でマスコミも騒いだっけ。何か日本にはいない種類のフクロウがいたとかで、一体どこから!?ってな事で我が家も散々疑われた…。
結局「なんかすごい事になったなぁ」って平和ボケもいいところで、間抜けにもテレビのインタビューにまで答えて驚いていたわたし達一家に痺れを切らしたホグワーツの偉大なる校長先生がやってきて、学校の説明からわたし達一家の家系まで説明してくれた。魔法で日本語しゃべってね。確か「何故こうまでしているのに気づかないのか!フクロウの異常発生を新聞に載せている場合じゃないじゃろう!」ってちょっと怒っていたような気がする。
その偉大なる校長先生によると、どうもうちの死んだ曾々おばあちゃんがイギリス人で、魔女だったらしい。
わたしなんてどっからどう見ても「日本人」の顔をしているのに、おばあちゃんの魔力だけ受け継いだというんだから不思議な話。
文明開化の時に日本にやってきた「お雇い外国人」の家族だったか。その辺の事は、校長先生でも分からないけれど、何かのきっかけで日本人の曾々おじいちゃんと結婚して、帰化して、戦争中でもイギリスには帰らず、そのまま日本で亡くなった…っという家族史があったとか。そしてわたしの魔力については、「おそらく先祖帰りでもしたんだろう」っていう結果になった。
その事についても校長先生はちょっと憤慨してたな。「何故自分の家族の歴史を知らないのか!家系図は用意しておらんのか!」って。普通の日本の一般家庭では、戸籍見たり、お寺に行ってお墓からの家系図を調べてもらったりだなんだしないとその、なかなか分からないと思います…。魔法界の人たちみたいに何百年分も用意してたり、先祖に会いに行ったりはしないし…。
「人と違ったことができるなんて素敵だし、行ってみたら?」
っていう楽天家のお母さんのオススメでやってきたホグワーツ。
でもうっかりしていた。魔法だなんてファンタジーな設定だったとしても、存在する世界の中では現実。
魔法だ、魔術だ、の前に英語という壁が立ちはだかった。しかも、当然英和辞書に載っているようなノーマルな単語以外も使う。ネットの翻訳機でも使えばいいか〜な事を考えていたら、そもそもコンピューター室がない。全て紙媒体から己の腕で調べるしかないというアナログ教育。(しかも紙媒体のくせに、本が噛み付いたり、ゲロ吐いたり、嫌がらせしてくるんだから手に負えない)
ひぃひぃ、号泣しながら補修を受けたり、エキストラクレジットっていう追加点をせっせとちまちま稼いだり、英語圏から来ているのはわたしだけじゃないし、そんな生徒の為の学習サロンも出入りしているけれど、それでも足りないものは足りない。
そんなわけでわたくし、一年生の時に、既に一年留年しております…。
このまま更に一年留年するような事があれば、もう恥ずかしくて生きていけない…!!既にスリザリンの連中からは「迷い込んだ東洋人」とか「Lost Girl」なんてあだ名が付けられてしまっている。意味は「場違いな場所に迷い込んできてしまった可哀想な東洋人の子供」なんて意味だとこの間スリザリンのアリスが“親切に”教えてくれた。一年の時の失敗を、未だにこうしてネチネチネチネチ言ってくるんだから、更に一年留年したら、一体どんな名前が付けられてしまうっていうのか…。
グリフィンドールの友達は気にしなくても大丈夫って言ってくれるけれど、不安なものは不安。
もういっそこのまま帰国して、なにかうまい事帰国子女って事でどっかの大学に潜り込めないもんだろうか。
普通の英語やなんかはすっかり自信がついたし、このまま語学系大学に進学する?
もったいない!!!
もうこんな刺激たっぷりの日常から、普通の日本での生活に戻れるような気がしない。大体今更日本の進路に戻っても、語学系で進んだとしてもそこから進路が思いつかない。英語は結局言葉でしかない。日本で日本語ができます!と言っても、だからといっていい仕事には就けない。日本語ができて、その上で何か能力や知識がないと仕事にはならないんだろうし、英語も同じ。英語ができますとイギリスで言っても、それはあくまで当たり前。わたしにはその追加でやりたいことが見つからないし、せっかくこんな素晴らしい世界に来られたんだから、もっと頑張りたいな。
『よし、もうひとふん張り頑張ろう』
もうすぐ夕食だし、その前に魔法薬学の単語くらい頭に入れておこう。ああ、夕食!またライスプディングが出たら嫌だなぁ!あれは日本人に対する冒涜としか思えない。なんだか食感が慣れなくて飲み込めない。それにチキンにクランべリーソースを掛けたりするのも不思議!肉類とベリー類の味を一緒に食べるなんてちょっと慣れないな。でも食べ始めると肉の脂とベリーの酸味が合って、結構クセになるんだよね
そんな事を考えながら、魔法薬学関係の本棚へ移動して、その無駄に仰々しい装飾のされたものから、何百年前からここにあるんだろうっていうくらいの古い本の背表紙を眺めていく。
ふいに小さな手帳を見つけて、立ち止まる。
なんだ、これ。誰かの忘れものかな。だったらマダムイルマに預けておかないと。
手に取った手帳は薄く、黒っぽいどこにでもある手帳のように見えた。日記かもしれないし、スケジュール帳かもしれない。裏返してもごくごく普通。噛み付いてくる様子もない。
誰のものだろう。男物、って感じはするけど…
ちょっとだけ中を見てやれ…
────!!!?