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はぁ、結局一睡もできなかった…。

いやウソ。ちょいちょい寝たんだけど、浅い眠りを繰り返すばかりで、寝た気がしない。昨日床に打ち付けたお尻が今になってジンジン痛くなってきたし、殴られたとこは当然まだ痛いし、口の中切ったところ、やっぱり口内炎になってる。そしてもちろん、都合よくホグワーツのグリフィンドールの寮の自分のベッドにいる筈もなく、わたしはアメストリスで一夜を明かしてしまった。
軍の朝は早い。それでも遠慮してくれたのか、7時になって朝食が届けられた。メニューはスクランブルエッグにあたたかいパン、サラダ、牛乳、ソーセージ、それからヨーグルトとフルーツ。救護室の朝食は、って昨日大佐さんが言ってたから、たぶん救護室専用の特別メニューなんだろう。お腹も空いていたし、ぺろりと食べて、外を見る。


なんていうか、ほんとうに、生きてる世界。


救護室の個室は、二階にあって、窓の外から中庭が見える。太陽が二個あったりすることもなく、朝を迎えたばかりの空は少し霞が掛かったような青が広がり、鳥が飛んでいく。中庭と、もうひとつ背の低い建物を越えた先は運動場のようになっていて、そこでは軍人さんたちが列になってぐるぐると走っているのが見える。救護室の外の廊下からも、さっきから人が行きかう音が聞こえる。生きている。魔法で作られた幻覚じゃなくて、ずっと地続きの歴史がある重さがある。

────この世界は、当たり前のように生きて存在している。


『これからわたし、どうなっちゃうんだろう…』




「おはよう、よく眠れたかな」
別に病人ではないのに病室に閉じ込めれて途方に暮れていたところに、大佐さんがやってきてくれた。
「執務室で食べるのも味気ないと思ってね、君とランチをご一緒させて欲しいんだが、かまわないかな?」
大佐、ってことは結構偉い人のはずなのに、自分で給食のように銀色のプレートに食事もって現れた大佐さんに、わたしは思わず笑ってしまう。きっといい人なんだろう。
もちろんです、と当然返して、さっきまた軍人さんが持ってきてくれた昼食を一緒に食べる。

大佐さんは、事件の話はしなかった。
来月セントラルにサーカスがくるから、どこそこに移動遊園地が現れたとか、火事で消失したと思われていた絵画が町のゴミ捨て場から発見されたとか、5歳の女の子が宝くじで500万当てたとか、そういう町のちょっとしたニュースをぺらぺらと話してくれる。ふんふん、とわたしも頷きながら、なんかこの人良い人だなー、とすっかり好感を持ってしまった。そういえば、ハンカチ!!


「あの、すみません。ハンカチまだお洗濯していなくて…」
「ハンカチ?ああいいんだ。君が持って処分してくれていいよ」

そっか。じゃあありがたく頂戴しておこうかな。向こうへ帰った時の思い出の品だ!
ありがとうございます、と答えてから、向こうへ帰った時のことなんて考えているくせに、どうやって帰ればいいのかさっぱり分からない自分に気がつく。魔法だって、使えなかった。けれど、とにかく、こんな軍なんて場所に長くはいられない。ここにいればこうやって食事がでてくるけれど、まさか軍でニートするわけにはいかないし…。でも、どうすれば良いのか。
スープをすくったスプーンが、急にとてつもなく重いもののように感じられて、手を下ろす。コンソメスープには自分の頼りない顔がゆらゆらと映る。

「さて、夢子。良かったら君の年齢を教えてもらえるかな?16、7歳ってところかな?」

19歳です!!留年してますから!と言いかけて、自分の中の強かなところがマッハで計算される。
まてよ、19歳なんて大人に近い年齢を言うよりも、16歳で、右も左も分からないいたいけな少女ってことにすれば良いんじゃないか?何も覚えてないんですぅ、とか言っておいて、それで隙を見計らって、逃げちゃえば良いんじゃない?だってこのままここにいて、何かの犯人にされても困る。刑務所とか留置所に入れられたらすごく怖い!だって調べられてもわたし、戸籍とかないし、不法入国なのは間違いない。子供だと油断してもらって、その隙に逃げよう!そのためには、童顔ってのを利用しよう!だって子供なら怪しまれないだろう!16…は流石にきついかな。17くらいにしておこう。

やっぱわたし、スリザリンでもよかった?


「17歳、です」
「17歳。じゃあこれからどんどん綺麗になっていくんだろうね」
いえ…、これが最終形態です。残念ながら。はは、と曖昧に笑うわたしを気にもしないでにこにこと笑う。そういや昨日、軍医さんがこの人が女好きとかなんとか言っていたような気がするな。確かに格好良いのかもしれないけれど、レイブンクローの監督生フランキーとか、我がグリフィンドールのクディッチのシーカー、アルフレッドとはちょっと違うタイプかな。よくわからんけど。ふふ、と笑った大佐さんがカップを置いた。なんとなくそのカップを目で追うと、底に茶葉が残っている。


「あら、大佐さん」
「ん?なんだい?」
「東で失せ物が見つかるそうですよ」


え?と大佐さんは軽く瞬きをする。ちょっと目を見開いて、きょとん、とする様子を見ると、この人こそが童顔だって感じがする。っていうか、いきなりそんな事言われたら不思議ちゃん度がアップしてしまう。
「神様のお告げか何かかな?」
「その、カップの底の茶葉で占ったんです。…私おまじないとか、大好き、で」
ウソは言っちゃいないけど、おまじないっていうか、占いっていうか…。占い学の成績だけは良かったんだよね。興味津々だったし、一時期は友達のアマンダと一緒くたになって、良い結果がでるまでお茶を飲みまくったっけ。最後に『腹痛に注意』ってでから、それから本当にお腹壊したんだったわ。
大佐さんは「女の子はそういうの好きだね」と曖昧に笑った。

大佐さんの失せ物ってなんだろう?ネクタイとか、ペンとかかな。


「じゃあ次は私が予言しよう。夢子、君は、正直に言ってしまえば、君は帰る場所がないんじゃないかな?」

驚いて目を見開くと、大佐さんは右手の甲にその形の良い顎を乗せたまま、何か意味深な笑みを浮かべて微笑んだ。
美人がそうすると妙な迫力がある。あ、と言葉に詰まってしまう。この人、何かわたしの事を知っているんだろうか。
一瞬にして不信感が込み上げたけれど、そのわたしの気持ちを掻き消すかのように大佐さんはにこりと笑って、言葉を続ける。

「私も軍人を長くやっているからそういう事は良く分かる。プロの勘、とでも思ってくれて構わない。それで、君には帰る場所がない。言ってしまえば、ここがどこかも分かっていないんだろう。昨日、あれから失踪していた少女のリストを洗っていてね。幾人か君じゃないか、と該当する子もいるんだ。だけどその数が一人や二人じゃなくてね。もしかすると、これから先、まだまだ君かもしれない、という子が出てくるかもしれない。
分かるよ。ああいう事件に巻き込まれ、君はとりわけ怖い思いをしたんだ。記憶の混濁があるのも無理はない。ゆっくりやっていこう。だけどいつまでもこんな軍の救護室にいるわけにもいかない。分かるね?ここは軍だし、軍である以上怪我人もでる。それに女性をこんな所に押し込めておくなんて私が堪えられない」

なんなの?この人、なんか、都合よく解釈してくれちゃってたりする??


「それでひとつ提案があるんだけどね、幸い軍の宿舎には空きがあるんだ。君さえ良ければ、君の記憶が戻るか、君の身元がはっきりするまで、軍の宿舎の一室に住んでみたらどうかな?」
「えっ、そんな…、でもわたし軍人じゃないし…」

願ってもみない事だけど、軍の宿舎というからには軍人だ。えー、まさか、軍人になれって言うんじゃないでしょうね…。そういやどこの国でも軍はいつだって若者をスカウトするのに必死だってのは聞いたことがあるけど、無理無理無理。この運動神経から何から何までものっそいモブっていうか、取り立てて誇れるほどの体力もない自分が軍人…無理だ。ロケットランチャー背負って走ったりなんかできないぞ。
ごくり、とビビるわたしの顔を見て、考えていることが分かったのか、大佐さんは苦笑する。


「安心したまえ。君を軍人にしようとは思っていないから。 私は大佐だからね。少しくらい融通が利くんだ。安心してくれたまえ。君が生きていけるようにきちんと生活の保護はしよう。宿舎と言ってもアパートのようなものだし、君一人生活するには十分だ。君が遠慮することはない。我々軍人は市民からの税金で成り立っているんだからね。市民に貢献してもバチは当たらないよ」


いいえ、わたくし、1セントたりともこの国に税を払った記憶はないんです!!
ま、まあ、いいや。なんかこれって、すっごくラッキーな状況!まだ神様はわたしを見放していなかったんだわ!地獄に仏とはこの事だ!


「…ご迷惑でなければ、よろしくお願いします」


頭を下げたわたしに、大佐さんはとても優しい笑みを浮かべていた。