と、ばかりに大佐さんはすぐにわたしの着ていたローブやら制服やら、もちろん杖と手帳も返してくれた。きちんと洗濯された向こうの世界の名残をぎゅっと抱き締めて、心細くなる心を叱咤する。大丈夫。わたしは魔女だ。何もできないただの人間じゃない。大丈夫。大丈夫。…魔法が使えなかったのは、たぶん、何かの間違いだ。大丈夫。
そう自己暗示をしながらローブに着替えて、大佐さんの後をついていく。うひゃー、運転手つきのクラッシックカー!
古いモノクロ映画に出てくるような、黒く丸いフォルムの車に驚く。向こうの世界で言うならワーゲンのビートルって感じだろうか。車にはきちんと、あのライオンのエンブレムが飾られている。軍の公用車だ。な、なんかこんな高待遇してもらっちゃって大丈夫なのかな。う゛、罪悪感が今更ひしひしと。
いや、ウソは突き通せば真実だ!って、スリザリンのビクターが言ってた!!
やっぱ、入る寮間違えた気がする、わたし。
今更不安になってくるわたしを物ともせず、まるでプロムのエスコートのように大佐さんがドアを開けてくれる。
カーナビとか、テレビとか、オーディオのない、言ってしまえば古い形の車の内装にちょっと興奮する。車にのり込み、町へと飛び出す。見えている町並みは、ヨーロッパ風。だけど現代っていうより、半世紀は昔のヨーロッパの町並みという感じがする。服装とかも、ちょっと違う。今よりもずっとフォーマルっていうか、世界名作劇場っぽいっていうか、やっぱ半世紀は昔だ。もしかして平行世界じゃなくて、過去に来た?
時間の流れを逆流するのと、今いた流れから隣の流れへジャンプするのと、一体どっちが簡単なんだろう?
はぁ、と小さくついた溜息が聞こえたのか、隣に座っていた大佐さんが心配そうな顔をする。
「不安なのは分かる。だが大丈夫。いずれ君が来た場所も分かるだろう」
「…はい」
来た場所は分かるけど、帰り方がわからないの…。
だけど、きっと、ダンブルドアならきっと、きっとわたしを見つけてくれるはず。だってわたし達の校長先生なんだから!
軍から車で15分も掛からない町のど真ん中にある大きなアパート。
門には「アメストリス国軍官舎」と書かれ、きちんと門番までいる。門番っていうか、門のそばに小さなオフィスがあって、そこでおじさんがラジオを聞きながらコーヒーを飲んでいた。大佐さんの後について階段を登る。わたしの部屋は二階の、206号室。
「必要なものは一通り揃えておいたよ」
そう言いながら開けられた部屋の中に驚く。ワンルームの部屋にはきちんとベッドや机、椅子が置かれ、そしてベッドの上には沢山の色とりどりの箱が置かれていた。まるでクリスマスの朝のように。
「あの、これは…」
「着るものが必要だろう?残念ながら君の趣味は分からなかったから、私が選んでおいたものだ。気に入ると良いのだけど」
あ、りがとうございます、と答えながらいよいよ居心地が悪くなってきた。お尻のあたりがむずむずする。どうしてこんな事になってしまったんだろう…。なんでこんな良い人を騙さなくっちゃいけないんだ…。
大佐さんはあれからわたしを「魔女さん」なんて呼ばないし、その話に触れようともしない。ローブの上から杖を握るけれど、魔法の使えない今、杖はただわたしの不安を煽るだけのようだったけれど、握っていると安心もする。
「好きに町に出るのも良いし、なんでも好きにしたまえ。これは少ないが軍からだ。また足りなくなったら言いなさい」
え?と返しながら握らされた封筒を見る。あの軍の紋章の入った封筒、お金だ!
はっと気がついて大佐さんをみれば、彼は当然のような顔をして頷く。
「君が案ずる事はない。君はこの事件の被害者だ。また何か思い出したらゆっくり話してくれたまえ。これは私の軍のコード番号だ。何かあればここに連絡してきなさい。この番号と私の名前を言ってくれればすぐに繋がるから。もちろん、何もない時だって連絡してきてくれて構わないからね、まだ知り合いもいなくて不安だろう。わたしで良ければどんな話だって聞いてあげるからね」
にこっと笑った大佐さんに、わたしはじわっと涙が込み上げる。なんって良い人なんだ!!
ぐずっと涙をぬぐうと、大佐さんはわたしと目線を合わせるように少しかがんで、わたしの頭を撫でた。普段なら、友達相手なら、子供扱いすんなー!少なくともみんなよりは1歳年上なんじゃー!と自虐ネタで喚いたりするところだけれど、これはもうしょうがない。そうやって優しくされればされるほど涙がちょっと込み上げる。
「君ともっと沢山話がしたい所なんだけどね、私のこわーい部下が書類を山ほど溜めて待っているから、私は帰らなくてはならない。代わりに信頼できるやつを紹介しよう」
そっか。そうだよね。もうちょっと一緒にいてくれたらすごく心強いけど、だけどこの人は「大佐」なんだ。お仕事とか沢山あるに違いない。そんなに忙しい中、こうやって今までつきっきりでいてくれた事に感謝しなくっちゃ…。
ついてきたまえ、という大佐さんの言葉に従って、部屋を出て、隣の部屋をノックする。205号室。
大佐さんのノックの音で、すぐにドアが開く。
現れたのは黒いTシャツにジーンズ姿の金髪の男の人。ふっとタバコの匂いが香る、喫煙者かな。
「あ、こりゃ大佐。どうしたんです?」と慌てて敬礼する男の人に、大佐さんはにっこりと笑って親しみの込めた声をする。
「やあ、ハボック。非番のところ悪いね。今日君の隣に越してきた少女を紹介しようと思ってね。ちょっと訳ありで、民間人なんだ。まあ、それに対応できるくらいの柔軟性を君は持ち合わせているだろう。紹介しよう、夢子山田くんだ。例の連続誘拐事件の関係者だ。私がしっかりついていてやりたいんだが、時間がない。そこで君に保護者を言い渡そうと思う。…夢子、ジャン・ハボック少尉だ。私の優秀な部下の一人だから安心したまえ」
どうも、とミスターハボックは頭をさげる。なんだか大きくてやさしい犬を連想するような、優しそうな人だ。
「はじめまして。山田夢子です。夢子がファーストネームです。どうぞよろしく」
握手を求めると、気軽に応じてくれる。わたしの手を包む大きな手はあたたかい。
「じゃあこれから町へ出て何か必要な物でも揃えに行くか?部屋には備品の冷蔵庫があると思うし、野菜や何かも揃えておきたいだろう?自炊はできるのか?」
「は、い…。そこそこ」
「…まあ、ゆっくり覚えていくだろ。じゃあ大佐、そんな訳でジャン・ハボック、行ってまいります」
「ああ、頼んだぞ」
大佐さんはまたわたしの頭を軽く撫でて、くるりと軍服を翻して歩いて行く。あ、言わなくっちゃ!
「大佐さん!」
呼び止めると、大佐さんは振り返る。わたしはしっかり頭を下げた。
「大佐さん、本当に、ありがとうございました!!」
頭を上げると大佐さんは、少し鼻白んだ顔にすぐに柔らかな笑みを浮かべて、「頑張りなさい」とだけ言い残して去っていった。やっぱりなんて良い人なんだろう…!
車に乗り込めば、中尉が男装をする為に被っていた軍帽を既に外して待機していた。
「ハボックは上手くやってくれそうだ。まあ、あまり乗り気でなかったようだがね」
「私も、まだ容疑者とも被害者とも分からぬ女性の部屋に盗聴器を仕掛けるようなやり方はどうかと思いますが」
「仕方がないさ。何せまだ行方不明の30人近くの女性の身が掛かっている。彼女の重要さは君にも分かってもらえると思うんだがね。それで、君は彼女をどう思う?」
車を発車させた中尉の表情をミラー越しに伺う。何かを思案するように、その形の良い眉がわずかに寄せられている。
「女優としての才能は、あると思います」
「確かに」
器用なタイプではなさそうなのは分かる。
それも見かけや振る舞いだけかもしれないが、しかし何かを企てたりできそうなタイプとは思えない。どこにでもいるごくごく平凡で愛嬌のある、取り立てて言う事もないような少女のようにしか見えない。嬉しそうに、私に心底感謝している、という様子で頭を下げたあの少女の高揚した表情は、とても素直な物のようにも見えたが、しかし、やはり何かがひっかかる。まだあの密室の謎すら解明できていない。
だからこそ、彼女の雰囲気と、彼女の謎のミスマッチさがより謎を呼ぶ。言ってしまえば物凄く不審者だ。
「売られていった女性達はみな催眠術のようなもので記憶を書き換えられている。夢子もそうして記憶を書き換えられ、そしてブローカーとしての役割をまかされていたのかもしれない。彼女が覚えていないだけでね。まだなにもかもが推測だが、そうすると彼女のあのどこまでも平凡な少女の様子にも、言動にも納得がいく。いずれにしても、まだ多くの背後関係や協力者がいるのは確かだ。」
続けた言葉に中尉が眉を寄せる。一体どこまで根が深い事件なのか、まだ何も分かってはいないのだ。
「しかしハボックには可哀想な事をしたな。一晩で引越しまでさせて」
「その件に関して特別手当を要求していましたが?」
「休暇でも昇給でもさせてやれ。ただし、全ての事件が解決してから、の話だが」
その時、ふいに軍からの通信が車内に鳴り響いた。
『支給援軍を請う!イーストサイドで行方不明になっていた憲兵の死体を発見!反抗手口から、例の連続婦女誘拐の際のものと一致!』
またか、今度は仲間を連衡された見せしめか?
「中尉、現場へ車を回してくれ」
ふいに、フラッシュバックするように浮かび上がった台詞に息を呑む。
────“あら、大佐さん、