「おーい、夢子、起きてるかぁ?」
ゴンゴンとドアがノックされる音で目がさめる。昨日ジャンと一緒に買い物に行った時に買った掛け時計は、朝の7時半を示している。う゛ーん、と布団の中で伸びをして、ふぁーい、と返事をしながらドアを開ければ、既に軍服に着替えて外に立っていたジャンがぎょっとする。
「お前なぁ、ちゃんと着替えてからドア開けるなり、相手を確かめるなりしろよ!ここは男も多いんだぞ!」
「あ、ごめんなさい」
やばい。長い寮生活ですっかりそんな感覚が麻痺してたわ。
ほら、待っててやるから顔洗って着替えてこい。朝食は軍へ向かいがてら俺のオススメの店で何か食おう、と笑ったジャンに、はい!としっかり答えてドアを閉めて、大急ぎで顔を洗って、歯を磨いて、昨日たっぷりベッドの上に買い揃えておいてくれた服を選ぶ。なんだか全体的にプレッピーなスタイルが多いけど、これはあのマスタング大佐の趣味なんだろうか。悪くないけど、ちょっとお上品すぎるかな。スカートとシャツに上から軽くセーターを着て、靴下を履いて、お財布を持って、あ、忘れちゃいけない。
使えないけど、でも、ないよりは…と杖と、あの手帳をポケットに入れる。
「お待たせしました!」
「もういいのか?」
「はい!今日は軍へ行くんですか?」
「あ、ああ。まだ聞かねぇといけねぇ事もあるしな。大佐にお前も挨拶したいだろ?」
「はい、もう一度、きちんとお礼も言いたいです」
頷いたわたしに、どうしてだかジャンは少し微妙な顔をした。けれどそれも一瞬のことで、うっし、行くか、とわたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。なんか、この人、お兄ちゃん気質って感じの人だな。多分、この人なら我がグリフィンドールだ!
軍で事情聴取をされるのは、非常に困るけど、だけど今のところなんか都合よくわたしは記憶喪失だか記憶が曖昧って事で大佐さんもジャンも思ってくれているみたいだし、これを貫くか。
朝のセントラル。
朝もやの、冷たくて、清潔で、濡れた匂いの空気が町いっぱいに広がっている。石畳の上を沢山の人が通勤通学のために往来していき、近くのアパートからは朝食のコーヒーの匂いがして、すこしわくわくと晴れた気持ちになる。良かった。扉の向こうの世界が、まるっきり変な国じゃなくて。みんなとても優しいし、もう少し、ここで頑張れるような気がする。
ジャンのオススメのお店というのは、公道の移動売店だった。
パンの種類を選んで、ハムを選んで、野菜を選んで、チーズを選んで…そうやって自分お気に入りの味のサンドイッチを作るシステムのお店。向こうの世界ならSUB WAYって感じかな。既に5,6人の人が列を作って待っている。
「えーっと、システムは分かるか?」
「うん、大丈夫!ジャンは何を頼むの?」
ジャンは、うーん、と顎を撫でながらメニューをざっとみる。ブレッドの種類だけでもかなりある。ちょっと迷うなぁ。
「俺はいつものやつかな。ハニーブレッドに、ターキーに、レタスにピクルス、スライストマト、それからバルメザンチーズをたっぷり挟んだやつ。お前はどうする?これ普通に頼むと丸々一本でてきて結構デカいから、俺と半分こするか?」
「本当?じゃあ是非!」
アイマム、とジャンは笑って、その通りのサンドイッチを頼む。自分にはコーヒー、そしてわたしにはミルクを。
「お前チビだからな、これ飲んでデカくなれ」
「…
はい」
アジア人的に言わせていただければごくごく普通なんですけどね!
けれど確かに貧相だな、とはちょっと思うのでありがたくミルクのパックと、半分に包まれたサンドイッチを受け取る。お金を払おうとしたら、さっと、ごく自然にジャンが払ってしまった。きちんと半分払わせて欲しいと言ったのに、良い格好させろよな、と笑って何もなかったようにしてしまった。そんな事が嬉しくてたまらなくなる。いかん。異郷の地で触れる人の優しさにうるっときてしまう。
慌てて冷たいミルクを飲んで、込み上げる涙をぐっと堪えて、一歩先を歩いていってしまったジャンの後ろを慌てて追いかけた。
「ハボック、なんだぁ?随分可愛い子に手出してるじゃないか」
「お前、いくらモテないからって未成年者はやめとけよー。軍人が警察のご厄介になるなんて見っとも無いぞ」
厳つい軍の建物に入ってから、何度冷やかされたことか。その度にジャンは「若い女の子で羨ましいだろ」と笑って友達らしき軍人さん達にヘッドロック掛けたり、ばーか、と返してすたすたと軍の中を歩いて行く。わたしはちょっと気まずくて、俯いてしまう。けれどそうするとジャンがごく自然にわしゃわしゃと頭を撫でて、よしよし、なんて言うから困ってしまう。
……もうすぐ成人なんだけどな。17歳ってウソはついたけど。
コンコン、とジャンがチョコレートの板のようなドアをノックする。するとドアが開けられたのだけど、ドアを開けたのは美人な金髪のお姉さんだった。ふぉー、女性軍人さん!格好良い!目が合ったので軽く頭を下げると、女性軍人さんは軽く微笑んでくれた。そしてその先には、大佐さんが座っている。やっぱ偉い人だったんだ。っていうか、大佐なんてこんなに若そうな人がなれるもんなの?なんかイメージ的には筋骨隆々な壮年の人って感じなんだけど…。きっとすっごく頭が良いんだろう。
「おはよーございます」
おじゃましまーす、と小声で言いながら、なんとも緊張する部屋に入る。足元のカーペットは廊下のものよりもふわふわとして、壁には軍の紋章やら地図やらが飾られている。なんていうか、あんまりほいほいと遊びに入りたいとは思わない緊張する部屋だ。日本の校長室みたいな感じかな。だけどうちの学校の校長室よりはもうちょっと怖くない。ダンブルドアの部屋って好奇心をくすぐられるものが沢山あるけど、その分やばいもんいっぱいでちょっと怖いのよね。
「おはよう、夢子。よく眠れたかい?」
「はい。あの、本当に色々と親切にしてくださってありがとうございます」
「なになに。気にする事は何もないよ。それより服もとても似合っている」
あ、りがとうございます…とちょっと緊張して返してしまう。学校の連中も相当ストレートだったけど、この人もかなり直球投げてくるタイプの人だ。そんなに女の子扱いされるとちょっと慣れないな。だって向こうでは“ミスロストガール”だったんだから。
「まあ、掛けたまえ。ハボック少尉は通常任務に戻ってよし。今日は早く返してやるから、また夢子に色々案内してやりなさい」
「アイサー。…そんじゃな、夢子、また後で」
「ジャンもありがとう!また後で!」
ばいばい、と手を振るとジャンも笑って部屋から出ていった。
録音したテープをさっそくファルマンに聞かせる。
軍で随一の記憶力のこいつなら、夢子の話している言語がどこのものか分かるだろうと踏んだのだが、ファルマンは首を横に振るだけだった。そのうちにテープからは夢子のすすり泣きが聞こえ、俺はテープを止めた。ファルマンも顔が曇っている。
「フェミニストの大佐にしては、らしくないやり方ですね」
「そうだな。それだけ上から圧力が掛かってるんだろ。なにせ前代未聞の大量誘拐だからな」
ファルマンは苦々しい顔をする。
「実際、彼女はどういう子なんです?…誰も入れない密室に突然現れた余分な6人目、なんですよね?」
ファルマンの緊張味を帯びた声に、俺はただ頷いて、ポケットからタバコを取り出して吸う。
どう、つったってなぁ…。
「どこにでもいる普通の子って感じだぜ?明るくて、人懐こくて…。」
それを聞いてファルマンは、少し脱力したように肩をすくめた。
「そんな子が犯人側だったら、後味悪いですね」
ぽつりと呟いた呟きが、じわりと胸に広がった。