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もう一泊宿を借りるため、自由にして良いとは言われていたが一応大佐へ確認する為に執務室に顔を出せば、大佐は、真剣な顔で書類に向き合っている最中だった。なんだ、真面目に仕事してんじゃん、と1ミリほど見直して、執務室へ一歩足を踏み入れた瞬間、ガザッとしたものを踏みつけ、足元をみれば、ブーツの底でぐしゃぐしゃになった紙が潰れていた。やべ、これなんかの書類じゃねーの、と慌てて拾おうと思ったが、しかしよくみればあちこちに同じように丸められた書類から、飛行機の形の折られた書類までが散らばっている。

……こいつを1ミリでも見直したオレが馬鹿だった。

「おい、こら税金ドロボー、書類、ンな風にしちまっていいのかよ」
指で摘まんだぐしゃぐしゃの書類をひらひらと大佐の涼しい顔の鼻先に突き付けてやるが、大佐は相変わらず涼しい顔をしているばかりだ。

「構わんよ。どうせ上からのありがたーいお言葉だからな」
「えっ、そんな偉い人からのお手紙、大丈夫なんですか?」
アルが心配そうに大佐に聞き返すが、大佐はひらひらと手を振って「かまわんかまわん」と紙飛行機を折る手を休めない。よくみれば紙飛行機は、ただシンプルに折られただけじゃなく、微妙に改良が加えられた、よく飛ぶタイプの折り方だ。あまり長くは通ってなかったが、学校でこの折り方ができると下級生に尊敬されるスペシャルな折り方だった。

「全く、私が税金泥棒ならば彼らは国家の寄生虫だな」
「大佐、そういう不穏な発言はせめて軍ではお控えください」


はぁ、と呆れたような中尉の声が部屋へと入ってくる。部屋に入ってきた中尉の腕にはまだまだ沢山の書類が抱えられている。
っていうか、軍では、って事はこの建物から一歩でりゃ好き勝手言えってことか…。


「……それは何かな、中尉」
「ハボック少尉とブレダ少尉が昼間確認してきた催眠術師たちのリストです。精神作用についての研究をしていた退役軍医などは比較的大人しく余生を送っているようですが、非合法のカウンセラーや術師の何人かをついでに検挙しましたので、確認の書類も追加です」
あー、詳しくは知らないけど、確か今セントラルは大規模な誘拐事件が起こってるんだったか。
セントラルで沢山の女の人が誘拐されて、売られていった話は旅先でもよく聞いた。アンタらも気をつけるんだぞ、と忠告してくれた人もいたが、生憎とこちとら男だけの旅だし、さほど気に掛けてはいなかったが、大佐や中尉はその事件の担当だったらしい。

「なんか忙しいみたいだし、勝手に部屋借りてくよ」
「ああ、今日は助かった。彼女は無事に部屋に帰ったかね?」
「そりゃ。きちんとオレ達が官舎まで送ってってやったからな」
それを聞くと大佐はほっとしたような顔をした。
なんだ、こいつこんなほっとしたような顔もするんだな、と妙な寒気すら覚える。
だけど夢子は今軍にとってかなり重要人物らしいし、それも当然なんだろう。


「ああ、そういやさ、夢子って結局何者?」


何者とは?と大佐が怪訝そうな顔をする。あー、なんって言ったらいいんだろうな、とオレはぐしゃと頭を押さえる。夢子は、なんか変だ。ふっつーの、どこの街にも居るようなふっつーの女の人だけど、なんか変だ。
オレと同じ違和感をアルも持っていたらしく、オレ達は顔を見合わせて今日の話をした。







そんじゃ、もう一泊借りるわ、と手をひらひらと振りながら出て行った鋼のを見送り、中尉と顔を見合わせる。

「……あの教会は確かに錬金術師のパトロンをしていました。今はただ残された墓地くらいの役割しかありませんし、街中に新しくできた教会の方は錬金術とは関係のないただの宗教施設ですけれど…」
中尉が躊躇うように言った言葉に私も頷く。

軍法会議所に勤めるヒューズに会いにセントラルに来た時に、一度、火事のある前のあの教会に足を運んでいる。
錬金術師として、セントラル最古の錬金術師が研究をしていた教会というものに興味があったからだったが、実際はただの教会でしかないように思われた。神々の楽園の描かれた宗教画が飾られ、ミサに使われるオルガンがあり、椅子が並び、もはや骨董価値すらある古い祭壇があり…というありふれた教会。国家錬金術師の権限で、地下から何から全てを見て廻ったが、特別なものはなかった。第一、錬金術を研究していたといっても3世紀は昔の話だ。

残されていたのは「ここで錬金術師が書き物をしていたかもしれませんよ」という程度のデスクと、錬金術師たちが好んだ宗教画くらいだ。宗教画にしても、錬金術に関係のない、聖者が荒野に突っ立っているだけの味気のない地味な絵だったと記憶している。

「その夢子が執着したという変わった文字は私も覚えがないな」
「一度調べてみますか?」
「…そうだな。一応調べておいてくれ」

出世も大事だが、私個人としてもいい加減この事件から手を引きたい。
このままでは過労で死んでしまいそうだ。


第一、起こっている事件の規模が大きすぎる。
今、保護された女性の数だけでも相当な数に登る。その全ての女性の誘拐までの足取りから、事件の調査、背後関係の調査、報告、裁判…それだけでもとんでもない労力だ。ましてや売られていた女性たちは揃いも揃って記憶が曖昧で、何も知らないし何も覚えていない。調査も調書もまるで進まない。そして家族から出されている失踪届けの女性の調査、怪しいと目星の付けられた地元の犯罪組織の監視、尾行、調査、検挙などなど…猫の手も借りたい位なのだ。

毎日デスクに溜まっていく書類はキリがない。
第一、一ヶ月に一件起こるかどうか、という人身売買の事件がこんなありえないスピードで、ありえない規模で起こっている方がおかしいのだ!


「とにかく、その文字云々は夢子のまた虚言かもしれない。魔女だと言い出した時のようにね。彼女は占いにも興味があるようだし、夢子の個人的な趣味かもしれない。だがあの夢子が執着したものだ。何か意味があるかもしれない。そして今はとにかく夢子から目を離さないように。彼女が仮に黒幕とブローカーとの接着剤だとしたら、今後何らかの接触があるかもしれん。」
「囮として、夢子を飼うのですね」
頭を押さえながらそう言い放った私に、中尉の声が落ちてくる。それは静かだが、批判するような強さがあった。だが囮というのはその通りであり、批判される謂れもあるので、私は頷く。


黒幕はここまで自分の足跡をまるで残さない。
いっそ天才的なまでに手がかりがまるでなかった。
しかし、今、我々の手の中には夢子という存在がいる。いない筈の6人目。
彼女が何らかの駒だとすれば、ここまで完璧に誘拐や人身売買をやってのけている黒幕が、駒を軍に押さえられて納得するはずがない。彼女の記憶を消しに掛かるか、それとも殺しにくるか……何らかの形で必ず現れる。

彼女が駒でなくとも、この事件に急に現れた流れにそぐわない人物だ。
完璧だった事件の縺(ほつ)れだ。
絶対に何かある。


「それと…」
言葉を続けた中尉を見上げると、中尉は伝えるべきかどうか、と躊躇うような表情をする。
どうしたんだね、とその躊躇いを流してやれば、中尉は少し眉を寄せなが話す。


「先日、大佐とハボック少尉、そして夢子を襲った男が亡くなったそうです」
「なんだと?」
「頓死です。取調べに暴力行為があった訳でもありません。彼はそもそも取り調べすら受けていないのです。憲兵に引き渡されてた後、彼はずっと精神科にまわされていたので…。それに解剖に回した結果、死因もまるで分かりません。急にひょっこり死んだのです。……それから、彼は死ぬ間際までずっと、悪魔が来る、殺してくれ、と呟いていたそうです」
「悪魔?」

中尉の言葉を疑わしく繰り返したが、中尉自身もただ疑わしい顔をして頷いた。やはり何か精神に異常のある男だったのか。しかしその死に方はまるで…あの憲兵達のようではないか。
中尉も同じことに気がついていたのだろう、亡くなった憲兵達との関係を調べわかり次第報告すると約束した。


あのナイフ男の死も、思っているよりも、ずっと根の深い事件なのかもしれない。







あ゛――――わからん…!
なんだっけ…え゛ーっと…う゛ぇっと…“カバの木”だから意味は“成長”で、こっちは“騎馬”だから、“旅”“コミュニケーション”“融合”で、こっちのが“故郷”“遺産”そんで、こっちが“戦いの神ティール”“勝利”、それから“雹(ひょう)”で意味が“アクシデント”。そんで、“イチイの木”だから“防御”あ、でも“馬”の方の意味かも。うーん、どっちだ?そんでこれがまた“旅”。
「成長」「旅、コミュニケーション、融合」「故郷」「勝利」「アクシデント」「防御もしくは馬」「旅、コミュニケーション、融合」

一体、なんのこっちゃ!

とりあえず、書かれていた古代ルーン文字で一番短いものから訳してみようと思ったけれど、たった7文字のこの言葉が意味する事がわからない。なんだかよくわからんけど、とりあえず「故郷を離れて旅に出て勝利の先のアクシデントを乗り越え、また旅を続ける」
……みたいな意味かな?そんなの、どこの少年漫画の世界だっての。大体、ルーン文字なんて文章として記録するのに便利な文字じゃない。ほとんど各々がシンボルみたいな意味なんだし、今じゃタロットカードとか占いに使われるくらいだ。それを翻訳なんかできるかー!

『あーあ。こんな時、ドラえもんのホンヤクコンニャクがあれば良いのになー』

ペンを放り出してそう呟く。
魔法なんて万能のようなことを習ったけれど、実際は何も万能じゃあないし、こんな所でそれも使えなければただの空想でしかない。
第一、ホグワーツにいた時はマグルの電化製品の方がよっぽど魔法みたいだった。遠くに居る人と自由に会話ができたり、気軽に写真が取れたり、小さなうっすいディスクの中に沢山の情報が詰まってたり、大げさに暖炉を燃やさなくても、パソコンでちょいちょいっとやるだけで片手で色んな情報を手に入れられたり…よっぽど魔法だわ。


はぁ、と漏らした溜息は果てしなく、机のランプの明かりだけの灯る薄暗い部屋へと散っていった。





「学べよ 脳みそ 腐るまでぇ〜」

だらだらとホグワーツ校歌を歌いながら、朝の身支度をする。
すっかり夜遅くまで古代ルーン文字と格闘したせいで、まだまだ瞼がどろりと重たい。できることならもう一度、まだ自分の体温で暖かい布団に潜ってもう一眠りしたい。今日は土曜日だし、寝ちゃっても別に誰にも叱られないだろうけれど、今日は図書館へ行くと決めたんだ。せめてこの街の成り立った経緯くらいは知っていたって変じゃない。それから、できればあの教会について分かる事を調べておこう。

あー、ルーン文字!!
こんな事なるんだったらもっと真剣にバスシバ先生の話を聞いておけば良かった。もしくはルーン文字が得意な…いや、いっそオタクの域に達しているハッフルパフのハンスを巻き添えにして連れてくれば良かった。あいつルーン文字を愛しすぎちゃって、自分でルーン文字の彫られたチャーム作って持ち歩いてた位だし。確か、学校を卒業したらルーン文字を巡る旅へ出て研究したいとか言ってたっけ。

だけどハンスだったらそうやってルーン文字を生かして、この世界のヒントを見つけられたかもしれない。
魔法史の得意なオリバーだったら、自分の知識から何か情報を得られただろう。
天文学の得意なスーザンなら、このアメストリスの天体を見て何かがわかったかもしれない。
このアメストリスが地球にあるのか、どうなのか、とか。


芸は身を助ける。


今まで怠けていたしっぺ返しをモロに食らっている。なんの取り柄もない自分が心底恨めしい。向こうに戻ったら、なんとかして過去の自分に忠告してやろう。…ああ、とにかく、古代ルーン文字!昨日あれから一晩考えたつもりだけど、さっぱり意味がわからない。

見つけたルーン文字の文章は全部で10。
「成長」「旅、コミュニケーション、融合」「故郷」「勝利」「アクシデント」「防御もしくは馬」「旅、コミュニケーション、融合」と
「光」「分離、遺産」「旅、コミュニケーション、融合」「導き、命の経験」「変革」
「戦士」「旅、コミュニケーション、融合」「終わりと始まり」「戦士」「破壊、自然の力」
などなど、なんだか抽象的でわかるんだかわからないんだか、っていうか訳のわからない意味が延々と続いていくだけ。何が言いたいんだかさっぱりわかりゃしない。もったいぶってないで日本語、いや、英語で書け!素直にアルファベッドって書いといて!といっそ腹正しいほどだ。

腰に手を当て、ミルクをぐいっと飲んで、『よっしゃー!』と気合を入れる。
図書館でバリバリ勉強してやろーじゃないか!!!



街の人に道を聞きながら自力で見つけたセントラル国立図書館。
郷土の歴史コーナーとでも言うような、セントラルの歴史を集めた棚から読み安そうなものを数冊抜き取り、それからアメストリスの歴史も選ぶ。アメストリスの歴史は本気で勉強しようと思うと長くなりそうなので、子供向けの比較的需要ポイントのみを抜き出した児童書だ。できればマンガアメストリス歴史物語、みたいなものがあればもっと良かったけれど、残念ながらこの世界にマンガはないらしい。新聞の風刺画のような挿絵調のものはあるけれど、日本で逸っているようなコミックはないようだ。

とりあえず、アメストリスの歴史はなんとなく分かった。
軍が主導権を握る前はやはり教会なんかの宗教が錬金術という力を使っていた、と。それから、ついこの間まで内戦があった、と。イシュヴァールという別の宗教民族との衝突。沢山の国家錬金術師が導入された…か。


────大佐さんや、リザさん、ジャンもこういった戦争に参加したんだろうか。


内戦は遠い昔の事ではなかった。
けれど、戦闘が行われたのはセントラルから遠く、街の損傷はまるでないらしい。
けれどまだあちこちで衝突やテロが起こっていると読み、なんだか厄介な場所に来てしまったなぁ、と正直思う。


ホグワーツは、そりゃ確かに下手すりゃ教科書に噛み付かれるし、爆発するし、毒なめくじで手は腫れるし、骨はなくなるし、スポーツの最中に亜空間に消えるし、階段から振り落とされそうになるし、ダイオウイカに攻撃されるし、マンドレイクはいるし、森にはかなりやばい生き物もいるらしいし、うっかりすると大変な事にはなるけれど、でも生徒の命の保障だけはあったもんなぁ。
説得力ないか。…その安全な筈の学校の中からこんな場所に飛ばされてしまった自分は、うっかりホグワーツ七不思議の一人になってるかもしれない。はぁ、と溜息ひとつ漏らして、次にあの教会についての本へと手を伸ばした。


その時、ふいに視線の先に見覚えのある大きな鎧を見つけて、思わず立ち上がる。


「アルフォンス!……あっ、すみません」
アルフォンスはアルフォンスだったけれど、周りの人から「しーっ」と注意をされてしまい、慌てて口を抑えておずおずと椅子に座りなおす。アルフォンスはやっぱり鎧だけど、でもなんとなく笑ったようで、ガシャコンガシャコン遠慮がちに音を立てながらやってきた。

「夢子さん、おはようございます。夢子さんも図書館に?」
「おはよう、アルフォンス。うん、ちょっと調べ物しに。昨日はありがとう。本当に助かっちゃった。それでエドワードも一緒なの?」
「うん、兄さんなら多分向こうにいると思うよ。…あ、ほら、噂をすれば」
アルフォンスが手を振った先を振り返れば、目立つ赤色のコートを着たエドワードが珍しそうな顔をしながらやってくる。

「あれ、夢子、今日は護衛なしで外出てきていーのかよ?」
「明るいうちに帰るつもりでこんな朝早くから出てきたからセーフ!」
「んな自分ルール使って、後であの嫌味な大佐に嫌味ったらしく嫌味言われたってしらねーぞ」
その時、後ろに座っていたおじさんがわざとらしく大きな音で咳払いをしたので、わたし達は慌てて本を抱えて談話室へと移動した。談話室は個室になっていた。本当は司書の人の許可があって初めて使える部屋らしいけれど、エドワードは国家錬金術師さま特権で顔パスなんだとか。そしてその談話室の机の上いっぱいに、古めかしい本が山積みにされている。ざっとタイトルを見ただけだけど、どれもこれも民間伝承の本のようだった。


「こんなに沢山調べてどうするの?」
「オレたちはあるモン探して旅してんだ。普段なら大佐から何か目ぼしい情報貰う所なんだけどさ、さっき覗いたら電話鳴りっぱなしだし、書類は溜まってくし、で期待できそうになかったから、こうしてなんかそれっぽい噂のある場所の目処をつけてんのさ」


ああ、そういえばもうずーーーっと、軍の人たちはバタバタと忙しそうだ。
大佐さんの部屋を掃除するときだって、ぐっしゃぐしゃに丸められたり、燃やされた大切そうな書類が沢山あって、捨てて大丈夫なのかと聞いたら、偉い人からの応援メッセージだから大丈夫ってにっこりと、なんか迫力ある笑みを浮かべていたっけ。…やっぱりあの誘拐事件が原因なのかな。

「それで何を探してるの?」
何か探して旅って、まさか自分探しか?なんて内心馬鹿なことを考えたわたしの思考回路など露知らず、エドワードは答える。


「賢者の石さ」
「え?」


なんっかそれ聞いたことあるぞ、と思ったと同時に、エドワードの目の色が変わる。
それまで余裕綽々だった態度が一変し、わたしに詰め寄るようにぐいっと身を寄せる。驚いて口をぎゅっとつぐんでエドワードの顔をまじまじと見れば、エドワードの表情は真剣そのものだった。
「アンタ賢者の石について何か知ってんのか!?」
ぶんぶんと首を振ると、エドワードはそれでも納得した様子はなくますます身を乗り出す。顔が近い!金色の大きな目がまっすぐにわたしを射抜くように見つめ、後ろからはアルフォンスが「兄さん、夢子さんが困ってるよ!」と宥める声が聞こえてくる。

「オレたちはこいつを探してずっと旅をしてきたんだ!聞き込みだって沢山やってきた!相手が腹に何か隠してるって事くらい分かるようになった!アンタは何か知ってる筈だ!頼む!教えてくれ!!俺達は元の体に戻りたいんだ!!」
「も、元の体って?」
エドワードの唇を奪ってしまいそうになる程ぐんぐん近づいてくるエドワードの肩をぐいっと押して、エドワードをきちんと椅子に座らせると、エドワードはぎゅっと唇を結んで、迷うような表情をした。アルフォンスも困ったようにたじろいでいるのが分かる。

「だけど、わたしは何も知らないの。ごめんね」
「……いや、いいんだ。そうだよな、アンタ元々記憶が曖昧らしいし、錬金術師でもねーもんな」

エドワードは自嘲するように吐き出して、ぐしゃりと前髪を押さえつけた。
わたしは何も教えてあげられない自分と、ずんと重く沈んだ空気に上手に呼吸ができなくなるようだった。




賢者の石。
本当は、聞き覚えがある。確か“マグル出身者はこれを読め!週間魔法界の常識!!”って大衆紙に載っていたような気はする。マグル出身者が魔法界で無知にならないよう、今更人に聞けない常識や、想像上のものだと思われていた、しかし実際は存在するあれこれを特集している雑誌だ。
その雑誌によれば、ニコラス・フラメル夫妻とダンブルドアが共同開発に成功したとかなんとか。マグルの錬金術師が何世紀もかけて血眼で研究していた錬金術においてのオールマイティーアイテム。なんだか詳しくは覚えてないけれど、魔法を使う際の力がレベルアップしたり、不死になったり、金を製造できたり…そういうチートアイテムだったような気がする。


存在するのは存在するらしいけれど、魔法界のことなんて、エドワードやアルフォンスにとっちゃ夢物語な世界の事を話したって変に期待させるだけだし、可哀想だけど、たぶん、これは黙っておいた方が良いだろう。


「それで、アンタは今日は何しにここへ?」
「昨日、エドワードに言われた事が堪えちゃって」
え?とエドワードは顔を上げて怪訝そうな、いやきょとんとしたような表情をする。けれどその顔はさっきまでの切羽詰った顔というより、年相応の男の子の顔に見えた。


「もうちょっとこの国の事色々知っておいた方が良いと思って、歴史の勉強に」
ほら、と机の上に置いた“アメストリスの近代史”という本を見せると、エドワードが苦笑した。
「そりゃ悪かった。そんで、なんか思い出せそうなのか?」
「…うーん、別に何も」
「そうだ、夢子さん、夢子さんもこの部屋で本を読んだら良いんじゃない?」
え?ときょとんとしたのは今度はわたしの方だ。だけどアルフォンスは良い考えが思い浮かんだように、「そうだよ!そうしようよ!」と楽しそうに笑う声を上げる。「だって歴史の勉強するんでしょう?本を読むだけじゃ分からない事だってあるかもしれないし、それ位の疑問ならボク達にだって答えて上げられると思うよ!」と提案してくれる。


「だけど邪魔にならない?だって二人とも真剣な調べ物するんでしょう?」
「ま、アンタ一人増えた所で集中力が切れるオレ達じゃないし。それにどっちにしろ、このままアンタ一人帰らせたら大佐に嫌味言われるだろうしな。目の届くところにいてくれた方が助かるよ」
「兄さんったら素直じゃないんだから」
オレ様はいつだって自分に正直だ!とアルフォンスの言葉に噛み付くエドワードを、アルフォンスと一緒に笑った。



「じゃあ今日も一日よろしくお願いします」
「おう」









「“図書館へ行ってきます。夕方までには帰ってきます。 夢子”…っと。やられた」

昨日一日、セントラル中を駆けずり回って怪しげな魔術師や精神科医やカウンセラーや精神鑑定専門の退役軍人の間をまわっていたのに加えて、中には数人、非合法な活動をしていたやつらがいたから、そいつらを検挙して、事情聴取をして、書類にまとめて、大佐へ提出して、なかなか解決しない事件への市民の募る苦情の電話の対応をして…と、仕事を片付けてようやく家へ帰り着いたのは朝方のことだった。俺の代わりに官舎で夢子の監視をしていたフュリーとバトンタッチで帰り着いたが、まあ、その、正直うっかり寝てしまった。

寝たつったってたかだか2時間のことだか、それでもその2時間の間に、夢子は一人で外に出ちまった。しかも夢子は間抜けにも自分の部屋のドアの前に、あんな馬鹿正直なメモを残していってくれたんだが…。



しかしなぁ、こいつ、そもそも一般的な常識はあるんだろうか。
軍人だけが住んでいるとは言え、やはり男所帯になりがちな官舎で、こんなメモ残してりゃここに女が住んでるってアピールしてるもんだ。恥ずかしながら末端の人間の人格までは保障できないっつーのに…。しかも女目当てでなくとも、「今この部屋は留守ですよぉ、誰もいませんよぉ」とアピールするような真似はしなくても良いだろうが。こりゃ空き巣に入られたって文句は言えんぞ。

しっかりと吸い込んだタバコの煙を、盛大に吐き捨てる。
真っ白な煙は、夢子の残したメモにぶつかり、ふーっと天井へ天井へと登っていく。さて、と。こいつのことだから本当に図書館へ行ってるんだろう。迎えに行ってやるっきゃねーよな、俺の監督責任だし。盗聴を録音している胸クソ悪いテープをそれでも確認の為に再生する。水を使う生活音が流れたと思ったら、夢子の鼻歌が流れる。



「学べよ 脳みそ 腐るまでぇ〜」


調子っぱずれな、変な歌をふんふんと機嫌よく歌っている。
なんだ、この変な歌は、と苦笑する俺を知らず、夢子の変な鼻歌は続いた。