13
あの教会の名前は、ヘルメス教会。
ヘルメス…といえば錬金術に関する伝説的な人。やっぱあの教会は錬金術に関係している。それも向こう側の錬金術と。だけど分かった事は、とりあえず、錬金術師が3,4人、別の本では10人、別の本では20人、まあ、とにかく錬金術師のグループがあそこで研究をしていましたよ、程度のことだ。見つけたルーン文字についてのヒントも何も見つからない。
正直、飽きてきました。
でろん、と机に片頬くっつけてだれるわたしに比べて、エドワードもアルフォンスもとんでもない集中力で何冊も何冊も分厚い本を読んでいく。そしてわたしにはさっぱり分からない専門用語で何かを相談したり、頭を掻き毟ったり、次の本へと手を伸ばしたり、何かをメモったり…いや、全く、大した集中力だ。そうやってすっかり感心していたとき、ゴンゴンッと、談話室のドアがノックされ、驚いて振り返ればドアに取り付けられたガラスの向こうでジャンがむすっとした顔をしているを見つけた。
「お、ハボック少尉じゃねぇか。ほら、みろ。やっぱり夢子ん事探してたんじゃねーか」
「ほら、早く開けてあげないと!」
「……でもなんか怒ってるし…」
ちらっと見れば、ガラスの向こうのジャンはむすっとしている。眉がぎゅっと寄っている。
エドワードが「じれったい!」と一声あげてドアを開けてしまうと、ジャンが現れる。いつもの目立つ色の軍服じゃなくて、スラックスにセーターを着ただけの私服だ。そりゃ今日は土曜日だから。腕を組んでぐいっと顔だけ近づけてくる。「お、おはよう、ジャン。今日はとっても良い天気ね」なんてとって付けたように挨拶してもジャンはむっとしているばかり。
「なぁんでこんな所で大将と一緒に仲良くお勉強しているのかなぁ?どうやってこんな場所まで来られたのかなぁ?」
「…そ、それはもちろん人様に道を聞きつつ…」
「どうして俺を呼ばなかったんだ?」
「……ノックしたら、寝てたみたいだった、から?」
だからちゃんと書置きしてきたじゃん!と負けてられん、と反論すると、ジャンは盛大な溜息と共に、見覚えのある書置きのメモを事の次第を見守るエドワードとアルフォンスに見せた。
「おい、こんなのが女の子が一人暮らしする部屋のドアに貼ってあるってどう思う?」
「うわー、最悪。無用心。なんかあっても自業自得」
「兄さん、それはちょっと言いすぎだよ。夢子さんは、ちょっと注意力が足りなくて危機管理能力がなかっただっただけだよ」
……アルフォンスのが一番キツイ気がするんだけど、とはアルフォンスを除いた3人の見解は一致しただろう。ジャンは軽くわたしにチョップすると、メモをポケットに仕舞って盛大に溜息を漏らした。
「ごめんね」
「いいよ。寝てた俺の方も悪かったし。そんで、こんな所で何調べてんだ?」
「アメストリスの歴史と、あの教会の歴史よ。ちょっと位は頭に入れておいた方が良いと思って」
ほら、と本を数冊手にとって見せると、ジャンは、へー、と感心したような声を出す。でもこいつ途中から退屈そうに寝てたぞ、とエドワードが余計な告げ口をしたので、ジャンが苦笑した。エドワードめ…集中してると思ったのによく見てるんだから。
まだもうちょっと勉強していくというエドワードとアルフォンスと分かれて、わたしとジャンは図書館を出た。時間はすっかりお昼を過ぎようかというような時間だった。
「そうだ、お前なぁ、今日はたまたま大将と一緒だったから良かったもんを、一人で女の子がうろうろすんな。見てみろ。誰も、一人で歩いてねぇだろ」
まだ怒ってたか、と内心困りながらあたりを見渡せば、確かに、セントラルの真ん中にある図書館の周辺のはずなのに、昨日見た町外れの光景のように、女の人はみんな誰かと一緒になって歩いている。ちょっと異常なくらいだ。
うん、と反省して頷くとようやくジャンが安心したように頭を撫でてくれた。
「心配してんだ。分かったらもう一人でふらふらどっか行くなよ?」
「了解です」
ようやくジャンは笑った。
官舎へ戻ろうと歩いていると、ふいに街が賑わっているのを感じた。
遠くからは鼓笛隊のような賑やかな音楽が聞こえ、歓声が上がっている。
「なんだろう。お祭り?」
「いや、違うな…。あー、これだ。もうすぐサーカスが来るんだとよ。そういや警備配置の連絡が来てたっけか。」
ジャンが顎でさしたのは、果物屋さんの壁に張られたポスターだ。ポスターには二種類あって、像やピエロや綺麗なお姉さんが賑やかに、大きなテントをバックに笑っている、みるからに“サーカスのポスターです!”というデザインのものと、もう一枚、「魔術師」と書かれた黒いポスターがあった。黒いポスターはただ黒く、その中心に真っ白な薔薇が浮かんでいるだけ。サーカスの宣伝ポスターとしてはちょっと物足りない。だけどどちらも同じサーカス団の名前が書かれているから、同じ団体のものなんだろう。
「へー、サーカス!」
「サーカス行きたいか?」
え?とジャンを見上げると、ジャンは何かアイディアでもあるのかにやにやと笑っている。
「……興味ない、よ」
でもサーカスに行くほどのお金はない。家賃も電気代も払わなくて良いと言われているとはいえ、お金があるわけじゃない。今やってる掃除のおばちゃんの仕事だって、贅沢できるほどじゃないし、きちんと残しておきたい。けどそんな事をジャンに言えば気にするだろうから、興味ないって言っておいた方がいいだろう。ジャンのことだ、気を使って連れ出してくれようとするかもしれないし。そんなのはさせられん。ジャンは、ほー、と意外そうな声を出してじろじろとわたしを見る。視線が痛い。
「どうせお前、変な気でも使ってんだろうけどな。なーんとタダで見物できる裏技があるんだな、これが」
「裏技?」
思わずジャンを見てしまい、ジャンが、ほら興味あった、とでもいうようにニヤリと笑う。しまった。
「軍人シートさ」
「軍人シート?」
ミリタリーシート…聞き覚えのない単語に首をかしげると、ジャンは説明してくれた。
アメストリスは、そもそも軍国家だ。
そしてセントラルはその中心都市であり、軍が中心となっている。大総統という軍のトップの人の建物や家族も住んでいるし、物凄く沢山の軍人やその家族が住んでいる。軍は軍がすばらしい組織であり、尊敬されるべき組織であることをアピールするプロパガンダの為に、軍人特権を沢山もうけている。スポーツスタジアムの軍人やその家族専用の特別席や、割引になる動物園の特別チケットなどなど。その一環として、サーカスやお芝居のようなショーをする際は、軍人招待券というのが発行されるらしい。
それはサーカスやショーをする側が「軍人さーん、いつもセントラルの治安を守ってくれてありがとうございまーす。お礼にぜひぜひうちのショーを見物しに来てくださいね」とチケットをプレゼントするような形らしい。
ちょっとやらしい気もするが、それがプロパガンダなのだから仕方がないとジャンは言う。
「だけどわたしは軍人じゃないし、軍人の家族でもないわ」
「んなのはチケットさえありゃ良いんだよ。どうせ大佐んとこには沢山チケットが集まってるだろうしな、それで行けば良い。そうだ、子供は子供らしく大将らと行ってくりゃ良い。どうせあの人が持ってたって女に配るだけなんだからな」
そう言うが早いか、ジャンはわたしの手を取って元来た道を戻った。
「って、ことなんで持ってるチケットください」
ぬっと目の前に差し出されたハボックの手のひら。顔を上げると私服のハボックが妙ににこやかな笑みを浮かべ、その後ろで夢子とアルフォンス君ががおろおろとし、何時の間に戻ってきたのか、鋼のがにたにたとこんな時ばかりの子供の面を被って笑っている。
はぁ、と露骨に溜息をついてデスクの底を漁る。アルフォンスが「でも大佐がそれでデートするならボク達は別に…」と気を使い、夢子は夢子で「そうです!それをダシにデートに行くのに!」と誰の入れ知恵なのか妙な心配をする。もちろん犯人は分かっている。ハボックめ。月曜になれば馬車馬のようにこき使ってやる。
「別に心配せずともどうせ行く気はなかったんだ。君達で行ってきたまえ」
本当は、こういったアトラクションの好きなアリシアやクスリタルを誘うつもりだったが、この忙しさではそんな余裕はないだろう。第一、こんな軍人席など顔見知りのオンパレードだ。また女たらしなどと噂を立てられるのは困る。こうして机の中でただの紙切れとして死んでいくよりは、子供の楽しみに使ってもらう方が良い、と自分を納得させながらハボックの手のひらに3枚分のチケットを握らせる。
「あれ、大佐、もう一枚ないんすか?俺の分」
「ほう、お前にはそんな余裕があるのか?」
「…ないデス。けど夢子の付き添いってことで」
「それは鋼のとアルフォンスにまかせておけば良い」
さーっとハボックの顔から笑みが引いていき、残ったのはぎこちない笑みばかり。
がっくりと肩を落としたハボックの肩を、中尉が無言でぽんと叩き慰める。実際、ネコの手も借りたいほどの忙しさの中で抜けられては困るのだ。今日は夢子の護衛のために休暇を取らせたが、実際ならば軍で缶詰にしてやりたいほどだった。実際、私は休日もこうして真面目に働いているんだ、同じ苦しみは等しく部下と共有しなくてはならない。
「ジャン、ごめんね」
「いいんだ。結構長い間やってるらしいし、暇ができたら行くさ。そん時は二度目でも付き合えよ」
「うん。ネタバレしないって約束する」
ぽんぽん、と夢子にまで肩を叩かれて同情されるハボックに、私は知らず溜息が漏れた。
「やけに機嫌が良いじゃないか、夢子」
洗濯をまかされた救護室の大きなシーツを抱えて鼻歌を歌うわたしに、ヒルダが不思議そうに尋ねた。わたし達は救護室のシーツを次々に大きなバケツに片付けながら、次のシーツを広げていく。洗濯したばかりの、石鹸のにおいがする。日本洗剤みたいに、プラムの香りや、ジャスミン、フラワー、爽やかな桃の香り…みたいに特別な匂いがするわけじゃない、ただの石鹸の匂いだ。けれど、それはとてもさりげなく、ひっそりと香って心地良かった。
「実は今夜、街に来てるサーカスに行くんです」
大佐さんがチケットをくれたのは先週の土曜日。それからもう一週間が過ぎて、今日は金曜日だ。チケットが今夜のものだったから、先を急ぐエドワードとアルフォンスもたまには、と出発を遅らせてくれたのだ。(最も、エドワード曰く「調べ物があるか、ら、だッ!」らしいけれど。)サーカスはもうとっくに始まっていて、掃除のおばちゃん仲間からのそのサーカスがどんなにすごいか話に聞くようになった。新聞にも「世紀の大魔術!」なんて絶賛の声が溢れている。そりゃもう楽しみになるっきゃない!
ヒルダもサーカスの話を聞いて、へぇ、と目を輝かせる。
「そりゃ良い。なんでも口では表現できないような奇術師もいるらしいしね、今年は当たり年らしいよ」
「毎年サーカスって来るんですか?」
「ああ。秋の収穫祭に向けてね。毎年アメストリス中を廻って腕を磨いたサーカス団の終着地点なのさ。そしてセントラルでの公演が終われば、また全国各地を廻って腕を磨いていく。だけどまあ、当たりの年とそうじゃないのがあるからね。去年のは酷かったよ。酷いってほどじゃあないかもしれないが、なんの真新しいもんもなくてね。ピエロがわーわー騒いで犬が飛び回るだけの茶番だったよ。」
ヒルダの毒舌が炸裂する。
きっついなー、と苦笑しつつも、しかしどんどん今夜のサーカスが楽しみになる。
なんか今年はすごいマジシャンも来てるらしいし、楽しみだ。よく考えたらサーカスなんて行ったことがないかも。空中ブランコとか、像とか、ライオンの火の輪潜りとか、きっと色んなものがあるんだろうな。
「けどほら、今はタイミングが悪いんじゃないかい。例の誘拐事件のせいで、客足も落ちてるだろうに。夜出歩かなくなったしね」
「でも最近は暗いニュースばかりだったし、ここらで華やかな街の話題になって良いですよ」
そう言うとヒルダはちょっと驚いた顔をしてから、そりゃそうだ、と笑った。
抱えたシーツからは、またふわりと優しい石鹸の匂いが香った。
流石に一週間も軍に泊まるわけにはいかないから、とエドワードとアルフォンスはセントラルにある宿屋に泊まっていた。
わたしが宿屋へ向かうと行ったのに、二人はわざわざ軍までわたしを迎えに来てくれた。エドワード曰く、勝手にうろうろされたら無駄に心配だから止めろ、とのことだ。二人の心配も、大佐さんやジャン、リザさんの心配もちょっとは分かるようになったけれど、VIPとかお姫様とか要人とかじゃないから、そんなに出歩くのを心配されるとちょっと困るな。慣れん。なんか、むずむずするっていうか、うひひ、と変な笑いが出てきそうになる。
どうも性分じゃないな。
けれどここ一週間の間だけでも、また何人か誘拐されていた女の人が見つかっているそうだ。
掃除のおばさんたちは、軍で働いていることもあって比較的軍人さんの苦労も分かっているようだけど、街の人たちはそうじゃない。街で買い物をして、世間話なんかするといつも「軍はどうなってんだ」という不満が聞こえてくる。時々大佐さんが名指しで批判されたりもして、わたしは悲しくなる。なんだかなー、と思う。
っていうか、そういう不満を言ってる人らを軍のオフィスの中に突っ込んでやりたい!
毎日毎日バタバタと忙しそうに走り回って、電話が鳴りっぱなしのオフィスにね!
なーんて思うけど、でも実際あんまし成果はあがってないみたいだし、街の人の不満もしょうがないのかな。すっかり軍贔屓になった自分を実感する。指紋調査とか、DNA鑑定とか、カメラの記録とか、そういう刑事ドラマの事件解決アイテムってないんだろうか。うーん…、指紋調査はともかく、DNA鑑定とかはなさそうだな。そういうのがあったらもうちょっとは簡単に事件が解決できるかもしれないのになぁ。
軍の前で待っていると、夕焼けと一緒にエドワードとアルフォンスが現れた。
「エドワード!アルフォンス!」
「兄さんなんて結構そわそわ楽しみにしてたみたいだよ」
「あっ、馬鹿っ!余計な事言うな!」
わたしとアルフォンスは顔を合わせて笑った。
軍部の近くにある大きな公園でサーカスはやっていた。
公園に近づくにつれ、賑やかな音楽が聞こえ、子供達が両親を早く早く!と引っ張って歩いていくのが見えて、そうやってぞろぞろと集まっていく人たちが大きな流れになっていく。ゆっくりと暗くなり始めた街一体を、サーカスというものが奇妙に高揚したひとつの特別な渦へと変えていく。
「おかあさん!あの鎧もサーカス?」
「あの鎧はなにするの!!?」
なんて子供の声が聞こえるたびに、アルフォンスはおろおろと困ったようになって、わたしとエドワードは苦笑する。それだけなら良いけれど、時々「サーカスは何時くらいに終わるんです?」とすっかり関係者と間違われてしまうのには流石に困った。
「ボクはサーカスの人じゃないのに…」
と見るからにしょんぼりとするアルフォンスを励ましたり、笑ったりしながら、ようやくサーカスの大きなテントが見えてきた。喇叭の賑やかな音楽が聞こえ、女の人がフラメンコのような踊りまで踊っている。でっぷりとお腹の出たピエロが風船を配り、ポップコーンを売る。
「なんかわくわくしてきた!」
「ボクも!演目は何をやるんだっけ?」
「えーっと、あ、すんません、一枚くださーい」
無料で配っていたチラシをエドワードがピエロから受け取り、三人で覗き込む。
だけどそこにはただ一言「奇術」と書かれているだけで、わたし達三人は顔を見合わせて首をかしげた。
「大佐!ヒルストリートの売春宿から情報が!女性を売りたいと言って男がやってきたそうです!!」
ふいに響いたファルマンの声にオフィスが色めき立つ。
ヒルストリートの売春宿はブレダを潜入していた店だ。そしてファルマンが更に情報を続ける。女性を売りたいと言ってきた男は三十過ぎの中肉中背の男。10人は女性を売れると交渉を持ちかけてきたのだ。10人というのは個人のバイヤーが扱えるような人数ではない。そして男も普段から売春宿へ女性の手配をしていた馴染みの斡旋業者ではなく、突然現れた余所者だという。
「男の足取りはつかめているか」
「はい!ブレダ、ハボック両少尉が追跡中!」
「そのまま泳がせてアジトを掴め。まだ仲間がいるだろう。芋づる式に引っ張り出せ!」
「はい!」
「至急、男に逃げられんように包囲網をしけ!しかし突入には私の合図を待て!」
Yes'sir!と答えて己の仕事を理解している部下たちがそれぞれ持ち場へと慌しく駆けていく。
ここで一気に追い込められるか――――…?
「Ladies and Gentlemen!!」
太った団長の声にテント中が歓声を上げる。
その瞬間、団員通路からわっと小さな花火があがり、観客席はますます大喜びで拍手を送り、歓声を上げた。そしてそれを待っていたかのように、際どい服を着た綺麗でボインなお姉さんたちがトラや像や馬に跨り、小さなパレードをつくっていく。その周りをピエロたちが面白おかしい動作をしながら、くるくると独楽鼠のように走り回って、すっころんだり、飛び上がったり、追いかけっこをする。わたし達は大喜びでまた拍手をする。賑やかな音楽は高らかと鳴り響き、次から次から現れる動物やピエロや曲芸師たちに割れんばかりの拍手を送った。
「さぁ、サーカスの始まりだ!!!」