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「それで、どうして帰れなくなっちゃったの?」
長い話の間に、わたしも落ち着きを取り戻し、すっかり冷たくなったお茶を一口飲む。アーサーは、途端に目線をそらして、「あはは…」と曖昧な笑みを浮かべる。じれったくなって更に詰め寄れば、アーサーは溜息を零した。
「ここと魔法界を往来する為に使っていた扉が、3年前の火事で燃えてしまったんだ」
「燃えた……ま、まさかあのヘルメス教会のこと!?」
アーサーは、なんだ知ってたのか、と苦笑しながら頷く。
やっぱりあそこは魔法界との繋がりがあったんだ!!
「魔法界の人間は、あの教会みたいに、色んなスポンサーを付けて錬金術の研究をしていたんだ。最近まで使われていたのはあそこだけだし、首都だという事で往来の扉はあの場所になったんだ。ほら、ホグワーツの寮もそうなっているだろう?絵に魔法が掛けられていて、合言葉を言えば扉が開く、ってやつ。その方法で魔法界とこのアメストリスを繋いでいたんだよ。“彼”は宗教画だった。やせっぽっちの神様だよ。彼は日中やってくる参拝客を眺めるのが趣味だったんだけど…それはともかく、牧師の不注意で祭壇の蝋燭を倒して、火が広がり、あっと言う間にすべて灰と炭に。もう何も残ってはいない。可哀想に、彼も死んでしまった。壁もただの壁だ。扉なんてもうどこにもない」
う……うそでしょぉ!?
だけど、だからそういう訳であの教会は、誰も居ない筈なのに人の話し声がするだの、人影があっただの噂が広がったのか。その招待はアーサーとその絵だったんだ。そして、そういう因縁のあった場所だったから、わたしはあの教会に引っ張り出されてしまったんだ。面倒な事になった、と思ったし、あんな事件にいきなり巻き込まれて、それまで運が悪いと思っていた。けれどあの場所に現れた事には意味があったんだ。
「一応いくつか保険は掛けておいたんだ。魔法界のいたる所に、魔法を掛けた僕の私物を撒いておいたんだ。それを目印にして、帰る方向を見定めていたんだけど、どうも3年、4年とこっちで生活しているうちに、誰かが処分してしまったり、魔法の効力が薄れていったりして、気配が感じられなくてね。何度か気配を手繰り寄せようとしたんだけど…」
「あーーーーっ!!!ちょ、ちょっと待って!!!それってこれ!!?」
ほら!と手帳を見せると、今度はアーサーが驚く番だった。手帳を手にとって「これだよ!これ!」と驚くアーサーに嫌な予感がする。
「……もしかして、アーサーがこれの気配を手繰り寄せた時、うっかりわたしまで引っ張り出されてきたってこと?」
わたしの言葉に、アーサーが心底申し訳なさそうに眉を下げて頷く。それはYESの顔だった。
「それに、それが向こうに残してきた最後の目印なんだ。魔法の効力が弱まっていたから、いつもよりずっと強い力でその手帳の気配を呼んだんだけど、その強い力に巻き込まれて君が現れたんだろう…。その手帳までこっちにきてしまった今、ちょっと打つ手がないな」
ああ、勘弁してくれ…。
どさっとソファーに深く腰掛けて、もう呆れるやら、自分の運の悪さやら…なんだか全てにどっと疲れてしまった。一体、どんな天文学的な数字が出るっていうんだろう。ホグワーツのとんでもなく沢山ある膨大な本の中、たまたまわたしがこの手帳を手に取った瞬間と、アーサーが手帳の気配を手繰り寄せた瞬間がガッチリ一致するなんて。一体どんな…どんな悪い事を前世でしたってわけ?
ああ、頭が痛い。すべてが悪夢だったらよかったのに。
「本当にすまない」
アーサーの心底申し訳なさそうな言葉に、またじわりと込み上げそうになる涙を堪える。アーサーだって、ずっとこの世界で一人、取り残されてしまったんだ。辛いのは彼だって同じだ。それより、今持っている情報を擦り合わせて、何か気を紛らわそう。ここに魔法使いが二人もいるんだ。まだ帰れないって決まったわけじゃない。
「…どうしてあなただけはこっちで魔法を使う事ができたの?」
そうだ。なによりそれが気になっていた。
あんなにわたしが訓練したって魔法が使えなかったのに、アーサーは魔法界でするように簡単に魔法をやってみせていた。それはなぜ?だってこの世界では魔法が使えないってことも魔法省がこの世界から遠ざかった理由だったのに。
「そうだね…。この世界の調査という重要な仕事は、僕みたいな若手よりもベテランに任せるべきだったんだけど、僕の血が濃かったから選ばれたんだ。つまり僕の先祖は太古の昔から魔法族であったから、僕自身の才能に限らず、魔族としての血の力が誰より強かった。だからコツさえ掴んでしまえば、こっちでも魔法が使える事がわかった。だから僕が選ばれた。そして僕の最大の任務は、この世界で魔法が使えるように、魔法界でも錬金術が使えるコツを見つけるという事だったのさ」
血が濃いだけの僕が使えるんだから、ホグワーツの偉大な魔法使い、ダンブルドアなら何の不自由もなくこっちで魔法が使えるだろうね、とアーサーは懐かしそうに目を細めた。
改めて、この世界で自分じゃない誰かがダンブルドアのことを知っているというのが心強いほど、嬉しかった。
「そうか…。だから血の薄いわたしには魔法が使えなくて、飛行術なんていう初歩中の初歩が軽くできる程度だったんだ…。でも、マグルにあんな大々的に魔法を見せてしまうなんて…」
あのサーカスでのアーサーの“奇術”への興奮を思い出すと、なにやら寒々しい気持ちになる。アーサーがゴブレットを鳥に変えるまでは、彼をとても尊敬して、魂を奪われるほど魅了されていたのに、ひとつ蓋を開けてみればインチキみたいなものじゃん。タネの仕掛けもなにも無い、壮大なインチキだ。アーサーはまた困ったように眉を下げて微笑む。なんだか困らせてばかりだ。
「マグルに魔法を見せるのはご法度だ。それは君よりも魔法省で働いていた僕の方が良く分かっている。だからこそ、わざと目立つようにしていたんだよ。こんな大勢のマグルの前で派手に魔法を使っていれば、いつか魔法省の方から僕を見つけてくれるんじゃないかってね。それに、恥ずかしながら魔法省からの援助、研究費や経費、給料がなくなってしまったのも事実なんだ」
アーサーは自嘲するように笑った。
その表情はさっきまでの困った顔じゃなかった。切実で、しかし、自分を憎んでいるような、それを誤魔化そうとして笑ったような、胸が痛くなる笑みだった。ずっと魔法族として生きていた人にとって、自分の技術や誇りを見世物にするのは、一体どんな気持ちだったんだろう…。
「もう、戻れる手はないの?」
アーサーは目を伏せた。沈黙が、アーサーのテントの中に重たく降りる。
「賢者の石」
アーサーがぽつりと呟いた言葉にわたしは顔を上げる。
賢者の石。エドワードとアルフォンスが探しているやつだわ。それもこのアメストリス中をたった二人で旅してまわって探している石。
「賢者の石は、錬金術の最高峰とも言える技術の結晶。そして同時に、“力”を高めることができる。この世界の法則を理解していれば、魔力だって高まるだろう。そして、こちらからあちらの世界の扉を無理やり、こじ開けることもできるかもしれない」
少し乱暴なやり方だけど、とアーサーは苦笑する。
だけど“週刊マグル出身者はこれを読め!”にも書いてあったけれど、賢者の石はニコラス・フラメルが所有しているし、マグルが何世紀掛けても作ることができなかったっていう石のはず。それが、この世界にもあるんだろうか?科学分野では、現代のマグル界よりも少しローテクだし、錬金術もなんだか研究過程というより魔法みたいだし…。
「それって、本当に、こっちの世界にも存在しているの?」
「存在している。それは間違いない」
賢者の石、そんなもん、本当にこの世界にも存在しているんだ…。
エドワードとアルフォンスにすぐにでも話してやりたい気持ちになったけれど、それを話すにはまずとんでもなく長い昔話から始めなくっちゃならない。
「だけどそれは、魔法界に存在しているものとは少し性質が違うらしい。僕も詳しい事は何も分からないけれど…。でもこうして、サーカスの団員になり、アメストリス中を転々と旅をしていれば、いつかきっと答えにたどり着く。そう信じている」
アーサーの目が、炯炯(けいけい)と光った。
時計の針は刻一刻と過ぎていく。もう日付が変わろうかとしている。
タバコを銜え、夢子の部屋の前で、祈るように夢子の帰宅を待つ。妙な焦燥感にイライラとして落ち着くことができず、灰皿には山と積まれた吸殻がどんどん数を増やしていく。明日、いやもう今日か。今日は大佐からの現場の指揮も回されているし、体を酷使するのは目に見えてるんだ。本当ならば盗聴だって録音だけしておき、仮眠でも取っておきたいところだが、夢子が気になって仕方が無い。
大佐はどうするつもりだ?
夢子がもし、このまま帰らなかったら、大佐はどうするつもりだ?
夢子を重要参考人として指名手配でもするのか?それともそのまま放置か?ここまで手間隙掛けて飼いならした夢子を、大佐があっさり捨てるとも思えねぇが…。
夢子、帰ってこい。とにかく帰ってこい。────頼むから、帰ってきてくれ!
「それで、君はこれからどうするつもりだい?」
アーサーの言葉に、わたしは目を伏せる。
わたしは自分が軍に保護されていること。軍の官舎に住んでいること。軍で掃除のパートをしていること。どうしてそうなったのか、すべて話した。アーサーの力で引っ張られてここに来たとき、色んな運の悪さが重なって、あの教会が事件の最中だった。そしてわたしは軍に保護された。軍はわたしから何か情報を聞き出そうとしていて、とても厄介だという事。けれど、大佐さんに出会わなければ、路頭に迷っていたのも事実だ。だけどわたしはあの教会の事件とはまるで無関係だし、だけど大佐さんはわたしを被害者の女性だと思っているし、それなのに大佐さんから生活の保障だけしてもらうなんて、ちょっと都合が良すぎる。でも、どうしたら良いのか分からない。
アーサーは軽く溜息を漏らして、またちょっと困ったような目をして微笑む。
「しばらくはそこでの生活を続けて、僕がショーをやっていない間、会いに来てくれればここでの魔法の使い方を教えてあげる。大丈夫。またすぐに使えるようになるから」
胸が高鳴った。
わたしはテーブルに置かれていたアーサーの右手をぎゅっと両手で握り、必死で頷く。
「お願い!わたしに魔法を教えて!」
「もちろんだ。全ては僕のせいでもある。しっかり君の面倒を見るよ。僕もあと一週間はここに滞在するし、しばらくはこのサーカスにいるつもりだ。だけど夕方はショーがあるから、夜に来てくれると助かる。箒を持ってきたって事は空は飛べるんだよね?夜道は危ないし、空からここにおいで」
「だけどそれじゃマグルに見つかるわ」
「夜なら大丈夫さ。ここはネオンがないからね。闇に紛れればわからないよ」
「…わかった。今はとにかく、魔法を使えるようになりたい」
朝になった。もう軍に行く時間だった。
灰皿に溜まったタバコの山は今では溢れ返り、俺より先に出て行った奴らや、夜勤明けから帰ってきたやつが廊下を通るたびに「少尉、吸いすぎですよ。廊下がヤニ臭いです」と一言苦情を言っていくが、今はそれ所じゃねぇ。顎を撫でるとざり…と伸びた髭の感触がする。時計はもう7時15分だ。たっぷり15分は待ってやった。が、しかし夢子が帰ってくる事はない。
裏切られた失望に、空しさが込み上げる。
「くそ…、ふざけんなよ」
廊下に座り込んだまま、尻に根っこでも生えてしまったように体が重い。
その時、急に後頭部に鈍い衝撃が走った。
「うわ!ごめん!!って、なんでそんなトコにいるの!?しかも臭っ!タバコ臭っ!!」
ウソだろ…、と思いながら振り返れば、夢子が心底驚きました、というような顔で俺を見下ろしている。俺は言葉もでずに、ただ間抜けにぽかんと口を開けて夢子を見上げる。いつ帰ってきた?どこから?驚いて言葉もでない俺を避けるように丁寧にドアをあけて、開いた僅かな隙間から夢子が廊下へと出てくる。上から下まで眺めるが、いたって普通の夢子だ。どういう事だ?
夢子はひょいと膝を抱えてしゃがみ込み、山と盛られた灰皿と俺を見比べる。
「まさかこんな所で一夜過ごしてたの?…ふふ、髭まで生えてる」
「あ、ああ。考え事しててな。廊下は落ち着くんだ」
「変なジャン」
夢子はいつも通りの無邪気な顔で、笑った。
「なんだ、夢子は来ているじゃないか」
それが大佐の第一声だった。
まだもやもやとして納得できていない俺と同じように、大佐も目の下にうっすらと隈を作っている。流石に俺みたいな無精ひげは生やちゃいない、いつもと同じ涼しい顔をしているが、俺はむすっとしたままだった。
夢子は大佐が小声で囁いた声など聞こえるはずもなく、「それではお仕事頑張ってくださいね!」と元気よく掃除スタッフの事務へと向かっていったし、その後ろ姿はいつもの夢子そのもの、むしろいつもよりずっと上機嫌だ。女の機嫌の移り変わりは面倒で不規則すぎて俺にはよく分からんが、「おいしいもの食べて嬉しい!」「素敵なお洋服をゲットしてうれしい!」「ゴージャスなボーイフレンドができたの!」なんて単純な機嫌のよさっていうより、むしろ浮かれているって感じがする。今にも踊り出しそうな軽やかなステップで、とにかく機嫌が良いらしい。
「夢子に比べて、なんだお前のその汚い顔は」
「…仕方ないじゃないっスか。こっちはこっちで一晩中部屋の前で張り込んでたんスよ?それが時間になった途端、部屋から普通に出てきて、もうこっちはどうなってるのかお手上げっす」
「寝ぼけていたんじゃないのか?お前達がいたのは官舎だぞ。陸戦部隊の特異な奴らならともかく、普通の少女が二階の自分の部屋へ侵入できる筈がないだろう。侵入者対策と風紀対策で壁を這えるようなパイプもなければ、はしごになるような木々もないように設計されているんだぞ?」
「だぁーから混乱してるんじゃないですか。言っときますけど、酔ってもなかったし寝ぼけてもいません」
ほら、この真摯な目を見てください、とずいっと上司に顔を近づけると「鬱陶しい」とだけ言って一蹴された。
一滴のアルコールだって摂取しちゃいなかったし、寝ぼけてだっていなかった。
きちんと自分の足で官舎へ帰った。それが、だ。夜に箒抱えて飛び出す夢子を追ってみりゃ、夢子はふっと道の真ん中で消えちまうし、誰も夢子の姿を見ちゃいないし、慌てて夢子の部屋だって確認した。女の部屋独特の匂いと家具の少ない部屋。ベッドの上には脱がれた寝巻き。机の上にはマグカップ。そんだけだ。誰もいやしなかった。帰ってきた所を取り押さえてやる、と夢子の部屋の前で待ち構えていたらどうだ?朝になって当たり前のような顔をして部屋から出てきた。………嘘くさい。これじゃ酔っ払いの供述じゃねぇか。
……やっぱ俺、寝ぼけてたか?
んな説明じゃ誰一人納得させる事はできやしない。中尉ならちょっと眉を顰めるだろう。ブレダだったら聞く耳だって持たん。ガシガシと乱暴に頭掻き毟る。ちくしょう、どうなってんだ。
「とにかく、夢子の件は後回しだ。雲隠れされる前に一気に複数の売春宿を抑えるからな。お前にはそのうちのひとつを指揮してもらう。比較的保護されているであろう一般家庭や店への調査はその次だ」
大佐はそれまで顔に浮かべていた若干の呆れの混じった表情から一変し、“大佐”という軍人の目つきに変わった。そうだ。今はこっちが優先事項だ。大佐みたいに頭を切り替えねぇと。
ああ、いっそ俺が寝ぼけてたんだったらいいんだが……。