18
ベッドの中で大きく伸びをする。なんだかすっごく疲れた…。
起き上がろうとすると軽く視界がブラックアウトしそうになる。初日ほどじゃなかったけれど、夜遅くまで神経使っていたせいで、まだ体中に疲れが残っている感じがする。首筋で血脈がどくどくと鳴るのが分かって、上手に息ができない。なんだか、ひどく疲れてる。
でも、考えなくっちゃいけない事が沢山ある。
事件なんて解決しないで、ずっと、ずっと何も変わらないまま、このまま平行線でいたかった…なんて、勝手すぎる。自分の優柔不断さと頭の悪さに嫌気が差す。はぁ、と漏らした溜息は、早朝の冷えた部屋の中へと散っていった。
これからどうしよう…。
ずっと、このままこの世界にいる事になるのかな。どうやって生きていけば良いんだろう。帰るために必要な賢者の石なんて、見つかるんだろうか。だって、エドワードやアルフォンスがあんなにずっと旅していても見つからないのに。
もっと他の方法はないのかな。
『ああ、考えなくっちゃ。しっかり、考えなくっちゃ。沢山、沢山考えなくっちゃ…』
ジャンがいないので、一人で軍へと向かう。
朝の道は空気が澄んでいて、冷たく、もうすぐ冬になるのが分かる。いつもジャンと一緒に朝ごはんを食べたサンドイッチ屋さんを屋台を通りすぎる。いつも見かける灰色のコートを着た人や、きれいにお化粧をしたお姉さんや、ほかのお客さんたちはいつものようにサンドイッチを買おうと並んでいる。景色はいつもと何も変わらないのに、不安で胸がいっぱいだ。
嘘をついた、罪悪感。だけど、あの状況でどうやって本当のことを伝えれば良かったんだろう。どうしたら信じてもらえたんだろう。
“信じるとも。君は可愛い魔女さんだ。それで、魔女さんは一体どこから来たのかな?”
……まず、“魔女”ってのは信じてもらえなかっただろうな。
っていうか、自分がマグルで、大佐さんの立場でだって、絶対に信じない。あらー、ちょっとアニメとか見過ぎちゃってるタイプの人かな、とさらっと流すかもしれない。それにドラッグをやっているかと疑う。だったら、なにを、どうすれば良かった?過ぎたことより、先のことを考えなくっちゃ…えっと、そうだな、今よりもっと、魔法が使えるようになったら、どうしようか。
今は飛行術と、ようやく軽いモノの浮遊と杖に明かりを灯したり、物の色を変えたりするぐらい。まだまだ何もできないし、この魔法を見せて「魔女です!」と主張したって、手品位にしか思われないかもしれない。現にアーサーがああして派手なパフォーマンスをしていたけれど、みんな「奇術」で納得してしまっていた。タネが分からなきゃ手品だろうと魔法だろうと一緒だ。今のわたし如きができるものなんて、500円で買える手品グッズの域を出ない。
どうしたら良いんだろう。
どうしたら、みんなに誠実で居られるんだろう。
何を話したら良いんだろう。話しても良いんだろうか。
『考えなくちゃ。沢山、沢山考えなくちゃ…』
立ち止まって見上げる軍の建物。
いつもは何も思わなかったのに、今日はどこか余所余所しくて、威圧的に見え、なんだか視界がぐらりとした。
大佐の指定した時間に、大佐の執務室のへと書類を届けるフリをすれば、やはりそこに彼女はいた。
「やあ、ファルマン。悪いが所用があって場を離れなくてはならないんだが、執務室を無人にはできないんだ」
「それじゃあ、私がここで待っています」
「頼むよ。ソファーにでも座って待っていてくれ。それじゃあ夢子、後は頼む。デスクは触らないでくれたまえ」
大佐がにこやかな笑みを浮かべ、手筈どおりに立ち上がる。
彼女は「はい、行ってらっしゃい」と愛嬌のある笑顔を浮かべて、私とすれ違うように出ていく大佐へと手を振る。「ああ、行ってくるよ」と笑顔で返す大佐。そのシーンだけを切り取って見物してみれば、まるで新妻が出勤する夫に手でも振っているような和やかな風景だ。
全く、大佐は食えない人だ。いや、食えないのは…彼女も同じ、か?
「えぇっと、ここで待っているように言われたんだが、ただ待つのもなんだし、少しおしゃべりをしても良いかな」
大佐のようにスムーズに誘えたら良いのだが、これが精一杯だ。
夢子、と呼ばれたまだ少女の域を出ないような娘は振り返り、少しきょとんとした後、噴出すように笑みを浮かべる。
「はい、わたしでよければ喜んで。あっ、でもお掃除は続けさせてくださいね」
遅くなったらヒルダに叱られちゃう、と冗談めかして笑った彼女に、なんだかうろたえる。なんというか、ハボック少尉から聞いていたように、本当に、何処にでもいる普通の子供だ。こんな少女があの大事件の黒幕なんだろうか?
「私はヴァトー・ファルマンだ。君は、えぇっと…」
「夢子・山田です」
「そうか。良い音の名前だね。でもあまり聞かない名前だけど、由来はどこから?シンの国かどこかな」
「さぁ…、由来はちょっと分からない、です。」
「そうか。私は一緒に住んでいた祖父から名前をもらったんだ。厳しい人だったけど、名前をもらったせいか私は時間さえあれば祖父の書斎へ行って、一緒に本を読んだよ。物理とか考古学とか、普通の子供は興味のないものだけど、私には祖父の書斎は宝の山に見えたっけなぁ」
「そういえば、君は家族は?」
難しい顔をしてファルマンが帰ってきたのは、それから10分ほどしてからだった。
夢子は掃除を済ませて、また自分の持ち場へと帰っていったらしい。夢子のような民間から派遣されているスタッフの入ることのできない資料室でファルマンと落ち合う。もちろん内側から鍵を掛け、外では見張りの為に中尉を待機させている。中に我々以外の誰もいない。集まったのは、ファルマン、私、そしてハボックだ。本来ならばハボックを同席させるつもりはなかった。こいつは夢子を妹か後輩のように思って情を移しすぎている節があった為だが、夢子の事をきちんと知りたいんです、と珍しくタバコも銜えず頭を下げられては仕方が無い。
「それで、何か分かったかね」
「ええ、彼女の言葉には法則性がある事が分かりました」
「法則?」
聞き返すハボックに、ファルマンはしっかりと頷いた。
「とても単純で、素人というより子供っぽい事です。…彼女は、嘘をつく時言葉につまるんです」
「言葉につまる?別に私は夢子と会話をしていて何か引っかかった事はないが…」
「どもったりしない、些細なものです。やましい物がない時は“そうです”と。だけど何かある時、触れられたくない質問の時は、“そう、です”と少し、本当に少しですが間が空きます」
確かに、思い返してみればそうだ。
“山田夢子です。夢子がファーストネームです。”
“学生、です”
“17歳、です”…………――――――なるほど。
「そこから、どういう結論を得たんだ?」
「彼女の会話パターンからいえば、夢子・山田は本名です。恐らく17歳ではありません。アメストリスでも、シンの人間でも、その他の国の人間でもない。記憶もあります。どうやってあの地下にいたのかも知っています。だけど帰り道は分からない。そしてあの事件には関係していない。しかし、はっきり関係していないとは言い切れない何かがあります。その何かまではYESとNOの反応からは分かりませんが、それでも直接の関係はないようです。…それだけです」
それだけで十分だ。
みればハボックは露骨に顔を歪めて、唇を噛み締めている。夢子の存在が真っ白ではないとは覚悟していたが、少なからず裏切られた気ではいるのだろう。私も多少はショックだ。しかし、関係はしていないが、何らかの関わりがあるとは一体どういう事だ?深読みをせず、ただあの場所にいて、犯人の男に暴行を加えられたから“関係者”という事だろうか。
いや、それならば“被害者”という立場だけで十分なはずだ。軍を欺く必要などない。
「しかし…その、」
言い辛そうに口を開いたファルマンに、言葉の先を促す。そして告げられた言葉に、思わず眉を寄せる。
“はい!大佐さんや、リザさんや、ジャンが大好きです!もっともっと色んな話をしたいし、いつか恩返しもしたいんです!”
「どうしろと言うのだ……」
乱暴に己の髪をくしゃりと握る。軍を欺いている。それなのに、真っ直ぐな感情をぶつけている。
どういう事だ?なんなんだ?だから素人は困るんだ。もっと明確な目的と野心、それでなければ利益の元に動いてくれれば、こちらもその糸を辿っていき、目的を見つける、推理することができるというのに、素人が何の考えもなしに感情のまま動かれるなど、こちらが推測のしようもないではないか。しかも、純粋に好意を向けられてる。夢子自身も彼女の「謎」を見なければ素直な良い子だ。それは認める。
「全く、何か思う所があるのならば、すべて正直に話してくれれば良かったんだ。彼女の性格から言えば、一度全て相談してくれそうなものなんだが…。一体どこで“相談できない”と判断したんだ?」
頭を掻き毟りながら考える。今までの夢子の行動を思い出す。なんだ、どこで判断した?
いつ私が夢子から“相談できない”“話せない”と判断された?………いつ…?
────“わたし、魔女なんです!!!”
「い、いやいや、まさかな……」
「どうしたんスか?」
いや、なんでもない、と答えながら、そうであれば、という仮定をおけば、話はスルスルと解決していく。
どうやって誰も入れない密室に現れたのか。魔女だから。
魔女ならば何か秘密の道具や呪文でもあるのだろう。そしてうっかり事件に関わってしまったばっかりに、話の流れでこうして軍に身を置く羽目になった。それにファルマンの推測によれば、彼女は“帰り道が分からない”のだ。だからここで生活の保障をされる事に身を任せている。そこに軍を欺くという深い思想もなければ、彼女の単純明快な性格と、複雑な背景が一致しない事にも納得がいく。
そういえば占いもよく知っていた。
古めかしい今時流行らない大きな箒も買った。
ハボックが尾行した時、ふらっと煙のように消えた。────魔女だから。
ああ、頭が痛い。
「大変です!」
ふいに外でバタバタと走る足音が聞こえたと思えば、中尉が顔色を悪くしてドアを開けた。傍にはフュリーも立っている。普段ならばどんなに慌てていても、ひとつノックくらいはするだけの判断力のある中尉の行動に少なからず不安を覚える。
「どうしたんだ、落ち着きたまえ」
「夢子が倒れて階段から落ちたんです!」
落ち着こうとするかのように、一呼吸中尉が置く間に、フェリーが青い顔で叫んだ。
医務室にぞろぞろと引き連れて慌てて向かえば、そこには見覚えのある姿が先にやってきていた。
エルリック兄弟だ。私の顔を見て露骨に「げっ」と口を曲げるもいつもの嫌味のひとつも言わずに、真っ白なベッドに横たわる夢子へと目線をやった。夢子はぐったりとベッドに横たわり、頭には包帯が巻かれ、少し青ざめた顔をして眠っていた。
「目撃者の話によればさ、階段の踊り場の掃除をしている夢子が妙にふらふらっとしているな、と思って見ていれば、そのままふらっと立ちくらみするようによろめて、そのまますってーんと階段の一番下まで落ちてったんだと。悲鳴も上げずにいたんで慌てて駆け寄れば、もう意識はなかったって。ほんっと、こいつドンくさいよな。」
口では軽口を叩いてはいるが、鋼のの表情は暗く、むっつりっと唇を噛み締めるように閉じている。
心配なんだろう。
私も心配だ。ここにいる全員が夢子を心配している。
「それで、この包帯は?気絶しているだけかね?」
「包帯は、落ちた時に傍に置いてあったちり取りでちょっとオデコを切ってしまったそうです。それから、それから、夢子さん、どうしてだかすごく衰弱していたそうです」
「衰弱?どういう事だ?」
ハボックが驚いたように聞き返す。
無理もない。衰弱なんてものは、本来ならば極度に体力が消耗された場合のものだ。軍の演習でフル装備でブリックスの山などを登らせたりすると、毎回5,6人は衰弱する者もでるが、まさか夢子の生活環境で衰弱するようなものでもないだろう。年の若い少年二人に説明する為に、軍医が「衰弱」という言葉を使ってオブラートに包んだだけで、本当は月経痛や、月経による鉄分不足だなんだ、という理由ではないのだろうか。
「軍医はどこに?」
「別ん場所でけが人が出て、動かせない状態だからとかで出てったよ」
「そうか。…夢子はいつ頃気がつくかなどは話していたかね?」
「別に。でも後で点滴をするつってた」
点滴。中尉はすっかり冷静さを取り戻したようだが、青ざめた顔色でぐったりと若い娘には大きな軍用ベッドに眠る夢子に痛ましそうな表情をしている。ハボックなどはむしろ心配が一蹴して今にも怒り出しそうだ。それに普段は口の減らないこの生意気な国家錬金術師から、同じDNAによって作られたとは思えないほど丁寧素直な弟までが、しょんぼりとしょげ返っている。
────夢子、君はここでこれだけの人を不安にするほど愛されているのだ。目を覚まし、すべての事をきちんと話してくれたまえ。
我々がきちんと、君を、心から信用できるように。
重たい瞼を持ち上げれば、飛び込んだ光景に思わず息を呑む。なにこれオールスター大感謝祭?
驚いているうちから、すぐに冷静になってここがホグワーツじゃなくてアメストリスだったことを思い出す。それに、思い出さなくてもアルフォンスが「にいさん!にいさん!」と声を上げているから嫌でも分かる。あれ?でもどうしてここにアルフォンスがいるんだろう?っていうか、ここはどこ…あれ?見覚えがある。保健室、じゃなくて医務室だっけ?
ゆっくりと身体を起こそうとして、体中がズキズキと痛む上に、まるで水を吸った服でも着込んだかのように体がずっしりと重たい。脳みそが地震にでもあっているようにぐらぐらとして、視界のピントが合わない。なんだろ、あれ?何があったんだっけ?
「おい、寝てた方がいいだろ」
「えぇっと、あの、なんでこんな事になってるの?」
エドワードが心配そうにしてくれていた顔から一変、むすっとした顔ではぁと露骨に溜息を漏らす。エドワードの背後に見える窓からの空はすっかり暗くて、時間は分からないけれど、かなりの時間をここで過ごしてしまったらしい事は分かった。えーっと、確か、踊り場の掃除をしてた時は空はまだ明るくて……あれ?でもそっからどうなったんだっけ?
「ここはどこぉ、わたしは誰ぇ、なんて今時流行らねぇからな」
「もう兄さんったら…。夢子さんは踊り場の掃除をしてて、貧血起こして、その時に意識のないまま階段を転がり落ちたんだよ」
さらっと説明してくれたアルフォンスに、まじですか…、と内心呟く。貧血って、そんな。うわー、本当に人間ってそんなことあるんだなっていうか…。そしてそのまま階段転がり落ちたとかどんだけ自分運動神経ないんだろう…。ちょっと凹む。
「さっきまで大佐たちもいたんだけど、事件の事で軍の偉い人が来たっていうんで引き上げてったよ。みんな、すごく心配してたよ。」
「…ごめんね」
「でも大した事なくて良かったな。階段ずり落ちてその程度で済んでむしろラッキーだ。どこも骨は折れてねぇし、ちょっと頭は切れたらしいけど、すぐ傷も治るって。痕も残らないってさ。ま、次に備えて牛乳でも飲んで、せいぜい骨を強化しろよ」
「僕としてはできれば兄さんにも飲んでもらいたいな」
それとこれとは話が別だ!とふんっ、と怒鳴って腕を組んだエドワードに笑って、笑っているうちにまた視界がぐらぐらと揺れる。
……なんだろう。
階段から落ちたのは分かったけど、なんでこんなに体がふらふらして、重たくて、自分のものじゃないみたいなんだろう?
よくみれば、腕から管が伸びて、点滴台に繋がっている。点滴。なんでだろ。なんか悪い所あったのかな…っていうか、治療代ってどうやって払えばいいんだろう。学校だったら、マダムポンプリーがすぐに直してくれたけど、がっこうの施設だったし、日本で、病院だったら、保険証がひつようで、あれ、でもわたしこっちの世界でそんなのないし、そもそもそんなのあるのかな…なかったらどうしたら良いんだろう……からだが、にぶくて…かんがえられなくて…
「寝ちゃったみたいだね」
「ゆっくり寝かせといてやれ」
落ちていく思考回路の中で、エドワードがやさしい顔をして、頭を撫でてくれたような気がした。