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「あとは所轄に任せるって感じっスかね」
ハボックがゴキゴキと首を振ったり動かしたりしながら、銜えタバコでやってくる。
結局事件解決まで何もしなかったくせに、さも何か立派な働きでもしたかのような顔をしてやってきた上の人間の、長ったらしい上に意味のない、要約すれば「これだけセントラルを騒がせて事件の首謀者4人のうち2人が軍人だったが、責任は私にはない。下が腐るのは下を面倒みる者が悪いのだ」というありがたいお言葉だ。確かに末端の人間の人間性や人生までもは管理できないだろうが、それでも軍の腐敗は高い場所から始まるものだ。
税金の無駄遣いだ。
わざわざそんな下らない話をする為だけにやってきた事に一体いくらの出費になるか分かっているのか。私物化している公用車の燃費。運転手の手当て。戦場でもないのにまるで召使のように使っている従卒への手当て。出さぬわけにはいかずに出してやってコーヒー代、などなど。大きなことから小さなことまで、無意味な金が動くのだ。
どうせふんぞり返っているだけなのだから、部屋で大人しくしていてもらいたいものだな。
「そうだな。ここを解決し、上への印象を良くしたかったが、返って嫌われてしまったようだな。お前に分かるように翻訳してやれば、うまい事元軍人だという事を隠蔽できなかったのか、この無能野朗め、だとさ」
「なるほど。分かりやすい解説をありがとうございました」
と顔をしかめるハボックから書類を奪い取ってサインをする。
今回は散々だ。あれだけ奔走させられたというのに、おいしくなると全て別の場所へと持っていかれる。それを認めるための書類に乱暴にサインして、ハボックへと押し付ける。
「それで、夢子の具合はどうだ?」
「さっき覗いてきたら、大将たちがいて、ちょっと目を覚ましたらしいっス。でもまたすぐに寝ちまったって」
「そうか。寝たのなら良い。今日、明日とゆっくり眠らせてやれ」
衰弱。
嘘だろう、と思っていたが、先ほど軍医から詳しく話しを聞けば、やはり衰弱していたらしい。どういう訳か、とんでもない程体力を使っていた、と。彼女がもう少し筋力や体力がありそうならば、そう、目の前のこのハボックのような男ならば倒れるようなものではないが、あの子供のような体では元もとの体力のキャパシティーが少ないのだろう。そういえば、17歳ではない、という推測だが、だとしたら一体何歳なのだろうか。まさか30歳だとか10歳だとかいう訳はないだろうが、17よりも多少、上か、下か。どちらにしても私からすれば子供でしかない。
そんな子供が、一体何をどうしたら衰弱して倒れるほどになるというのだ。
「魔女、か」
「は?」
「────いや、なんでもない」
仮に、仮にだ。仮に彼女が“魔女”だとすれば、これはどうしたら良いんだ?
錬金術が発達した今、魔女や魔法使いなんてものはお伽話やオカルトの中の存在でしかない。大体、昔は錬金術師のことを“魔女”や“魔法使い”などと呼んでいた時代もあった位だ。はっきりとどういう存在なのかは知られていない、つまりは伝説級の生き物だ。だが今の私には“伝説級の存在”というやつを否定することはできない。彼らは“それ”を今、血眼になって探しているのだ。否定してはいけない。また否定もできない。
ならば、“魔女”という存在だって同じではないのか?
「何かあれば夢子は私が引き取ろう」
ハボックは、はぁ?と顔を顰めている。何を言い出したんだ、という露骨な顔に少し笑う。
「彼女の体調を考えても、軍のチェックを考えても、これ以上夢子を働かせる訳にはいかんし、官舎にも置いておく事もできない」
「引き取るって、あんたそれ最悪の選択なんじゃないっすか?」
「…言っておくが夢子の年頃は守備範囲外だ」
「いや、隙あらば頭からぺろりとやっちまいそうで…それなら俺が引き取ります」
「それでお前のあの狭いアパートで二人暮らしか?そっちの方が心配だ。私の屋敷ならば部屋は宿を開くほど余っている。お互い干渉する事無く互いのプライバシーだって守れるさ」
ハボックは、少し迷ったようだったが頷いた。
別に下心があるわけではないのはコイツも分かっているんだろう。
下心というより、むしろ親心のようだ。
“拾ったら最後まで面倒をみること!”というお決まりのフレーズが頭の中を締めている。
しかし、迷子の魔女の世話は、どうやれば良いんだ?
頭をなでられて感覚がして、目を開けると、そこにいたのはアーサーだった。
寝ぼけているのかな、と思ったけれど、アーサーはちょっと眉を寄せてひどく心配そうな顔をしているのが月明かりにもよく見えて、頭を撫でられているのは本物の感覚だった。アーサー、と呟くとアーサーは少しだけ微笑んだ。
「ごめん。君の魂がこんなに消耗しているとは知らなかったんだ」
「……しょうもうって?」
「ここで魔法を使うと、法則が違う場所に無理やり別の力や法則を入れる事になる。その分のズレを補うのは、魔法使い個人の体力なんだ。それを分かってた筈なのに、自分以外の魔法族に会えて、同じものを共有する君に会えて、色んな事を急いでしまった。全部、僕のせいだ」
アーサーはそれまでわたしの頭を撫でていた手をひっこめて、苦しそうに表情を歪める。
そんな必要、ないのに。
「ううん、アーサーのせいじゃない。もっと教えて。わたし、もっと体力つけるから、だから、もっとたくさんおしえて」
手を伸ばして、アーサーの手を握った。
アーサーの手は冷たくて、線の細い手だった。大佐さんとも、ジャンとも、誰とも違う、どこかさみしい手。アーサーはそんな手で、わたしの手をぎゅっと握り返して、そして微笑んだ。
「もうすぐサーカスが終わる。また別の町へ行かなくっちゃいけないんだ」
「そんな…まだわたし、なにも知らないのに……」
狼狽するわたしの手を、アーサーは更に強く握り締めた。
「一緒に行こう」
「一緒に行こう。この世界で、向こうの事を知っているのは僕達二人しかいない。一緒にやっていこう。一緒にいられれば、ゆっくり、ゆっくり君のペースで魔法だって学べる。急がなくてもいい。怖くもない。同じ魔法族の僕達なら、きっと、上手くやれる。二人で石を探して、元の世界へ帰ろう。家族へ、友達に会いに行こう。帰ろう。ホグワーツへ、帰ろう」
握られていた手から、思わず力が抜けていく。アーサーと、一緒に生きていく?
言葉もなく驚くわたしに、アーサーはやわらかく微笑んだ。すると月明かりの光を帯びて、アーサーの深いブラウンの瞳がひどく綺麗に光り、きれいだ、と心の底から思った。アーサーは、綺麗だ。アーサーはやわらかくわたしの両手を包む。
「僕たちは、同じ世界を共有する二人なんだ。離れちゃいけない」
わたしは、頷いた。
いや、頷くしかなかった。────わたしの人生に帰るために。
朝一番で医務室へと出向けば、もう夢子は起きていた。
おはよう、と挨拶してやれば、いつもの笑顔で「おはようございます」と笑う。点滴が効いたのだろうか、昨日よりはいくらか顔色も良く、何かほっとしたような表情をしている。隣でハボックがほっと胸を撫で下ろしている。
「もう体もどこも痛くねぇか?」
「うん、大丈夫、だよ」
………嘘か。
落ちた時に足を少し捻っているらしいし、カーペットはあってもそれだけだ。床はコンクリートだ。そこへ筋肉で軍人のように補強されたわけでもない体を打ちつけたのだから、痛くない筈がない。気づかないうちに、夢子はどれだけのことを一人で背負い込んでいるのか。痛ければ「痛い」と一言言えば良いだけだ、というのに…。これで結構頑固なんだな。
「夢子、目が覚めたばかりのところで、急な話だが、落ち着いて聞いてくれるね」
座っても?と傍にあったパイプ椅子に目をやれば、あっ、もちろんです、と慌てて椅子を勧めてくれる。そして椅子に腰掛け、起き上がろうとする夢子をまたゆっくりと寝かせてやる。寝ていなさい、と頭を撫でてやれば、夢子はちょっと居心地が悪そうにした。
「夢子、今セントラルで起こっていた連続誘拐事件が解決したのは知っているね?」
夢子は途端に表情を少し強張らせた。隣でハボックも落ち着かなさそうにしている。
「それで、分かった。君は事件とは幸い無関係だった。だから官舎にはこれ以上住めないんだ。分かるね?」
もしも、本当に彼女が“魔女”であれば、私はどうする?
どうもしないだろう。
夢子が独り立ちして、自立して生活していけるようになるまで、できる限りの援助をするつもりだ。それにファルマンの話では、“来た場所は分かるが、帰り方は分からない”という。ファルマンの話なら真実なんだろう。信頼できる。ならば一人の大人として、してやるべき事は、夢子を助けてやる事だ。夢子が帰る為の道を、一緒に探してやらなくてはならない。エルリック兄弟のように。
「だから、良かったら私の家へ来ないかね」
夢子は心底驚いたように息を呑んだ。大丈夫だ、と頭を撫でてやり、言葉を続ける。
「官舎よりは広いぞ。君の部屋だってある。ゆっくりやっていこう」
しかし、夢子の表情はみるみる曇っていった。
唇をきゅっと結んで、少し俯き、見るからに狼狽していた。
「あの、わたし…どこから話せば良いのか……」
大佐さんは「よく考えなさい」と言って部屋を出ていった。
いつもにこにこと笑顔だった大佐さんだけど、今日ばかりは怒っていた。
わたしが、大佐さんからの誘いを蹴ったから怒っているんじゃない。わたしの話の“迂闊さ”に失望してしまったんだって事はきちんと分かっていた。だけど、わたしとアーサーの事を話したって、きっと大佐さんには分かってもらえない。大佐さんは、わたしが魔女だなんて、違う場所から来たんだなんて事、知らないんだから。
さっきまで大佐さんが座っていた椅子に腰掛けて、ジャンが大きく溜息を漏らした。
「夢子、お前もっとよく考えろ。“町で会った男の人”“サーカスの団員”“一緒に暮らそう”これ以上胡散臭い話はないぞ。下手な大衆小説家だって、下手な詐欺師だってもっと上手く言う。大佐に気ィつかう必要なんてないんだ。どうせあの人の屋敷なんて軍から将校はきちんとした家に住むべきって言われて住んでるようなもんで、お前が住んでやれば家だって喜ぶくらいなもんだ。マジでよく考えろ。大体、サーカスにくっついてくって、意味が分からん。今度こそ本当にどっかに売り飛ばされるぞ」
サーカスの団員の男の人と知り合って、同じシンパシーを感じて仲良くなって、サーカスが次の町へ移るから、一緒に行こうと誘われた。自分も彼についていく気だ。
……確かに、うそ臭い。もんっのすごく嘘くさい。でも、嘘じゃない。
話していないことがある。わたし達は、同じ場所から来た、同じ魔法使いだ。同じ学校に通っていた。同じ先生から魔法を習った。同じものを見ている。同じものを食べた。他の誰よりも、何よりもお互いを知っている。ナンパされた浮ついた心、なんて事じゃない。わたし達は、同じなんだ。だけど、そんな事は説明できない。
だって、大佐さんはわたしが魔女だなんて知らない。
違う世界から来ただなんて知らない。何も知らない。
そしてわたしも「信じて」なんて言える物がなにもない。
────これ以上、マグルに関わっちゃいけない。
アーサーはそう言った。確かにそうだ。魔法界のことなんて、知られちゃいけないんだ。これ以上、迷惑なんて掛けられない。
「夢子、大佐の家がなんだったら俺んちでも良いんだ。そりゃまぁ、大佐んちよりは小さいし、汚いかもしれねぇけど、お前が来るってんならもうちとデカい場所に移ったっていいし。そんな胡散臭い話にくっついていくな」
「でも……」
「でもじゃねぇだろッ!!」
突然怒鳴ったジャンに、わたしは驚く。ジャンが、怒鳴った。
ジャンはしまった、というように頭を乱暴に掻き毟って、苛々とするように拳を握り締め、顔を上げたと思ったら、そのままわたしを抱き寄せた。ジャンの大きな肩越しに窓の外が見えた。真っ青な空が広がっていた。首元でジャンが息を吐く熱を感じて、ジャンの体の筋肉を感じて、わたしは息を呑む。
「事件はこれで丸く収まった。そうなったらお前はどうなるんだって話だよな。分かるよ。でもお前は結局事件に無関係だった。上層部はこれ以上面倒事を起こしたくねぇとお前を無視するらしい。そうだろ?それがどうなってんのかはまだ分からねぇけど、でももういいんだ。もうどうでも良いんだ。それより、それを気にして、今からその知り合ったばかりの胡散臭い若い男にくっついてって、また別の事件にでも巻き込まれたらどうする?…もっと自分を大切にしろ。周りの大人を頼れ」
ジャンの肩口に額をくっつけて、溢れてくる涙を堪えたのに、止まれ、止まれって唱えてるのに、ぼろぼろっと大粒の涙が溢れた。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
わたしはジャンの肩に額をくっつけて、泣いた。
ジャンはただ乱暴にわたしを抱き締めた。
その日一日、わたしは医務室で様子をみることになった。
軍が支給している着替えを持ってきてくれたリザさんも、厳しい顔をしてわたしを叱り付けてくれた。叱る、怒る、というよりは、デキの悪い生徒相手に進路指導をする担任の先生のような、親身で優しい口調だったけれど、わたしはぎゅっと唇を噛んでいた。
「知り合ったばかりの男の人と一緒に住むっていうのもあなたの人生だわ。だけど、相手がサーカスの人間で、サーカスにくっついていくっていうのは、私も感心しない。サーカスっていうのは特別なコミュニティーよ。中に入っていって、あなたに何ができるのか、よく考えなさい。何もできなければ、いずれ彼はあなたを重荷に思うかもしれない。大佐やハボック少尉の家じゃ異性だし気を使うというのなら、私の家に来てくれれば良いのよ。私もあなたが来てくれたら、家が賑やかになって良いわ。それに犬を飼っているのだけれど、私はこんな仕事だし、あなたさえよければその世話を手伝ってくれれば、それでもうあなたが私の家に住むことについて心配することは何も無いのよ。」
そう言ってくれたリザさんに、わたしは首を振ることしかできなかった。
────わたし、最低だ。
ぼんやりと、赤く色が変わっていく空を眺める。
アーサーは、魔法界のことはもう話しちゃいけないよ、と言った。
アーサーが魔法を使うのは、“僕はここにいる”という魔法界へのSOS信号だけど、魔法界の事をペラペラと話してしまうのは、魔法界の秘密を破ってしまう危険な行為だと言っていた。魔法省で一番重要なことは、マグルに魔法界の存在を隠しておくことだとも。ただのホグワーツの生徒、それもマグル出身で、魔法界のことなんてまだよく知らないわたしと比べて、アーサーは純血の魔法使いで、魔法省で働いていて、わたしよりも大人で、なんでもよく知っている。アーサーに従うのが正しいんだろう。
でも、これ以上裏切りたくない。
魔法界と、大佐さんたちとの間で、わたしの気持ちは揺れ動いた。
リザさんの話を聞きながら、今、わたしの事を全てぶちまけてしまえたらどんなに楽か、どんなに良いだろうか、と考えた。見つかるかどうかも分からないものを探して、ずっと旅をしていくなんて不安だ。なにも分からない。なんの保障だってない。不安でたまらない。
もしも魔法界の秘密を話してしまったら、わたしはどうなってしまうんだろうか。
ふいに、窓ガラスをカンカンッと叩く音がした。
音のした方をみれば、一羽のフクロウが窓を叩いている。
……きっとアーサーのフクロウだ。すごいな、アーサーはこっちのフクロウまで手懐けているのか。感心しながら、まだちょっと立ちくらみはするけれど、立ち上がり、窓を開ければ、手紙を咥えたフクロウは、手紙をわたしに渡す。あて先にはわたしの名前が書いてあり、立派な蜜印がされている。差出人はもちろんアーサー・ルイスだ。その黒いフクロウの頭をなでてやって、手紙を開ける。
『明日の3時、メインストリートにあるラセという喫茶店で会おう。 アーサー』
Yesなら、そのフクロウに返事を持たせて、と書いてあったので、机に置かれているペンで『Yes』に丸をして、またフクロウにその手紙を預けた。もうひと撫でしてやると、フクロウは気持ち良さそうに目を細めて、また夜の中へと飛び立っていった。アーサーは、まるでわたしの考えていることが分かるみたいに、いつでも会いたいタイミングでメッセージをくれる。
明日、アーサーに会ったら、みんなにだけは本当のことを話しても良いか相談してみよう。
考えてみれば、会ったこともないけど、わたしが魔法を使える理由の、あのイギリス人の曾々おばあちゃんは、マグルのおじいちゃんと結婚したんだし、ほかのマグルと魔法族とのハーフの子たちだっているんだ。きっと、全く話しちゃ駄目って事もないだろう。
アーサーに会おう。会って、相談して、そしてみんなに本当のことを打ち明けよう。
そして、アーサーについて行こう。いつか、向こうの世界へ帰るために。それしか道がないんだ。
朝になって、もう大丈夫だが、今日は一日家で大人しくしていなさい、と大佐さんは休日をくれた。
つまり家でゆっくり考えなさいという事だとは分かったけれど、わたしにはアーサーとの約束がある。ジャンが家まで送ってくれると言ってくれたけれど、わたしはすぐそこだから、と断って、また自分の服に着替えて家へ帰った。アーサーに会うんだ。杖を取ってこなくっちゃいけない。部屋へ帰って杖を取ってきて、わたしはアーサーの待つお店へ向かった。