バレリーノとピノキオ

「転校生も日渡先輩も、まだ帰ってなかったんだ」
「あ、衣更君。しーっ」
「ん? あ……日渡先輩、寝てんのか」

防音練習室の壁に寄りかかり、千夜が寝ていた。何やらノートを広げたまま、すっかり寝落ちたような形だった。すやすやと気持ちよさそうに眠る彼女の肩には、転校生のモノらしきジャージがかかっている。

真緒は彼女の傍に行き、自分のジャージを彼女の膝にかけてやる。いくら春とはいえ、体を冷やしてはいけない。

真緒は練習を、転校生は衣装の制作を。途中から真もやってきて、練習に参加する。それぞれにやることは課せられており、黙々とそれをこなしていく。そして気づけば、時刻はもう日付が変わるころにまで差し迫っていた。

「そういや、真まだランニングから帰ってきてないな」
「そうみたい……探しに行く? っていうか、日渡先輩も、大丈夫なのかな……」
「あっ。確かに、先輩親に連絡とか入れてないんじゃ」
「起こしたほうがいいかな」
「そうかもしれないな……」

二人がにじりにじりと千夜に寄って、起こすか起こさないか迷っていたとき、防音練習室の扉が勢いよく開いた。

「あれっ。まだいたの、ふたりとも? もう日付が変わりそうな時刻だよ〜?」
「いや、正確には三人だな」
「日渡先輩、まだ寝てたんだねぇ。まぁ、あれだけ働けば当然だよね……」

真までジャージをいそいそと脱ぎ、千夜にかけようとする。さすがに三枚はおかしいだろ、と真緒は苦笑したけれど、自然とそうしてしまう魅力が彼女にはあるのだろう。頑張りすぎる姉を慕う弟の気分だ。

「千夜先輩って、ほかにもユニットを受け持ってたよね。いくつレッスンに付き合ってるんだろう……」

転校生の呟きは、真緒も気になった。二人の視線は、情報通の真へと向かう。彼も己の役割を分かっていて、するりと情報を出してくれた。

「日渡先輩は、もともとは『Knights』のリーダーの幼馴染って形で、二年前……つまり一年生の時からアイドル科に出入りしてたらしいよ。だから、今まではほとんど『Knights』が主だったみたい。けど、『UNDEAD』や『2wink』にもレッスンしていたし、僕らも今週はほとんど毎日お世話になってるから……最近は4つくらいだと思う」
「4つ……すごい……」

転校生がほう、と感嘆の息を吐く。今の彼女は『Trickstar』と共に成長していく存在であり、急ぐ必要など決してない。けれどやはり、感心するのは致し方ないと思う。

「日渡先輩は好きだけど、『Knights』には『ちょっと面倒なひと』がいるんだよねー。さっきも廊下で絡まれちゃったし」
「面倒な人? それで帰ってくるのが遅れたのか」
「そうそう。どうにか振り切って逃げてきたよ」

そう言った真。
彼は今日は泊まり込む予定で、一度家に帰って必要なモノを持ってきたらしい。だから遅れたのだ、と説明も加わった。
そして真緒も泊まる、転校生も泊まると言い出したがさすがにそれはストップがかかり。

「荷物取りに帰って、転校生を送るのと一緒に、日渡先輩も俺が送ってくよ」
「ええ? 衣更くん一人で平気? 僕もついてくよ、万が一日渡先輩と衣更くんたちの家が逆方向だったらいけないし」
「それもそうだな……うん。じゃあお願いするよ」
「OK! じゃ、さっそく日渡先輩を起こして……んん?」

「ゆうくん」

シニカルなトーンの声が、防音練習室に響いた。



「……『きれいなお人形』……、…………飾られてこそ……、……、それは……気持ち悪い…………よねぇ?」

「もどっておいでよ、……」

薄ぼんやりとした意識の中、聞きなれた声が耳をくすぐる。夢だろうか。泉がもどっておいでよ、なんて言っているの、悲しくて聞いていられない。レオのこと? それとも、違う人?

そもそも私、今日は『Trickstar』と居たはずじゃ……?

なんとか意識を取り戻そうと、混濁した視界をこする。ぱさ、と肩から何かがずり落ちた。青色の……ジャージ。二年生の。気が付くと、膝にも胸元にもかけてあった。ああ、これは確実に『Trickstar』の子たちのものだ。

「現実は冷たくて、数字が支配していて、心はすぐに壊れる」

ああ、そんなことをいうものじゃない。
妄想殺し、ってレオに叱られちゃうよ。そんなことを言ってるくせに、自分は諦めずここまで来たのに。
どんなに頑張っても、票なんかはいらなくって。それでも、『Knights』を守ってくれた。みんなと、私と一緒に。

真緒くんが言い返す。それでいい。このひねくれものは、言い出したら引っ込みつかないんだから。

それでも、引っ込めないっていうなら――

「それを思い知って、さっさと……」
「泉」

思った以上に呟きは大きくて、ドアの付近で何やら言い争っていた泉と真くん、真緒くんが振り返る。転校生ちゃんも、困った顔をして私を見た。

「……千夜、なんでここに――」
「帰ろう」
「は?」
「一緒に帰りたいな」
「……」

引っ込みつかなくなっちゃったら、私が無理矢理引っ張ってあげる。
そういう意図を込めて、泉を見つめる。私の考えが読めない彼ではない。彼はバツが悪そうに眼を反らすと、二年生たちを押しのけるようにしてこちらへ来た。

無言で差し出される手を、取る。

「真くん、ごめんね」
「あ……い、いえ。僕は……」
「優しいね、真くん。人形なんて嘘だわ」
「……日渡先輩」
「じゃあ、皆おやすみ」

ばいばい、と手を振り、『Trickstar』の面々と別れた。