「ひなた君、ゆうた君、そろそろ休憩しよう」
「「はーい!」」
スポーツドリンクを両手に持っていると、飛んでくるように葵兄弟がやってきた。二人に渡してあげてタオルも渡そうとすると、ひなた君が私のおなかに唐突なタックル。
「ぐはっ!?」
「千夜先輩、俺の髪拭いてください!」
「ちょ、ちょっとアニキ!」
「いーじゃんいーじゃん。飲みながらタオルで髪拭いてもらったほうが気持ちいいんだもん」
お風呂上りのようなことを言い出した。まぁ、ひなた君のこの甘えん坊さんは今に始まったことでもない。パイプ椅子を『二つ』部室の隅から持ってくる。
ひなた君は嬉しそうにその椅子に座り、ペットボトルの蓋を開けてこくこくと飲み始めた。対するゆうた君は、オロオロと椅子と私の顔を見比べている。
「はい、じゃあゆうた君も座ってね」
「えっ? い、いいです俺は! むしろアニキのことを叱ってやってください!」
「ゆうた君は甘えてくれないのかー。寂しいなぁー」
「え、ええぇ」
かぁぁ、と頬を赤くする姿もかわいらしい。良いから良いから、と軽く背を押すと、遠慮がちにちょこんとパイプ椅子に座った。
「ほんっと、アニキの我儘には困っちゃうよ……」
「嘘だぁ、ゆうた君も撫でられたかったくせに」
「なっ! お、おれは別にそんなこと! ただちょっと、千夜先輩に甘やかされたいって思っただけで!」
「要求が俺より高度じゃん!」
「……も〜っ! 二人とも可愛すぎる!」
わしゃわしゃ、とタオル二刀流でその頭を思いっきり撫でまわした。髪が乱れちゃうよ〜、と文句を言いつつ二人ともきゃっきゃとはしゃいでいるのだから問題はなさそうだ。
とはいえ、やっぱりアイドルの資本である外見は大事にしなければ。二人からタオルを外し、
「じゃんけんで勝ったほうから拭くね」
「行くよアニキ、じゃんけんぽん!」
「あああ!? こんなの不意打ちじゃん! 卑怯だ!」
ゆうた君のじゃんけんコールに、見事ひなた君はグーを出して敗北を喫していた。こういう時のゆうた君は、結構いたずらっ子だ。
まぁ公正なるじゃんけんの結果だ。私はそれに従おう。
「はーい、じゃあゆうた君からね」
「お願いしまーす」
綺麗なオレンジ色の髪は、少し汗で湿っている。その一房を、白いタオルで優しく包み込んで、ぽんぽんと軽くたたいていく。本当はシャワーで髪を洗った上でこうやって、ドライヤーをかけてあげたいんだけど……学校じゃさすがにそうもいかない。
昔、市民プールの帰りにレオを私の家に連れてきて、こうやって髪を乾かしてあげていたのを思い出す。なんだか遠い昔のことのようでいて、大して時間も経ってないんだよなぁ……なんてセンチメンタルな気分に。おそらくは、部室から差し込む赤い西日のせい。
「ねー先輩? 何考えてたんですか」
はっとする。正面ではなく、右斜め前からのお声がけなので、ひなた君だ。
「あ。ごめんごめん。何かしゃべってたかな」
「ううん、俺は何も。千夜先輩が、らしくない顔してたんですよ? 気づきませんでした?」
「えー? どんな顔だった? 美少女顔してた?」
「ノーコメントで」
「辛辣かよ……」
「えへへ、なーんてね。大丈夫ですよ、平均値はありますって」
「顔面偏差値70クラスに言われても……まぁ、普通に見れるって意味に受け取っておこうかな?」
おどけてそう言うと、ひなた君は楽しそうに声を上げて笑った。普段ならここでゆうた君の「ちょっとアニキ!」っていうお叱りが届くけれど、なぜか今日は何もない。
ちょっと前かがみになってゆうた君の顔を覗き込むと、目を閉じてうつらうつらと眠っていた。髪を触られると眠くなる気持ちはよくわかる。
「でも、ほんとに心配になっちゃう顔だったんです」
ひなた君がぽつりと言った。
レオのことを考えていたからかな。でも、彼のことを考えるのが苦しいなんて、私は一度も考えなかったけど。
「千夜先輩は、生徒会長のことが嫌いなんですか?」
「うん。昔ね、私が『Knights』とつるんでた頃……いろいろあったの。それで、英智に手ひどく負けてね。まぁ逆恨みだ〜って生徒会から言われるんだろうけど、憎いんだよねぇ」
今でこそ停滞が学院を包んでいるけれど、あのころの激動とどちらがましかなんて言われたら、分からなくなってしまいそうだ。
一年生のときは、私は英智が普通に好きだった。体が弱くても、アイドル業を一生懸命こなしたいっていう意思の強さは、むしろ誰よりも好きだったと思う。
彼との関係もそう悪くはなかった。彼が入院になると、敬人から彼の体調がいい日を聞いてはお見舞いにいったものだ。
「そういえば先輩は、二年生まではプロデュース科じゃなかったんですよね? どうしてアイドル科の先輩たちと絡みがあったんです?」
「あー……。私の知り合いにちょっとすごいのが居てね。私その人の幼馴染だから、何かあるたびに彼が私を呼びだしてて。あんまりにも頻度が凄いから、最終的に休み時間と放課後はアイドル科の方に入り浸る許可まで下りちゃって」
プロデュース科じゃない私が、アイドル科の人たちと親しくなれたのも、レオの奇行のおかげみたいなものだ。
ちなみにほかの科の私に、アイドル科への侵入および入り浸りを許可したのは零さん。そこからだ、彼との繋がりが出来たのは。
「その人が、生徒会長さんに何かされたんですね」
「……ひなた君って、もしかして賢いんじゃない?」
「そのくらいわかりますって。雰囲気で」
苦笑するひなた君。
そういえば、葵兄弟にはレオの話、したことなかったなぁ……。と今更なことを思い出す。
でも、一年生にこの話をするのも躊躇う。できる限り、過去は誰にも振り返ってほしくない。
こんな汚い気持ち、三年生や二年生なら誰しもが大なり小なり抱えているだろうけれど。でも、一年生にまでこの気持ちを植え付けるのは、ちょっと違うと思う。
それに一年生は一年生なりに、生徒会のこの状況に違和感を感じているだろうし。彼らには彼らだけの判断材料があるのだ。
「いきなりすみません、こんな話しちゃって」
「ぜんっぜん平気」
「嘘だぁ」
ゆうた君に言うときのトーンで、彼がやさしく私を否定する。
「千夜先輩、すっごい復讐とか向いてないもん。『Trickstar』の人たちにかかわるのも、俺的には反対だよ?」
「あはは、やっぱりそうかなあ」
「だって、憎いって言ってるときの顔、ちょっと困ってる感じの顔だったんです。喧嘩したけど仲直りしたいのに、とか、道に迷ってしまった、とかそんな感じの」
そうか。後輩に心配されるほど、私は向いてないか。
なんだかこんなに優しくされるのもくすぐったい。可愛くて優しい子を後輩に持ったなぁ、と柄にもなく思っちゃったりして。
「でも、千夜先輩はやめないんでしょ」
「おわっ、ゆうた君起きてたの?」
「アニキの馬鹿笑いで起きたんです」
「結構最初から起きてんじゃん」
タオルを持っていた手を優しく掴まれる。くるりとゆうた君も私の方を振り向けば、とっても似た顔の、似た優しさを持つ二人がよく見える。
「俺も反対ですよ。けど、千夜先輩がやめないって言うと思うから」
「……協力、してくれるんだね」
はい、と二人仲良しの、息ぴったりな返事。
「『Trickstar』に全部賭けるっていうんでしょ? なら、俺もゆうた君もその賭けに乗ります」
「そうだね、アニキ。手始めに、あの真面目クン系先輩を笑わせるとこからいってみないとね」
「そうそう! だから千夜先輩も、一緒に頑張りましょうね!」
「うん。……あーあ、なんでこんなに良い子なんだろうねぇ、この可愛い双子ちゃんめ!」
椅子越しに二人へ抱き着くと、彼らは嬉しそうにはにかんだ。
「俺たちは千夜先輩が大好きだから、当然ですよ」
それを言ったのはひなた君かゆうた君か、あるいは両方か。いずれにせよ、この上なく先輩冥利に尽きる言葉だった。