▽ 新しい女の子を 見つけた!

「おーい敬人、これ落としたよ」
「む」

む、って。返事たったの一音て。相変わらず愛想のない男だなぁ。ま、彼のこの態度嫌いじゃないんだけど。

彼が落としたのはボールペンだ。少し色褪せているところから、使い込まれたものであることが分かる。
ほい、と間の抜けた声とともに渡すと、彼は少しだけ口の端を上げた。感謝の意がこれでくみ取れるようになるのに、一年くらいかかったのを覚えている。

「すまない。少し急いでいた」
「敬人が? 珍しいじゃん、不測の事態とか?」
「いや、今回は生徒会絡みではなく『S2』だ。少々遅刻気味でな……」
「あらら、じゃあ引き留めちゃ悪かったね。ごめんごめん、いってらっしゃい」
「構わん。ではな」

どれだけ急いでいても廊下は走らない、生徒会役員の鏡って感じだ。
それにしても『S2』か……。

正直あまり、生徒会のメンバーが所属するユニットが出る『S2』は見たくない。さっきの敬人が所属する『紅月』も、生徒会の主戦力みたいなものだ。
もちろん、『紅月』にいる個人が嫌いなわけじゃない。現に敬人とは一年生のころからの付き合いだし、鬼龍くんは裁縫の師匠だし。二年生の神崎くんは、海洋生物部の部室でたまにお目にかかる。
薫くんを『UNDEAD』のレッスンに引きずり出す名目で、よくお邪魔するのだ。生き物の世話を真面目にこなす、いい子だと感じたのは記憶に新しい。

「あれ、千夜ちゃんじゃん、やっほ〜」
「むむむ!? 薫くん!?」

さっきまで敬人の「む」について熱く考えていたせいか、私まで「む」と言ってしまった。しかも連続で。

「珍獣でも見たような反応やめてくれない? まったく、千夜ちゃんは面白いなあ」
「その例えを引き出す薫くんも中々の逸材では?」

相変わらず、薫風から一字を拝する(勝手に妄想した)名に負けない飄々っぷりだ。

「今日の放課後はナンパの予定ないんだ」
「えー。今してるでしょ?」
「マジでか。じゃあ一杯いっとく? 駅前のカフェで」
「オッサンかよ! もう、その茶化しで逆ナンされても嬉しくないんだけど〜?」

ぶーぶー文句を垂れてくる薫くん。彼が女の子に文句を言うこと自体が、かなり珍しいことである。つまり私は薫くん的カテゴライズの中ではナンパ対象から外れちゃってるわけだ。それはそれで悲しい。

まぁ、出会い頭のこのナンパは、薫くんなりのリップサービスみたいなものかな。

「てか、今日は『UNDEAD』のレッスン無いよ?」
「知ってるよ。だからこうしてデートの相手を探してたんだけどさぁ……」
「今日は『S2』だから、普通科の女の子捕まんなくって。最悪だよ……って感じ?」
「そうそう。やっぱり俺と千夜ちゃんは通じ合ってるなぁ。ていうか俺、結構愛されてる?」
「零さんとボケ被せてくるのやめよう? 笑うから」
「ははは、バレたか〜」

さすがは二枚看板、ボケまで合わせてくる……という感心の仕方はあるわけがなかった。

まぁ、薫くんの言っていることは間違いじゃない。お互い、割とライトな喋り方だから、喋っていて波長があうのだ。以前そんな感じのことを言ったらマジ照れされたのでビビったけど。
でも、本人も同じことを感じていたらしく、それから軽薄さが『ナンパ男から悪友』寄りにシフトチェンジし始めている。

「でも、私も今日は暇なんだよね。薫くんがお相手を見つけられないとき、私もまたレッスン相手を見つけられないのだ……みたいな」
「唐突なニーチェ……」
「このボケを拾ってくるとはコイツ――できる!」
「ニッチ過ぎるでしょ、方向性が。ていうか千夜ちゃんはプロデュース科なんだよね? 芸人科とかじゃないよね?」

深淵を見つめているとき……、という格言だ。薫くん、ただのナンパ好きじゃなくて、話を盛り上げる為にいろいろな知識を吸収してるのが凄い。その熱意がレッスンに反映される日が来るのを待ってるんだけどネ!

「それは無理かな。俺そういう熱血的なノリは嫌いだし」
「わかってますよ……でもせめてモチベーション上げてほしいなぁ……」
「うーん、上げる方法はあるよ?」
「え、何それ初耳」
「女の子がいればやる気になる」
「結局それか! 女の子なんてアイドル科に転がってな……」

あ。
……いるわ。薫の知らない女の子が。

「え、何その反応。急に固まっちゃって」
「いや……レッスン中に居ても不当じゃない女の子に、心当たりが……」
「千夜ちゃんしか居ないじゃん」
「え?」
「え?」

ここまで言っても薫くんが察さないのは珍しい。
というかコイツ、まさか……あんずちゃんの存在すら知らないのでは……?
……と、私が思っていたのが分かったのか。薫くんは何やら期待に満ちた目で私を見つめている。
うーん、でも伝えていいものか……特に、薫くんだしなぁ……。

なんて、かなり失礼かつ順当なことを考えていた為、つい窓へ視線を反らしてしまった。

今日の中庭は、いつも以上に人の出入りがあった。皆『S2』を見て、生徒会に投票するだけの『作業』をしに行ってるんだろう。
嫌だな、と思って窓から目を反らそうとしたとき、目立つオレンジ色の髪が視界に飛び込んできた。

「あっ、スバルくんとあんずちゃん……」

言ってからハッとした。つい名前を口にしてしまっていたのだ。
恐る恐る薫くんの方を見ると、それはもう嬉しそうに目を輝かせていた。

「あんず『ちゃん』?」
「あー、バレたか」
「えっ、あれアイドル科の制服だけど、スカートだよね?」

薫くんが私の肩を抱いて窓際にエスコート。でも動機は居た堪れないほどクズいからアウトだ。まぁ、一応薫くんにわかりやすいよう説明も加えておこう。

「あの子があんずちゃんだよ。この春から夢ノ咲学園にきた転校生で、二年生。プロデュース科の生徒第一号」
「へぇ、結構可愛いねぇ」
「それは分かる。この前、なずなに作った没衣装を着てもらったんだけど似合ってたよ」
「えー、写真撮ってないの?」
「撮る時間なかった」
「なーんだ。っていうか隣に居るのは、もしかして彼氏?」
「いや、クラスメイトの子だよ……お、二人とも講堂に入ってったね」

公式ドリフェスの観戦の仕方を教えに行った、とかかな。それか生徒会のメンバーがいる『紅月』の調査とか。

「薫くん、今暇なんでしょ? なんなら『S2』観に行く?」
「えっ」
「あんずちゃんに接触するまたとないチャンスだぞ〜?」

まぁ、三年生と二年生じゃ、会えるチャンスも少ないだろうし。友達の薫くんの為だ、出会いを取り持つところまではやってあげよう。なんて意気揚々と決意する私。

けれど、予想に反して薫くんは首を横に振った。

「いや……あんずちゃんに会うのは、また今度でいいや」
「よっし、いざ講堂に……へっ?」
「そんなとこ行くより、駅前のカフェでしょ」

私がさっき言った店の名前を、彼は言った。
なぜ? と疑問符を飛ばしている私を華麗にスルーし、薫くんは私の右腕をくいっと引っ張って歩行を促す。ちょ、待てよ! と某キムタク風に言おうと思ったけれど、薫くんの続けた言葉に遮られた。

「言ったでしょ? ナンパしてるって」
「ええ……冗談だったじゃん」
「良いの良いの。それに俺が、デートで女の子が顔をしかめるような場所、連れて行くわけないから」

……どうやら気を遣ってくれたらしい。
女の子よりも優先してもらえるとは、正直驚いたけど。いや、そもそも私だって女の子なんだけどね。

「ありがと、薫くん」
「んー。なんのことだか、俺には全然わかんない」
「そっか」
「それよりさ、あの店、確かカップル割引とかやってたんだよねぇ。店に入るとき、手を繋いだりしない?」
「えー、さすがに恥ずかしいからさぁ……」
「ちぇっ。……じゃ、着くまでに心変わりさせないとね?」


軽快な語り口は、すでに前の話題を消し去っていた。

軽やかな風のような優しさが、彼の美しさだ。