消えゆく縁に祝福を!


「日和、転校するんだね」

どうも距離感を図りかねているのか、千夜は箸にも棒にも掛からぬ世間話の体で口を開いた。

対して、千夜を呼び出した日和はやはり目的があるようで、彼女のその言葉を無視してニッコリと笑ってこう発言した。

「千夜ちゃん、ぼくと一緒に玲明学園に来る気はないかい?」
「……は?」

きょとん、と。本気で意味が分からない顔で、千夜はそう言った。あの時とは逆転した立場に、日和は少し気分がよかった。

「な、なんで私? だって日和、あの時私にさんざん恥をかかされたの覚えてるでしょ?」
「もちろんだね! 結局あの三人はぼろ雑巾より役に立たなくて、元気いっぱいのぼくだけが素晴らしく輝いていたね! うんうん、お陰様でぼくらのユニットはめちゃくちゃなバランスだって酷評を受けたの、忘れるはずもないね!」

確かに、日和一人だけなら、恨みを買った落ち目の『Knights』と戦っても勝てる可能性があったかもしれない。

だが、ルール上『一度上がった者は、敗北するまで降りれない』のだ。

結果、ただでさえ天才の日和と凡人三人は、疲労によって表現にも歌にもダンスにも大きな開きができ、ユニットとしては不調和に終わってしまったのだ。

誰か一人が飛びぬけて上手いと、かえって全体がみすぼらしく見える……。そんなことを、彼は『fine』では考えもしなかった。あのステージに立つまで、一度だって考えなかった。

あの時、もし日和が引っ込んで三人とも見殺しにして、一人だけで踊ればあるいは勝てたのかもしれない。だが、完全にあの時の自分は頭に血が上っていた。どうすればいいかなんて分からず、戦場を俯瞰する方法も知らず、見事釣られて殺された。

――『知らない』から敗北したのだ。

無邪気な少女が、地雷原に踏み入るがごとくの失敗をした。知らない罪を、無関心の弱点を、あの時日和は初めて思い知った。

だからこそ、その後『fine』ではやれることをやり、そして今この時に。――何もなくなった夢ノ咲を去るに至るのだ。

「うん、今の発言から、私と一緒に学園生活を送りたい☆ みたいな発想にたどり着く経緯が全く見当たらないよ……」
「あれ、そうかな? うん、まぁ君が理解できようができまいが、ぼくには関係ないよね! ぼくがそうして欲しいと思ったから発言する、それがいい日和……☆」
「素晴らしいまでのゴーイングマイウェイだね」

千夜が苦笑した。
日和はそこで少し、普段の底抜けに明るい声のトーンを落とし、内緒話のような声量で彼女に声をかける。

「……あの時ぼくは、恥をかいたね」
「え? う、うん」
「恩義と恥と憎悪は、そう簡単には忘れられない。君はぼくに恥を植え付け、恩義を与えてくれたってこと、気づいてほしいね」
「……恩義を?」
「うんうん。君があの時、ぼくを騙さなかったら、負かさなかったら――どんな落伍者になっていたか、ちょっと恐ろしいものがあるね!」

あの時の恥が、堕落と安寧に浸っていた日和の意識を取り戻してくれた気がするのだ。女遊びからも徐々に離れ、二枚看板としての矜持を持ち始めた。

そも、あの万年迷子のような凪砂を引き連れる自分が、こんな状態ではいけないと……あのステージの後に気づいた。

「だから、君には感心もしてるし感謝もしてるね! どうだい、ぼくと一緒に来てくれたら、専属プロデューサーにしてあげなくもないね! もちろん学費だって全額負担してあげるよ? 悪い話ではないよね?」
「悪い話どころか、考えうる限り全国津々浦々の女子生徒が羨ましがる状況だけど」

千夜はそういって少し微笑んだ。こんな表情をしている限り、彼女はどこにでもいる、平凡で、愛らしい、優しげな少女でしかないのだが。

でも、日和はこの人間が必要だと思った。彼女が居れば、迷わない自分で居られる気がしたのだ。

「でも、ごめんね。私、今は離れられない」
「月永くんが心配?」
「……うん。レオだけじゃなくて、いろんな人が心配。だから、ごめんなさい」

千夜はまっすぐと日和を見つめて断った。
仕方あるまい、と日和が苦笑したのを見て、何か彼女は思い付いたらしい。ごそごそとカバンの中を探って、財布から500円玉を取り出した。

「とはいえ……ただ断るだけじゃ申し訳ないから、餞別代わりに一個賭けをしよう!」
「賭け?」

今度は日和がきょとんとする番だった。
千夜はいたずらっ子のように笑い、楽しそうに彼へ説明した。

「500円って書いてあるほうが表で、橘が書いてあるほうが裏ね! 表が出たら、次会うときに権力や金を使って専属プロデューサーにさせようとしても怒らない! 裏が出たら、次会うときは堅実に、努力と魅力と説得で専属プロデューサーへの勧誘をすること!」
「へぇ、面白いね。表が出たら万々歳だね!」
「あんま私を説得する気ないんだ……」
「だって君みたいな口の上手い子に説得とか、しんどいよね?」
「人をほら吹きみたいに言わないでほしいよ! 日和、絶対あの時の事根に持ってるよね!?」

ぶーぶー文句を言いながら、千夜はぱちんとコインをはじいた。
それを、日和がうまく両手ではさんでキャッチする。パチっ! と乾いた音が響いた後、二人の間には一瞬の静寂が落ちた。

「――いいかい千夜ちゃん。賭けの結果はここに。ぼくらが次会うときに、ぼくが苦労するかしないか……」

賭けの結果は。
日和の右手が退く。
その硬貨に刻まれたるは、――橘と竹。

「うわ、裏だね!? 悪い日和……!」
「ラッキー! じゃあ日和、次会うときも平穏に交渉しようね! 約束だよ!」

約束。
――ああ。彼女はこうして、もう一度会うきっかけを作ってくれたのだろう。

がっかりした顔をしていた日和は、そのことに気づいたとたん、嬉しそうな顔へと早変わり。

「そうだね千夜ちゃん! 嘘ついたら札束を口に突っ込んで強制連行だね!」
「ええ!? 針じゃなくて!? 何その有難いような迷惑なような脅迫! というか脅し方が御曹司!」
「うんうん、じゃあ約束しようね!」

この、冗談とも本気ともつかない約束を。
消える運命にある縁でつながった二人、一緒にかわそう。