楽園から逃避行


「……で、結局千夜は来ないんだね」
「ん? 凪砂くんも、千夜ちゃんに来てほしかったのかい?」
「うん」

さらりと凪砂が言う。凪砂と千夜は、日和のように一戦交えたわけでもない。なぜ凪砂がそんなことを言うのか、日和は少し興味を持った。

「凪砂くんも、千夜ちゃんと関わりがあったとは知らなかったね!」
「関わり……かは分からないけど。一度、一緒に映画を見たんだ」
「映画!?」

まさかの映画館デート。日和は想像を超える関係性に驚いていたが、凪砂はつらつらと言葉を続ける。

「うん。登山に興味があって、そういう系統のDVDを何本かAV室で流そうと思ったんだけど……その日ちょうど、千夜が一人で映画を見てて。それが、すごくおもしろそうだったかったから……一緒に見せてってお願いしたんだ」
「うんうん、凪砂くんと千夜ちゃん、一応敵対していることを思い出そうね! 軽く不思議時空が発生しちゃってるね!」
「敵対とか、あまり好きな言葉じゃない……。それに千夜は良い人。私が一緒に映画を見たいって言ったときも、嫌がらずに見せてくれた。……あ、ちゃんと部屋は施錠したから心配しないで」
「凪砂くんはまず、男女が施錠された密室に居る方が問題ということを覚えたほうがいいね! まあ君も千夜ちゃんもそういう所に疎いからしょうがないね」

凪砂は大概子供のような素直な感覚の持ち主だが、千夜の方もなかなか『女』という性を意識させないものがある。

どちらかというと『少女』ないしは『女の子』というか。どうも色事じみたものを狙っていないらしく、それがかえってアイドル科の男子たちにはウケがいいらしい。

「ちなみに、どんな映画を見たんだい?」
「『ナイトミュージアム』。博物館で、夜になると恐竜の骨やミイラが動き出すんだ。……とても面白くて、何回も見ていられる」
「それ、面白いというかホラーにしか聞こえないね!」

完全に百鬼夜行の様相である。

ホラーじゃないという凪砂の抗議をまとめると、どうやら博物館の展示品が魔法の力で夜だけ命を得て動くことができる……という内容のものだった。

博物館の遺品、化石やミイラ……未知の領域を求めるいかにも凪砂が好きそうだ。不思議なことに、千夜はこんなところで凪砂のツボを突いていたらしい。

「ミイラって面白いよね。私、ちょうど日和が『Knights』との争いをしているときにエジプトに行って、ミイラを見に行ってたんだ。……『ナイトミュージアム』に出てきたミイラが居ないかと思って。でもエジプトに行ってから気づいたんだけど、アクメンラーは架空の王子だった」
「行ってから気づくのがとっても凪砂くんらしいね! まぁ、旅はいいものだよねっ、今度はぼくと凪砂くんで、煩雑な転校手続きを終えてから旅に出るといいね! うんうん、それが良い日和……☆」
「どうせなら登山がしたいよ。それに、千夜が言ってた博物館にも行きたいんだ。化石って面白そう……」
「おやおや、千夜ちゃんは凪砂くんの新しい知識を探し当ててくれたんだね。よかったね、凪砂くん!」
「うん。だから、……専属プロデューサーになってくれなくて、少し悲しいかな」

しゅん、とした顔の凪砂。意外や意外、一緒に映画を見てくれただけで、凪砂にとってはかなりの好印象だったらしい。

……そもそもあの学院では、支配者たる『fine』の二枚看板の凪砂を怖がって、(下心がある生徒を覗けば)ろくに普通の生徒は寄り付かなかったのが原因だろうが。

いまだ幼い子供のような凪砂だ、同じことを一緒にやって遊んでくれるひとが居て嬉しかったのだろう。

「なるほど。これはますます、次会ったときは本気にならなきゃいけないね」

日和は楽しげに呟いた。
楽園を抜け出て、新しい場所でもまた、支配階級へと昇りつめるのは当然のこと。

だが、その先で。
その後で、楽園に居る旧い友と再会するならば。

「約束を果たそう。それが良い日和……♪」

今はまだ、楽園の彼女には背を向けていよう。追放されたアダムとイヴとは違い、彼らは自ら選択したのだ……だからいつか必ず、千夜と再会できるから。