バシャバシャと水溜まりを踏み、跳ねる泥も気にせずに足を進める。時間を知らせる鐘の音の後に、「きゃあ!」と悲鳴が聞こえ、走る速度を上げた。
時計台は雨だと言うのにざわざわと人が賑わっている。近付くにつれて濃くなる血の臭いに、私は顔を僅かにしかめた。「通して下さい」、と人の波を掻き分ける。
人だかりの中心には、血塗れの憲兵の姿があった。タッカーやニーナの遺体と酷似したその姿に、ぎり、と下唇を噛み締める。ポケットに入っていたハンカチを彼の顔に被せると、白い布地はじわじわと血に染まった。
「ぐ、軍人さん!さっき赤いコートを着た金髪の男の子が犯人に追われて…!」
「…赤い、コート…ご協力、ありがとうございます。みなさんは直ちにこの場から離れ、複数人で行動してください。」
赤いコート、金髪。
そのコントラストには非常に覚えがある。右足のホルスターからピストルを出すと、やじうま達は道を開けた。ごめんなさい、また後で、必ず家に帰してあげるから。憲兵の遺体を雨に晒すことになってしまうが、今は少年…エドワード・エルリックの保護をしなければ。
何故彼はこんなにもトラブルに巻き込まれるのだ。あまりのタイミングの良さに舌打ちが出る。嫌みの一つでも言わせてもらわないと気が済まない。バシャバシャ。ブーツの中には水が入りその感触は決して気持ちの良いものではない。
彼のいる場所はすぐに分かった。崩れた瓦礫に、建物が崩壊する音。「兄さん!」と聞こえた悲痛な叫び声はアルフォンスのものだ。彼の鎧は無惨に砕け散り、倒れ込んだそれには中身が無いように見える。
機械鎧を失ったエドワードが諦めたように膝を付き、弟だけは助けろと懇願する。その姿に、もやもやとした感情を抱く。これは、なんだ。
ゆっくりと近付く男の手に、アルフォンスが絶叫した。
「ねえ、子供苛めるのって楽しいんですか?」
「…貴様は、先程の…、」
「ねえ、聞いてもいいですか?時計台の憲兵はあなたが殺したの?」
「…。」
「沈黙は肯定と取りますよ。…あともう一つ。」
綴命の錬金術師の家にいた合成獣を殺したのも、あなた?
エドワードとアルフォンスがはっと息を飲むのがわかった。サングラスの男は相も変わらず沈黙を貫く。沈黙は、肯定。そう言ったはずだ。男が一歩足を引いたのが引き金となり、私はピストルを彼に向けた。
「そう、あなたが殺したんですね。理由を伺っても?」
「…教える義理は無い。貴様とて、聞かずともわかるだろう。」
「…そう、ですね。わかりたくは、ありませんけど、貴方の言う事も、一理ある。…だけど、」
パン、と飛んだのは銃弾。
男の左頬に一筋の血が走った。パン、パン、パン。無感情に撃ち出される弾は彼の腕を足をピシピシと傷付ける。しかめる顔には、何の感情も抱かなかった。狙えるはずなのに、私が急所を狙わないのは、そうだ、きっと。
「…っ!邪魔立てする者は、殺す!」
標的を私に変えた男は、一直線にこちらに走って来る。弾の切れたピストルを男に投げつけるも、彼は右手でそれを掴んで粉砕した。彼の右手は危険だと、瞬時に判断する。
パン!
後ろに一歩飛びながら両手を合わせて地面を錬成する。ボコボコと四方八方から鋭い円錐が彼を襲うが、彼は隙間を見極めて避ける。右手だけでなく、元々の戦闘スキルもなかなかのようだ。
「ちっ!」、と出た舌打ちは私のものだろうか、彼のものだろうか。
私は鉄パイプを掴むと飛びかかる彼の足下に素早く滑り込んだ。目を見開く彼の背中にパイプを強く打ち込む。ガハッと僅かに血を吐き、彼はその勢いのまま正面から地面に倒れ込んだ。ぐう、と呻いた声がひどく耳障りで、私は眉を寄せた。
そのまま倒れた右手の甲に鉄パイプをダン、と打ち付けて、背中と左手を足で踏み付ける。ギッと睨むその目は、まるで私の血を沸き立たせるようだった。
アドレナリンが出ているような、興奮しているような気分だ。さあ、この後は、どうしてくれよう。
そうだ、私は、きっと。この男を、ニーナを殺したこの男を、なぶり殺してやろうと思っているのだ。
久方振りに、口元が弛むのが、わかった。