なんでか、嫌だった。
傷の男をなぶる彼女の微笑みは、今にも泣きそうな、苦しそうな、そんな笑い方だったから。そんな笑い方をするくらいなら、今まで通りの表情筋皆無女でいてくれた方がいいと思った。
あんなに取り乱した彼女を見るのはいたたまれなかった。彼女だけではないのに。ニーナを救えなかったのは、無力なのは、彼女だけではないのに。俺だって、アルフォンスだって、そうなのに。
飛び出そうとした彼女の手を咄嗟に掴んだ。後悔はしていない。あんな状態の彼女をそのままにしておく訳にはいかなかった。
「離せ」「お前には関係ない」と咆哮する彼女は私1人ですべてを背負いましたから、みたいな顔していて、異様に腹が立った。
お前だけじゃない。お前だけで背負おうとすんじゃねえ、と。それでも口に出したら陳腐な台詞にしかならない気がして、言葉に出来なかった。
ぎゅう、と握り締めた左手は、意思表示だ。大丈夫だ、と。
俯いた彼女の頬に光ったのが雨粒だったのか、涙だったのか、俺にはわからない。
しばらくして、本当にもう大丈夫ですから、と緩やかに解かれた彼女の左手は、もう震えてはいなかった。
背筋の伸びた後ろ姿はさっきまでとはまるで別人だ。吹っ切れた人間の後ろ姿ってこんな感じなんだろうか。青い軍服を翻して歩く彼女の背中には迷いなんてものが無いように見えた。
少しだけ眩しい気がして、俺は目を細めた。
「…あ、そうだ!アルフォンス!大丈夫かアル!」
「こんの、バカ兄!」
「ぐっはあ!なんでなんで!なんでだ!」
「なんで!?こっちの台詞だよ!なんで全ての可能性を投げ捨てて死ぬ方を選ぼうとしたんだ!そんな真似は絶対に許さない!」
わあわあと俺を詰って殴る弟。右腕がぼろりともげて、さらに五月蝿くなるアルの声も今は安心する。アルも、俺も、ボロボロだ。はは、と乾いた笑いが出た。
「…でも、マスタング准尉を止めたのはグッジョブだったよ、兄さん。」
「………、おう。」
ふと、軍人の中に混ざる彼女を見やる。
乱れた髪を結び直すために解いた長い髪が風に揺れている。かき上げた髪の隙間から見えるきりっとした瞳は、もう淀んではいない。ついさっきまで感じていた彼女の手のぬくもりが風にさらわれて、だんだん俺だけの温度になっていく。
そうだ、無表情な彼女にも言われた。生きろ、と。
ああ、そうだな。生きてやろうじゃないか。元の身体に戻るために。ニーナのような不幸な娘を救う方法だって見つかるかも知れない。そのためには、生きなくては。前へ進まなくては。
どんなに不様でもボロボロでも、生きてる。右腕がもげても、傷だらけでも、生きてる。
俺達は、生きてる。そして、これからも、生きる。
「…生きてる。」
「ああ。」
生きてる。